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千駄ヶ谷トンネル
隧道・トンネル·東京都 渋谷区

千駄ヶ谷トンネル

千駄ヶ谷トンネルは、その真上に江戸期創建の仙寿院という日蓮宗の寺院と墓地が広がることから、古くから「霊が集まりやすい場所」として都内の心霊マニアの間で語り継がれてきたとされる。トンネル内で白い人影を目撃した、突然エンジンが止まった、後部座席に人が乗り込む気配がしたなどの体験談がネット上に散見され、「墓地の真下を走るトンネル」という特異な立地がそうした噂に拍車をかけているとも言われている。また、深夜に通行すると車内の温度が急激に下がる、ラジオに意味不明な声が混じるといった怪異も報告されているとされるが、いずれも確認された事実ではなく、あくまでも噂・伝承の域を出ない。 トンネルの成り立ちを辿ると、1964年(昭和39年)の東京オリンピック開催に合わせて整備された、全長290メートルの自動車道であることがわかる。外苑東通りの慢性的な渋滞解消を目的として地下化が決定されたが、直上に正保元年(1644年)創建・徳川家康の側室お万の方ゆかりの仙寿院とその墓地が存在したため、墓地・境内を移転させず地下を貫通する形で建設された経緯がある。歩行者通行帯は設けられておらず徒歩での通過は不可。1964年当時の規格のまま現在も現役の都道として機能しており、オリンピック関連インフラとして土木史・都市計画史の観点からも貴重な構造物とされている。

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旧奈良監獄
廃墟・残骸·奈良県 奈良市

旧奈良監獄

近鉄奈良駅から北へ徒歩約25分、般若寺町の高台に、赤煉瓦の正門が見えてくる。正面のロマネスク様式の門は左右対称、両翼に切妻屋根の見張り塔を備え、その奥に放射状の収容棟が広がる。旧奈良監獄、近代日本が建てた最後の五大監獄のひとつである。 設計したのは司法省技師の山下啓次郎、明治末から大正期に活躍した建築家で、ジャズピアニスト山下洋輔の祖父にあたる。山下は欧州の刑務所建築を学んで帰国し、千葉、金沢、長崎、鹿児島、奈良の5か所の監獄を設計した。奈良は1908年(明治41年)の竣工、5棟の収容棟が中央監視所から放射状に伸びるパノプティコン型の典型で、見張りの効率を建築の原理で実現した近代刑罰思想の象徴である。 この建物は2017年(平成29年)に重要文化財に指定された。指定理由には「明治期の煉瓦建築の完成度の高さ」「監獄建築としては国内現存最古」「近代司法制度の物的証拠」が挙げられる。施設としての奈良少年刑務所は同年閉鎖された。 閉鎖後、法務省は史実建造物としての保存と活用を両立する方針として、ホテルとしての改修・運営事業者をプロポーザル方式で募集。2018年に事業者が決定し、現在、星のリゾートが運営する宿泊施設「監獄ホテル奈良」(仮称、開業時期未定)への改修工事が継続している。 外観の正門と周囲の塀は、改修工事の柵越しに見学可能。ここは「事件の現場」ではなく、明治政府が近代国家として整えた司法インフラの遺構として捉えるのが本来の文脈である。建物の歴史的価値、設計者の系譜、保存と活用のバランス、こうした多層的な背景を踏まえて訪れると、ただ「監獄跡」と呼ぶよりも豊かな鑑賞対象になるはずだ。

八王子城跡
公園・城址·東京都 八王子市

八王子城跡

八王子城跡は、東京都内屈指の心霊スポットとして知る人ぞ知る場所である。1590年の落城の際に命を落とした無数の将兵や女性・子供たちの霊が今なお城跡に漂っているという噂が、長年にわたって語り継がれている。特に「御主殿の滝」周辺では、落城の際に滝へ身を投げた女性たちの霊が目撃されるとされ、夜間に滝の方向から女性の泣き声や呻き声が聞こえてくるという体験談が複数報告されているという。また、山道を歩いていると突然カメラや録音機器が誤作動を起こしたり、写真に無数の光の玉(オーブ)が映り込んだりする現象が頻繁に起きると言われている。さらに、日中でも山中の一部では気温が突然下がり、人の気配を感じると訴える訪問者も少なくないとされる。 八王子城跡は、東京都八王子市元八王子町、深沢山の標高445メートルに広がる戦国末期の山城遺構である。城主・北条氏照が小田原城に不在の中、前田利家・上杉景勝・真田昌幸ら約15,000の軍勢に攻められ、わずか一日で落城した。残された将兵や女性・子供を含む数千人が命を落としたとされ、その凄惨な歴史が心霊現象の噂の根底にあると言われている。現在は国の史跡に指定された史跡公園として整備され、復元石垣や曳橋なども公開されている。山頂の本丸跡までは登山道が整備されているが、八王子市は安全のため日没後の入山自粛を呼びかけている。

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巣鴨プリズン跡地(東池袋中央公園・サンシャインシティ)
路上・交差点·東京都 豊島区

巣鴨プリズン跡地(東池袋中央公園・サンシャインシティ)

東京都豊島区東池袋の一帯には、第二次世界大戦後に連合国軍が戦争犯罪人を収容した巣鴨拘置所、いわゆる巣鴨プリズンが置かれていた。極東国際軍事裁判などの判決を受けた者の刑がこの地で執行され、一九四八年十二月にA級戦犯七名の死刑が、その前後にBC級戦犯五十名あまりの刑が行われたと記録されている。施設は一九七一年に解体され、一九七八年には跡地に超高層のサンシャイン60を核とする複合施設サンシャインシティが開業した。処刑場のあった一角は豊島区立東池袋中央公園として整備され、一九八〇年には園内に「永久平和を願って」と刻まれた碑が建てられて、戦争の犠牲となった人々への慰霊が続けられている。 繁華な商業地の足下に処刑の歴史が重なるこの立地から、当地はしばしば心霊の話題と結びつけて紹介されてきた。公園やその周辺の施設で軍服を思わせる人影を見た、人魂のような光や原因の分からない物音に気づいた、といった話が来訪者から伝えられることがある。戦争と裁きの記憶が色濃く残る土地として、追悼の対象であると同時に、怪異が取り沙汰される場としても語られることがある場所である。

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