鳥取県の心霊スポットランキング・一覧

13 スポット5 カテゴリ

日本海に面し中国山地を背負う鳥取県は、神話と砂と海風が交わる県である。風紋うねる広大な鳥取砂丘の彼方、出雲神話に連なる八岐大蛇伝承を残す山々、戦国期の鳥取城渇え殺し——羽柴秀吉の苛烈な兵糧攻めで人肉まで食らったという凄惨な落城の記憶、そして霊峰・大山の修験信仰が抱える深い霊気を、山陰の冷たい風が今も運んでくる。

RANKING

最恐ランキング TOP10

どれだけ調べられているかを示す注目度指標。スポット名で直接検索された回数に近い。

鳥取砂丘 砂丘会館廃墟
1

鳥取砂丘 砂丘会館廃墟

鳥取市·69 views
鳥取城跡
2

鳥取城跡

鳥取市·46 views
三徳山三佛寺投入堂
3

三徳山三佛寺投入堂

東伯郡三朝町·34 views
4

若桜町の鬼伝説の洞窟

鳥取県八頭郡若桜町は、因幡街道の宿場町として江戸時代に栄えた山あいの集落である。町を見守る鶴尾山には戦国期の若桜鬼ヶ城跡が位置し、この城と その周辺の地名に「鬼」という呼称が使われてきた。城郭や山域の「鬼」という呼び方は、古くから山間部に対する畏敬の念と、統治者が権力を示す象徴として機能していたと考えられる。 町を囲む山地には自然洞窟が複数存在し、これらは危険な地形として認識されてきた。オンライン上では、山道途中の洞窟を訪問した者による体験談が散見され、頭痛や不安感を報告する声も存在する。こうした報告の背景には、洞窟内外の温度差、暗がりによる心理的作用、あるいは音響現象が関係している可能性がある。 一方で若桜町では、鬼に関わる伝承は子どもに山の厳しさを教える教訓として受け継がれ、節分行事などで鬼を迎え鎮める作法も行われている。この地の「鬼」は単なる恐怖対象ではなく、自然と共生する文化的記憶の一部として位置づけられている。

八頭郡若桜町·28 views
5

船上山

鳥取県東伯郡琴浦町にある標高687メートルの山。1333年、隠岐を脱出した後醍醐天皇を名和長年が迎え入れ、鎌倉幕府軍との間で船上山の戦いが繰り広げられた古戦場である。幕府軍は夕刻に発生した暴風雨による混乱のなかで名和軍の襲撃を受け、多数の兵が断崖から転落したとされる。山上には後醍醐天皇の行宮跡や船上神社があり、麓には県立船上山少年自然の家が設けられている。この一帯では、甲冑姿の武士の霊や生首が霧の中に浮かぶという噂が古くから伝わる。登山道を外れた斜面から足音が聞こえたという証言や、山中で佇む人影に声をかけても返事がなく霧の中に消えたという証言も伝えられている。少年自然の家では夜間に木々の間に苦悶の表情を浮かべた落ち武者の生首が浮かんで見えたという話があり、霊感の強い人ほど目撃しやすいとも言われる。館内には近づいてはいけないとされる一室があり、以前は御札が貼られていたとの情報や、深夜に低い話し声やドアを叩くような音が聞こえるという報告もある。学校行事で宿泊した際に夜中に太鼓や笛の音を耳にしたという証言も残るが、同じ部屋にいても聞こえた者と聞こえなかった者がいたとされる。こうした噂は複数の心霊スポット紹介サイトで繰り返し取り上げられており、鳥取県内でも古くから知られる心霊スポットの一つとなっている。

東伯郡琴浦町·26 views
6

大山町の大山山麓の怪

中国地方最高峰として知られる霊峰・大山の山麓には、古来より修験道の修行場とされてきた登山道や宿坊跡が点在し、その一部の山道が夜明け前に「歩く者がいる」と語られる心霊スポットとして地元で知られている。大山寺の歴史と結びついて、修行僧の足跡が今なお残っているという伝承が、山麓の集落で語り継がれてきた。 体験談として繰り返し寄せられているのは、白装束のような人影が夜明け前の山道を静かに登っていくのを目撃したというものである。声をかけても振り返らない、十数歩進んだ先で煙のように消えてしまった、明らかに歩幅と速度が現実の登山者と異なっていた、といった具体的な描写を伴う書き込みが多い。雲海に半身が浸る位置を、白く揺らぐ何かが登っていったという目撃報告もあり、修行僧という解釈が現象に名を与えてきた。 大山の山麓は霧と雲が湧きやすい気象条件にあり、視界の不安定さがパレイドリア現象を起こしやすい場所であることは知られている。同時に、信仰の場として千年以上にわたり多くの人が祈りを重ねてきた土地でもあり、現象の解釈は信仰と気象の双方の文脈で語られる。 大山は国立公園に指定されており、登山道や信仰の道は地域住民・登山者・参拝者が現在も共有する場である。心霊目的の深夜入山は遭難・滑落の危険が極めて高く、装備のないまま夜間に山に入る行為は厳に控えるべきである。夜明け前の独特の空気を体験したい場合も、必ず登山届を出し、複数人で日中に行動すること。

西伯郡大山町·22 views
7

人形峠

鳥取県三朝町と岡山県鏡野町の境にある人形峠は、江戸時代には打札越と呼ばれた峠道の一つだった。峠の名は、旅人を襲っていた巨大な蜘蛛を、木地師が作った人形を囮にして退治したという伝説に由来するとされる。地誌『伯耆民談記』にはこの蜘蛛退治の話が記されており、別の記録では僧の助言を受けた村人が人形を建てて蜂の害を退治したとする異伝も残る。さらに濃い霧の中で母と娘が離れ離れになり、霧が晴れた後には娘の姿はなく、女の子によく似た人形だけが残されていたという伝えもある。1955年にはこの一帯でウラン鉱床が発見され、峠の名は現在の「人形峠」に定着し、日本初の濃縮ウラン製造にも用いられるウラン鉱山として開発が進められた。採掘は採算の悪化により2001年に終了し、現在は日本原子力研究開発機構が引き継いで放射性廃棄物の処理技術に関する研究施設として管理しており、旧坑道の一部は見学の対象になっている。1981年には人形トンネルが開通し、旧道の通行は少なくなっている。こうした歴史を背景に、旧道では全身がずぶ濡れで顔が潰れた女性の姿を見たという噂や、周囲に人家のない山中で赤子の泣き声が響くという話、持ち主のいない小さな靴だけがことこと歩く音を聞いたという噂が伝えられている。動画投稿サイトやブログでは同様の目撃談が繰り返し紹介され、心霊スポットとして取り上げる読み物も存在する。

三朝町·21 views
8

旧青の洞窟

鳥取砂丘の海岸線に形成された小さな海蝕洞穴は、岩盤が波浪に侵食されて生じた自然の空洞で、洞内に差し込む光の屈折が青く見える現象から「青の洞窟」と呼ばれるようになった場所である。砂丘と海の交界に位置するこの地形は、浸食の進行に伴って構造が不安定化し、訪問者の立ち入りによる崩落の危険が高まったことから、安全対策として立入禁止措置が取られた経緯を持つ。現在は柵越しの遠望のみが可能となり、海岸線の動的な変化と自然の力を学ぶ教材的な場所として、鳥取砂丘の一部として認識されている。

鳥取市·18 views
9

多鯰ヶ池

多鯰ヶ池は鳥取砂丘の南に隣接し、周囲約3.4キロ、最深部15メートルを超える中国地方屈指の深さを持つ池である。池の北岸には弁天宮が祀られ、白蛇に姿を変えた娘「お種」の伝説が伝わる。長者に雇われたお種という娘が、ある時から使用人にどこからか手に入れた甘い柿を振る舞うようになったが、不思議に思った使用人が後をつけたところ、池の畔で着物を脱いで白蛇に変身する姿を目撃されてしまい、それ以降屋敷に姿を見せなくなったという物語である。一方で、明治後期にこの地に置かれた歩兵第四十連隊が池周辺で軍事訓練を行っていたとされ、訓練中に複数の兵士が溺死する事故が起きたという噂も広まっている。この事故譚と結びつく形で、一人で池を訪れると水中から手を引かれるように感じる、耳元で複数の声が聞こえる、大きな白蛇の抜け殻が見つかったなど、さまざまな体験が伝えられている。ただし軍事訓練中の集団溺死事故を裏付ける記録は確認されておらず、真偽は不明とされる。

鳥取市·16 views
10

花見潟墓地

花見潟墓地は鳥取県琴浦町の海岸沿いに広がる自然発生型の墓地で、東西約350メートルにわたり約2万基の墓石が並ぶ、海に面した墓地としては西日本最大級の規模を持つ。起源は明確でないが中世後期以降に形成されたとみられ、地域の人々によって維持管理されてきたと考えられている。敷地内には鎌倉時代末期の石造宝塔「赤碕塔」があり、平安期の陰陽師・安倍晴明と蘆屋道満の供養塔と伝わる。元禄7年(1694)の地誌「伯陽六社道乃記」に「晴明たうまん」、安永2年(1772)の「伯路記」にも「安倍道満晴明ノ墓アリ」と記され、江戸期から同じ伝承が繰り返し記録されてきたことがうかがえる。1891年には新婚旅行中に琴浦町を訪れていた作家・小泉八雲がこの墓地に立ち寄り、著作の中で人力車で墓石の間を抜けるのに15分ほどかかったと述べ、「霊気を感じた」との印象を記している。心霊スポットとしては、丑三つ時にこの墓地を訪れると、何かを探す様子の老婆の霊に遭遇し、その後よくないことが起こるという噂が知られている。具体的な被害の記録や噂の発生時期は確認されていない。現在も盆の時期には迎え火が灯される風習が続き、コロナ禍で参拝者が減った年にもこの行事は続けられたと報じられており、テレビ番組で紹介されるなど観光地としての側面も併せ持つ。

東伯郡琴浦町·16 views

すべてのスポット

人形峠
鳥取県 三朝町·山道・峠

人形峠

鳥取県三朝町と岡山県鏡野町の境にある人形峠は、江戸時代には打札越と呼ばれた峠道の一つだった。峠の名は、旅人を襲っていた巨大な蜘蛛を、木地師が作った人形を囮にして退治したという伝説に由来するとされる。地誌『伯耆民談記』にはこの蜘蛛退治の話が記されており、別の記録では僧の助言を受けた村人が人形を建てて蜂の害を退治したとする異伝も残る。さらに濃い霧の中で母と娘が離れ離れになり、霧が晴れた後には娘の姿はなく、女の子によく似た人形だけが残されていたという伝えもある。1955年にはこの一帯でウラン鉱床が発見され、峠の名は現在の「人形峠」に定着し、日本初の濃縮ウラン製造にも用いられるウラン鉱山として開発が進められた。採掘は採算の悪化により2001年に終了し、現在は日本原子力研究開発機構が引き継いで放射性廃棄物の処理技術に関する研究施設として管理しており、旧坑道の一部は見学の対象になっている。1981年には人形トンネルが開通し、旧道の通行は少なくなっている。こうした歴史を背景に、旧道では全身がずぶ濡れで顔が潰れた女性の姿を見たという噂や、周囲に人家のない山中で赤子の泣き声が響くという話、持ち主のいない小さな靴だけがことこと歩く音を聞いたという噂が伝えられている。動画投稿サイトやブログでは同様の目撃談が繰り返し紹介され、心霊スポットとして取り上げる読み物も存在する。

若桜町の鬼伝説の洞窟
鳥取県 八頭郡若桜町·山道・峠

若桜町の鬼伝説の洞窟

鳥取県八頭郡若桜町は、因幡街道の宿場町として江戸時代に栄えた山あいの集落である。町を見守る鶴尾山には戦国期の若桜鬼ヶ城跡が位置し、この城と その周辺の地名に「鬼」という呼称が使われてきた。城郭や山域の「鬼」という呼び方は、古くから山間部に対する畏敬の念と、統治者が権力を示す象徴として機能していたと考えられる。 町を囲む山地には自然洞窟が複数存在し、これらは危険な地形として認識されてきた。オンライン上では、山道途中の洞窟を訪問した者による体験談が散見され、頭痛や不安感を報告する声も存在する。こうした報告の背景には、洞窟内外の温度差、暗がりによる心理的作用、あるいは音響現象が関係している可能性がある。 一方で若桜町では、鬼に関わる伝承は子どもに山の厳しさを教える教訓として受け継がれ、節分行事などで鬼を迎え鎮める作法も行われている。この地の「鬼」は単なる恐怖対象ではなく、自然と共生する文化的記憶の一部として位置づけられている。

三徳山三佛寺投入堂
鳥取県 東伯郡三朝町·神域・霊場

三徳山三佛寺投入堂

鳥取県東伯郡三朝町三徳に位置する三徳山三佛寺(みとくさん さんぶつじ)は、慶雲3年(706年)に役行者によって開かれたと伝わる天台宗の山岳寺院である。同寺の奥院・蔵王堂は三徳山の中腹、標高約470メートルの断崖の窪みに張り出すように建てられた懸造(かけづくり)建築で、通称「投入堂(なげいれどう)」と呼ばれる国宝建造物である。 投入堂の名は、役行者が法力で堂をそのまま岩窟に投げ入れたという伝承に由来する。実際の建立年代は、平安後期から鎌倉初期(11世紀末から12世紀初頭)と推定されており、解体修理時の年輪年代測定によって学術的に確認されている。日本に現存する建築物のなかで、これほど人を寄せ付けない場所に建てられた仏堂は他に例がなく、建築史上もきわめて稀有な存在として評価が定まっている。 参拝路は本堂の裏手から始まる。鎖を頼りに垂直に近い岩肌を登り、根上がりした樹根を伝い、文殊堂・地蔵堂・観音堂など複数の懸造の堂を経て、最後に投入堂の真下に立つ。所要時間は片道約1時間、難所が連続するため、寺院側は単独入山を禁止し、二人以上での入峰登拝を厳格に求めている。雨天・降雪・路面凍結時は入山禁止。 入峰登拝の前には本堂で輪袈裟を受け、装備の安全確認を受ける必要がある。靴底の溝が摩耗している場合は寺貸し出しの草鞋に履き替える規則がある。これらの安全管理は1,300年の修験道の伝統と、現代の安全基準を両立させるための取り組みとして整備されてきた。 国の重要文化財に指定された堂宇は本堂を含めて複数あり、奥院(投入堂)は1952年に国宝指定。三徳山全山は2015年、「日本遺産」第1号認定の構成資産のひとつとなった。 アクセスはJR山陰本線倉吉駅からバスで約40分、または車で米子自動車道湯原ICから約50分。冬季は積雪のため参詣道が長期間閉鎖される。最新の入山可否は三佛寺公式サイトと三朝町観光協会の情報を確認するのが推奨される。

船上山
鳥取県 東伯郡琴浦町·山道・峠

船上山

鳥取県東伯郡琴浦町にある標高687メートルの山。1333年、隠岐を脱出した後醍醐天皇を名和長年が迎え入れ、鎌倉幕府軍との間で船上山の戦いが繰り広げられた古戦場である。幕府軍は夕刻に発生した暴風雨による混乱のなかで名和軍の襲撃を受け、多数の兵が断崖から転落したとされる。山上には後醍醐天皇の行宮跡や船上神社があり、麓には県立船上山少年自然の家が設けられている。この一帯では、甲冑姿の武士の霊や生首が霧の中に浮かぶという噂が古くから伝わる。登山道を外れた斜面から足音が聞こえたという証言や、山中で佇む人影に声をかけても返事がなく霧の中に消えたという証言も伝えられている。少年自然の家では夜間に木々の間に苦悶の表情を浮かべた落ち武者の生首が浮かんで見えたという話があり、霊感の強い人ほど目撃しやすいとも言われる。館内には近づいてはいけないとされる一室があり、以前は御札が貼られていたとの情報や、深夜に低い話し声やドアを叩くような音が聞こえるという報告もある。学校行事で宿泊した際に夜中に太鼓や笛の音を耳にしたという証言も残るが、同じ部屋にいても聞こえた者と聞こえなかった者がいたとされる。こうした噂は複数の心霊スポット紹介サイトで繰り返し取り上げられており、鳥取県内でも古くから知られる心霊スポットの一つとなっている。

花見潟墓地
鳥取県 東伯郡琴浦町·神域・霊場

花見潟墓地

花見潟墓地は鳥取県琴浦町の海岸沿いに広がる自然発生型の墓地で、東西約350メートルにわたり約2万基の墓石が並ぶ、海に面した墓地としては西日本最大級の規模を持つ。起源は明確でないが中世後期以降に形成されたとみられ、地域の人々によって維持管理されてきたと考えられている。敷地内には鎌倉時代末期の石造宝塔「赤碕塔」があり、平安期の陰陽師・安倍晴明と蘆屋道満の供養塔と伝わる。元禄7年(1694)の地誌「伯陽六社道乃記」に「晴明たうまん」、安永2年(1772)の「伯路記」にも「安倍道満晴明ノ墓アリ」と記され、江戸期から同じ伝承が繰り返し記録されてきたことがうかがえる。1891年には新婚旅行中に琴浦町を訪れていた作家・小泉八雲がこの墓地に立ち寄り、著作の中で人力車で墓石の間を抜けるのに15分ほどかかったと述べ、「霊気を感じた」との印象を記している。心霊スポットとしては、丑三つ時にこの墓地を訪れると、何かを探す様子の老婆の霊に遭遇し、その後よくないことが起こるという噂が知られている。具体的な被害の記録や噂の発生時期は確認されていない。現在も盆の時期には迎え火が灯される風習が続き、コロナ禍で参拝者が減った年にもこの行事は続けられたと報じられており、テレビ番組で紹介されるなど観光地としての側面も併せ持つ。

鳥取県 米子市·公園・城址

米子城跡

米子城跡は鳥取県米子市の湊山にある城跡で、文明2年(1470年)に山名氏が築城したとされる。戦国時代の永禄12年(1569年)には、尼子氏再興を目指す動きに関わった城主・山名之玄が毛利方の吉川元春に攻められて落城し、自害したと伝わる。江戸時代初頭には吉川広家、続いて中村一忠が城を完成させて米子藩の藩庁となったが、明治4年(1871年)の廃城令により取り壊された。現在は湊山公園として整備され、国指定史跡になっている。この城には築城時、石垣の工事が大雨で何度も崩れて難航したため、盆踊りの輪の中から若い娘「お久米」が連れ去られ、人柱として石垣に埋められたとの言い伝えがある。以来、天守跡付近では白い着物姿の女性の姿が目撃されたり、近づくと消え去る間際に「助けて」と囁く声が聞かれるという話が伝わっている。また落城の際に討ち死にした武者たちの霊とされる甲冑姿の行列や、進軍時の足音・甲冑の音が夜間に響くとの噂も語られている。

大山町の大山山麓の怪
鳥取県 西伯郡大山町·山道・峠

大山町の大山山麓の怪

中国地方最高峰として知られる霊峰・大山の山麓には、古来より修験道の修行場とされてきた登山道や宿坊跡が点在し、その一部の山道が夜明け前に「歩く者がいる」と語られる心霊スポットとして地元で知られている。大山寺の歴史と結びついて、修行僧の足跡が今なお残っているという伝承が、山麓の集落で語り継がれてきた。 体験談として繰り返し寄せられているのは、白装束のような人影が夜明け前の山道を静かに登っていくのを目撃したというものである。声をかけても振り返らない、十数歩進んだ先で煙のように消えてしまった、明らかに歩幅と速度が現実の登山者と異なっていた、といった具体的な描写を伴う書き込みが多い。雲海に半身が浸る位置を、白く揺らぐ何かが登っていったという目撃報告もあり、修行僧という解釈が現象に名を与えてきた。 大山の山麓は霧と雲が湧きやすい気象条件にあり、視界の不安定さがパレイドリア現象を起こしやすい場所であることは知られている。同時に、信仰の場として千年以上にわたり多くの人が祈りを重ねてきた土地でもあり、現象の解釈は信仰と気象の双方の文脈で語られる。 大山は国立公園に指定されており、登山道や信仰の道は地域住民・登山者・参拝者が現在も共有する場である。心霊目的の深夜入山は遭難・滑落の危険が極めて高く、装備のないまま夜間に山に入る行為は厳に控えるべきである。夜明け前の独特の空気を体験したい場合も、必ず登山届を出し、複数人で日中に行動すること。

鳥取県 西伯郡大山町·水辺

赤松の池

鳥取県西伯郡大山町大山赤松にある赤松の池は、大山の湧水を集めた池で、干ばつの年でも水が涸れないとされ、古くから水神・龍神を祀る場として知られる。池畔に建つ赤松池神社に伝わるのは、松江藩に仕えた家老が子を望んで祈願し授かった娘「お初」の物語である。お初は藩主に嫁ぐことになった際、その前に池を訪れて髪をすいたところ髪が見る間に伸び、池の中心へ引き込まれるように沈んだという。驚いた家来が呼びかけると、腰から下が大蛇の姿となった娘が現れ、自らこの池に棲む大蛇であったことを明かし、祈る者に幸福を授けると告げて水中に消えたと伝えられる。以来、池は龍神信仰の対象となり、雨乞いの祈願で遠方からも参拝者が訪れる。一方でこの伝説とは別に、池の周辺で女性の笑い声が聞かれたり、水に濡れた男女の姿が目撃されたという話も語られており、心霊スポットとして紹介されることがある。

鳥取砂丘 砂丘会館廃墟
鳥取県 鳥取市·廃墟・残骸

鳥取砂丘 砂丘会館廃墟

鳥取砂丘の西側に立つ円形ドライブイン「砂丘パレス」は、地元企業と阪神電鉄の出資により昭和40年3月に開館し、円形の回転式展望台を備えた観光施設として砂丘全景を眺める絶景ポイントであった。昭和51年に砂丘会館に経営移譲されたのちも、砂丘センターとの立地競争に敗れ、昭和57年から58年にかけて営業を終了した。以来、月明かりに照らされた夜間の廃墟周辺では、砂上に現れて途中で消える足跡や、建物の窓に一瞬立つ人影のような輪郭が目撃されるという報告が続く。砂丘自体は江戸末期から明治初期の埋葬遺骨を含む地層を持ち、2011年には成人男女4体の人骨が発見された。事件性はないとされる一方、この発見以降、夜間に砂中から腕のようなものが現れる、あるいは海辺で足を引かれる感覚があるといった話が付近一帯でささやかれるようになり、廃墟の存在と結び付けられることで観光ブーム期の終焉を象徴する場所として心霊スポット愛好者の関心を集めてきた。もっとも、廃墟をまとめたサイトの中には、こうした心霊の噂を「事実無根」と明確に否定する見解も存在し、噂の真偽については評価が分かれている。現在、建物は資材置き場として管理され、鉄条網で囲われて厳重に立ち入りが制限されているが、外壁と展望台のガラスはおおむね良好な状態を保ったまま、砂に埋もれるように時間の経過を刻み続けている。

旧青の洞窟
鳥取県 鳥取市·廃墟・残骸

旧青の洞窟

鳥取砂丘の海岸線に形成された小さな海蝕洞穴は、岩盤が波浪に侵食されて生じた自然の空洞で、洞内に差し込む光の屈折が青く見える現象から「青の洞窟」と呼ばれるようになった場所である。砂丘と海の交界に位置するこの地形は、浸食の進行に伴って構造が不安定化し、訪問者の立ち入りによる崩落の危険が高まったことから、安全対策として立入禁止措置が取られた経緯を持つ。現在は柵越しの遠望のみが可能となり、海岸線の動的な変化と自然の力を学ぶ教材的な場所として、鳥取砂丘の一部として認識されている。

多鯰ヶ池
鳥取県 鳥取市·水辺

多鯰ヶ池

多鯰ヶ池は鳥取砂丘の南に隣接し、周囲約3.4キロ、最深部15メートルを超える中国地方屈指の深さを持つ池である。池の北岸には弁天宮が祀られ、白蛇に姿を変えた娘「お種」の伝説が伝わる。長者に雇われたお種という娘が、ある時から使用人にどこからか手に入れた甘い柿を振る舞うようになったが、不思議に思った使用人が後をつけたところ、池の畔で着物を脱いで白蛇に変身する姿を目撃されてしまい、それ以降屋敷に姿を見せなくなったという物語である。一方で、明治後期にこの地に置かれた歩兵第四十連隊が池周辺で軍事訓練を行っていたとされ、訓練中に複数の兵士が溺死する事故が起きたという噂も広まっている。この事故譚と結びつく形で、一人で池を訪れると水中から手を引かれるように感じる、耳元で複数の声が聞こえる、大きな白蛇の抜け殻が見つかったなど、さまざまな体験が伝えられている。ただし軍事訓練中の集団溺死事故を裏付ける記録は確認されておらず、真偽は不明とされる。

鳥取城跡
鳥取県 鳥取市·公園・城址

鳥取城跡

鳥取市の中心部、久松山にそびえる戦国の城跡。1581年(天正9年)、織田信長の命を受けた羽柴秀吉がこの城を兵糧攻めにした「鳥取の渇え殺し(かつえごろし)」は、日本の戦史でも屈指の凄惨な籠城戦として知られる。秀吉は周辺の米をあらかじめ高値で買い占めたうえで城を包囲し、四か月近くにわたって食料を断った。城内では草木や牛馬を食い尽くして餓死者が続出し、ついには人の肉さえ口にしたと伝えられ、城主・吉川経家は将兵の助命と引き換えに自刃した。この壮絶な籠城戦はのちに講談や小説でも語り継がれ、「日本三大山城」のひとつに数えられる名城でありながら、飢餓の記憶がつきまとう場所として畏れを集めてきた。 本丸跡や二ノ丸の石垣をめぐる山道では、夕暮れ以降に苦しげなうめき声が聞こえた、誰もいないのに袖を引かれた、石垣の陰に痩せ衰えた人影を見た、といった体験談が語り継がれてきた。あまりに多くの人が飢えと絶望のなかで命を落とした地ゆえに、いまも独特の重い空気が漂うと言われる。とりわけ城が落ちた頃にあたる季節には、参拝者が言葉を失うほどの静けさに包まれるという。 城跡は国の史跡として整備され、地元では籠城戦で亡くなった人々への鎮魂が長く受け継がれてきた。 久松山は山城跡のため山道が険しく、石垣や崖が多い。日没後は足元が見えず滑落の危険が高い。見学は必ず日中に行い、石垣や遺構を傷つけず、飢えのなかで亡くなった人々への敬意をもって静かに歩くこと。

雨滝
鳥取県 鳥取市·水辺

雨滝

雨滝は鳥取市国府町、扇ノ山を源とする袋川上流にある落差40メートルの滝で、日本の滝百選に選ばれている。古くから不動明王を祀る修行の場とされ、滝行や唱名によって精神の平安や病の平癒を願う信仰が続いてきた地でもある。渓谷には大小四十八の滝が連なり「雨滝四十八滝」と呼ばれ、周辺は今も滝開き祭などの神事が営まれる霊場としての性格を保っている。 一方でこの滝は、心霊スポットとしても取り上げられることがある。遊歩道や滝壷付近で白い服をまとった女性の姿を見たという報告や、撮影した写真に人の顔や影のようなものが写り込んだという話が複数のサイトで紹介されている。2006年には、滝に近い山中で行方不明になっていた女性の遺体が発見される事件があった。この出来事の後から、周辺で泣き声やうめき声のような音が聞こえる、足がすくんで動けなくなるといった体験談が伝えられるようになったという(具体的な体験内容は紹介サイトによって表現の差があり、事件と結びつけた後づけの解釈である可能性も指摘されている)。

市区町村から探す