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吹割の滝
水辺·群馬県 沼田市

吹割の滝

群馬県沼田市利根町追貝の片品川中流に位置する吹割の滝(ふきわれのたき)は、河床を侵食して形成された独特の滝である。一般的な滝のように川幅の端で落差を作るのではなく、片品川の流れが河床に走る亀裂を縫って横方向に流れ落ちるため、川幅全体が滝になっているような独特の景観を持つ。 地質は新第三紀の凝灰岩(白色から淡黄色のもの)で、約900万年前の海底火山活動で堆積した地層である。当時は海底だった場所が後の地殻変動で隆起し、片品川の浸食を受けて現在の地形が形成された。河床に多数の柱状節理と直交する節理が走っており、これに沿って水流が亀裂を深く削り進めて、長さ約30メートル、高さ約7メートルの大規模な亀裂群が現在の滝の姿になっている。 1937年(昭和12年)、国の名勝及び天然記念物に指定された。「東洋のナイアガラ」の通称で観光案内に登場するが、これは観光振興上の宣伝表現で、ナイアガラの滝とは規模も成因も大きく異なる。むしろ、河床の亀裂を縫う流れという珍しい滝形態として、地形学・水文学的に学術的価値の高い場所として位置づけられている。 滝の周辺は遊歩道が整備され、片品渓谷を周回するハイキングコースが利用できる。観光案内所、駐車場、土産物店、食事処などのインフラが整い、年間100万人を超える観光客が訪れる群馬県を代表する観光地のひとつとなっている。鱒飛びの滝、般若岩、千畳敷、伽藍岩などの見所が連続し、徒歩約1時間で渓谷を一周できる。 水流の至近距離まで遊歩道が近づくため、過去に滝つぼに転落する事故が起きており、沼田市と群馬県は遊歩道沿いに柵と注意看板を整備した。河床への立ち入りは安全のため禁止されており、夜間の立入も禁止。雨天や雪解け期は増水で遊歩道の一部が浸水することがある。 アクセスは関越自動車道沼田ICから車で約30分、または鉄道はJR上越線沼田駅からバスで約40分。冬季(12月から3月)は積雪と凍結のため、遊歩道の一部が通行止めとなる期間がある。

羽黒山五重塔
神域・霊場·山形県 鶴岡市

羽黒山五重塔

山形県鶴岡市羽黒町手向(とうげ)にある羽黒山五重塔は、出羽三山(羽黒山・月山・湯殿山)信仰の中心地、出羽神社の境内に立つ国宝建造物である。羽黒山の標高414メートルの山頂と、麓を結ぶ長い石段参道の途中、杉並木のなかに静かに立つ姿で広く知られる。 塔の建立年代は明確には記録に残らないものの、室町前期の応安5年(1372年)に、出羽国守護で武家の藤原宗忠の発願により再建されたとする寺伝が中世以来伝わってきた。これより前にも複数回の建立・焼失を経たとされ、現存する建物は5回目の再建にあたると考えられている。塔全体は三間五重塔婆、総高さ29.0メートル、檜皮葺の屋根、木造素木造りという中世以来の様式を引き継ぐ建築である。 明治の神仏分離令により羽黒山は出羽神社となり、寺院色の濃かった建物の多くが廃された。五重塔は神社の境内ではあるが仏塔の形式を保ったまま残された数少ない遺構である。1966年(昭和41年)に国宝に指定された。 五重塔への参道は、随神門から羽黒山頂までを結ぶ「神々の道」と呼ばれる2,446段の石段の途中にある。羽黒山の杉並木は約600本、樹齢350〜500年の老杉が並ぶ参道は「特別天然記念物」に指定され、ミシュラン・グリーンガイド・ジャポンで三つ星評価を受けた東北を代表する景観のひとつになっている。 出羽三山は古代から東北の修験道の聖地であり、現在も「山伏」と呼ばれる修行者による秋の峰入り行事が続けられている。出羽神社が運営する伝統文化保存活動の一環として、外国人を含む一般参加者向けの修行体験プログラムも提供されている。 アクセスは庄内空港から車で約30分、JR鶴岡駅からバスで約40分。例年12月から3月までは積雪のため石段参道の一部に通行制限がかかる。詳細は出羽三山神社公式サイトに掲載されている。

三徳山三佛寺投入堂
神域・霊場·鳥取県 東伯郡三朝町

三徳山三佛寺投入堂

鳥取県東伯郡三朝町三徳に位置する三徳山三佛寺(みとくさん さんぶつじ)は、慶雲3年(706年)に役行者によって開かれたと伝わる天台宗の山岳寺院である。同寺の奥院・蔵王堂は三徳山の中腹、標高約470メートルの断崖の窪みに張り出すように建てられた懸造(かけづくり)建築で、通称「投入堂(なげいれどう)」と呼ばれる国宝建造物である。 投入堂の名は、役行者が法力で堂をそのまま岩窟に投げ入れたという伝承に由来する。実際の建立年代は、平安後期から鎌倉初期(11世紀末から12世紀初頭)と推定されており、解体修理時の年輪年代測定によって学術的に確認されている。日本に現存する建築物のなかで、これほど人を寄せ付けない場所に建てられた仏堂は他に例がなく、建築史上もきわめて稀有な存在として評価が定まっている。 参拝路は本堂の裏手から始まる。鎖を頼りに垂直に近い岩肌を登り、根上がりした樹根を伝い、文殊堂・地蔵堂・観音堂など複数の懸造の堂を経て、最後に投入堂の真下に立つ。所要時間は片道約1時間、難所が連続するため、寺院側は単独入山を禁止し、二人以上での入峰登拝を厳格に求めている。雨天・降雪・路面凍結時は入山禁止。 入峰登拝の前には本堂で輪袈裟を受け、装備の安全確認を受ける必要がある。靴底の溝が摩耗している場合は寺貸し出しの草鞋に履き替える規則がある。これらの安全管理は1,300年の修験道の伝統と、現代の安全基準を両立させるための取り組みとして整備されてきた。 国の重要文化財に指定された堂宇は本堂を含めて複数あり、奥院(投入堂)は1952年に国宝指定。三徳山全山は2015年、「日本遺産」第1号認定の構成資産のひとつとなった。 アクセスはJR山陰本線倉吉駅からバスで約40分、または車で米子自動車道湯原ICから約50分。冬季は積雪のため参詣道が長期間閉鎖される。最新の入山可否は三佛寺公式サイトと三朝町観光協会の情報を確認するのが推奨される。

乃木神社・旧乃木邸
神域・霊場·東京都 港区

乃木神社・旧乃木邸

大正元年(1912年)9月13日、明治天皇大葬の儀の日に、乃木希典・静子夫妻が殉死自刃した邸宅と隣接して建つ神社。自刃の血が染みた畳・遺品が旧邸に保存され、命日には参拝者が絶えない。書斎・夫人居間・自刃の間が当時のまま残り、夜半の柱時計が止まる、足音が廊下を渡るとの伝承。

永代橋(永代橋崩落事故跡)
橋・高架·東京都 中央区

永代橋(永代橋崩落事故跡)

元禄11年(1698年)架橋の隅田川下流の橋。文化4年(1807年)8月19日、富岡八幡宮の祭礼に集まった群衆の重みで橋が崩落、約1500人(記録は440〜1500人と幅)が水没死した「永代橋崩落事故」の地。江戸最悪の橋崩落事故として語り継がれ、夜半の橋上で耳元に水音と悲鳴が響くとの伝承が今も残る。

於岩稲荷田宮神社
神域・霊場·東京都 新宿区

於岩稲荷田宮神社

寛永13年(1636年)創建、四谷怪談「お岩さん」のモデル田宮岩女の屋敷跡に建つ社。鶴屋南北『東海道四谷怪談』が文政8年(1825年)初演された後、怪談関係者の不審死が相次ぎ、芝居興行・映像化のたびに関係者が参拝する習わしが今も続く。鏡台前のろうそくの揺らぎ、女の啜り泣きが伝わる。

多磨霊園
神域・霊場·東京都 府中市

多磨霊園

大正12年(1923年)開設、約34万㎡を擁する都立霊園。江戸川乱歩、岡本太郎、北原白秋、与謝野晶子・鉄幹夫妻、東郷平八郎、山本五十六ら著名人の墓が並ぶ。広大な森のような墓苑は夜間立ち入り禁止だが、明治・大正期の文豪・軍人墓のあいだに揺れる人影、墓石を撫でる気配の目撃譚が古くから伝わる。

吉良邸跡(本所松坂町公園)
公園・城址·東京都 墨田区

吉良邸跡(本所松坂町公園)

元禄15年(1702年)12月14日深夜、赤穂浪士四十七士が討ち入った吉良上野介義央の屋敷跡。明治期の区画整理で大半が宅地化されたが、本所松坂町公園として首洗い井戸と吉良の供養塔が残る。屋敷内で討たれた家臣16名と吉良の血が染み込んだ地として、討ち入り当夜と毎年12月14日に怪異譚が集中する。

神田明神(神田神社)
神域・霊場·東京都 千代田区

神田明神(神田神社)

天平2年(730年)創建。承平5年(935年)に討たれた平将門の首級が祀られたと伝わる江戸総鎮守。明暦の大火、関東大震災、東京大空襲で繰り返し焼け、その都度再建された。境内裏手の将門公塚と、夜半の社殿にこだまする鎧武者の足音は古くから氏子の語る怪。

雑司ヶ谷鬼子母神堂
神域・霊場·東京都 豊島区

雑司ヶ谷鬼子母神堂

法明寺の境外仏堂、永禄4年(1561年)出土の鬼子母神像を祀る。鬼子母神は元来、千の子を持ちながら人の子を奪い喰った夜叉が釈尊に諭され改心した存在で、像には角がなく「鬼」の字も角を取った独特の表記を用いる。子授け・安産信仰の聖地である一方、旧母神時代の伝承が境内の闇に潜む。

寛永寺・徳川家霊廟
神域・霊場·東京都 台東区

寛永寺・徳川家霊廟

天台宗関東総本山、東叡山寛永寺。四代家綱、五代綱吉、八代吉宗、十代家治、十一代家斉、十三代家定の徳川家霊廟が祀られる。慶応4年(1868年)の上野戦争で堂宇の大半が焼失、彰義隊戦死者の血が境内に染み込み、戦死者の墓も近接する。夕刻以降の独歩は地元で忌まれる。

東京都慰霊堂(横網町公園)
神域・霊場·東京都 墨田区

東京都慰霊堂(横網町公園)

関東大震災(1923年)で旧陸軍被服廠跡に避難した約3万8千人が火災旋風で焼死した地。震災後の昭和5年(1930年)に「震災記念堂」として建立、戦後は東京大空襲犠牲者約10万5千人の遺骨も合祀し、計約16万3千柱の慰霊堂となる。3月10日と9月1日には法要が営まれ、夜の公園は地元で避けられる。