熊本県の心霊スポットランキング・一覧

12 スポット8 カテゴリ

阿蘇の巨大カルデラと加藤清正の城下を擁する熊本は、火と血と西郷の記憶を抱く肥後の地である。西南戦争最大の激戦地・田原坂、噴煙絶えぬ活火山・阿蘇山中岳火口の硫黄の闇、難攻不落と謳われた熊本城、球磨川源流の盆地に栄えた人吉の隠れ里——火砕流と銃弾、武士の誇りが幾層にも重なる土地で、九州の中央は今も熱を孕んだまま静かに息づく。

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熊本市民病院跡地
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熊本市民病院跡地

熊本市·111 views
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田原坂
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田原坂

熊本市·63 views
阿蘇山中岳火口
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阿蘇山中岳火口

阿蘇市·62 views
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高島山公園

熊本県八代市中心部から西へ約3キロメートル、標高約33メートルの小丘に整備された都市公園。1975年に八代市によって開園。展望台からは八代平野、球磨川河口、不知火海を一望できる景観地として機能している。 この丘の位置は、江戸時代の八代城下町の発展と密接な関係にある。八代城は1622年に加藤氏により球磨川河口北側の松江村に築城され、その後1632年から明治維新まで松井氏が城下町を統治した。城下町は熊本藩第二の都市として繁栄し、球磨川の流域開発と土地改良を通じて八代平野が形成された。高島山はその城下町の地理的背景を今も保持する場所である。 夜間の展望台周辺では、暗がりの中で岩肌のコントラストが人の輪郭に見えるといった報告や、風のない夜に低い音が聞こえるとの訪問者の証言がネット上で繰り返し語られている。地形的に閉鎖的な丘の斜面と、城下町として栄えた土地の歴史が、訪問者の知覚に影響を与えている可能性がある。

八代市·49 views
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金峰山

金峰山は熊本市西区にそびえる標高665メートルの複成火山で、一ノ岳を中心にいくつかの外輪山を連ねる山塊の総称である。古くは飽田山と呼ばれていたが、奈良・吉野山の金峯山蔵王権現を勧請したことから現在の名に改められたと伝わる。山中には宮本武蔵が『五輪書』を著したとされる霊巌洞や雲巌禅寺、拝ケ石巨石群などの史跡が点在し、山頂展望台からは有明海や熊本市街を見渡せる観光地としても知られる。一方でこの山には、かつて年老いた者を山中に置いていく風習があったとする伝承があり、この記憶が心霊譚の土台になっているとされる。夜間に山道を車やバイクで走ると、ヘッドライトを灯さないまま背後から迫ってくる首のない乗り手の目撃が繰り返し語られ、木陰から老婆の姿をした霊がじっと見つめてくるという話も伝わる。山頂へ向かう道では、鎌を手に猛烈な速さで追いかけてくる「きんかんばばあ」という異形の存在の噂も広まっている。撮影した写真に無数の白い影が写り込むとの報告もあり、これらは山に捨てられた老人たちの無念が形となったものと解釈されてきた。

熊本市西区·48 views
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熊本城二の丸広場(天守台)

熊本城は慶長12年(1607年)に加藤清正により完成した九州の主要な城塞である。本丸西側に位置する二の丸広場は、江戸時代には上級家臣の屋敷が立ち並ぶ重要な区域であった。天守台を中心とした一帯は、明治10年(1877年)の西南戦争で薩軍13000余りの包囲攻撃を50日以上にわたって耐え、堅牢さで知られている。2016年4月の熊本地震では甚大な損傷を受けた。大天守は屋根瓦の崩落と装飾の落下、石垣の複数箇所崩落が発生し、国の重要文化財に指定されている東十八間櫓・北十八間櫓が倒壊・崩落した。石垣全体では約973面のうち229面が崩落し、さらに517面が積み直しを要する状態となった。天守台を含む城全体の復旧は2020年の天守閣完了から現在も継続中で、全体完了は2052年まで延伸されている。二の丸広場は現在も復旧工事が行われており、立入制限区域が存在する。

熊本市·48 views·
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立神峡

熊本県氷川町を流れる氷川中流域にある立神峡は、石灰岩層を侵食した高さ約75メートル、幅約250メートルの岸壁が連なる景勝地で、五木五家荘県立自然公園に指定され紅葉の名所として知られている。地名は岩壁の洞穴を指す「穴洞」という呼び名から「立神」となったと伝わり、集落としての立神は戦国期の史料にも見える古い歴史を持つ。一方でこの渓谷は水難事故が多い場所としても知られ、熊本日日新聞の記事によれば1995年、2006年、2012年、2013年に溺死事故が報じられており、キャンプ場が賑わう夏場には飛び込み禁止の看板が設置されている。こうした事故の多さを背景に、川で泳いでいると水中から足を引っ張られる感覚を覚えたという声や、吊り橋付近で白い着物姿の女性の姿を見たという報告、軍服姿の男性を見たという目撃談が伝わっている。心霊の噂は、繰り返される水難事故と結び付けられる形で語られることが多い。吊り橋では背後から足音が付いてくると訴える声も加わっており、目撃談の種類は広がりを見せている。事故が絶えない理由については、氷川という名前どおり水温が異常に低いことが原因で、予想外の冷たさに驚いて溺れるという自然現象として説明する記事もある。ネット上では公表されている件数より実際の死者はさらに多いのではという声が上がる一方、足を引っ張られる感覚は霊や河童によるものではなく水温や急な深みといった自然の脅威だと諭す論調も見られる。

八代郡氷川町·46 views
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旧佐敷トンネル(旧佐敷隧道)

旧佐敷隧道は明治36年(1903年)、薩摩街道の難所として知られた佐敷太郎峠に開通した煉瓦造りのトンネルである。全長は430メートル余りで、設計には外国人技師が関わり、建設費には日清戦争の賠償金が用いられたと伝わる。徳島から移り住んだ瓦職人がレンガを製造したという逸話も残り、2002年には登録有形文化財に指定された。1965年に新トンネルが開通した後は自動車の通行が減り、静かな旧道として残されている。 この隧道が心霊スポットとして注目されるようになった背景には、手掘りで進められた明治期の難工事にまつわる噂がある。工事中に落盤事故で複数の犠牲者が出たとする話が語られる一方、それを裏付ける記録は見当たらない。坑口付近には江戸期の建立を示す銘のある地蔵や小さな祠が複数残されており、これらが事故の犠牲者を慰霊する目的で建てられたのではないかという見方もある。 2019年には肝試しで訪れた若者が何かに足を引っ張られる様子を撮った動画が拡散し、全国的な知名度を得て熊本三大心霊スポットの一つに数えられるようになった。トンネル内では人影が壁の中に消えたとする目撃談や、同行者の一人が姿を消したという話も伝えられている。

芦北町·40 views
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赤田池(赤田橋)

熊本県荒尾市の赤田公園内にある赤田池は、江戸時代初期の1611年頃に加藤清正の家臣によって農業用のため池として築かれたとされる。池の中央には中の島があり、赤く塗られた吊り橋「赤田橋」で対岸と結ばれている。中の島の南側には横穴式石室の古墳が二基あったとされ、貯水開始によって水没したとの言及がある。かつては貸しボートや売店を備えた行楽地として賑わったが、近年は訪れる人が少なくなり、小島の商店の建物も営業をやめたまま残されている。周辺には2000年前後に相次いで閉業した宿泊施設や観光梨園の廃墟が残り、一部は解体・転用されずに壁が崩れた姿をとどめている。こうした一帯の寂れた雰囲気が、池の不気味さを増しているとの指摘もある。心霊の噂としては、赤田橋を渡る際に背後から誰かがついてくる気配がする、水面に顔だけが浮かび上がる、白い手が伸びて手招きをする、橋の上に女性の姿が見えるといった話が複数のサイトで共通して伝えられている。橋を叩くような音が響く、水面が急に激しくざわつくといった現象を加えて紹介する例もある。池での溺死や自殺に関する話も紹介されるが、具体的な記録は確認されていない。地元の声として、かつて子供が水の事故で亡くなったとの話や、池の周辺一帯で心霊体験が多いとの証言が紹介されることもある。ネット上のまとめサイトや動画投稿でも同様の噂が繰り返し取り上げられており、小島の建物には今も人が住んでいるとの噂も囁かれている。

荒尾市·38 views
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旧阿蘇大橋

熊本県南阿蘇村、国道325号が黒川を渡る地点に架けられていた橋で、1970年に竣工し翌1971年に開通した。開通当初は橙色に塗装されていたことから「赤橋」と呼ばれた。深い渓谷に架かる高さのある橋で、投身自殺が相次いだ時期があり、1981年から2011年までの間に59件の事案が確認されたとされる。県は1990年頃の柵の設置に続き、塗装を灰色に変える対策や、忍び返し付きで高さ約2メートルのフェンスの追加といった措置を重ね、橋のたもとには思いとどまるよう願う地蔵も置かれた。こうした経緯を背景に、橋の上で人影を目にした、女性のものとされる声を耳にした、体調に異変を覚えた、理由もなく車を停めたくなったといった体験がインターネット上でたびたび語られている。2016年の熊本地震では本震により橋が崩落し、通行中だった車両が巻き込まれ、乗っていた大学生が同年8月に遺体で発見される被害が生じた。橋は2021年、下流側に再建された新阿蘇大橋へ役割を譲り、崩れた旧橋桁は震災の記憶を伝える遺構として現地に保存されている。

南阿蘇村·31 views

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高島山公園
熊本県 八代市·公園・城址

高島山公園

熊本県八代市中心部から西へ約3キロメートル、標高約33メートルの小丘に整備された都市公園。1975年に八代市によって開園。展望台からは八代平野、球磨川河口、不知火海を一望できる景観地として機能している。 この丘の位置は、江戸時代の八代城下町の発展と密接な関係にある。八代城は1622年に加藤氏により球磨川河口北側の松江村に築城され、その後1632年から明治維新まで松井氏が城下町を統治した。城下町は熊本藩第二の都市として繁栄し、球磨川の流域開発と土地改良を通じて八代平野が形成された。高島山はその城下町の地理的背景を今も保持する場所である。 夜間の展望台周辺では、暗がりの中で岩肌のコントラストが人の輪郭に見えるといった報告や、風のない夜に低い音が聞こえるとの訪問者の証言がネット上で繰り返し語られている。地形的に閉鎖的な丘の斜面と、城下町として栄えた土地の歴史が、訪問者の知覚に影響を与えている可能性がある。

熊本県 八代郡氷川町·水辺

立神峡

熊本県氷川町を流れる氷川中流域にある立神峡は、石灰岩層を侵食した高さ約75メートル、幅約250メートルの岸壁が連なる景勝地で、五木五家荘県立自然公園に指定され紅葉の名所として知られている。地名は岩壁の洞穴を指す「穴洞」という呼び名から「立神」となったと伝わり、集落としての立神は戦国期の史料にも見える古い歴史を持つ。一方でこの渓谷は水難事故が多い場所としても知られ、熊本日日新聞の記事によれば1995年、2006年、2012年、2013年に溺死事故が報じられており、キャンプ場が賑わう夏場には飛び込み禁止の看板が設置されている。こうした事故の多さを背景に、川で泳いでいると水中から足を引っ張られる感覚を覚えたという声や、吊り橋付近で白い着物姿の女性の姿を見たという報告、軍服姿の男性を見たという目撃談が伝わっている。心霊の噂は、繰り返される水難事故と結び付けられる形で語られることが多い。吊り橋では背後から足音が付いてくると訴える声も加わっており、目撃談の種類は広がりを見せている。事故が絶えない理由については、氷川という名前どおり水温が異常に低いことが原因で、予想外の冷たさに驚いて溺れるという自然現象として説明する記事もある。ネット上では公表されている件数より実際の死者はさらに多いのではという声が上がる一方、足を引っ張られる感覚は霊や河童によるものではなく水温や急な深みといった自然の脅威だと諭す論調も見られる。

熊本県 南阿蘇村·橋・高架

旧阿蘇大橋

熊本県南阿蘇村、国道325号が黒川を渡る地点に架けられていた橋で、1970年に竣工し翌1971年に開通した。開通当初は橙色に塗装されていたことから「赤橋」と呼ばれた。深い渓谷に架かる高さのある橋で、投身自殺が相次いだ時期があり、1981年から2011年までの間に59件の事案が確認されたとされる。県は1990年頃の柵の設置に続き、塗装を灰色に変える対策や、忍び返し付きで高さ約2メートルのフェンスの追加といった措置を重ね、橋のたもとには思いとどまるよう願う地蔵も置かれた。こうした経緯を背景に、橋の上で人影を目にした、女性のものとされる声を耳にした、体調に異変を覚えた、理由もなく車を停めたくなったといった体験がインターネット上でたびたび語られている。2016年の熊本地震では本震により橋が崩落し、通行中だった車両が巻き込まれ、乗っていた大学生が同年8月に遺体で発見される被害が生じた。橋は2021年、下流側に再建された新阿蘇大橋へ役割を譲り、崩れた旧橋桁は震災の記憶を伝える遺構として現地に保存されている。

内大臣橋
熊本県 山都町·橋・高架

内大臣橋

内大臣橋は熊本県山都町と美里町の境、内大臣川がつくる渓谷に架かる橋で、水面からの高さは約86〜88メートルとされる。1961年に着工し1963年に開通した中路式のアーチ橋で、当時は東洋一の規模を持つアーチ橋と称された。橋が架かる内大臣という地名は、壇ノ浦の戦いに敗れた平家の一族がこの山深い渓谷に隠れ住み、最終官位が内大臣であった平重盛(小松内大臣)を祀ったという伝承に由来するとされる。 心霊スポットとしては、着物姿の中年女性や作業着姿の男性、スーツ姿の男性の霊が欄干付近に立っている姿を見たとする目撃談が複数の記録に残る。ある体験談では、案内をしてくれた人物が橋にまつわる話を口にした直後に橋の欄干の向こうに複数の人影が現れ、それらは既に亡くなった人々だと告げられたという内容が語られている。橋の転落防止柵は、目立ちにくい色合いに塗り替えられた経緯があるとされ、橋のたもとには供養のための地蔵と石碑が置かれている。

熊本市民病院跡地
熊本県 熊本市·廃墟・残骸

熊本市民病院跡地

熊本市民病院は1946年2月に開設され、戦後から熊本の周産期・小児医療を支えた市立病院である。2016年熊本地震で建物が倒壊の危険を呈したため、全患者が転院、2019年10月に東区東町の新病院に移転した。旧施設は跡地として2020年から解体が進められたが、周辺住民の振動苦情により約1年半中断を経て、2022年に工事が再開され2023年内に完了した。跡地は2024年12月に同仁グループが落札し、生鮮食品スーパーを含む商業施設への転用が計画されている。医療機関の長期利用と急激な廃止、その後の空白期間を経て商業施設化へと至る空間の履歴が、跡地に対する地形的・心理的な注目をもたらしている。

田原坂
熊本県 熊本市·路上・交差点

田原坂

熊本県熊本市北区植木町豊岡にある田原坂は、薩摩街道の難所として知られた台地の坂道である。標高80メートルから120メートルへと約1.5キロメートルにわたって緩やかに登る地形で、現在は熊本市の田原坂西南戦争資料館を中心に田原坂公園として整備されている。 田原坂の名が日本史に刻まれたのは、1877年(明治10年)の西南戦争においてである。西郷隆盛率いる薩摩軍が熊本城を包囲した戦況のなか、政府軍は熊本城救援のため南下を試みた。これを迎え撃つ薩摩軍が、台地北面の唯一大砲を引き上げられるルートだった田原坂周辺に陣を構え、3月4日から20日までの17日間、坂上と坂下で激しい砲撃戦と銃撃戦を繰り広げた。 熊本県と熊本市が編纂した『熊本県史』および『田原坂西南戦争資料館』の解説資料によれば、この17日間で両軍合わせて4千名以上が戦死もしくは負傷したとされる。一日に消費された弾薬量は最盛期で32万発に達したという記録も残っている。日本史上、近代的な火器を用いた本格的な内戦の戦闘としては最大級のものであった。 戦闘は政府軍の勝利で終わり、戦況は薩摩軍にとって決定的に不利になった。9月の城山の戦いで西郷が自刃し、日本最後の内戦は幕を閉じた。 田原坂西南戦争資料館は2015年にリニューアルし、当時の弾痕が残る民家の柱、両軍の武器、遺品などを展示している。公園内には4千を超える両軍戦没者を慰霊するため、政府軍・薩摩軍双方の名を刻んだ慰霊碑が建てられている。桜の名所としても知られ、毎春多くの花見客が訪れる。

熊本城二の丸広場(天守台)
熊本県 熊本市·公園・城址

熊本城二の丸広場(天守台)

熊本城は慶長12年(1607年)に加藤清正により完成した九州の主要な城塞である。本丸西側に位置する二の丸広場は、江戸時代には上級家臣の屋敷が立ち並ぶ重要な区域であった。天守台を中心とした一帯は、明治10年(1877年)の西南戦争で薩軍13000余りの包囲攻撃を50日以上にわたって耐え、堅牢さで知られている。2016年4月の熊本地震では甚大な損傷を受けた。大天守は屋根瓦の崩落と装飾の落下、石垣の複数箇所崩落が発生し、国の重要文化財に指定されている東十八間櫓・北十八間櫓が倒壊・崩落した。石垣全体では約973面のうち229面が崩落し、さらに517面が積み直しを要する状態となった。天守台を含む城全体の復旧は2020年の天守閣完了から現在も継続中で、全体完了は2052年まで延伸されている。二の丸広場は現在も復旧工事が行われており、立入制限区域が存在する。

水前寺成趣園
熊本県 熊本市中央区·神域・霊場

水前寺成趣園

水前寺成趣園は、肥後熊本藩初代藩主・細川忠利が1636年に創建した御茶屋に由来する。その後、三代・細川綱利の時代の1670~1671年に大規模な庭園造営が行われ、現在の姿がほぼ確立された。陶淵明の詩『帰去来辞』の一節「園日渉以成趣」に名を由来し、東海道五十三次を模した造形と、阿蘇の伏流水が豊かに湧き出す泉水が特徴である。庭園は回遊式で、約7万3000平方メートルの広さを持つ。 明治初期、藩政廃止後の転機に旧藩士らが園内に出水神社を創建し、庭園は社地として新しい管理体制に移行した。以来、毎年8月の薪能と春秋の例大祭で流鏑馬が催される文化拠点となり、1929年に国の名勝および史跡に指定された。 ネット上では、閉園後の薄暮時に池の水面に人影のような輪郭が映って見えるという書き込みや、参道で衣擦れのような音を聞いたという声が散見される。これらは、史跡としての重層的な時間層と、水と緑に包まれた空間が生む暗示的な知覚作用に基づくものと考えられる。

金峰山
熊本県 熊本市西区·山道・峠

金峰山

金峰山は熊本市西区にそびえる標高665メートルの複成火山で、一ノ岳を中心にいくつかの外輪山を連ねる山塊の総称である。古くは飽田山と呼ばれていたが、奈良・吉野山の金峯山蔵王権現を勧請したことから現在の名に改められたと伝わる。山中には宮本武蔵が『五輪書』を著したとされる霊巌洞や雲巌禅寺、拝ケ石巨石群などの史跡が点在し、山頂展望台からは有明海や熊本市街を見渡せる観光地としても知られる。一方でこの山には、かつて年老いた者を山中に置いていく風習があったとする伝承があり、この記憶が心霊譚の土台になっているとされる。夜間に山道を車やバイクで走ると、ヘッドライトを灯さないまま背後から迫ってくる首のない乗り手の目撃が繰り返し語られ、木陰から老婆の姿をした霊がじっと見つめてくるという話も伝わる。山頂へ向かう道では、鎌を手に猛烈な速さで追いかけてくる「きんかんばばあ」という異形の存在の噂も広まっている。撮影した写真に無数の白い影が写り込むとの報告もあり、これらは山に捨てられた老人たちの無念が形となったものと解釈されてきた。

旧佐敷トンネル(旧佐敷隧道)
熊本県 芦北町·隧道・トンネル

旧佐敷トンネル(旧佐敷隧道)

旧佐敷隧道は明治36年(1903年)、薩摩街道の難所として知られた佐敷太郎峠に開通した煉瓦造りのトンネルである。全長は430メートル余りで、設計には外国人技師が関わり、建設費には日清戦争の賠償金が用いられたと伝わる。徳島から移り住んだ瓦職人がレンガを製造したという逸話も残り、2002年には登録有形文化財に指定された。1965年に新トンネルが開通した後は自動車の通行が減り、静かな旧道として残されている。 この隧道が心霊スポットとして注目されるようになった背景には、手掘りで進められた明治期の難工事にまつわる噂がある。工事中に落盤事故で複数の犠牲者が出たとする話が語られる一方、それを裏付ける記録は見当たらない。坑口付近には江戸期の建立を示す銘のある地蔵や小さな祠が複数残されており、これらが事故の犠牲者を慰霊する目的で建てられたのではないかという見方もある。 2019年には肝試しで訪れた若者が何かに足を引っ張られる様子を撮った動画が拡散し、全国的な知名度を得て熊本三大心霊スポットの一つに数えられるようになった。トンネル内では人影が壁の中に消えたとする目撃談や、同行者の一人が姿を消したという話も伝えられている。

赤田池(赤田橋)
熊本県 荒尾市·水辺

赤田池(赤田橋)

熊本県荒尾市の赤田公園内にある赤田池は、江戸時代初期の1611年頃に加藤清正の家臣によって農業用のため池として築かれたとされる。池の中央には中の島があり、赤く塗られた吊り橋「赤田橋」で対岸と結ばれている。中の島の南側には横穴式石室の古墳が二基あったとされ、貯水開始によって水没したとの言及がある。かつては貸しボートや売店を備えた行楽地として賑わったが、近年は訪れる人が少なくなり、小島の商店の建物も営業をやめたまま残されている。周辺には2000年前後に相次いで閉業した宿泊施設や観光梨園の廃墟が残り、一部は解体・転用されずに壁が崩れた姿をとどめている。こうした一帯の寂れた雰囲気が、池の不気味さを増しているとの指摘もある。心霊の噂としては、赤田橋を渡る際に背後から誰かがついてくる気配がする、水面に顔だけが浮かび上がる、白い手が伸びて手招きをする、橋の上に女性の姿が見えるといった話が複数のサイトで共通して伝えられている。橋を叩くような音が響く、水面が急に激しくざわつくといった現象を加えて紹介する例もある。池での溺死や自殺に関する話も紹介されるが、具体的な記録は確認されていない。地元の声として、かつて子供が水の事故で亡くなったとの話や、池の周辺一帯で心霊体験が多いとの証言が紹介されることもある。ネット上のまとめサイトや動画投稿でも同様の噂が繰り返し取り上げられており、小島の建物には今も人が住んでいるとの噂も囁かれている。

阿蘇山中岳火口
熊本県 阿蘇市·山道・峠

阿蘇山中岳火口

熊本県阿蘇市と阿蘇郡南阿蘇村にまたがる阿蘇山は、東西18キロメートル、南北25キロメートル、周囲約120キロメートルに及ぶ世界最大級のカルデラ地形である。カルデラ内の中央部に5つの火口丘(高岳、中岳、根子岳、烏帽子岳、杵島岳)が連なり、そのうち中岳(標高1,506メートル)が現在の活火山で、火山学的観測と防災管理が常時続けられている。 阿蘇火山の活動史は古く、最も古い大規模噴火は約27万年前に始まる。現在の中岳第一火口は中世から記録に残る活発な活動を続けており、九州の歴史と密接に結びついた火山である。明治期以降、気象庁および地元自治体の継続観測により、噴火活動と災害履歴が体系的に記録されてきた。 観光地としての中岳火口は、1958年(昭和33年)の阿蘇登山道路(阿蘇パノラマライン)と阿蘇山ロープウェー開通以降、年間100万人を超える観光客が訪れる火口見学スポットに発展した。火口縁から立ち上る噴煙と、火口湖の青緑色の様子は、世界的にも珍しい活火山の観察体験として知られる。 一方で中岳の噴火活動は度々観光客を巻き込む災害を引き起こしてきた。気象庁の災害記録によれば、1953年4月(修学旅行生など6名死亡)、1958年6月(12名死亡)、1979年9月(3名死亡)、そして近年では2014年から2015年にかけてマグマ噴火が発生し、火口周辺立入規制が長期化した。 気象庁は阿蘇火山に対し噴火警戒レベル制度を運用しており、レベル1(活火山であることに留意)からレベル5(避難)まで段階的に設定される。レベル2以上では火口周辺1キロメートルまたは2キロメートル範囲が立入禁止となり、ロープウェー山頂駅も閉鎖される。訪問前には必ず気象庁の阿蘇山火山情報と阿蘇火山防災会議協議会の最新情報を確認する必要がある。 2016年4月の熊本地震では阿蘇山ロープウェーが甚大な被害を受け、その後は阿蘇山公園道路(草千里方面から火口へ向かう自動車道)が観光のメインアクセスとなっている。火山ガス(二酸化硫黄)の濃度が高い日や、ぜんそく等の呼吸器疾患のある来訪者には、火口立入を控えるよう案内が出る。

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