神域・霊場

鎮守の杜や霊場は、千年の祈りが土地に染み込んだ磁場であり、神仏と死者が共に在る空間である。御霊信仰、無縁仏の供養、修験の行場としての記憶が幾重にも層をなし、結界の内側でうごめく気配は信仰の篤さに比例して濃く立ちのぼる。

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都道府県別の神域・霊場スポット

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神域・霊場·山梨県 上野原市

神明社(首吊り神社)

上野原市新田に鎮座する神明社は、天照大神を主祭神とする神社で、創建年は定かでないものの、安政三年(一八五六年)の再営、明治五年(一八七二年)の修復記録が残る。本殿は一間社流造で精巧な彫刻が施され、明治六年には村社に列せられた歴史を持つ。社は薄暗い林の中に位置し、境内で首吊り自殺があったとの噂から、訪れる者の間で「首吊り神社」という通称が使われるようになったとされる。語られる怪異としては、白い着物を

神域・霊場·福井県 坂井市

雄島

雄島は福井県坂井市三国町に浮かぶ周囲約2キロの無人島で、越前加賀海岸国定公園に含まれる。柱状節理の断崖に囲まれ、島内には創建から1300年以上(約1370年)とされる大湊神社が鎮座し、古くから海上安全や武運を祈る神域として一般の立ち入りが制限されてきた。現在は赤い雄島橋(雄島大橋)で本土と結ばれ、参拝や散策で訪れることができる。隣接する東尋坊の断崖からは毎年一定数の転落死者が出ており、潮の流れによ

神域・霊場·石川県 金沢市

野田山墓地(加賀藩主前田家墓所)

野田山は金沢城から南西へ約3.5キロ、標高175メートルほどの丘陵地にある金沢市最大級の墓地である。1587年、加賀藩祖前田利家が兄・利久をこの地に葬ったことに始まり、以後歴代藩主とその正室の多くがここに埋葬された。前田家墓所は約8.6ヘクタールに及び、土を四角く盛り上げた古墳のような形状の墓が約80基並ぶ。2009年には国の史跡に指定されている。明治以降は金沢市が管理する市営墓地や戦没者を祀る墓

神域・霊場·石川県 金沢市

卯辰山公園(解剖体墓地・長崎キリシタン殉教者の碑)

金沢市街を見下ろす卯辰山公園には、性質の異なる二つの慰霊地が並んで残る。一つは明治16年(1883)に建てられた「解剖体墓地」で、当時の医学生が解剖実習に用いた献体を弔うために造られた。もう一つは1968年に金沢カトリック教会が建立した「長崎キリシタン殉教者の碑」で、明治3年(1870)に長崎浦上のキリシタン約500人が加賀藩へ流され、監禁生活の末に100人以上が命を落とした史実を伝える。1998

神域・霊場·山形県 上山市

滝不動明王

上山市鶴脛町、県道104号線沿いの山中に、不動明王を祀る小さな滝と石碑・鳥居があった。不動明王は大日如来の化身として炎と刀剣を伴う姿で信仰される存在で、水音の激しい滝に祀られることが多く、この地でも修行の場として信仰が続いてきたとされる。一方で、江戸時代にはこの周辺が処刑場として使われ、斬首に用いた刀を滝の水で洗い流したという言い伝えが残り、後に供養のための刀剣が奉納されるようになったという。加え

神域・霊場·宮城県 松島町

富山観音堂

富山観音堂は宮城県松島町手樽の富山山頂に建つ観音堂で、松島四大観のひとつ「麗観」として松島湾を一望できる景勝地でもある。伝承では平安時代の大同年間、征夷大将軍・坂上田村麻呂が観音菩薩像を安置したとされ、涌谷町の箟岳観音、石巻市の牧山観音と並び奥州三観音の一つに数えられる。現在の朱塗りの堂は伊達政宗の長女・五郎八姫が承応3年(1654)に改修したもので松島町の指定文化財、堂東の梵鐘も同氏の寄進(明暦

神域・霊場·宮城県 仙台市青葉区

葛岡霊園(仙台市葛岡墓園)

葛岡霊園(仙台市葛岡墓園)は青葉区郷六の丘陵地に広がる公営墓地で、宮城県内でも屈指の規模を持つ。高度経済成長期に仙台市の人口増加を受け、昭和40年代に当時の宮城町郷六に造成され、1987年の宮城町の仙台市編入により仙台市内の施設となった。市民墓地に加え多数の寺院墓地、東北大学の納骨堂、市内唯一の火葬場である仙台市葛岡斎場を備え、県内でも規模の大きい墓苑として知られる。 この霊園については、敷地内に

神域・霊場·青森県 弘前市

久渡寺

久渡寺は青森県弘前市坂元に位置する真言宗智山派の古刹で、津軽三十三観音霊場の第一番札所であり津軽真言五山の一つに数えられる。伝承では8世紀末頃の開創とされ、1191年に現在地へ移されたのち、1619年に弘前藩によって堂舎が再建されたという歴史を持つ。境内には円山応挙の筆と伝わる幽霊画「返魂香之図」が所蔵され、旧暦5月18日の正午前後にのみ公開される。また境内には200体を超える観音像が並んでいるが

神域・霊場·鳥取県 東伯郡琴浦町

花見潟墓地

花見潟墓地は鳥取県琴浦町の海岸沿いに広がる自然発生型の墓地で、東西約350メートルにわたり約2万基の墓石が並ぶ、海に面した墓地としては西日本最大級の規模を持つ。起源は明確でないが中世後期以降に形成されたとみられ、地域の人々によって維持管理されてきたと考えられている。敷地内には鎌倉時代末期の石造宝塔があり、平安期の陰陽師・安倍晴明と蘆屋道満の供養塔と伝わる(江戸期の地誌にも記録が残る)。1891年に

神域・霊場·宮崎県 宮崎市

仏舎利塔(紫波洲崎城址)

仏舎利塔は宮崎市南部の折生迫、青島の南に隣接する城山公園の山頂に建つ仏塔である。この地はかつて紫波洲崎城の本丸があった場所で、室町時代に長井氏が築いた城は伊東氏四十八城の一つとされ、以後は伊東氏と島津氏による争奪の舞台となった。1480年に島津方が一時奪取したが伊東氏が奪還し、1577年に伊東義祐が豊後へ逃れた後は島津方の上井薫兼が城主を務めた。1587年の豊臣秀吉による九州征伐後は再び伊東氏の所

神域・霊場·茨城県 笠間市

佐白山(笠間城跡)

佐白山は茨城県笠間市中心部に位置する標高182〜205メートルほどの小山で、古くは神の使いとされる白い雉・白い鹿・白い狐が棲むとの伝承から「三白山」とも呼ばれた。山頂には式内社の論社である佐志能神社が鎮座する。鎌倉時代、笠間時朝は麓の寺院同士の争いに介入して徳蔵寺などの僧兵を攻め滅ぼし、1219年に山頂へ本格的な城郭を築いたのが笠間城の起源とされる。以後18代にわたり笠間氏が統治したのち、江戸期に

英彦山
神域・霊場·福岡県 添田町

英彦山

英彦山は福岡県添田町と大分県中津市の境にそびえる標高1199メートルの山で、山形の羽黒山、奈良の大峰山と並び日本三大修験山の一つに数えられる。伝承では531年、北魏出身の僧・善正がこの地で修行していた折、猟師の藤原恒雄と出会い、白鹿を助けた鷹の奇跡を通じて弟子となったことが英彦山神宮の起源とされる。以後、山伏の修行道場として栄え、最盛期には数千名の僧兵を擁したと伝わるが、天正九年(1581年)、秋