
赤坂トンネル(羽村山口軽便鉄道廃線跡)
羽村市から狭山丘陵にかけて敷かれていた軽便鉄道は、多摩湖(村山貯水池)や狭山湖(山口貯水池)の建設に必要な砂利や資材を運ぶ貨物鉄道として大正から昭和にかけて整備された。堤体の増強工事が終わると路線は廃止され、線路跡の一部は現在、武蔵村山市の野山北公園自転車道として整備されている。この自転車道には横田・赤堀・御岳・赤坂と名付けられた四つのトンネルが残り、最奥に位置する赤坂トンネルは特に不気味な場所と
トンネル・隧道にまつわる心霊現象。
全国 157 件
東京都 渋谷区
千駄ヶ谷トンネルは、その真上に江戸期創建の仙寿院という日蓮宗の寺院と墓地が広がることから、古くから「霊が集まりやすい場所」として都内の心霊マニアの間で語り継がれてきたとされる。トンネル内で白い人影を目撃した、突然エンジンが止まった、後部座席に人が乗り込む気配がしたなどの体験談がネット上に散見され、「墓地の真下を走るトンネル」という特異な立地がそうした噂に拍車をかけているとも言われている。また、深夜
沖縄県 南城市
沖縄県南城市知念久手堅にある斎場御嶽(せーふぁうたき)は、琉球王国時代から続く沖縄最高の聖地である。2000年、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一部として世界遺産(文化遺産)に登録された。 御嶽(うたき)とは、神を迎えて祈りを捧げる祭祀の場のこと。琉球王国時代の斎場御嶽は王府によって特別な扱いを受け、最高神女である聞得大君(きこえおおぎみ)の即位儀礼が行われた場でもあった。男子禁制の聖域とし
福井県 敦賀市
福井県敦賀市と南越前町を結ぶ北陸本線のトンネルは、現在の北陸新幹線開業まで在来線の動脈として、半世紀以上使われてきた区間である。全長13,870メートル、北陸本線最長のトンネルとして1962年(昭和37年)に開通した。当時としては日本国内屈指の長大トンネルで、開通により北陸の鉄道輸送が大きく短縮された。 この北陸トンネルの名を日本の鉄道史に刻んだのは、1972年(昭和47年)11月6日の北陸トン

羽村市から狭山丘陵にかけて敷かれていた軽便鉄道は、多摩湖(村山貯水池)や狭山湖(山口貯水池)の建設に必要な砂利や資材を運ぶ貨物鉄道として大正から昭和にかけて整備された。堤体の増強工事が終わると路線は廃止され、線路跡の一部は現在、武蔵村山市の野山北公園自転車道として整備されている。この自転車道には横田・赤堀・御岳・赤坂と名付けられた四つのトンネルが残り、最奥に位置する赤坂トンネルは特に不気味な場所と

檜原村の北秋川上流、高さ約100メートルの岩壁が両側から迫る峡谷に、神戸岩と呼ばれる東京都天然記念物がある。約2億5000万年前に形成されたとされる硬質なチャート層が川の侵食に耐えて切り立った岸壁を残し、その岩盤を人の手で穿ったのが全長60メートルの神戸隧道である。かつて地域の人々の通行に使われていたとも伝わる手掘りのトンネルだが、照明設備がなく、内部は昼間でも視界がきかないほどの暗闇に包まれる。
綾部原トンネルは、東京都町田市野津田町の鎌倉街道(都道18号府中町田線)沿いに位置し、2005年3月に開通した比較的新しいトンネルである。全長410メートルで、それまでの峠道を貫き、小野路町と野津田町を最短距離で結ぶ道として整備された。開通により移動時間は短縮され、周辺道路の混雑緩和にも寄与したとされる。地元の経済系ニュースサイトによれば、トンネル開通前は三叉路だったこの先の交差点も、開通後は十字
東京都足立区栗原三丁目、東武スカイツリーラインと大師線が合流するY字部分の下を通る地下道は「西新井トンネル」と呼ばれ、心霊スポットとして紹介されることがある。かつてこの場所には踏切があり、一部の記録では1966年5月に中学生が列車にはねられて死亡した事故があったとされ、また同年12月には駅構内で発生し7人が死亡した列車衝突事故が記録されている。さらに1972年4月には母親と幼い子どもが列車への飛び

東京都青梅市の成木街道沿い、黒沢と成木の境にある吹上峠には、明治37年(1904年)開通の煉瓦造り隧道、昭和28年(1953年)開通のトンネル、平成5年(1993年)開通の新トンネルが三段に重なって残されている。江戸時代、成木地区で産出する石灰を運ぶための街道整備の一環として峠道が拓かれ、文政11年(1828年)には牛馬の往来のために峠の頂を掘り下げる切通しが作られたと伝わる。もっとも古い隧道は老
和歌山県上富田町と白浜町の境、卒塔婆峠に架かる隧道。1930年(昭和5年)に竣工した全長約90メートルの手掘りトンネルで、切石を積んだ坑門には笠石や扁額などの装飾が施されている。1975年に隣接する新トンネルが開通したことで通行量が減り、1985年には県道の指定が外れて町道として管理されるようになった。現在も林業などのために使われることがあるが、旧道の舗装は崩れ、荒れた状態が続いている。 トンネ
深山砲台跡は和歌山市加太にある明治期の砲台遺構で、大阪湾防衛のため紀淡海峡を挟んで築かれた由良要塞の一部として明治22年に着工し、明治30年前後に完成した施設である。日露戦争や太平洋戦争を通じて実戦に投入されることはなく終戦を迎え、戦後は一部設備が撤去された。現在は煉瓦造りの弾薬庫や観測所、トンネル状の通路が山中に残り、ハイキングコースとして整備されている。この遺構については、軍服姿の兵士とみられ

信貴生駒スカイラインは、大阪府と奈良県の府県境をなす生駒山と信貴山の稜線を結ぶ観光有料道路で、1958年の山上線開業を皮切りに1960年の宝山寺線、1964年の信貴山線と段階的に開通した。夜景の美しさで知られる一方、深夜に走行すると首のないバイクの霊が背後から迫り、追い抜かれると事故に遭うという噂がある。これはかつて急なカーブでオートバイの転落事故が起き、遺体の首が発見されなかったという話に由来す

天理市を流れる布留川に架けられた天理ダムは、洪水調節と上水道用水の確保を目的に1979年に完成した奈良県初の多目的ダムである。せき止められた人工湖は万葉集の一首にちなみ青垣湖と名付けられ、日中は釣りや花見に訪れる人の姿も見られる。一方でダムに至る山道は照明が乏しく急カーブが連続するため、開通後も車両やバイクの事故が繰り返されており、水没した遺体が見つかった事例も伝えられている。こうした事実を背景に

三重県津市と伊賀市の境にある長野峠は、飛鳥・奈良時代に朝廷と伊勢神宮を結んだ奈良街道の要衝で、古くは馬野峠と呼ばれていたが、鎌倉時代後期に勢力を伸ばした長野工藤氏にちなみ長野峠と改められたと伝わる。江戸時代には藤堂藩が整備した伊賀街道の一部として利用された。峠には明治・昭和・平成の三世代のトンネルが残り、明治18年に竣工した花崗岩造りの初代トンネルは、着工から4年7か月、ノミとツルハシのみで掘り進

三重県多気郡多気町、熊野古道伊勢路の最初の難所として知られる女鬼峠の西側に、1934年(昭和9年)に開通した旧女鬼隧道が残っている。全長103メートル、幅4メートル、高さ4.6メートルの小規模なトンネルで、1996年に新トンネルが開通したことで役目を終え、現在は鉄扉によって封鎖されている。 峠の名称「女鬼」の由来には諸説ある。郷土資料によれば、江戸期には「ねぎ峠」「めっき峠」と呼ばれていたものが

岐阜市中心部と東部を結ぶ鶯谷トンネルは、金華山南西の瑞龍寺山(通称・水道山)を貫く道路トンネルである。1918年に構想されたが一度は予算から外れ、太平洋戦争末期の1945年1月、防空疎開道路として岐阜市土木部により着工された。工事中は防空壕としても使われ、空襲による被害者が出たとされる。1947年8月に開通し、延長646mは当時の岐阜県内で最長の道路トンネルであった。1972年には並行して新トンネ