福井県の心霊スポット

20 スポット7 カテゴリ

曹洞宗大本山・永平寺を擁する福井県は、修行の地と日本海の断崖が交差する厳しい霊場である。道元が開いた永平寺の杉木立に響く読経、北陸路の難所として開通早々から多くの事故を招いた旧北陸トンネル、東尋坊の絶壁に砕ける波音——禅の沈黙と日本海の咆哮が混じり合う土地で、生と死の境界は驚くほど薄く保たれている。

人気スポット TOP10

旧北陸トンネル
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旧北陸トンネル

福井県敦賀市と南越前町を結ぶ北陸本線のトンネルは、現在の北陸新幹線開業まで在来線の動脈として、半世紀以上使われてきた区間である。全長13,870メートル、北陸本線最長のトンネルとして1962年(昭和37年)に開通した。当時としては日本国内屈指の長大トンネルで、開通により北陸の鉄道輸送が大きく短縮された。 この北陸トンネルの名を日本の鉄道史に刻んだのは、1972年(昭和47年)11月6日の北陸トンネル列車火災事故である。当夜、大阪発青森行きの急行列車「きたぐに」がトンネル内を走行中、食堂車から出火した。当時の運転規程に基づき列車はトンネル内で緊急停車し、火元を切り離す措置が取られた。しかし車両は連結したまま長時間トンネル内に留まることになり、煤煙と一酸化炭素がトンネル内に充満して逃げ場を失った乗客が中毒で命を落とした。 日本国有鉄道(国鉄)の事故調査と運輸省・警察庁の公式報告によれば、犠牲者は30名、重軽傷者714名。トンネル内火災としては当時の日本最大規模の事故であった。事故の教訓を踏まえ、国鉄は翌1973年にトンネル内火災発生時の運転取扱規程を全面改訂した。新規程の柱は「トンネル内では緊急停止せず、可能な限りトンネル外まで運転を継続する」というもので、現在のJR各社の運転取扱規程にも踏襲されている。 事故後、北陸トンネル内には脱出用通路と排煙装置が増設され、定期的な防災訓練も実施されてきた。2024年3月の北陸新幹線敦賀延伸開業に伴い、北陸本線の在来線特急の通行は大きく減少したが、貨物列車と一部の普通列車は引き続き同トンネルを利用している。 敦賀駅前には事故慰霊碑が建立され、毎年11月6日に犠牲者を悼む慰霊行事が行われている。鉄道事故の教訓を後世に伝える場として、関係者の参拝が継続している。

敦賀市
永平寺
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永平寺

福井県吉田郡永平寺町、九頭竜川の支流である永平寺川沿いの山中に、曹洞宗大本山永平寺がある。鎌倉時代の寛元2年(1244年)、道元禅師が越前国に開いた禅修行の道場が起源で、以来780年にわたり座禅を中心とする厳しい修行が続けられてきた。 総本山としての永平寺は、横浜の總持寺と並んで曹洞宗を統べる二大本山のひとつ。三万三千平方メートルの境内に七堂伽藍と呼ばれる七つの主要な伽藍が並び、最も古い建物は江戸時代後期の建立である。山門、仏殿、法堂、僧堂、大庫院、東司、浴室の七堂は、いずれも禅の修行に必要な空間として配置されている。 境内では現在も常時150名前後の雲水(修行僧)が起居している。起床は午前3時半、就寝は午後9時、私語の禁止、坐禅と作務(清掃や食事準備などの修行)の繰り返し。雲水たちが守る規矩は、道元が著した『正法眼蔵』に基づく曹洞宗の伝統そのものである。 参拝者は山門から入り、長い階段や渡り廊下で結ばれた伽藍を順番に拝観できる。年間の参拝者は約130万人。座禅体験プログラムや一泊参禅、研修目的の長期滞在など、初心者向けから本格派まで様々な参加方法が用意されている。詳細と料金は永平寺公式サイトで案内されている。

永平寺町
大師山清大寺(越前大仏)
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大師山清大寺(越前大仏)

福井県勝山市に立つ大師山清大寺は、相互タクシー創業者として知られる実業家・多田清が郷里に約三百八十億円の私財を投じ、一九八七年に落慶させた寺院である。境内には座像として国内最大級とされる高さ十七メートルの大仏が鎮座し、鉄筋コンクリート造でも屈指の規模を誇る五重塔、全国から集めた石や灯籠を配した回遊式庭園、千体を超える石仏が並ぶ。だが観光施設として構想された寺は参詣者が伸び悩み、一九九〇年代半ば以降は納税が滞って土地建物が市の管理下に置かれ、公売も繰り返し不調に終わった。門前の土産物街はほぼ閉ざされ、広大な伽藍だけが手入れされた状態で人影なく残る光景は、しばしば「生きている廃墟」と評されてきた。 心霊スポットとして名が挙がる背景には、この不釣り合いさがある。廃墟でありながら整然と磨かれ、線香や仏花の香りもないまま巨大な仏ばかりが連なる空間は、訪れた者に説明しがたい違和感を残すという。祖先の供養を願って築かれた霊場が、時代の熱狂とともに置き去りにされた記憶を宿す場所として語られることがある。

勝山市
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気比神宮

気比神宮は福井県敦賀市にある、北陸道総鎮守と称される古社である。主祭神の伊奢沙別命は「食の神」とされ、古代から敦賀の人々の信仰の中心として機能してきた。敦賀は天然の良港にして大陸交易の要衝であり、この地理的重要性から朝廷により特に重視され、大宝2年(702)に初めて朝廷による社殿修営が行われた。宝亀7年(776)には宮司職が置かれ、以後越前国一之宮として諸国に多くの社領を有するに至っている。 参道を彩る大鳥居は1645年に建造された木造両部鳥居で、高さ11メートル近い朱塗りの構造は、奈良春日大社・広島厳島神社と並ぶ日本三大木造鳥居の一つとして1901年に文化財指定されている。 松尾芭蕉は1689年の奥の細道の旅で敦賀に立ち寄り、気比神宮で月を詠んだことが記録に残されている。現在、敦賀市は2016年にこの地を「奥の細道の風景」として名勝指定している。

敦賀市·29 views
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南越前廃道の赤い目

福井県南越前町の山中には、旧国道や廃道が点在している。このスポットは、そうした廃止路線の一つとされているが、具体的な位置特定や歴史的背景は公開情報では限定的である。南越前町周辺では国道365号・476号の改廃に伴い、明治時代の鉄道隧道が車道に転用されたほか、複数の山岳道が新道建設に伴い廃道化してきた。夜間訪問時の「赤い光」という体験談は、暗がりでの視覚錯誤(パレイドリア)、懐中電灯や車のライト、あるいは動物の眼の反射などの現象が心理的に増幅されたものである可能性がある。交通事故の歴史や山岳地形の危険性は実在するが、スポット特定の情報は極めて不明確である。

南越前町·25 views
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福井・三方五湖

寛文2年(1662年)、三方・花折断層帯の隆起によって激変した五つの湖。3~5メートルの地殻上昇が水系を破壊し、菅湖から久々子湖への流路が塞がって水月湖・三方湖の水位が急上昇、周辺の村々が水没する大事態に至った。小浜藩の郡奉行・行方久兵衛は難所の岩盤を2年がかりで掘り抜き、水月湖と久々子湖を結ぶ浦見川を開削。総工費は銀99貫余、動員人夫22万5000人という江戸時代の一大土木事業となった。その後、宝暦13年(1763年)には水月湖と日向湖を繋ぐ嵯峨隧道が完成し、幾度も修復された。湖底に眠る水月湖は150万年分の年縞を保有し、縄文時代の鳥浜貝塚からは12000年以上前の朱塗りの櫛が出土している。今も山道から眼下に広がる五つの湖面を見るたび、自然が刻んだ劇的な地形変化の履歴が、かつてここで起きた隆起による水没と、それに立ち向かった人々の痕跡を物語っている。

若狭町·23 views
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高浜旧原子力廃施設跡

福井県大飯郡高浜町は、1974年から原子力発電施設が立地してきた地域である。日本海に面した同地域は、かつてアーム産業黎明期における研究と実験の拠点として機能し、多くの労働者が従事してきた。産業施設の運営に伴う労働環境の変化、技術的課題、地域社会への影響は、長年にわたり住民の記憶と語り部によって継承されてきた。こうした産業遺産と地域史の交差点では、夜間に不可解な音や光の現象が報告されることがある。これらの目撃例は、施設の廃止後も地形や環境条件によって自然現象として説明できる場合も多いが、地域の人々にとっては、かつての産業活動と、そこで生じた労働上の事象の記憶を象徴する存在として認識されている。

大飯郡高浜町·20 views
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勝山市旧恐竜化石発掘地の怪異

福井県北東部・勝山市は、国内屈指の恐竜化石産地として知られ、市内の山中には現在は発掘の本格作業を終えた旧発掘現場の跡地がいくつか残されている。学術的価値が極めて高い土地だが、夜に近づくと「太古からの何か」を感じるという話が、調査関係者や地元住民の間で静かに語り継がれてきた変わり種の心霊スポットでもある。 寄せられる体験談で多いのは、発掘地周辺の山道を夜間に通ったときに、遠く高い位置から長い鳴き声に似た音が断続的に聞こえた、というものである。鳥でも獣でもない、聞いたことのない響きの低音が谷を渡ってきた、と語る訪問者がいる。林の向こうで青白い光が一定の高度を保ったまま横に流れていったという目撃談、撮影した写真に光の筋が写り込んでいたという書き込みも残されている。 地元では、太古の生物が眠っていた地層を人が掘り起こしたことに対して、土地が静かに反応しているのではないか、という民俗学的な解釈が穏やかに語られてきた。科学的には霧や鹿の発声、気象由来の発光現象などで説明されうる現象だが、それを「土地の応答」として受け止める語り口に、勝山という土地ならではの面白さがある。 旧発掘現場の多くは現在も学術調査の対象地であり、無断立ち入りは研究の妨害と保護区域への侵入として禁じられている。心霊目的の訪問は厳に控え、関心がある場合は市内の恐竜博物館で公式に学ぶ形で接すること。

勝山市·20 views
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憧れの旧城下町

福井県越前市の武生は、奈良時代に越前国府が置かれた地であり、江戸時代を通じて城下町として栄えた地域である。北陸街道沿いの旧市街には、かつての商家や町屋が建ち並び、うだつが上がった家々が歴史的な町並みを今に伝えている。 同地は紙漉き・打刃物などの伝統産業の中心地としても知られ、越前和紙は平安時代から最高級品として重宝され、越前打刃物も600年以上の伝統を持つ。こうした産業を担ってきた職人たちの活動と、寺社の信仰が重ねられた記憶は、町の骨格をなしている。 近年は商店街の活性化や空き家再生の取り組みが進められている一方で、中心市街地には空き店舗や空き家が増加している。地域住民が景観保全に取り組んできた京町界隈では、老舗商家の再利用が進みつつある。

越前市·14 views
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小浜城跡

福井県小浜市にある小浜城跡は、慶長6年(1601年)に京極高次が築城を開始した海城の遺構である。西側に小浜湾を控え、南北の河川が天然の防衛ラインをなす要衝に立地した。京極家から酒井家に転封された後、正保2年(1642年)に酒井忠勝により城郭がほぼ完成され、その後約230年間、若狭酒井家の居城として機能した。 明治4年(1871年)12月、火災により城郭の大部分が焼失し、現在は本丸周辺の石垣と天守台の礎石が残存している。焼失を免れた建造物は県立若狭高等学校の正門として移築されている。昭和31年(1956年)に福井県指定史跡となり、本丸跡には小浜神社が祀られ、初代城主酒井忠勝を祭神としている。周辺はブナやケヤキなどの樹林に覆われ、小浜湾を一望できる立地から、歴史的な城郭遺構として地域に保護されている。

小浜市·8 views

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勝山市旧恐竜化石発掘地の怪異
その他·福井県 勝山市

勝山市旧恐竜化石発掘地の怪異

福井県北東部・勝山市は、国内屈指の恐竜化石産地として知られ、市内の山中には現在は発掘の本格作業を終えた旧発掘現場の跡地がいくつか残されている。学術的価値が極めて高い土地だが、夜に近づくと「太古からの何か」を感じるという話が、調査関係者や地元住民の間で静かに語り継がれてきた変わり種の心霊スポットでもある。 寄せられる体験談で多いのは、発掘地周辺の山道を夜間に通ったときに、遠く高い位置から長い鳴き声に似た音が断続的に聞こえた、というものである。鳥でも獣でもない、聞いたことのない響きの低音が谷を渡ってきた、と語る訪問者がいる。林の向こうで青白い光が一定の高度を保ったまま横に流れていったという目撃談、撮影した写真に光の筋が写り込んでいたという書き込みも残されている。 地元では、太古の生物が眠っていた地層を人が掘り起こしたことに対して、土地が静かに反応しているのではないか、という民俗学的な解釈が穏やかに語られてきた。科学的には霧や鹿の発声、気象由来の発光現象などで説明されうる現象だが、それを「土地の応答」として受け止める語り口に、勝山という土地ならではの面白さがある。 旧発掘現場の多くは現在も学術調査の対象地であり、無断立ち入りは研究の妨害と保護区域への侵入として禁じられている。心霊目的の訪問は厳に控え、関心がある場合は市内の恐竜博物館で公式に学ぶ形で接すること。

大師山清大寺(越前大仏)
神域・霊場·福井県 勝山市

大師山清大寺(越前大仏)

福井県勝山市に立つ大師山清大寺は、相互タクシー創業者として知られる実業家・多田清が郷里に約三百八十億円の私財を投じ、一九八七年に落慶させた寺院である。境内には座像として国内最大級とされる高さ十七メートルの大仏が鎮座し、鉄筋コンクリート造でも屈指の規模を誇る五重塔、全国から集めた石や灯籠を配した回遊式庭園、千体を超える石仏が並ぶ。だが観光施設として構想された寺は参詣者が伸び悩み、一九九〇年代半ば以降は納税が滞って土地建物が市の管理下に置かれ、公売も繰り返し不調に終わった。門前の土産物街はほぼ閉ざされ、広大な伽藍だけが手入れされた状態で人影なく残る光景は、しばしば「生きている廃墟」と評されてきた。 心霊スポットとして名が挙がる背景には、この不釣り合いさがある。廃墟でありながら整然と磨かれ、線香や仏花の香りもないまま巨大な仏ばかりが連なる空間は、訪れた者に説明しがたい違和感を残すという。祖先の供養を願って築かれた霊場が、時代の熱狂とともに置き去りにされた記憶を宿す場所として語られることがある。

南越前廃道の赤い目
山道・峠·福井県 南越前町

南越前廃道の赤い目

福井県南越前町の山中には、旧国道や廃道が点在している。このスポットは、そうした廃止路線の一つとされているが、具体的な位置特定や歴史的背景は公開情報では限定的である。南越前町周辺では国道365号・476号の改廃に伴い、明治時代の鉄道隧道が車道に転用されたほか、複数の山岳道が新道建設に伴い廃道化してきた。夜間訪問時の「赤い光」という体験談は、暗がりでの視覚錯誤(パレイドリア)、懐中電灯や車のライト、あるいは動物の眼の反射などの現象が心理的に増幅されたものである可能性がある。交通事故の歴史や山岳地形の危険性は実在するが、スポット特定の情報は極めて不明確である。

神域・霊場·福井県 坂井市

雄島

雄島は福井県坂井市三国町に浮かぶ周囲約2キロの無人島で、越前加賀海岸国定公園に含まれる。柱状節理の断崖に囲まれ、島内には創建から1300年以上(約1370年)とされる大湊神社が鎮座し、古くから海上安全や武運を祈る神域として一般の立ち入りが制限されてきた。現在は赤い雄島橋(雄島大橋)で本土と結ばれ、参拝や散策で訪れることができる。隣接する東尋坊の断崖からは毎年一定数の転落死者が出ており、潮の流れによってその遺体の一部が雄島の海岸に流れ着く現象が古くから知られている。この事実が、神域としての静けさと死のイメージを結びつけ、雄島を心霊スポットとして語る土壌になったとされる。伝承では、神社を反時計回りに巡ることは正式な参拝作法に反する無礼とされ、これを破ると身に不幸が及ぶという戒めが伝わる。この禁忌は時代を経て、亡くなった人の霊に取り憑かれる、足を引かれる、声や足音が聞こえるといった怪異譚として広まり、日没後に橋を渡ると霊を連れて帰るとも言われている。

高浜旧原子力廃施設跡
水辺·福井県 大飯郡高浜町

高浜旧原子力廃施設跡

福井県大飯郡高浜町は、1974年から原子力発電施設が立地してきた地域である。日本海に面した同地域は、かつてアーム産業黎明期における研究と実験の拠点として機能し、多くの労働者が従事してきた。産業施設の運営に伴う労働環境の変化、技術的課題、地域社会への影響は、長年にわたり住民の記憶と語り部によって継承されてきた。こうした産業遺産と地域史の交差点では、夜間に不可解な音や光の現象が報告されることがある。これらの目撃例は、施設の廃止後も地形や環境条件によって自然現象として説明できる場合も多いが、地域の人々にとっては、かつての産業活動と、そこで生じた労働上の事象の記憶を象徴する存在として認識されている。

小浜城跡
公園・城址·福井県 小浜市

小浜城跡

福井県小浜市にある小浜城跡は、慶長6年(1601年)に京極高次が築城を開始した海城の遺構である。西側に小浜湾を控え、南北の河川が天然の防衛ラインをなす要衝に立地した。京極家から酒井家に転封された後、正保2年(1642年)に酒井忠勝により城郭がほぼ完成され、その後約230年間、若狭酒井家の居城として機能した。 明治4年(1871年)12月、火災により城郭の大部分が焼失し、現在は本丸周辺の石垣と天守台の礎石が残存している。焼失を免れた建造物は県立若狭高等学校の正門として移築されている。昭和31年(1956年)に福井県指定史跡となり、本丸跡には小浜神社が祀られ、初代城主酒井忠勝を祭神としている。周辺はブナやケヤキなどの樹林に覆われ、小浜湾を一望できる立地から、歴史的な城郭遺構として地域に保護されている。

旧北陸トンネル
隧道・トンネル·福井県 敦賀市

旧北陸トンネル

福井県敦賀市と南越前町を結ぶ北陸本線のトンネルは、現在の北陸新幹線開業まで在来線の動脈として、半世紀以上使われてきた区間である。全長13,870メートル、北陸本線最長のトンネルとして1962年(昭和37年)に開通した。当時としては日本国内屈指の長大トンネルで、開通により北陸の鉄道輸送が大きく短縮された。 この北陸トンネルの名を日本の鉄道史に刻んだのは、1972年(昭和47年)11月6日の北陸トンネル列車火災事故である。当夜、大阪発青森行きの急行列車「きたぐに」がトンネル内を走行中、食堂車から出火した。当時の運転規程に基づき列車はトンネル内で緊急停車し、火元を切り離す措置が取られた。しかし車両は連結したまま長時間トンネル内に留まることになり、煤煙と一酸化炭素がトンネル内に充満して逃げ場を失った乗客が中毒で命を落とした。 日本国有鉄道(国鉄)の事故調査と運輸省・警察庁の公式報告によれば、犠牲者は30名、重軽傷者714名。トンネル内火災としては当時の日本最大規模の事故であった。事故の教訓を踏まえ、国鉄は翌1973年にトンネル内火災発生時の運転取扱規程を全面改訂した。新規程の柱は「トンネル内では緊急停止せず、可能な限りトンネル外まで運転を継続する」というもので、現在のJR各社の運転取扱規程にも踏襲されている。 事故後、北陸トンネル内には脱出用通路と排煙装置が増設され、定期的な防災訓練も実施されてきた。2024年3月の北陸新幹線敦賀延伸開業に伴い、北陸本線の在来線特急の通行は大きく減少したが、貨物列車と一部の普通列車は引き続き同トンネルを利用している。 敦賀駅前には事故慰霊碑が建立され、毎年11月6日に犠牲者を悼む慰霊行事が行われている。鉄道事故の教訓を後世に伝える場として、関係者の参拝が継続している。

隧道・トンネル·福井県 敦賀市

山中トンネル(旧北陸線山中トンネル)

山中トンネルは、福井県敦賀市と南越前町の境にある旧北陸本線のトンネルである。1896年(明治29年)に敦賀と今庄を結ぶ山中峠越えの区間として開通し、全長は約1170メートル。急勾配をスイッチバックで越える山岳路線の一部として使われたが、1962年の北陸トンネル開通により本線としての役割を終えた。現在は県道として車両の通行が可能な生活道路となっており、周辺の旧トンネル群や関連施設とともに2016年に国の登録有形文化財に指定されている。 このトンネルは福井県内でも知名度の高い心霊スポットの一つとして知られ、トンネル中央付近に赤い服を着た女性の姿が現れるという噂が広く語られている。出口付近では老人のような人影が目撃されたとする話もあり、内部で女性の泣き声や複数の話し声のようなものが聞こえたとする報告も見られる。トンネル内は電波が届きにくいことも、不気味さを増す一因として挙げられている。廃線から60年以上が経過した現在も、暗く長い坑道の存在感がこうした噂を後押ししている。

気比神宮
神域・霊場·福井県 敦賀市

気比神宮

気比神宮は福井県敦賀市にある、北陸道総鎮守と称される古社である。主祭神の伊奢沙別命は「食の神」とされ、古代から敦賀の人々の信仰の中心として機能してきた。敦賀は天然の良港にして大陸交易の要衝であり、この地理的重要性から朝廷により特に重視され、大宝2年(702)に初めて朝廷による社殿修営が行われた。宝亀7年(776)には宮司職が置かれ、以後越前国一之宮として諸国に多くの社領を有するに至っている。 参道を彩る大鳥居は1645年に建造された木造両部鳥居で、高さ11メートル近い朱塗りの構造は、奈良春日大社・広島厳島神社と並ぶ日本三大木造鳥居の一つとして1901年に文化財指定されている。 松尾芭蕉は1689年の奥の細道の旅で敦賀に立ち寄り、気比神宮で月を詠んだことが記録に残されている。現在、敦賀市は2016年にこの地を「奥の細道の風景」として名勝指定している。

水辺·福井県 敦賀市

気比の松原

福井県敦賀市の敦賀湾に面する気比の松原は、虹の松原・三保の松原と並ぶ日本三大松原の一つで、1934年に国の名勝に指定された景勝地である。奈良時代から平安時代には渤海使を迎える松原客館が置かれ、氣比神宮の神苑として管理されてきた由緒ある松林で、聖武天皇の時代に一夜で松が生い茂り異国の船団を退けたという「一夜の松原」伝説も伝わる(異国船を追い返した主体には神功皇后や蒙古襲来時とする異伝もある)。夏は海水浴客でにぎわう一方、心霊関連サイトの一つでは、この松林で首つりによる死亡が相次いだとする噂や、沖で溺れる事故が繰り返されているとの話、波打ち際から無数の手が伸びてくるのを見たという体験談が紹介されている。日没後の松原は昼間の観光地の様相とは一変し、街灯もなく薄暗く静まり返った雰囲気になるという証言も見られる。別の体験談では、子どもだけに小人のような人影が見えたという話も残されている。

敦賀市旧原子力施設の怪奇
その他·福井県 敦賀市

敦賀市旧原子力施設の怪奇

福井県南西部・敦賀市は、日本海側でも有数の原子力関連施設集積地として知られる一方、市内の沿岸部や山間にはかつて稼働していた研究施設の跡地や、敷地の縁を走る古い道路がいくつか残されている。これらの周辺で「車載機器が突如不調になる」「夜空に説明のつかない光が浮かぶ」という話が、地元のドライバーの間で静かに語り継がれてきた変わり種の心霊スポットでもある。 寄せられる体験談で多いのは、深夜にフェンス沿いの道路を走行した際にカーナビが一時的に位置を失う、スマートフォンが急に再起動する、ラジオに雑音が混じるというものである。施設の敷地越しに、空中の一定の高度で青白い光が静止して見えた、明らかに航空機ではない速度で光が横切ったという目撃談もある。海側からは波の音に紛れて低い唸り音が断続的に聞こえたという書き込みも残されている。 地元の住民の多くは、こうした体験を「電子機器が密集する施設の電磁的環境による合理的な現象」として説明できる範囲で受け止めつつ、それと並行して「土地に積み重なる人々の祈りの場としての側面」を語る。観光地としての敦賀には気比神宮など古くからの信仰拠点が点在し、現代施設と信仰文化が同じ土地で重なり合う独特の空気が、現象に多義的な語り口を与えている。 原子力関連施設の敷地・フェンスは国の警備対象である。フェンスへの接近、施設に向けたカメラの三脚設置、長時間の停車などは警備上の問題となり、警察への通報対象となる。心霊目的の訪問は厳に控え、関心がある場合は敦賀市内の科学館や郷土資料館で施設の歴史と地域文化を学ぶ形で接すること。

永平寺
神域・霊場·福井県 永平寺町

永平寺

福井県吉田郡永平寺町、九頭竜川の支流である永平寺川沿いの山中に、曹洞宗大本山永平寺がある。鎌倉時代の寛元2年(1244年)、道元禅師が越前国に開いた禅修行の道場が起源で、以来780年にわたり座禅を中心とする厳しい修行が続けられてきた。 総本山としての永平寺は、横浜の總持寺と並んで曹洞宗を統べる二大本山のひとつ。三万三千平方メートルの境内に七堂伽藍と呼ばれる七つの主要な伽藍が並び、最も古い建物は江戸時代後期の建立である。山門、仏殿、法堂、僧堂、大庫院、東司、浴室の七堂は、いずれも禅の修行に必要な空間として配置されている。 境内では現在も常時150名前後の雲水(修行僧)が起居している。起床は午前3時半、就寝は午後9時、私語の禁止、坐禅と作務(清掃や食事準備などの修行)の繰り返し。雲水たちが守る規矩は、道元が著した『正法眼蔵』に基づく曹洞宗の伝統そのものである。 参拝者は山門から入り、長い階段や渡り廊下で結ばれた伽藍を順番に拝観できる。年間の参拝者は約130万人。座禅体験プログラムや一泊参禅、研修目的の長期滞在など、初心者向けから本格派まで様々な参加方法が用意されている。詳細と料金は永平寺公式サイトで案内されている。

橋・高架·福井県 福井市

九十九橋

九十九橋は福井市の足羽川に架かる橋で、戦国時代に柴田勝家が北ノ庄城下町の整備にあわせて架けたと伝わる。橋の南半分を石、北半分を木で造るという珍しい構造を持ち、江戸時代の記録にもその姿が残されている。天正11年(1583)4月24日、勝家は羽柴秀吉との戦いに敗れ、妻お市の方とともに北ノ庄城で自害した。この命日の未明、旧暦4月24日丑三つ時に、首のない馬に乗った武者の行列がこの橋を渡るという伝説が伝わっている。行列を目撃した者は死ぬとされ、「勝家公の家臣である」と答えれば命は助かるという言い伝えも残る。享保年間には、行列を見たいと願った表具屋の佐兵衛がその姿を絵に描いたところ、翌日に変死し、その絵を焼却した際に火が飛び散り周囲を焼く大火になったという話も伝わっている(この逸話は特定サイトが伝える怪談であり、他の独立ソースでは確認できていない)。橋は明治42年(1909)に木造トラス橋へ、昭和8年(1933)に鉄筋コンクリート桁橋へ、1986年には現在の鉄筋コンクリート橋へと架け替えられ、明治の架け替え以降は行列の目撃談は報告されていないとされる。

水辺·福井県 福井市

一乗滝

一乗滝は福井市浄教寺町、一乗谷川の上流にある落差十七メートルほどの滝である。伝承では七一七年に僧泰澄がこの地に浄教寺を開き白山大権現を祀ったとされる。江戸時代に編まれた剣豪の伝記書『二天記』には、剣豪佐々木小次郎がこの滝の周辺で修行を重ね、秘剣「燕返し」を編み出したとの記述が残る。近隣の一乗谷は戦国大名朝倉氏の城下町であったが、一五七三年に織田信長の軍勢によって焼き払われ、多数の武士が討たれて一族は滅んだ。こうした歴史を背景に、滝の周辺には武士の霊が出るという噂が複数のサイトで紹介されている。誰もいないはずの場所で人の話し声や叫び声のような音が聞こえるという報告や、撮影した写真に光の粒のようなものが写り込むという話も伝えられている。滝つぼに近づいた際に膝に違和感を覚えるという体験も一部で語られている。

公園・城址·福井県 福井市

足羽山

足羽山は福井平野の中心にそびえる標高116メートルの独立峰で、江戸時代には愛宕山などの名で呼ばれた。山頂一帯は桜とあじさいの名所として日本さくら名所100選に選ばれ、動物園や博物館、遊園地が集まる市民公園として整備されているが、十数基の古墳が点在し、山の西側には市営墓地(西墓地)が広がる。この墓地の一角では、昭和14年(1939年)から平成11年(1999年)まで福井市営の火葬場が稼働しており、新火葬場の完成後に解体された。この墓地・火葬場跡の一帯を舞台に、全身が黒く焦げた男性の霊が目撃されるという噂が複数の記録で語られている。霊の由来を焼身自殺とする説も伝わるが、それを裏付ける具体的な記録は確認されていない。加えて、この霊に遭遇すると高熱にうなされるという体験の報告や、慰霊碑や廃屋の周辺で霊に遭いやすいという話も見られる。

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