香川県の心霊スポットランキング・一覧

12 スポット6 カテゴリ

瀬戸内海と讃岐平野が広がる四国の玄関口・香川は、源平合戦最終章の「屋島」を抱え、弘法大師ゆかりの霊場が点在する祈りの土地である。屋島の古戦場に残る那須与一の伝説、瀬戸内に浮かぶ島々の船幽霊伝承、四国八十八ヶ所遍路道の白装束——海風と読経が交差する地に、平家滅亡へと続く戦の記憶と、千二百年を超える巡礼者たちの祈念が今も静かに沈殿している。

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満濃池廃建物
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満濃池廃建物

仲多度郡まんのう町·37 views
旧小豆島農業高校廃校
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旧小豆島農業高校廃校

小豆郡土庄町·32 views
立石隧道(中村トンネル)
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立石隧道(中村トンネル)

木田郡三木町·30 views
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観音寺市の銭形砂絵の怪

香川県観音寺市の有明浜に広がる銭形砂絵は、寛永通宝の意匠を砂で描いた大規模な造形物である。東西122メートル、南北90メートル、周囲345メートルの楕円形で、琴弾公園の展望台から見ると真円に見える設計になっている。 その起源は明確ではない。従来の説では寛永10年(1633)に藩主生駒高俊の来訪を歓迎するために一夜で造られたとされるが、通宝そのものは寛永13年(1636)から鋳造が始まったことが考古学的に確認されており、この記録との矛盾がある。一方、1855年の藩主巡視の際に造営された説、または豊臣氏の象徴から江戸幕府対応への変更説なども存在するが、いずれも決定的な根拠を欠いている。 現在、砂絵は春秋2回の「砂ざらえ」と呼ばれる保全作業により形状が維持されている。有明浜は日本の渚百選に選定され、海浜植物の貴重な生育地として天然記念物に指定されている。夜間は展望台からのライトアップが行われ、琴弾八幡宮などの社寺と共に地域の象徴となっている。

観音寺市·27 views
5

城山(きやま)

城山は坂出市と丸亀市の境に位置する標高462メートルの溶岩台地で、山頂一帯には7世紀後半、朝鮮半島情勢の緊迫を背景に築かれたとされる古代山城の遺構が残る。詳細な記録がないため築城主体は不明だが、二重の土塁や水門跡から高度な築城技術がうかがえる。麓の城山神社はかつて山頂の明神原に鎮座していたとされ、859年以降複数回にわたり神階を授けられた古社である。現在この一帯は瀬戸内海を望む夜景の名所「城山園地」として整備され、展望台や駐車場、公衆トイレが設けられ、夜景を目的に訪れるカップルも多い。この駐車場のトイレをめぐっては、既婚男性の不倫相手だった女性が車内で練炭自殺による無理心中を図り、女性だけがこの世に留まっているという噂が複数の心霊系サイトで紹介されている。同種の自殺がほかにも複数あったとする記述もあり、噂はひとつの事件に限らず積み重なって語られてきたとみられる。トイレ付近で水音や女性のすすり泣きが聞こえる、展望台のベンチで顔だけが浮かんで見えるといった目撃情報が伝えられ、展望台南西側にあるベンチのそばには以前「南無阿弥陀仏」の文字が刻まれた角柱形の石碑が立っていたという証言もあるが、現存は確認できていない。一方でネット上では、実際に訪れても噂を聞いたことがないという声や、体験談の内容に幅があるとの指摘も見られる。

坂出市·26 views
6

丸亀城廃家老屋敷跡

丸亀城は香川県丸亀市の亀山に築かれた近世城郭で、1597年に生駒親正と生駒一正により築城が開始された。1602年の完成時には生駒一正がこれを居城とし、その後、一国一城令による廃止を経て、1641年に山崎家治が領主となり城の再興が進められた。1658年からは京極武主により統治され、1660年に現存の三層三階の天守が完成した。この天守は江戸時代またはそれ以前の建築で、全国にわずか12例のみの現存天守に数えられ、重要文化財に指定されている。丸亀城下町は複数の領主交代のなかで発展した。外堀の内側は武家の居住域となり、中級以上の侍は城に近い中心部(現在の大手町、城東町、六番丁から十番丁周辺)に屋敷を構え、下級武士と足軽は外側に配置された。江戸時代を通じて、領主と重臣たちが藩政の中枢として機能してきた痕跡は、城周辺の石垣と土塀の遺構に今も残されている。

丸亀市·25 views
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仲多度郡琴平町の金刀比羅宮の怪

香川県琴平町の象頭山に鎮座する金刀比羅宮は、大物主神を主神とし、1165年に崇徳天皇を合祀した古社である。海上交通の守護神として全国から厚い信仰を集め、江戸時代には伊勢参りと並ぶほどの庶民信仰として確立された。参道は御本宮まで785段、奥社までは計1368段の長い石段が続く。 江戸時代から明治初期にかけて、全国の参詣者が長い旅路を経てこの山に登った。石段の途中で力尽きた参詣者の存在は、当時の記録にも反映されている。参拝者の間では、夜間に石段で見かけた不明の人影や、説明のつかない音声現象についての報告が存在する。こうした現象は、長い石段を登りきれずに亡くなった過去の参詣者への記憶と、山中の複雑な地形・気象条件が組み合わさった結果として語り継がれている。 金刀比羅宮への参拝は日中に正式な参拝として行うことが推奨される。夜間の石段は照明が乏しく、転落や落石、体調不良のリスクが極めて高い。神域での騒擾や不敬な行為は信仰を損ねるものであり、訪れる場合は海の道中で命を落とした人々と、信仰を支えてきた地域への敬意を欠かさないこと。

仲多度郡琴平町·24 views
8

石清尾山古墳群

高松市中心部の西側にそびえる石清尾山は、標高232メートルの丘陵全体に弥生時代末から古墳時代にかけて築かれた200基を超える積石塚が密集する国指定史跡で、双方中円墳という全国的にも珍しい形の墳墓や、盗掘に見舞われた歴史を持つ古墳も含まれている。古代から連綿と墓域として使われてきたこの山塊は、現代でも周辺に墓地や寺院が多数集まっており、四国の心霊スポットを紹介するまとめサイトでは、こうした墓地や寺の密集が「霊道」が幾重にも通っている土地とされ、山中の公園へ向かう道路や山裾に沿う道は昼間でもひんやりとした空気に包まれると伝えられている。別の心霊スポット紹介サイトでも石清尾山は取り上げられ、夜間の登山道でぼんやりとした白っぽい人の姿を見かけ、まもなく消えてしまったという噂が紹介されている。古墳群を巡る散策路や展望台のある峰山公園周辺は、日中は歴史散策やハイキングで訪れる人が多い一方、夜間には人けのない山道や墓域の存在感から不安を覚えるという声が語られている。

高松市·20 views
9

屋島(屋島の戦い古戦場跡)

香川県高松市の屋島は、平安末期の源平合戦の舞台として歴史に名高い古戦場である。現在は山上に公園が整備され、四国の代表的な観光地として知られる。源平合戦では、平氏軍が挑発のために船上の扇を掲げ、源義経の命を受けた那須与一がこれを射落とした逸話が伝わる一方、義経の身代わりとなって討たれた佐藤継信を祀る碑も残されている。多くの武士がこの地で命を落としたとされ、その歴史が現在の噂の背景になっているとされる。 投稿から報告されているのは、深夜の訪問者による不可解な目撃経験である。一つの投稿では、車で通過中に同乗者が「白いワンピースの女性」を見かけたという。別の投稿では、深夜に一人で訪れた際に、風の音以外に特に音声現象は聞かず、ただし「後ろから視線を感じた」という印象に基づいて退去した報告がある。どちらも具体的な接触や物理的な事象ではなく、訪問者の心理的な反応に留まっている。 屋島山中を通るトンネルでは、通行中に低い唸り声や女性の声が響くという噂が古くから語られており、討ち死にした落ち武者の霊によるものとする解釈がネット上で広まっている。まとめ系サイトではこの唸り声を戦場での最後の叫びに重ねて紹介する一方、実際の恐怖体験としてはあまり多く起きていないとする評価も見られる。 古戦場としての歴史の重みと、深夜の山上という環境が、訪問者の知覚に影響を与える可能性は否定できない。ただし現在のところ、複数の訪問者から一貫して同じ現象が報告されるまでには至っていない。

高松市·19 views
10

旧香川県立中央病院跡地

高松市番町にあった旧香川県立中央病院は、老朽化に伴い2014年に朝日町へ移転し、旧建物は解体された。移転前のこの病院では2008年、顎変形症の手術を受けた患者の気道が術後にふさがり、院内の連絡不備で蘇生専門の麻酔医の到着が約3分遅れたことから低酸素脳症に至った医療事故が起き、2013年に病院側と2億2250万円で和解が成立している。閉鎖後の建物をめぐっては、地下の救急部から薬剤部へ続く廊下で、白衣を着た中年男性が中腰の姿勢で壁の中に消えていく姿を見たという話が伝えられている。ほかにも、無人の廊下に響く足音や呻き声、旧東駐車場の植え込み付近に座る人影、エレベーターの扉が閉まる際に天井に男性の顔が映るといった噂や、深夜の公衆電話ボックスに会社員風の男性が複数人立っているのを見たという目撃談が複数の記録に残る。北館10階から乳児を抱えた母親が転落したという体験談も伝わっており、上層階からの転落にまつわる噂として語られている。建物は2016年12月の県議会で総工費約16億円をかけた解体が可決され、2017年に着手、2019年10月末までに解体・撤去された。解体後の敷地(約1万5000平方メートル)は当初民間への一括売却が検討されたものの交渉がまとまらず、有識者による検討会を設置して老朽化した高松合同庁舎の代替施設や県庁舎北館機能の確保を含む公共施設としての活用が検討されるなど、方針は長期間定まらないままとなっていた。

高松市·15 views

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丸亀城廃家老屋敷跡
香川県 丸亀市·宿泊・居住跡

丸亀城廃家老屋敷跡

丸亀城は香川県丸亀市の亀山に築かれた近世城郭で、1597年に生駒親正と生駒一正により築城が開始された。1602年の完成時には生駒一正がこれを居城とし、その後、一国一城令による廃止を経て、1641年に山崎家治が領主となり城の再興が進められた。1658年からは京極武主により統治され、1660年に現存の三層三階の天守が完成した。この天守は江戸時代またはそれ以前の建築で、全国にわずか12例のみの現存天守に数えられ、重要文化財に指定されている。丸亀城下町は複数の領主交代のなかで発展した。外堀の内側は武家の居住域となり、中級以上の侍は城に近い中心部(現在の大手町、城東町、六番丁から十番丁周辺)に屋敷を構え、下級武士と足軽は外側に配置された。江戸時代を通じて、領主と重臣たちが藩政の中枢として機能してきた痕跡は、城周辺の石垣と土塀の遺構に今も残されている。

満濃池廃建物
香川県 仲多度郡まんのう町·水辺

満濃池廃建物

満濃池は香川県讃岐平野の農業を支える日本最大級のため池で、もともと701〜704年に造営され、821年に空海が修築を手がけたと記録されている。平安期から現代まで千年以上にわたり灌漑用水を供給してきた水利施設であり、昭和期の拡張工事で貯水量を15.4億立方メートルに増やし、讃岐平野全域の3000ヘクタール以上の水田を潤す。 池の周囲には取水施設や管理に関わる各種建造物が点在し、なかには用途を終えて廃棄された建物も存在する。堤上の遊歩道からは讃岐山脈の山容と広大な田園風景が一望できる。毎年初夏の6月中旬には「ゆる抜き」と呼ばれる放水行事が行われ、古来から水への祈礼と感謝の儀式として地域に根付いている。こうした文化的営みと環境音の特異性から、日本の音風景百選にも選定されている。廃建物周辺では、池の水音や自然現象が、昼夜の光条件や訪問者の心理状態によって異様に知覚されることもある。 訪問の際は公開エリア(堤上の遊歩道など)に限定し、廃建物への無断立入は不法侵入であり、堤上は滑落の危険があることに留意すること。

仲多度郡琴平町の金刀比羅宮の怪
香川県 仲多度郡琴平町·その他

仲多度郡琴平町の金刀比羅宮の怪

香川県琴平町の象頭山に鎮座する金刀比羅宮は、大物主神を主神とし、1165年に崇徳天皇を合祀した古社である。海上交通の守護神として全国から厚い信仰を集め、江戸時代には伊勢参りと並ぶほどの庶民信仰として確立された。参道は御本宮まで785段、奥社までは計1368段の長い石段が続く。 江戸時代から明治初期にかけて、全国の参詣者が長い旅路を経てこの山に登った。石段の途中で力尽きた参詣者の存在は、当時の記録にも反映されている。参拝者の間では、夜間に石段で見かけた不明の人影や、説明のつかない音声現象についての報告が存在する。こうした現象は、長い石段を登りきれずに亡くなった過去の参詣者への記憶と、山中の複雑な地形・気象条件が組み合わさった結果として語り継がれている。 金刀比羅宮への参拝は日中に正式な参拝として行うことが推奨される。夜間の石段は照明が乏しく、転落や落石、体調不良のリスクが極めて高い。神域での騒擾や不敬な行為は信仰を損ねるものであり、訪れる場合は海の道中で命を落とした人々と、信仰を支えてきた地域への敬意を欠かさないこと。

香川県 坂出市·公園・城址

城山(きやま)

城山は坂出市と丸亀市の境に位置する標高462メートルの溶岩台地で、山頂一帯には7世紀後半、朝鮮半島情勢の緊迫を背景に築かれたとされる古代山城の遺構が残る。詳細な記録がないため築城主体は不明だが、二重の土塁や水門跡から高度な築城技術がうかがえる。麓の城山神社はかつて山頂の明神原に鎮座していたとされ、859年以降複数回にわたり神階を授けられた古社である。現在この一帯は瀬戸内海を望む夜景の名所「城山園地」として整備され、展望台や駐車場、公衆トイレが設けられ、夜景を目的に訪れるカップルも多い。この駐車場のトイレをめぐっては、既婚男性の不倫相手だった女性が車内で練炭自殺による無理心中を図り、女性だけがこの世に留まっているという噂が複数の心霊系サイトで紹介されている。同種の自殺がほかにも複数あったとする記述もあり、噂はひとつの事件に限らず積み重なって語られてきたとみられる。トイレ付近で水音や女性のすすり泣きが聞こえる、展望台のベンチで顔だけが浮かんで見えるといった目撃情報が伝えられ、展望台南西側にあるベンチのそばには以前「南無阿弥陀仏」の文字が刻まれた角柱形の石碑が立っていたという証言もあるが、現存は確認できていない。一方でネット上では、実際に訪れても噂を聞いたことがないという声や、体験談の内容に幅があるとの指摘も見られる。

亡霊の立ちはだかる廃道
香川県 小豆島町·水辺

亡霊の立ちはだかる廃道

香川県小豆島町の山間部に存在する廃道は、かつて急峻な峠を越える旧道として機能していた。国道436号線の整備などに伴い現在は廃止されている。小豆島は戦時中に軍事関連の活動拠点となった歴史を持つが、この廃道が具体的にいつ、どのような工事で開削されたのかについて、確認可能な公開文献では明確な記述が見当たらない。廃道化後、訪れる者は少なく、地形的には崖と谷が隣接する険しい山道である。インターネット上には夜間にこの場所で黒い人影が現れるという怪談が語られているが、これらは噂や伝聞の域を出ない。

旧小豆島農業高校廃校
香川県 小豆郡土庄町·廃墟・残骸

旧小豆島農業高校廃校

小豆島農業高校の名称は地域の農業教育の歴史を表象していますが、実際には香川県立小豆島高等学校が前身です。2017年3月に閉校するまで、この学校は島民の教育を担う中核施設として機能していました。 小豆島は明治41年(1908年)からオリーブ栽培を開始し、全国の試験地の中で唯一成功した農業の中心地として発展してきました。その後、柑橘栽培も広がり、島の経済は農業に根ざしてきました。高等学校は、このような地域の農業を支える次世代を育成する役割を担っていました。 少子化による全国規模の高校統廃合の波のなかで、2017年に隣島・土庄町の土庄高校との統合により廃止され、香川県立小豆島中央高等学校へ統合されました。閉校後、校舎は長く未利用のまま残されています。ネット上では、廃墟化した校舎における懐かしさや、島から若者が離れていく現実への複雑な感情が、心霊スポットとしての語り部となっているという声が存在します。

立石隧道(中村トンネル)
香川県 木田郡三木町·隧道・トンネル

立石隧道(中村トンネル)

香川県木田郡三木町井上と高松市牟礼町原を結ぶ立石隧道は、通称「中村トンネル」と呼ばれる全長約120メートルの手掘りトンネルである。周辺は山に阻まれて交通が不便だったことから、1943年に地域住民の協力によって建設された。1990年に新立石トンネルが開通すると旧道となり、日常的な通行はほぼなくなった。かつてトンネル入口には地蔵尊が祀られており、その表情が笑っているように見えると無事に出てこられない、祀られた祠の扉が開いていると帰り道で事故に遭うといった噂が伝えられている。地蔵を壊した者が後に事故に遭ったという話や、工事の際に牛が人柱として埋められたという伝説も語られており、隧道の傍らには「牛の墓」と呼ばれる石碑も置かれていたとされる。トンネル内では女性の霊や子供の声の目撃談もある。現在、これらの地蔵や石碑は新立石トンネル側に移設されており、旧トンネル自体に祀られたものは残っていない。地蔵については、その表情が笑うように見えるとあの世に連れて行かれるという言い方で語られることもあり、噂の細部は伝える人によって揺れがある。牛が人柱として埋められたという伝説についても、「牛の墓」自体は農耕に使われた牛を弔うための一般的な塚であったとみる資料もあり、人柱の噂はその石碑の存在から派生して広まったとの見方がある。こうした地蔵や牛の墓にまつわる話は、現在も香川県内の心霊スポットを紹介するサイトや記事で繰り返し取り上げられ、県内の代表的な心霊スポットのひとつとして扱われ続けている。

観音寺市の銭形砂絵の怪
香川県 観音寺市·水辺

観音寺市の銭形砂絵の怪

香川県観音寺市の有明浜に広がる銭形砂絵は、寛永通宝の意匠を砂で描いた大規模な造形物である。東西122メートル、南北90メートル、周囲345メートルの楕円形で、琴弾公園の展望台から見ると真円に見える設計になっている。 その起源は明確ではない。従来の説では寛永10年(1633)に藩主生駒高俊の来訪を歓迎するために一夜で造られたとされるが、通宝そのものは寛永13年(1636)から鋳造が始まったことが考古学的に確認されており、この記録との矛盾がある。一方、1855年の藩主巡視の際に造営された説、または豊臣氏の象徴から江戸幕府対応への変更説なども存在するが、いずれも決定的な根拠を欠いている。 現在、砂絵は春秋2回の「砂ざらえ」と呼ばれる保全作業により形状が維持されている。有明浜は日本の渚百選に選定され、海浜植物の貴重な生育地として天然記念物に指定されている。夜間は展望台からのライトアップが行われ、琴弾八幡宮などの社寺と共に地域の象徴となっている。

香川県 高松市·公園・城址

石清尾山古墳群

高松市中心部の西側にそびえる石清尾山は、標高232メートルの丘陵全体に弥生時代末から古墳時代にかけて築かれた200基を超える積石塚が密集する国指定史跡で、双方中円墳という全国的にも珍しい形の墳墓や、盗掘に見舞われた歴史を持つ古墳も含まれている。古代から連綿と墓域として使われてきたこの山塊は、現代でも周辺に墓地や寺院が多数集まっており、四国の心霊スポットを紹介するまとめサイトでは、こうした墓地や寺の密集が「霊道」が幾重にも通っている土地とされ、山中の公園へ向かう道路や山裾に沿う道は昼間でもひんやりとした空気に包まれると伝えられている。別の心霊スポット紹介サイトでも石清尾山は取り上げられ、夜間の登山道でぼんやりとした白っぽい人の姿を見かけ、まもなく消えてしまったという噂が紹介されている。古墳群を巡る散策路や展望台のある峰山公園周辺は、日中は歴史散策やハイキングで訪れる人が多い一方、夜間には人けのない山道や墓域の存在感から不安を覚えるという声が語られている。

旧香川県立中央病院跡地
香川県 高松市·廃墟・残骸

旧香川県立中央病院跡地

高松市番町にあった旧香川県立中央病院は、老朽化に伴い2014年に朝日町へ移転し、旧建物は解体された。移転前のこの病院では2008年、顎変形症の手術を受けた患者の気道が術後にふさがり、院内の連絡不備で蘇生専門の麻酔医の到着が約3分遅れたことから低酸素脳症に至った医療事故が起き、2013年に病院側と2億2250万円で和解が成立している。閉鎖後の建物をめぐっては、地下の救急部から薬剤部へ続く廊下で、白衣を着た中年男性が中腰の姿勢で壁の中に消えていく姿を見たという話が伝えられている。ほかにも、無人の廊下に響く足音や呻き声、旧東駐車場の植え込み付近に座る人影、エレベーターの扉が閉まる際に天井に男性の顔が映るといった噂や、深夜の公衆電話ボックスに会社員風の男性が複数人立っているのを見たという目撃談が複数の記録に残る。北館10階から乳児を抱えた母親が転落したという体験談も伝わっており、上層階からの転落にまつわる噂として語られている。建物は2016年12月の県議会で総工費約16億円をかけた解体が可決され、2017年に着手、2019年10月末までに解体・撤去された。解体後の敷地(約1万5000平方メートル)は当初民間への一括売却が検討されたものの交渉がまとまらず、有識者による検討会を設置して老朽化した高松合同庁舎の代替施設や県庁舎北館機能の確保を含む公共施設としての活用が検討されるなど、方針は長期間定まらないままとなっていた。

屋島(屋島の戦い古戦場跡)
香川県 高松市·水辺

屋島(屋島の戦い古戦場跡)

香川県高松市の屋島は、平安末期の源平合戦の舞台として歴史に名高い古戦場である。現在は山上に公園が整備され、四国の代表的な観光地として知られる。源平合戦では、平氏軍が挑発のために船上の扇を掲げ、源義経の命を受けた那須与一がこれを射落とした逸話が伝わる一方、義経の身代わりとなって討たれた佐藤継信を祀る碑も残されている。多くの武士がこの地で命を落としたとされ、その歴史が現在の噂の背景になっているとされる。 投稿から報告されているのは、深夜の訪問者による不可解な目撃経験である。一つの投稿では、車で通過中に同乗者が「白いワンピースの女性」を見かけたという。別の投稿では、深夜に一人で訪れた際に、風の音以外に特に音声現象は聞かず、ただし「後ろから視線を感じた」という印象に基づいて退去した報告がある。どちらも具体的な接触や物理的な事象ではなく、訪問者の心理的な反応に留まっている。 屋島山中を通るトンネルでは、通行中に低い唸り声や女性の声が響くという噂が古くから語られており、討ち死にした落ち武者の霊によるものとする解釈がネット上で広まっている。まとめ系サイトではこの唸り声を戦場での最後の叫びに重ねて紹介する一方、実際の恐怖体験としてはあまり多く起きていないとする評価も見られる。 古戦場としての歴史の重みと、深夜の山上という環境が、訪問者の知覚に影響を与える可能性は否定できない。ただし現在のところ、複数の訪問者から一貫して同じ現象が報告されるまでには至っていない。

高松城の水堀の霊
香川県 高松市·水辺

高松城の水堀の霊

高松城は1587年に豊臣秀吉の家臣・生駒親正が讃岐国の領主となった翌年、1588年に瀬戸内海から直接海水を導入し、船舶の往来を可能にする構造を採用した日本初の本格的な海城として築城された。外堀・中堀・内堀の三重構造により、城内への直接的な海上輸送ルートを確保し、瀬戸内海の海路を支配下に置く戦略的要塞として機能した。1640年の生駒氏改易後、1642年に松平頼重が12万石で入城し、明治維新まで松平氏が統治。1955年に玉藻公園として国史跡に指定された。園内には重要文化財の月見櫓・艮櫓をはじめ往時の建造物が残存し、現在も堀には海水が引き込まれている。

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