富山県の心霊スポット

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立山連峰と日本海に挟まれた富山県は、古来より立山地獄信仰の聖地として死者の魂が集う土地とされてきた。黒部峡谷の最奥に立ちはだかる黒部ダムは、171人の殉職者を出した昭和の大工事の記念碑であり、コンクリートの巨壁の底には今も男たちの労苦と無念が封じ込められている。雪と岩壁の沈黙が、北陸の闇を一層深くしている。

人気スポット TOP10

黒部ダム
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黒部ダム

富山県中新川郡立山町、北アルプスの奥深く、黒部川の上流に黒部ダムは立っている。堤高186メートルは日本最大、貯水量は約2億立方メートル。完成したのは1963年(昭和38年)、関西電力の電源開発事業として7年の工期で建設された。 地元で「くろよん(黒部川第四水力発電所)」と呼ばれるこの工事は、戦後復興期の関西の電力需要に応えるために計画された。難工事の象徴として何度も語り継がれるのが、資材輸送路となる大町トンネルの掘削中に直面した「破砕帯」である。長野県側の坑口から800メートル付近で遭遇した幅80メートルの軟弱地層は、毎秒660リットルにも及ぶ大量の地下水を噴き出し、掘削した分だけ崩落が進んだ。間組(現・安藤ハザマ)と熊谷組の二大ゼネコンが交代で挑み、7か月かけてようやく突破した。 ダム建設に直接・間接で関わった作業員のうち、171名が命を落としている。その内訳は、トンネル掘削事故、岩盤崩落、雪崩、墜落など多岐にわたる。慰霊碑が大町トンネル長野県側出口と、ダムサイトの2か所に建てられ、関西電力は現在も毎年慰霊祭を実施している。 見学は4月中旬から11月末まで、立山黒部アルペンルートと扇沢からの黒部ダム駅経由でアクセスできる。観光放水は6月下旬から10月中旬の毎日10時から15時の間。冬季はアルペンルート閉鎖のため到達不可。

立山町
氷見幽霊橋
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氷見幽霊橋

富山県氷見市の能登半島付け根に位置する橋。日本海から立ち上る湿った空気により、特に夜間に視界が極度に制限される地形である。橋は漁業地と農業地を結ぶ重要な通路で、気象条件による視程不良時には走行困難となる。この地形的特性と過去の交通事故という背景から、心霊目撃情報が形成されている可能性がある。白装束の人影、エンジン音の異変、呼びかけの音といった目撃事例は、霧による視覚の誤認識と高度な警戒心の状態下での認知特性に関連する報告とされている。

氷見市
魚津埋没林博物館裏手
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魚津埋没林博物館裏手

富山県魚津市の日本海沿岸に立つ魚津埋没林博物館は、約3,000年前に片貝川の大規模な土砂流出によってスギ原生林が埋没した地層を保存する施設である。博物館裏手の海岸は、かつての漁業の中心地として栄えた歴史を持つ一方、富山湾に面する急峻な地形が特徴である。 この海岸線が心霊スポットとして語られるようになった背景には、当地特有の光学現象である蜃気楼がある。魚津沖は江戸時代以前から蜃気楼の著名な観測地として知られ、3月下旬から6月にかけて、気温差による光の屈折により対岸の景色が伸展・反転して海上に現れる。夜間の不十分な照度下では、この光学現象による不規則な光や形態の変化が、人間の知覚を強く刺激する。 加えて、魚津沖の海岸は冬季の突然の時化により波が高く、過去に遭難や転落の事故が複数記録されている地域でもある。荒天時の白波や暗い水面と空の境界線の曖昧さも、視覚的な錯覚や不安感を増幅する要因となり得る。夜間の海岸接近は実際の地形的危険が極めて高く、近接は推奨されない。

魚津市
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白馬館

富山県富山市の北アルプスを背景とした山麓に建つ白馬館は、昭和高度経済成長期の団体観光需要を見込んで建設された山岳温泉施設である。豊富な湯量と立地の優位性から、長年にわたり企業の研修施設や家族連れの湯治客を受け入れ、地域の観光産業を担う施設として機能していた。 しかし平成以降、観光スタイルの多様化と少人数グループ化に伴い、従来の団体利用を前提とした大型施設は経営が困難になっていった。白馬館も同様の構造的課題に直面し、結果として営業を終了。木造と鉄筋コンクリートを組み合わせた重厚な建築体は、現在、苔が生す開口部と曇った窓ガラス、傾いた看板とともに、昭和の余暇文化と地域観光の盛衰を物理的に示す痕跡として残存している。 廃墟化後、建物内外の音響環境(木造部分の軋み、風による音)や圧縮空気や温度差による物理現象が、既知の施設歴と相まって、来訪者の知覚に心象的な膜を被せる。怪異譚は、廃れた施設への心理的接近の際に、環境的な刺激を人間関係や人格的存在として解釈する自然な過程とも言える。

富山市
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魚津城跡

魚津城は建武2年(1335年)頃に築かれたとされ、後に上杉氏の支城として北陸道を扼する要衝を守った。天正10年(1582年)、上杉景勝方の守備隊約3800人が織田軍約4万に包囲され、3ヶ月に及ぶ籠城戦の末、落城が避けられぬと悟った山本寺孝長・吉江宗信・吉江景資ら守将13人が6月3日に自刃し、多くの将兵も討死したと伝わる。実はその前日の6月2日に本能寺の変が起きていたが、守将たちはこれを知らぬまま自刃したとされ、数日後に明智光秀の謀反を知った織田軍は動揺して撤退し、空城となった城には上杉勢が再び入った。現在は遺構のほとんどが失われ、本丸跡には旧大町小学校(2018年統合)、二の丸跡には簡易裁判所などが立地し、石碑や模擬石垣、歌碑が往時を偲ばせるのみである。こうした激戦の跡地として、甲冑姿の武士のような人影が一瞬見える、風にうめき声のような音が混じる、背後に人の気配を感じるといった話が複数のサイトで紹介されている。また城跡周辺の山道を車で通過中にハンドルが不意に動かなくなり事故につながったとする話も繰り返し取り上げられており、多くの命が失われた戦場であることと結び付けて語られている。

魚津市
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頭川トンネル(旧津々良トンネル)

頭川トンネルは高岡市と氷見市の市境、県道64号高岡氷見線の旧道上にある隧道で、正式には津々良隧道(津々良トンネル)と呼ばれる。1931年(昭和6年)に開通し、全長は128メートル。開通当初は馬車の通行を想定した高さしかなかったが、後に自動車が通れるよう掘り下げられ、縦に長い断面になったと伝えられる。1979年に新津々良トンネルが開通したことで旧道となり、以後は通行量が大きく減少、現在は草木が茂る廃道の状態にある。この旧道には女性が焼身自殺を遂げたという噂があり、以来白い服をまとった女性の霊が目撃されるとされる。片足を引きずる白い犬の目撃談や、通過後に車のタイヤがパンクする、帰宅後に金縛りに遭うといった体験も語られてきた。トンネルへ続く道は「白骨街道」と呼ばれているが、その名の由来は地元でも判然としない。近隣にはかつて処刑場があり、罪人の首を川に投げ込んだことが「頭川」の地名の由来だとする説もあるが、地元では単なる後付けの説明とみる声もあり、古代の横穴墓遺跡との関連を指摘する見方もある。2007年発売のホラーゲームで取り上げられたことが、噂の広がりに影響したとされる。

氷見市
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松倉城跡

松倉城跡は魚津市南部、標高約430メートルの松倉山山頂に築かれた山城の跡である。築城は南北朝期の14世紀前半とされ、太平記にもその名が記されている。以後、桃井氏や越中守護代・椎名氏の居城として、新川地方の政治・軍事の中心を約250年にわたって担った。永禄11年(1568)、城主椎名康胤が主家の上杉謙信から離反すると、翌年上杉勢の攻撃を受けて100日に及ぶ攻防となったが持ちこたえ、謙信はいったん兵を引いた。その後も抗争が続き、元亀年間(1570年代前半)に至って松倉城は開城し、以後は上杉方の河田長親が城将となった。天正10年(1582)には麓の魚津城が織田方連合軍に攻められて落城、翌天正11年には佐々成政の軍によって松倉城も攻略され、その後慶長年間(1596~1615)頃には廃城になったと伝えられる。約250年間に及ぶ抗争の舞台となったこの城跡は、心霊が現れる場所としても知られており、合戦で命を落とした武者の霊が姿を見せるという話が伝えられている。訪れた人の間では、帰り道の車内に白い顔をした女性の姿が映り込んだという目撃談も残されている。現在は空堀や土塁、虎口などの遺構とともに山桜の名所として整備され、往時の激しい攻防の記憶を静かに残す史跡となっている。

魚津市
8

大町地下歩道(南富山駅地下道)

大町地下歩道は、富山市大町の南富山駅前で幹線道路の下をくぐる地下通路として設けられた。2002年に発行された北陸・甲信越地方の心霊スポットを紹介する書籍「怨念地図」で取り上げられたことを契機に、県内で知られる心霊スポットの一つに数えられるようになった。言い伝えでは、この地下道でかつて焼身自殺があったとされ、以降その苦しみが今も残っているかのような現象が伝えられている。具体的には、通路内で低く呻くような声が聞こえる、階段付近で男女が言葉を交わす声がする、背後に人の気配を感じるといった報告がある。また顔に大きな損傷を負った人影を見たという話や、床に消えない黒っぽい染みが残っているという話も紹介されている。一方で地下道自体は防犯用のミラーが設置されているものの照明が乏しく、ゴミが放置されがちな環境であることも各種紹介記事で触れられている。実際に定点カメラで撮影を試みた調査でも、目に見える現象は確認されなかったと報告されており、噂の域を出ない部分も大きい。

富山市
9

大川寺遊園

大川寺遊園は、富山県富山市上滝にあった遊園地である。前身は戦前に整備された上滝公園で、1958年の国民体育大会を機に遊戯施設の整備が進み、1961年からは富山地方鉄道と当時の大山町が出資する会社が運営した。観覧車やジェットコースターなどを備え、1980年には年間約35万人が訪れるなど、県内有数の行楽地として賑わった。 しかし1980年代以降、県内に大型娯楽施設が相次いで開業したことに加え、県外の大規模テーマパークへ客足が向かう流れも重なり、来園者数は減少を続けた。1995年度の入園者は約8万4千人まで落ち込み、累積赤字が約3億6千万円に達したことから、1996年に運営会社は経営からの撤退を決め、1997年3月末に閉園した。大型遊具は翌年までに撤去され、その後は更地化が進められている。 閉園後は、子どもの霊が園内で遊ぶ姿が見えるとの噂や、人けのない敷地で子どもの声や気配を感じたとする報告が伝えられている。夜間に訪れた者からは、声や物音を耳にした、視線のようなものを覚えたといった話も紹介されている。一方で、こうした噂を根拠のないものとして退ける見方も存在する。

富山市
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寺家トンネル(池原隧道)

富山県富山市寺家、県道67号(宇奈月大沢野線)沿いにある池原隧道は、一号から三号までの三本の手掘りトンネルの総称で、寺家トンネルとも呼ばれている。開通は昭和8年(1933年)で、当時は小佐波・船峅両集落を結ぶ生活道路として掘られたとされる。現在も幅1.48メートル以下・高さ2メートル以下の車両に限って通行が許可されている。総延長約350メートルの内部は素掘りの岩肌にコンクリートが吹き付けられた簡素な構造で、天井には多数のコウモリが棲みついている。この場所では灯りを消して静かに待つと女性の声が響いてくるという噂が広まっており、白い服の人影を見たという報告や、その声が次第に笑い声へと変わったという証言も伝えられている。狭く見通しの悪い構造と自動車の往来が少ないことから、若者の肝試しの対象として知られるようになった。

富山市

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路上・交差点·富山県 富山市

大町地下歩道(南富山駅地下道)

大町地下歩道は、富山市大町の南富山駅前で幹線道路の下をくぐる地下通路として設けられた。2002年に発行された北陸・甲信越地方の心霊スポットを紹介する書籍「怨念地図」で取り上げられたことを契機に、県内で知られる心霊スポットの一つに数えられるようになった。言い伝えでは、この地下道でかつて焼身自殺があったとされ、以降その苦しみが今も残っているかのような現象が伝えられている。具体的には、通路内で低く呻くような声が聞こえる、階段付近で男女が言葉を交わす声がする、背後に人の気配を感じるといった報告がある。また顔に大きな損傷を負った人影を見たという話や、床に消えない黒っぽい染みが残っているという話も紹介されている。一方で地下道自体は防犯用のミラーが設置されているものの照明が乏しく、ゴミが放置されがちな環境であることも各種紹介記事で触れられている。実際に定点カメラで撮影を試みた調査でも、目に見える現象は確認されなかったと報告されており、噂の域を出ない部分も大きい。

水辺·富山県 富山市

古洞ダム

富山市三熊にある古洞ダムは、1982年に完成した灌漑用の農業用アースダムである。周辺は「とやま古洞の森」として整備され、遊歩道やバードウォッチングの場として利用されてきた(運営体制は時期により変動あり)。このダムが心霊スポットとして語られる直接の契機となったのは、1986年に発覚した事件である。同年4月、富山市内に住む30歳の会社員女性が自転車で外出した後に行方不明となり、同年11月、通行人によって古洞ダムの水面に全裸で浮かんでいる遺体が発見された。足には約20センチの石が紐で結ばれ、首にはビニール紐が巻かれており、司法解剖の結果、絞殺と判定された。警察は交友関係を中心に捜査を進めたが自転車も発見されず、犯人の特定に至らないまま2001年に公訴時効が成立し、事件は未解決のまま現在に至っている。この経緯から、ダム完成直後から自殺者が相次いだという話や、水面に生首のようなものが浮かんでいた、水辺で人の声や泣き声が聞こえるといった噂がインターネット上や訪問者の記録で伝えられている。日中は静かで自然豊かなダム湖として知られる一方、夜間はこうした未解決事件の記憶と結びついた場所として語られている。

隧道・トンネル·富山県 富山市

寺家トンネル(池原隧道)

富山県富山市寺家、県道67号(宇奈月大沢野線)沿いにある池原隧道は、一号から三号までの三本の手掘りトンネルの総称で、寺家トンネルとも呼ばれている。開通は昭和8年(1933年)で、当時は小佐波・船峅両集落を結ぶ生活道路として掘られたとされる。現在も幅1.48メートル以下・高さ2メートル以下の車両に限って通行が許可されている。総延長約350メートルの内部は素掘りの岩肌にコンクリートが吹き付けられた簡素な構造で、天井には多数のコウモリが棲みついている。この場所では灯りを消して静かに待つと女性の声が響いてくるという噂が広まっており、白い服の人影を見たという報告や、その声が次第に笑い声へと変わったという証言も伝えられている。狭く見通しの悪い構造と自動車の往来が少ないことから、若者の肝試しの対象として知られるようになった。

商業・遊興跡·富山県 富山市

大川寺遊園

大川寺遊園は、富山県富山市上滝にあった遊園地である。前身は戦前に整備された上滝公園で、1958年の国民体育大会を機に遊戯施設の整備が進み、1961年からは富山地方鉄道と当時の大山町が出資する会社が運営した。観覧車やジェットコースターなどを備え、1980年には年間約35万人が訪れるなど、県内有数の行楽地として賑わった。 しかし1980年代以降、県内に大型娯楽施設が相次いで開業したことに加え、県外の大規模テーマパークへ客足が向かう流れも重なり、来園者数は減少を続けた。1995年度の入園者は約8万4千人まで落ち込み、累積赤字が約3億6千万円に達したことから、1996年に運営会社は経営からの撤退を決め、1997年3月末に閉園した。大型遊具は翌年までに撤去され、その後は更地化が進められている。 閉園後は、子どもの霊が園内で遊ぶ姿が見えるとの噂や、人けのない敷地で子どもの声や気配を感じたとする報告が伝えられている。夜間に訪れた者からは、声や物音を耳にした、視線のようなものを覚えたといった話も紹介されている。一方で、こうした噂を根拠のないものとして退ける見方も存在する。

白馬館
廃墟・残骸·富山県 富山市

白馬館

富山県富山市の北アルプスを背景とした山麓に建つ白馬館は、昭和高度経済成長期の団体観光需要を見込んで建設された山岳温泉施設である。豊富な湯量と立地の優位性から、長年にわたり企業の研修施設や家族連れの湯治客を受け入れ、地域の観光産業を担う施設として機能していた。 しかし平成以降、観光スタイルの多様化と少人数グループ化に伴い、従来の団体利用を前提とした大型施設は経営が困難になっていった。白馬館も同様の構造的課題に直面し、結果として営業を終了。木造と鉄筋コンクリートを組み合わせた重厚な建築体は、現在、苔が生す開口部と曇った窓ガラス、傾いた看板とともに、昭和の余暇文化と地域観光の盛衰を物理的に示す痕跡として残存している。 廃墟化後、建物内外の音響環境(木造部分の軋み、風による音)や圧縮空気や温度差による物理現象が、既知の施設歴と相まって、来訪者の知覚に心象的な膜を被せる。怪異譚は、廃れた施設への心理的接近の際に、環境的な刺激を人間関係や人格的存在として解釈する自然な過程とも言える。

隧道・トンネル·富山県 氷見市

頭川トンネル(旧津々良トンネル)

頭川トンネルは高岡市と氷見市の市境、県道64号高岡氷見線の旧道上にある隧道で、正式には津々良隧道(津々良トンネル)と呼ばれる。1931年(昭和6年)に開通し、全長は128メートル。開通当初は馬車の通行を想定した高さしかなかったが、後に自動車が通れるよう掘り下げられ、縦に長い断面になったと伝えられる。1979年に新津々良トンネルが開通したことで旧道となり、以後は通行量が大きく減少、現在は草木が茂る廃道の状態にある。この旧道には女性が焼身自殺を遂げたという噂があり、以来白い服をまとった女性の霊が目撃されるとされる。片足を引きずる白い犬の目撃談や、通過後に車のタイヤがパンクする、帰宅後に金縛りに遭うといった体験も語られてきた。トンネルへ続く道は「白骨街道」と呼ばれているが、その名の由来は地元でも判然としない。近隣にはかつて処刑場があり、罪人の首を川に投げ込んだことが「頭川」の地名の由来だとする説もあるが、地元では単なる後付けの説明とみる声もあり、古代の横穴墓遺跡との関連を指摘する見方もある。2007年発売のホラーゲームで取り上げられたことが、噂の広がりに影響したとされる。

氷見幽霊橋
橋・高架·富山県 氷見市

氷見幽霊橋

富山県氷見市の能登半島付け根に位置する橋。日本海から立ち上る湿った空気により、特に夜間に視界が極度に制限される地形である。橋は漁業地と農業地を結ぶ重要な通路で、気象条件による視程不良時には走行困難となる。この地形的特性と過去の交通事故という背景から、心霊目撃情報が形成されている可能性がある。白装束の人影、エンジン音の異変、呼びかけの音といった目撃事例は、霧による視覚の誤認識と高度な警戒心の状態下での認知特性に関連する報告とされている。

黒部ダム
路上・交差点·富山県 立山町

黒部ダム

富山県中新川郡立山町、北アルプスの奥深く、黒部川の上流に黒部ダムは立っている。堤高186メートルは日本最大、貯水量は約2億立方メートル。完成したのは1963年(昭和38年)、関西電力の電源開発事業として7年の工期で建設された。 地元で「くろよん(黒部川第四水力発電所)」と呼ばれるこの工事は、戦後復興期の関西の電力需要に応えるために計画された。難工事の象徴として何度も語り継がれるのが、資材輸送路となる大町トンネルの掘削中に直面した「破砕帯」である。長野県側の坑口から800メートル付近で遭遇した幅80メートルの軟弱地層は、毎秒660リットルにも及ぶ大量の地下水を噴き出し、掘削した分だけ崩落が進んだ。間組(現・安藤ハザマ)と熊谷組の二大ゼネコンが交代で挑み、7か月かけてようやく突破した。 ダム建設に直接・間接で関わった作業員のうち、171名が命を落としている。その内訳は、トンネル掘削事故、岩盤崩落、雪崩、墜落など多岐にわたる。慰霊碑が大町トンネル長野県側出口と、ダムサイトの2か所に建てられ、関西電力は現在も毎年慰霊祭を実施している。 見学は4月中旬から11月末まで、立山黒部アルペンルートと扇沢からの黒部ダム駅経由でアクセスできる。観光放水は6月下旬から10月中旬の毎日10時から15時の間。冬季はアルペンルート閉鎖のため到達不可。

松倉城跡
公園・城址·富山県 魚津市

松倉城跡

松倉城跡は魚津市南部、標高約430メートルの松倉山山頂に築かれた山城の跡である。築城は南北朝期の14世紀前半とされ、太平記にもその名が記されている。以後、桃井氏や越中守護代・椎名氏の居城として、新川地方の政治・軍事の中心を約250年にわたって担った。永禄11年(1568)、城主椎名康胤が主家の上杉謙信から離反すると、翌年上杉勢の攻撃を受けて100日に及ぶ攻防となったが持ちこたえ、謙信はいったん兵を引いた。その後も抗争が続き、元亀年間(1570年代前半)に至って松倉城は開城し、以後は上杉方の河田長親が城将となった。天正10年(1582)には麓の魚津城が織田方連合軍に攻められて落城、翌天正11年には佐々成政の軍によって松倉城も攻略され、その後慶長年間(1596~1615)頃には廃城になったと伝えられる。約250年間に及ぶ抗争の舞台となったこの城跡は、心霊が現れる場所としても知られており、合戦で命を落とした武者の霊が姿を見せるという話が伝えられている。訪れた人の間では、帰り道の車内に白い顔をした女性の姿が映り込んだという目撃談も残されている。現在は空堀や土塁、虎口などの遺構とともに山桜の名所として整備され、往時の激しい攻防の記憶を静かに残す史跡となっている。

公園・城址·富山県 魚津市

魚津城跡

魚津城は建武2年(1335年)頃に築かれたとされ、後に上杉氏の支城として北陸道を扼する要衝を守った。天正10年(1582年)、上杉景勝方の守備隊約3800人が織田軍約4万に包囲され、3ヶ月に及ぶ籠城戦の末、落城が避けられぬと悟った山本寺孝長・吉江宗信・吉江景資ら守将13人が6月3日に自刃し、多くの将兵も討死したと伝わる。実はその前日の6月2日に本能寺の変が起きていたが、守将たちはこれを知らぬまま自刃したとされ、数日後に明智光秀の謀反を知った織田軍は動揺して撤退し、空城となった城には上杉勢が再び入った。現在は遺構のほとんどが失われ、本丸跡には旧大町小学校(2018年統合)、二の丸跡には簡易裁判所などが立地し、石碑や模擬石垣、歌碑が往時を偲ばせるのみである。こうした激戦の跡地として、甲冑姿の武士のような人影が一瞬見える、風にうめき声のような音が混じる、背後に人の気配を感じるといった話が複数のサイトで紹介されている。また城跡周辺の山道を車で通過中にハンドルが不意に動かなくなり事故につながったとする話も繰り返し取り上げられており、多くの命が失われた戦場であることと結び付けて語られている。

魚津埋没林博物館裏手
水辺·富山県 魚津市

魚津埋没林博物館裏手

富山県魚津市の日本海沿岸に立つ魚津埋没林博物館は、約3,000年前に片貝川の大規模な土砂流出によってスギ原生林が埋没した地層を保存する施設である。博物館裏手の海岸は、かつての漁業の中心地として栄えた歴史を持つ一方、富山湾に面する急峻な地形が特徴である。 この海岸線が心霊スポットとして語られるようになった背景には、当地特有の光学現象である蜃気楼がある。魚津沖は江戸時代以前から蜃気楼の著名な観測地として知られ、3月下旬から6月にかけて、気温差による光の屈折により対岸の景色が伸展・反転して海上に現れる。夜間の不十分な照度下では、この光学現象による不規則な光や形態の変化が、人間の知覚を強く刺激する。 加えて、魚津沖の海岸は冬季の突然の時化により波が高く、過去に遭難や転落の事故が複数記録されている地域でもある。荒天時の白波や暗い水面と空の境界線の曖昧さも、視覚的な錯覚や不安感を増幅する要因となり得る。夜間の海岸接近は実際の地形的危険が極めて高く、近接は推奨されない。

白倉トンネル
隧道・トンネル·富山県 魚津市

白倉トンネル

白倉トンネルは富山県魚津市鹿熊に位置し、1954年10月に開通した全長410メートル、幅約4メートルの狭いトンネルである。早月川合口事業の一環として建設され、市街地と鉢・虎谷方面を結ぶ生活道路として現在も利用されている。後年、隣接する角川ダムの建設により魚津側の坑口が約10メートル高くなった。このトンネルには、かつて19歳の少年が焼身自殺したとの噂があり、これが心霊スポットとして知られる契機になったとされる。ただし警察記録などの裏付けは確認されておらず、カップルの無理心中とする別の噂も伝わる。通行者の間では、トンネル内で携帯電話に非通知の無言電話がかかってくる、誰もいない場所から男性の声が聞こえるといった現象が報告されている。また、2009年5月には隣接する角川ダムで水死者が見つかり、その車両がトンネル内の待避所の壁に衝突した状態で発見された事件も起きており、この出来事がトンネルの不穏な印象をさらに強めたとみられる。

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