山口県の心霊スポット

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本州西端・山口県は、関門海峡を挟んで九州と対峙する歴史の交差点である。1185年、平家滅亡の地となった壇ノ浦、本州と九州を海底で結ぶ旧関門トンネル、絶景の角島大橋に伝わる海の怪異——源平の合戦で入水した幼帝・安徳天皇と平家一門、そして幕末長州の志士たちの怨念が、潮流渦巻く海峡の底に今も静かに沈んでいるとされる。

人気スポット TOP10

角島大橋
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角島大橋

角島大橋は、山口県下関市豊北町の神田と角島の間、海士ヶ瀬戸に架かる全長およそ1,780メートルの道路橋である。1993年に着工し2000年に開通した。架橋以前は渡船が唯一の連絡手段で、冬季の風浪時には欠航が続き、医療や消防の面で島の暮らしに支障が生じていたという。澄んだ海をほぼ一直線に渡る景観で広く知られる一方、この海峡には古い伝説が残る。本土側の高壺山から鬼が石や岩を投げ入れて瀬ができたとされ、その「海士ヶ瀬」、鬼の頭領の角を沖に埋めたことに由来するという「角島」、若い鬼が丘を投げ入れたとされる「鳩島」など、周辺の地名がこの鬼の物語と結び付けて説明されてきた。頭領の鬼はやがて社を守る役目を担って生涯を終えたとも伝えられる。さらに橋の上から海を見ると、響灘と日本海の潮がぶつかる境目が一本の線のように浮かび上がることがあり、この「あるはずのない線」もまた、海峡にまつわる不思議として話題にされることがある。

下関市·
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旧関門トンネル
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旧関門トンネル

山口県下関市と福岡県北九州市門司区を隔てる関門海峡の海底に、世界初の海底道路トンネルが通っている。関門国道トンネルである。一般道路用トンネルの下部に約60メートル下の海底を貫く全長3,461メートルの本坑(車両用)と、その上部に並行して走る歩行者・自転車用の人道トンネル(780メートル)の二層構造になっている。 計画は昭和初期に始まる。1936年(昭和11年)に内務省土木局が本格的な調査に着手、1937年に着工した。海底トンネルとしては前例のない難工事で、関門海峡の急潮流、深い海底地質、戦時下の資材不足、米軍の空襲被害、複数回にわたる工事中断を経た。終戦後の1947年に工事再開、車両用本坑は1958年(昭和33年)3月9日に開通し、人道トンネルも同年3月10日に供用開始した。着工から開通まで実質21年を要した。 本坑は車両用国道トンネル、人道トンネルは下関側、門司側それぞれにエレベーターが設置され、歩行者と自転車(押し歩き)で渡ることができる。通行料金は人道トンネルが歩行者無料、自転車・原付(押し歩き)は20円。本坑は普通車が160円。これは関門海峡を渡る選択肢のなかで最も安価で、現在も日常的に観光客と地元住民の両方が利用している。 工事中の労働災害については、内務省・建設省の公式記録に詳細な記述が残されている。海底掘削特有の地下水流入や圧縮空気作業中の潜水病など、当時の労働衛生基準では困難な作業環境だった。慰霊碑が下関側坑口近くに設置されており、毎年関係者による慰霊式典が継続されている。 人道トンネルの中央部には山口県と福岡県の県境ラインが床面に描かれており、観光客が両足を別の県に置いた記念撮影をするスポットになっている。徒歩約15分で対岸へ渡ることができる、世界的にもユニークな県境体験ができる場所として、観光案内サイトでも紹介されている。

下関市
旧下松市立病院
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旧下松市立病院

山口県下松市にある旧病院の廃墟。下松市は瀬戸内工業地域の中核であり、日立製作所や東洋鋼鈑など大規模製造業が集積する工業都市として発展した。地域医療を支えた医療機関は、1990年代後半の地域医療再編成の中で周南記念病院の前身の一つとなり、2000年に周南記念病院の開院に伴って機能が移転した。現在、解体されないまま放置された建物は、壁面の劣化、窓ガラスの破損が進み、コンクリート造の無機質な外観が特徴的である。瀬戸内沿岸の工業都市の医療史を物質的に留めた遺構として、近年ではインターネット上で廃墟スポットとして言及されることもある。

下松市
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旧周防大島町立病院

瀬戸内海の周防大島に建つ旧病院は、1967年11月に初代48床の規模で開院し、島の医療を担った施設である。その後1973年、1977年、1981年と段階的に増床され、一般99床規模へと拡張された。急患搬送から慢性疾患診療、島民の予防医療まで、離島の限定的な医療資源のなか、地域の医療を支えてきた。 同じ瀬戸内沿岸でも、対岸の本州と異なり、島では医師確保と患者搬送が常に課題であった。1976年と1983年に架橋が完成し、島外への移動が容易になると、医療の集約化が進行。人口も1970年の37,631人から2020年には14,798人へと60年間で60%以上減少し、地域医療の持続が困難となった。島の医療ニーズの変化と人口減少に対応する形で、2010年11月に新病院がより高度な機能を備えた新築移転を遂行。旧建物には診察台やカルテ保管施設が取り残されたままとなっている。

周防大島町·37 views·
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角島(角島灯台・角島大橋)

角島は山口県下関市の北西端、響灘に浮かぶ島で、2000年に開通した角島大橋によって本州と結ばれている。通行無料の橋としては国内でも有数の長さを持ち、青い海の上へまっすぐ伸びる景観から観光地として広く知られる。島の北西端には1876年(明治9年)に初点灯した角島灯台が立つ。技師リチャード・ヘンリー・ブラントンが設計した日本海側で最初の洋式灯台とされ、無塗装の総御影石造りという珍しい姿を今に残し、2020年には現役灯台として国の重要文化財に指定された。 その一方でこの島は、海と結びついた怪異の舞台として紹介されることもある。外洋に開けた響灘は昔から海難と隣り合わせで、灯台や海岸線には海で命を落とした人々のイメージが重ねられてきた。霧の濃い時間帯に波打ち際へ目をやると白い人影が立って見える、海の方から呼ぶような声を聞いた、といった話が心霊スポットの紹介記事に見られる。角島大橋についても、渡っている最中に車内が急に冷え込む、という類の話が挙げられることがある。いずれも特定の事件に結びついた伝承というより、海と岬の景観が呼び起こす情景的な語りとして扱われている。

下関市·35 views
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山口市廃病院(旧山口赤十字病院跡)

山口県の医療史を支えた綜合病院山口赤十字病院は、1883年に山口県立病院として創設され、1920年に日本赤十字社へ移管されました。太平洋戦争期には陸軍・海軍との連携を経て、戦後は地域の中核医療機関として幾世代にわたり運営されてきました。2019年から5年間にわたる大規模改築工事が実施され、老朽化した南棟(1980年建設)と厚生棟(1965年建設)が解体されました。新北棟は2022年10月に開業し、2024年4月のグランドオープンをもって、かつての施設跡地は駐車場として整備されました。建物としての旧病院は現存せず、医療施設は現在の新棟で継続稼働しています。

山口市·33 views
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旧山口県立精神科病院

山口市に佇む旧山口県立精神科病院の廃墟では、夜間に建物の窓から白い人影が覗いているのを目撃したという証言が複数寄せられているとされる。「助けてくれ」「出してくれ」という声が院内のどこからともなく聞こえてくるという噂も語り継がれており、霊感の強い人物が近づいただけで強烈な頭痛や吐き気を覚えたという体験談もネット上に散見される。また、廃墟内を撮影した写真に無数の手形や顔のようなものが映り込んでいたという話も後を絶たず、心霊スポット愛好家の間では山口県内でも屈指の「強い場所」として知られているとされる。 この施設は1950年代に建設された精神科治療施設で、精神疾患への理解や治療法が現代ほど発展していなかった時代に、多くの患者が長期にわたって収容されていたとされる。当時は「治療」と称してさまざまな処置が行われていたとも言われており、その歴史の重さがこの場所に独特の雰囲気をもたらしているのかもしれない。閉鎖後は建物がそのまま放置され、内部には当時の医療器具や患者の遺品が残されたままになっている箇所もあるという。長い年月を経てなお漂う閉塞感と哀愁が、数多くの怪異譚を生み出す土壌となっているのだろうと語る者もいる。

山口市·32 views
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赤間神宮

赤間神宮は下関市の関門海峡沿いに鎮座し、壇ノ浦の合戦で祖母とともに入水し崩御した安徳天皇を祀る神社である。龍宮を模した朱塗りの水天門が特徴で、境内には壇ノ浦で命を落としたと伝わる平家一門十四名の墓とされる七盛塚が並ぶ。伝承によれば、天明年間に海峡で嵐が続き船の往来が絶えたころ、夜ごと海上に武者や女官の姿が現れたため、これを祟りと恐れた住民が墓を京都の方角に向けて改葬し供養したところ嵐が収まったという。境内の芳一堂には、小泉八雲の『怪談』に収められた「耳なし芳一」の主人公とされる盲目の琵琶奏者の像が祀られている。かつて当地が阿弥陀寺と呼ばれていた頃、芳一は夜ごと請われるまま平家の墓前で琵琶を弾いていたが、経文を書き忘れた両耳だけを引きちぎられたと伝わる。合戦の記憶と鎮魂の物語が重なり、この一帯は心霊の伝承が語られる場所として知られている。

下関市·22 views
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下関市の壇ノ浦の平家霊

1185年4月25日、関門海峡の壇ノ浦で源義経率いる源氏軍と平家軍が激突し、源平合戦に終止符が打たれた。潮流の急変により戦況が源氏に傾く中、二位の尼は幼帝・安徳天皇を抱いて入水。平知盛ら主要な一門もこれに続き、約八百年前のこの海戦で平家は滅亡した。 現在、壇ノ浦周辺には弔いの施設が複数残存する。赤間神宮は1191年に安徳天皇の廟所として創建され、戦地で没した平家一門を祀る「七盛塚」が設置されている。みもすそ川公園として整備された現地では、毎年先帝祭が営まれ、当時の生存者が始めた追善供養が今日まで継続されている。 海峡の地形的特性―狭隘で潮流が急激に変わる空間―は、中世の戦闘記録と民俗伝承の重ね合わせの舞台となった。暗闇の中での視覚的な誤認識(波形や月光の反射が人影に見える)や、強い潮音が声状の音に聞こえるといった物理的な環境因子と、八百年を超える歴史的記憶の蓄積が、この地を「亡者が現れる場所」として固定化させてきた。

下関市·19 views
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七つの家

山口県光市立野、県道23号線光上関線から森へ入った一帯に、住宅数軒分の廃屋が並ぶ一帯がある。地元では、バブル期に十棟規模の住宅展示場として計画されたが、建設を担った会社が倒産し、完成したのは六~七棟にとどまったと伝えられる。うち二軒は実際に売却されて短期間住人がいたものの、立地や周辺環境の悪さから早々に退去したという。以後は放置されたまま風化が進み、複数回の不審火で焼失した建物もあり、2010年代には数軒のみが原形を保つ状態だった。テレビの心霊番組で「大量殺人」などの見出しで取り上げられたことをきっかけに全国的に知られるようになり、県内でも屈指の心霊スポットとされている。付随する噂として、一番奥の家で強盗による一家殺害があった、住人の一人が発狂して他の住人を襲った、ある日突然全員が姿を消した、敷地はもと墓地だったなどが伝えられているが、これらを裏付ける事実は確認されていない。なお、周辺は私有地であり、無断での立ち入りは避けるべきである。

光市·5 views

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旧下松市立病院
廃墟・残骸·山口県 下松市

旧下松市立病院

山口県下松市にある旧病院の廃墟。下松市は瀬戸内工業地域の中核であり、日立製作所や東洋鋼鈑など大規模製造業が集積する工業都市として発展した。地域医療を支えた医療機関は、1990年代後半の地域医療再編成の中で周南記念病院の前身の一つとなり、2000年に周南記念病院の開院に伴って機能が移転した。現在、解体されないまま放置された建物は、壁面の劣化、窓ガラスの破損が進み、コンクリート造の無機質な外観が特徴的である。瀬戸内沿岸の工業都市の医療史を物質的に留めた遺構として、近年ではインターネット上で廃墟スポットとして言及されることもある。

下関市の壇ノ浦の平家霊
水辺·山口県 下関市

下関市の壇ノ浦の平家霊

1185年4月25日、関門海峡の壇ノ浦で源義経率いる源氏軍と平家軍が激突し、源平合戦に終止符が打たれた。潮流の急変により戦況が源氏に傾く中、二位の尼は幼帝・安徳天皇を抱いて入水。平知盛ら主要な一門もこれに続き、約八百年前のこの海戦で平家は滅亡した。 現在、壇ノ浦周辺には弔いの施設が複数残存する。赤間神宮は1191年に安徳天皇の廟所として創建され、戦地で没した平家一門を祀る「七盛塚」が設置されている。みもすそ川公園として整備された現地では、毎年先帝祭が営まれ、当時の生存者が始めた追善供養が今日まで継続されている。 海峡の地形的特性―狭隘で潮流が急激に変わる空間―は、中世の戦闘記録と民俗伝承の重ね合わせの舞台となった。暗闇の中での視覚的な誤認識(波形や月光の反射が人影に見える)や、強い潮音が声状の音に聞こえるといった物理的な環境因子と、八百年を超える歴史的記憶の蓄積が、この地を「亡者が現れる場所」として固定化させてきた。

旧関門トンネル
隧道・トンネル·山口県 下関市

旧関門トンネル

山口県下関市と福岡県北九州市門司区を隔てる関門海峡の海底に、世界初の海底道路トンネルが通っている。関門国道トンネルである。一般道路用トンネルの下部に約60メートル下の海底を貫く全長3,461メートルの本坑(車両用)と、その上部に並行して走る歩行者・自転車用の人道トンネル(780メートル)の二層構造になっている。 計画は昭和初期に始まる。1936年(昭和11年)に内務省土木局が本格的な調査に着手、1937年に着工した。海底トンネルとしては前例のない難工事で、関門海峡の急潮流、深い海底地質、戦時下の資材不足、米軍の空襲被害、複数回にわたる工事中断を経た。終戦後の1947年に工事再開、車両用本坑は1958年(昭和33年)3月9日に開通し、人道トンネルも同年3月10日に供用開始した。着工から開通まで実質21年を要した。 本坑は車両用国道トンネル、人道トンネルは下関側、門司側それぞれにエレベーターが設置され、歩行者と自転車(押し歩き)で渡ることができる。通行料金は人道トンネルが歩行者無料、自転車・原付(押し歩き)は20円。本坑は普通車が160円。これは関門海峡を渡る選択肢のなかで最も安価で、現在も日常的に観光客と地元住民の両方が利用している。 工事中の労働災害については、内務省・建設省の公式記録に詳細な記述が残されている。海底掘削特有の地下水流入や圧縮空気作業中の潜水病など、当時の労働衛生基準では困難な作業環境だった。慰霊碑が下関側坑口近くに設置されており、毎年関係者による慰霊式典が継続されている。 人道トンネルの中央部には山口県と福岡県の県境ラインが床面に描かれており、観光客が両足を別の県に置いた記念撮影をするスポットになっている。徒歩約15分で対岸へ渡ることができる、世界的にもユニークな県境体験ができる場所として、観光案内サイトでも紹介されている。

角島(角島灯台・角島大橋)
山道・峠·山口県 下関市

角島(角島灯台・角島大橋)

角島は山口県下関市の北西端、響灘に浮かぶ島で、2000年に開通した角島大橋によって本州と結ばれている。通行無料の橋としては国内でも有数の長さを持ち、青い海の上へまっすぐ伸びる景観から観光地として広く知られる。島の北西端には1876年(明治9年)に初点灯した角島灯台が立つ。技師リチャード・ヘンリー・ブラントンが設計した日本海側で最初の洋式灯台とされ、無塗装の総御影石造りという珍しい姿を今に残し、2020年には現役灯台として国の重要文化財に指定された。 その一方でこの島は、海と結びついた怪異の舞台として紹介されることもある。外洋に開けた響灘は昔から海難と隣り合わせで、灯台や海岸線には海で命を落とした人々のイメージが重ねられてきた。霧の濃い時間帯に波打ち際へ目をやると白い人影が立って見える、海の方から呼ぶような声を聞いた、といった話が心霊スポットの紹介記事に見られる。角島大橋についても、渡っている最中に車内が急に冷え込む、という類の話が挙げられることがある。いずれも特定の事件に結びついた伝承というより、海と岬の景観が呼び起こす情景的な語りとして扱われている。

赤間神宮
神域・霊場·山口県 下関市

赤間神宮

赤間神宮は下関市の関門海峡沿いに鎮座し、壇ノ浦の合戦で祖母とともに入水し崩御した安徳天皇を祀る神社である。龍宮を模した朱塗りの水天門が特徴で、境内には壇ノ浦で命を落としたと伝わる平家一門十四名の墓とされる七盛塚が並ぶ。伝承によれば、天明年間に海峡で嵐が続き船の往来が絶えたころ、夜ごと海上に武者や女官の姿が現れたため、これを祟りと恐れた住民が墓を京都の方角に向けて改葬し供養したところ嵐が収まったという。境内の芳一堂には、小泉八雲の『怪談』に収められた「耳なし芳一」の主人公とされる盲目の琵琶奏者の像が祀られている。かつて当地が阿弥陀寺と呼ばれていた頃、芳一は夜ごと請われるまま平家の墓前で琵琶を弾いていたが、経文を書き忘れた両耳だけを引きちぎられたと伝わる。合戦の記憶と鎮魂の物語が重なり、この一帯は心霊の伝承が語られる場所として知られている。

角島大橋
橋・高架·山口県 下関市

角島大橋

角島大橋は、山口県下関市豊北町の神田と角島の間、海士ヶ瀬戸に架かる全長およそ1,780メートルの道路橋である。1993年に着工し2000年に開通した。架橋以前は渡船が唯一の連絡手段で、冬季の風浪時には欠航が続き、医療や消防の面で島の暮らしに支障が生じていたという。澄んだ海をほぼ一直線に渡る景観で広く知られる一方、この海峡には古い伝説が残る。本土側の高壺山から鬼が石や岩を投げ入れて瀬ができたとされ、その「海士ヶ瀬」、鬼の頭領の角を沖に埋めたことに由来するという「角島」、若い鬼が丘を投げ入れたとされる「鳩島」など、周辺の地名がこの鬼の物語と結び付けて説明されてきた。頭領の鬼はやがて社を守る役目を担って生涯を終えたとも伝えられる。さらに橋の上から海を見ると、響灘と日本海の潮がぶつかる境目が一本の線のように浮かび上がることがあり、この「あるはずのない線」もまた、海峡にまつわる不思議として話題にされることがある。

廃墟・残骸·山口県 光市

七つの家

山口県光市立野、県道23号線光上関線から森へ入った一帯に、住宅数軒分の廃屋が並ぶ一帯がある。地元では、バブル期に十棟規模の住宅展示場として計画されたが、建設を担った会社が倒産し、完成したのは六~七棟にとどまったと伝えられる。うち二軒は実際に売却されて短期間住人がいたものの、立地や周辺環境の悪さから早々に退去したという。以後は放置されたまま風化が進み、複数回の不審火で焼失した建物もあり、2010年代には数軒のみが原形を保つ状態だった。テレビの心霊番組で「大量殺人」などの見出しで取り上げられたことをきっかけに全国的に知られるようになり、県内でも屈指の心霊スポットとされている。付随する噂として、一番奥の家で強盗による一家殺害があった、住人の一人が発狂して他の住人を襲った、ある日突然全員が姿を消した、敷地はもと墓地だったなどが伝えられているが、これらを裏付ける事実は確認されていない。なお、周辺は私有地であり、無断での立ち入りは避けるべきである。

旧周防大島町立病院
廃墟・残骸·山口県 周防大島町

旧周防大島町立病院

瀬戸内海の周防大島に建つ旧病院は、1967年11月に初代48床の規模で開院し、島の医療を担った施設である。その後1973年、1977年、1981年と段階的に増床され、一般99床規模へと拡張された。急患搬送から慢性疾患診療、島民の予防医療まで、離島の限定的な医療資源のなか、地域の医療を支えてきた。 同じ瀬戸内沿岸でも、対岸の本州と異なり、島では医師確保と患者搬送が常に課題であった。1976年と1983年に架橋が完成し、島外への移動が容易になると、医療の集約化が進行。人口も1970年の37,631人から2020年には14,798人へと60年間で60%以上減少し、地域医療の持続が困難となった。島の医療ニーズの変化と人口減少に対応する形で、2010年11月に新病院がより高度な機能を備えた新築移転を遂行。旧建物には診察台やカルテ保管施設が取り残されたままとなっている。

廃墟・残骸·山口県 宇部市

常盤公園青年の家(宇部市青年の家)

常盤公園内にあった宇部市青年の家は、1962年に青少年向けの宿泊研修施設として開設された。子ども会や学校の遠足、集団宿泊研修などで長く利用されてきたが、利用者数の減少と施設の老朽化により2012年に閉所し、以後は使用されずに放置されている。閉所後、建物周辺には樹木や雑草が生い茂り、廃墟としての外観を強めている。インターネット上の複数の心霊系サイトでは、遠足で訪れた児童が首をつった遺体を発見した、あるいは白骨化した身元不明の遺骨が見つかったという話が伝えられている。また、宿泊していた女子児童数人が夜間に突然叫び声を上げて騒ぎ出したという集団パニックの逸話や、敷地内の木に呪いの藁人形が打ち付けられていたという報告も存在する。ただし、これらの怪異の内容を裏付ける公的な記録や報道は確認されておらず、地元の郷土サイトなどでは全国的な心霊スポットとしての扱いに異論を示す声もある。それでも廃墟となった建物の存在と結びついて、複数の心霊系サイトで同様の逸話が繰り返し取り上げられている。

公園・城址·山口県 山口市

21世紀の森

山口市北部、東鳳翩山東肩の板堂峠に近い萩往還沿いに広がっていた森林公園「21世紀の森」。地域振興を目的に整備され、キャンプ場やアスレチック、森林学習展示館などを備えていたが、利用者の減少と施設老朽化により2011年3月末で廃止された。 駐車場には黄色い線で仕切られた一角があり、長期間にわたって使用できない状態のまま残されていた。この区画をめぐって、車を停めると車内に視線を感じる、車体が重くなり動かなくなる、窓に白い影が映るといった体験が伝えられている。近くにあった電話ボックスでは、女性の姿を見たという話も伝わっている。 一方で、この場所では男性が車内で焼身を図り、通行人に救出されたのち搬送先で死亡したとされる出来事が新聞で報じられたという情報もある。女性にまつわる噂とこの出来事が同じ場所で語られる中で混ざり合い、区画が封鎖された理由についても、記念撮影用の看板設置のためだったとする説や、後年に盛り土で埋められたとする情報など、複数の見方が併存している。施設は解体され、現在は更地となっている。

旧山口県立精神科病院
廃墟・残骸·山口県 山口市

旧山口県立精神科病院

山口市に佇む旧山口県立精神科病院の廃墟では、夜間に建物の窓から白い人影が覗いているのを目撃したという証言が複数寄せられているとされる。「助けてくれ」「出してくれ」という声が院内のどこからともなく聞こえてくるという噂も語り継がれており、霊感の強い人物が近づいただけで強烈な頭痛や吐き気を覚えたという体験談もネット上に散見される。また、廃墟内を撮影した写真に無数の手形や顔のようなものが映り込んでいたという話も後を絶たず、心霊スポット愛好家の間では山口県内でも屈指の「強い場所」として知られているとされる。 この施設は1950年代に建設された精神科治療施設で、精神疾患への理解や治療法が現代ほど発展していなかった時代に、多くの患者が長期にわたって収容されていたとされる。当時は「治療」と称してさまざまな処置が行われていたとも言われており、その歴史の重さがこの場所に独特の雰囲気をもたらしているのかもしれない。閉鎖後は建物がそのまま放置され、内部には当時の医療器具や患者の遺品が残されたままになっている箇所もあるという。長い年月を経てなお漂う閉塞感と哀愁が、数多くの怪異譚を生み出す土壌となっているのだろうと語る者もいる。

山口市廃病院(旧山口赤十字病院跡)
廃墟・残骸·山口県 山口市

山口市廃病院(旧山口赤十字病院跡)

山口県の医療史を支えた綜合病院山口赤十字病院は、1883年に山口県立病院として創設され、1920年に日本赤十字社へ移管されました。太平洋戦争期には陸軍・海軍との連携を経て、戦後は地域の中核医療機関として幾世代にわたり運営されてきました。2019年から5年間にわたる大規模改築工事が実施され、老朽化した南棟(1980年建設)と厚生棟(1965年建設)が解体されました。新北棟は2022年10月に開業し、2024年4月のグランドオープンをもって、かつての施設跡地は駐車場として整備されました。建物としての旧病院は現存せず、医療施設は現在の新棟で継続稼働しています。

隧道・トンネル·山口県 山口市

佐波山隧道(佐波山トンネル/勝坂トンネル)

佐波山隧道は、山口市と防府市の境に位置する佐波山を貫く国道262号(松竹梅道路)のトンネルで、山口市下小鯖側の入口付近にある。現在の二車線分離型トンネルは1971年から1973年にかけて整備されたもので、その前身となる佐波山洞道は1887年に開通し、当時は国内で三番目に長い道路トンネルとして知られていた。江戸期にはこの山の上部を萩往還が通っており、旧道の一部は現在も残る。トンネルの真上には防府市営の斎場「悠久苑」があり、この位置関係から、火葬されたばかりの霊が浄化されずにトンネル内へ現れるという噂が語られている。具体的には、通過後にフロントガラスへ無数の手形が付着していたとする話や、トンネルを抜けた先、萩往還の入口脇に設置されている公衆電話に女性の霊が現れ、誰もいないのに突然鳴り出すという話が伝わっている。ただし後者については、番号を知る人物による悪戯という説明も同時に紹介されており、心霊現象と断定はされていない。

橋・高架·山口県 岩国市

深谷大橋

深谷大橋は、山口県岩国市錦町宇佐郷と島根県吉賀町の境にあたる深谷渓谷に架かる赤いアーチ橋である。1962年に完成し、全長約100メートル、谷底からの高さは80メートル前後とされ、西日本でも有数の規模を持つアーチ橋として紅葉の時期には観光客も訪れる。当初は欄干が低く渓谷の眺望を楽しめる展望地としても知られていたが、転落・投身による死者が相次いだことから、2008年に高さ2.5メートルのフェンスが設置された。橋のたもとには、自殺予防を目的とした相談電話の案内看板も設けられている。こうした経緯から、この橋は投身に関する報告の多さで知られるようになり、ネット上では、欄干の外を覗き込んだ際に背中を押されるような感覚を覚えたという体験談や、白い服を着た女性が手招きする姿を見たという噂が伝えられている。過去に橋から身を投げた人々の霊が、新たな道連れを探しているという説も広まっている。

廃墟・残骸·山口県 岩国市

三瀬川小学校

三瀬川小学校は明治12年(1879年)に開校し、昭和63年(1988年)3月に周北小学校へ統合される形で廃校となった、旧周東町(現・岩国市)山間部の木造校舎である。県道から一段高い山中の集落を見下ろす場所に立地し、コの字型に廊下が延びる校舎には教室や講堂の設備がそのまま残され、開校百周年を記念する碑も校庭に建てられていた。廃校後は一時期、日本語学校として利用されたと伝わるが、その後は放置状態となり、床板の崩落や壁の剥落といった老朽化が進行した。校舎は2023年に解体され、現在は現地に残っていない。こうした荒廃した廃校の景観とともに、少女の幽霊が現れるという噂が語られるようになったが、これを裏付ける具体的な現象の報告は乏しく、噂の実態は不確かなものとされている。

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