豊浜トンネル跡
北海道古宇郡神恵内村と古平郡古平町を結ぶ国道229号、積丹半島西岸の海岸線に、豊浜トンネル(とよはまとんねる)はあった。1985年(昭和60年)開通の延長1,089メートル、半島西岸の通年通行を可能にする重要な土木構造物として、北海道道路網の中で大きな役割を担っていた。 このトンネルが日本の土木史と防災史に深く刻まれたのは、1996年(平成8年)2月10日午前8時10分頃に起きた岩盤崩落事故である。トンネルの古平町側坑口直上の崖が、高さ約70メートル、幅約50メートル、厚さ約13メートルにわたって突如崩落した。重量約27,000トンと推計される巨大な岩塊が、坑口直上から崩れ落ち、トンネル坑口部分とその前後の道路を完全に塞いだ。 崩落の瞬間、トンネル内を通行中の北海道中央バス(神威岬の朝のツアー観光バス)と乗用車2台が瓦礫の下に閉じ込められた。間一髪で脱出した乗客1名を除き、バスの運転手と乗客、乗用車の運転手と同乗者を合わせて20名が犠牲となった。北海道の道路災害として戦後最大規模の事故である。 岩塊があまりに巨大だったため、救出作業は岩塊の破砕から始めなければならなかった。建設省(現国土交通省)と北海道、自衛隊、専門の発破業者が現場対応にあたり、最終的に4回の発破作業を経て岩塊の除去にこぎ着けた。事故発生から最後の遺体収容まで6日間を要した。 運輸省と建設省の事故調査委員会の報告書によれば、崩落の主因は積丹半島西岸特有の海食崖と岩盤の節理状況、長期的な凍結融解の繰り返しによる岩盤の劣化、海水の浸透による断層の進行であった。北海道の道路網に多数存在する海岸沿いの岩盤の安全性評価が、全国的に見直されるきっかけとなった事故である。 事故後、北海道開発局は新ルートとして山側に新豊浜トンネル(延長1,580メートル)を建設し、2000年(平成12年)に開通させた。旧豊浜トンネルは封鎖され、両坑口は厳重に塞がれた状態で残されている。 旧坑口近くの海岸沿いに、犠牲者を悼む慰霊碑が建立された。毎年2月10日の事故の日には、遺族と関係者による慰霊式典が継続されている。北海道の道路防災史のなかで、豊浜トンネルの事故は最も重要な教訓として位置づけられ、その後の岩盤監視技術の発達、リアルタイム計測機器の導入、防災予算の確保において、強い動機を与え続けている。 国道229号は、現在の新豊浜トンネルと迂回路を通じて通年通行可能。神恵内村と古平町は、海岸線景観と漁業の町としての魅力で観光客を迎え入れている。神威岬、積丹岬、神恵内村ニセコ積丹小樽海岸国定公園の構成地域である。