吉良邸跡(本所松坂町公園)
元禄15年(1702年)12月14日深夜、赤穂浪士四十七士が討ち入った吉良上野介義央の屋敷跡。明治期の区画整理で大半が宅地化されたが、本所松坂町公園として首洗い井戸と吉良の供養塔が残る。屋敷内で討たれた家臣16名と吉良の血が染み込んだ地として、討ち入り当夜と毎年12月14日に怪異譚が集中する。
城址や古戦場の上に整備された公園は、笑い声の下に幾百年の血を埋蔵する二重の地である。落城の悲劇、戦国の戦死者、処刑された武将の無念が、芝生や桜並木の根に絡みつく。行楽地化された静けさほど、地の底のざわめきを際立たせる。
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元禄15年(1702年)12月14日深夜、赤穂浪士四十七士が討ち入った吉良上野介義央の屋敷跡。明治期の区画整理で大半が宅地化されたが、本所松坂町公園として首洗い井戸と吉良の供養塔が残る。屋敷内で討たれた家臣16名と吉良の血が染み込んだ地として、討ち入り当夜と毎年12月14日に怪異譚が集中する。
江戸城外郭門の一、現存する高麗門と渡櫓門の桝形構造を持つ国指定重要文化財。万延元年(1860年)3月3日、雪の朝に登城する大老井伊直弼の駕籠が水戸浪士ら18名に襲撃され、井伊が暗殺された「桜田門外の変」の舞台。雪の朝に立つ赤い襷の武士、池に響く鯉の跳ねる音が伝わる。
慶長12年(1607年)に徳川秀忠が築き、家光の代で五層の大天守へ拡張された江戸城の中枢。明暦3年(1657年)の大火で焼失、以後再建されることなく石垣のみが残る。御本丸御殿の女中怪談、大奥の怨霊伝承の舞台。観光客で賑わう昼の景観の下に、徳川幕府二百六十年の権力闘争の記憶が層をなす。
野呂山の別荘地に建てられた西洋風の廃墟建造物。バブル崩壊後に廃墟化し、外観がシンデレラ城に似ていることから「魔女の館」と呼ばれる。内部では霊の目撃・不可解な物音・奇妙な気配が報告される。
明治42年開園の歴史ある公園。戦時中に防空壕として使用された歴史があり、夜間に旧噴水塔周辺で戦時中の軍服姿の人影が見えた・地面から人の手が伸びてくるなどの怪談が伝わる。
楠木正成が籠城した山城跡。南北朝時代の激しい攻防で多くの命が失われた場所で、武者の霊が出るとされる。深夜に山道を歩くと兜や甲冑の音が聞こえる・武士の姿が現れるなどの目撃談が語り継がれている。
戦国時代に里見氏が築いた山城跡。落城時に多数の武士が討死し、落ち武者の霊が現れるという伝説が地元に残る。夜間の城山周辺で甲冑をつけた武士の霊が歩く・剣戟の音が聞こえるという報告がある。
太平洋戦争中に空爆され多数の工員・市民が犠牲になった旧軍需工場跡地。現在は平和公園となっているが夜間に工員の霊が現れる・防空壕跡付近から声が聞こえるという報告がある。
戦後に米軍に接収されていた一帯の跡地。返還後も米兵の霊が出るという噂が絶えず、夜間に軍服姿の外国人霊が歩き回る目撃情報が多数。地元では長年「米軍の幽霊が出る公園」として知られる。
現・大塚山公園内にある堂跡。昭和38年に管理老婆が凄惨な事件され、昭和48年には女子大生凄惨な事件事件が発生。石灯籠のみが残る廃跡で、殺された女性の霊が出るという目撃情報が絶えない。
中城の廃農村で農民の霊が残り、亜熱帯の夜に農作業の音と歌声が聞こえてくる。
今帰仁城跡で北山王国の武将の霊が現れ、月夜に城内を巡回する足音が聞こえると伝わる。