新府城跡
新府城跡は、天正9年(1581年)に武田勝頼が甲斐国内での本拠移転を目的に築いた城で、七里岩と呼ばれる台地上に位置する。翌年、織田・徳川連合軍の侵攻を受けた勝頼は、わずか68日で本拠を放棄することとなり、天正10年3月、自ら城に火を放って退去した。この際、城内にいた人質の多くが焼死したことが『信長公記』に記されており、泣き悲しむ声が天に響くほどであったと伝わる。この短命かつ悲劇的な落城と結びつく形
城址や古戦場の上に整備された公園は、笑い声の下に幾百年の血を埋蔵する二重の地である。落城の悲劇、戦国の戦死者、処刑された武将の無念が、芝生や桜並木の根に絡みつく。行楽地化された静けさほど、地の底のざわめきを際立たせる。
全国 72 件
新府城跡は、天正9年(1581年)に武田勝頼が甲斐国内での本拠移転を目的に築いた城で、七里岩と呼ばれる台地上に位置する。翌年、織田・徳川連合軍の侵攻を受けた勝頼は、わずか68日で本拠を放棄することとなり、天正10年3月、自ら城に火を放って退去した。この際、城内にいた人質の多くが焼死したことが『信長公記』に記されており、泣き悲しむ声が天に響くほどであったと伝わる。この短命かつ悲劇的な落城と結びつく形
足羽山は福井平野の中心にそびえる標高116メートルの独立峰で、江戸時代には愛宕山などの名で呼ばれた。山頂一帯は桜とあじさいの名所として日本さくら名所100選に選ばれ、動物園や博物館、遊園地が集まる市民公園として整備されているが、十数基の古墳が点在し、山の西側には市営墓地(西墓地)が広がる。この墓地の一角では、昭和14年(1939年)から平成11年(1999年)まで福井市営の火葬場が稼働しており、新
石川県白山市の中心部、松任駅近くに位置する松任城址公園は、鎌倉時代初期に松任氏の居館として築かれたと伝わり、後に加賀一向一揆の拠点の一つとなった松任城の本丸跡を整備した公園である。1577年の手取川の戦い前後には上杉方の勢力が入城したとされ、1580年には織田信長の家臣柴田勝家の軍によって攻め落とされた。江戸時代の一国一城令により廃城となった後、跡地は官公庁施設などに転用され、2011年に公園とし
新潟市中央区の日本海沿いに広がる西海岸公園(通称お城公園)は、約38万本の黒松林と砂丘を取り込んだ総合公園で、天守閣を模した滑り台が名物となっている。昭和62年には周辺一帯が「日本の白砂青松100選」に選ばれた景勝地でもある。この滑り台をめぐっては、暴行を受けたとされる少女が絶望のうちに最上部から身を投げたという話が伝わり、以来うつむいて立つ少女の姿や、滑り台付近から視線を感じるという体験が複数の
群馬県高崎市に位置する県立都市公園「群馬の森」は、1882年に設置された旧陸軍の岩鼻火薬製造所の跡地に、明治百年記念事業の一環として1974年に開園した。同製造所は黒色火薬やダイナマイトの生産を担い、日中戦争下の軍需増産期にあたる1938年には爆発事故が4件発生し、この年の死者は24人に達したとされる。同年12月の事故は黒色火薬約4800キログラムが誘爆したもので、死者13人、周辺の民家560軒に
福島市渡利地区の東側に位置する標高約142メートルの丘陵。江戸期以前は説話「山椒大夫」に登場する安寿・厨子王の居所とされる椿館があったとの伝承から椿山と呼ばれていた。寛文5年(1665年)、阿武隈川に舟運が開かれたのを機に、水運の安全を願って竹生島から弁財天が勧請され、以後弁天山と称されるようになったという。1702年に福島城主となった板倉氏が、この弁財天が城を見下ろす位置にあることを理由に河畔へ
山形県鶴岡市の高館山山頂に立つ展望台。標高273メートルほどのこの山は庄内海浜県立自然公園の一部で、加茂港や庄内平野、鳥海山を望む眺望地として知られるが、戦国時代には大宝寺氏の居城・尾浦城が置かれた古戦場でもある。天正11年(1583年)、家臣の謀反によって城を包囲された当主は、城外の高館山で命を落としたと史料に記されており、この地には合戦で命を落とした者が眠るという歴史的な背景がある。 現在の
一つ森公園は秋田市中心部の南東に位置する総合公園で、1986年に「金照寺山東部公園」として整備され開園した。園内には日本庭園やロックガーデン、中国式建築の友誼亭、旧黒澤家住宅(久保田藩の上級武士住宅を移築した国指定重要文化財)などがあり、隣接する金照寺山とはもともと一続きの山であったが、奥羽本線の開通に伴う掘割によって分断された経緯を持つ。金照寺山は江戸期に久保田藩主佐竹家の菩提寺・天徳寺、続いて
秋田市浜田にある浜田森林総合公園、通称「梅林園」は、1969年の秋田市制80周年記念事業として整備された市民公園で、約370本の梅の木が植えられていることで知られる。園内には木造の展望台があり、この展望台やその周辺の森では、四つん這いの姿勢で移動する髪の長い女性の霊、通称「蜘蛛女」が目撃されるという噂が伝わっている。ほかにも、園内で女性が自ら命を絶ったという話や、白い服を着た女性の霊、トイレ付近で
原城は1496年に有馬貴純によって築かれた日野江城の支城で、後に有馬晴信により本格的な城郭として整備された。1637年、廃城となっていたこの地に天草四郎を総大将とする一揆軍、およそ3万7千人が立て籠もり、江戸幕府軍との籠城戦の舞台となった。翌1638年2月の総攻撃で一揆軍は全滅し、幕府側の記録では老人や女性、子どもを含めほぼ全員が殺害されたと伝えられている。現在も発掘調査で人骨が出土することがあり
長崎港を見下ろす標高169メートルの鍋冠山山頂に整備された鍋冠山公園は、グラバー園第二ゲートから遊歩道で結ばれた夜景スポットで、2016年には展望台が回廊状の形状にリニューアルされている。日中は観光客でにぎわうが、日没後は人通りが少なくなり、遊歩道沿いには地蔵が並ぶ区間もある。インターネット上の複数の心霊系サイトでは、展望台の下にあった公衆トイレで女性が性的暴行を受けて死亡する事件が過去に起きたと
山口市北部、東鳳翩山東肩の板堂峠に近い萩往還沿いに広がっていた森林公園「21世紀の森」。地域振興を目的に整備され、キャンプ場やアスレチック、森林学習展示館などを備えていたが、利用者の減少と施設老朽化により2011年3月末で廃止された。 駐車場には黄色い線で仕切られた一角があり、長期間にわたって使用できない状態のまま残されていた。この区画をめぐって、車を停めると車内に視線を感じる、車体が重くなり動