鳥取県の心霊スポット ランキング TOP10

鳥取県にある心霊スポットを 閲覧数恐怖度(怖い率)・体験談数 の 3 軸で順位化しています。 一覧ではなく順位推移を見たいときに使ってください。

どれだけ調べられているかを示す注目度指標。スポット名で直接検索された回数に近い。

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鳥取砂丘 砂丘会館廃墟

鳥取砂丘の西側に立つ円形ドライブイン「砂丘パレス」は、昭和40年の開業当初、回転式展望台を備えた観光施設として砂丘全景を眺める絶景ポイントであった。昭和51年に砂丘会館に経営移譲されたのちも、砂丘センターとの立地競争に敗れ、昭和57年から58年にかけて営業を終了。以来、月明かりに照らされた夜間の廃墟周辺では、砂上に現れて途中で消える足跡や、建物の窓に一瞬立つ人影のような輪郭が目撃されるという報告が続く。砂丘自体は江戸末期から明治初期の埋葬遺骨を含む地層を持ち、2011年には成人男女の人骨が発見されており、これらの歴史的背景と廃墟の存在が関連付けられることで、観光ブーム期の終焉を象徴する廃墟として心霊スポット愛好者の関心を集めてきた。現在、建物は資材置き場として管理されているが、外壁と展望台のガラスはおおむね良好な状態を保ったまま、砂に埋もれるように時間の経過を刻み続けている。

鳥取市·30 views
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鳥取城跡

鳥取市の中心部、久松山にそびえる戦国の城跡。1581年(天正9年)、織田信長の命を受けた羽柴秀吉がこの城を兵糧攻めにした「鳥取の渇え殺し(かつえごろし)」は、日本の戦史でも屈指の凄惨な籠城戦として知られる。秀吉は周辺の米をあらかじめ高値で買い占めたうえで城を包囲し、四か月近くにわたって食料を断った。城内では草木や牛馬を食い尽くして餓死者が続出し、ついには人の肉さえ口にしたと伝えられ、城主・吉川経家は将兵の助命と引き換えに自刃した。この壮絶な籠城戦はのちに講談や小説でも語り継がれ、「日本三大山城」のひとつに数えられる名城でありながら、飢餓の記憶がつきまとう場所として畏れを集めてきた。 本丸跡や二ノ丸の石垣をめぐる山道では、夕暮れ以降に苦しげなうめき声が聞こえた、誰もいないのに袖を引かれた、石垣の陰に痩せ衰えた人影を見た、といった体験談が語り継がれてきた。あまりに多くの人が飢えと絶望のなかで命を落とした地ゆえに、いまも独特の重い空気が漂うと言われる。とりわけ城が落ちた頃にあたる季節には、参拝者が言葉を失うほどの静けさに包まれるという。 城跡は国の史跡として整備され、地元では籠城戦で亡くなった人々への鎮魂が長く受け継がれてきた。 久松山は山城跡のため山道が険しく、石垣や崖が多い。日没後は足元が見えず滑落の危険が高い。見学は必ず日中に行い、石垣や遺構を傷つけず、飢えのなかで亡くなった人々への敬意をもって静かに歩くこと。

鳥取市·18 views
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若桜町の鬼伝説の洞窟

鳥取県八頭郡若桜町は、因幡街道の宿場町として江戸時代に栄えた山あいの集落である。町を見守る鶴尾山には戦国期の若桜鬼ヶ城跡が位置し、この城と その周辺の地名に「鬼」という呼称が使われてきた。城郭や山域の「鬼」という呼び方は、古くから山間部に対する畏敬の念と、統治者が権力を示す象徴として機能していたと考えられる。 町を囲む山地には自然洞窟が複数存在し、これらは危険な地形として認識されてきた。オンライン上では、山道途中の洞窟を訪問した者による体験談が散見され、頭痛や不安感を報告する声も存在する。こうした報告の背景には、洞窟内外の温度差、暗がりによる心理的作用、あるいは音響現象が関係している可能性がある。 一方で若桜町では、鬼に関わる伝承は子どもに山の厳しさを教える教訓として受け継がれ、節分行事などで鬼を迎え鎮める作法も行われている。この地の「鬼」は単なる恐怖対象ではなく、自然と共生する文化的記憶の一部として位置づけられている。

八頭郡若桜町·10 views
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旧青の洞窟

鳥取砂丘の海岸線に形成された小さな海蝕洞穴は、岩盤が波浪に侵食されて生じた自然の空洞で、洞内に差し込む光の屈折が青く見える現象から「青の洞窟」と呼ばれるようになった場所である。砂丘と海の交界に位置するこの地形は、浸食の進行に伴って構造が不安定化し、訪問者の立ち入りによる崩落の危険が高まったことから、安全対策として立入禁止措置が取られた経緯を持つ。現在は柵越しの遠望のみが可能となり、海岸線の動的な変化と自然の力を学ぶ教材的な場所として、鳥取砂丘の一部として認識されている。

鳥取市·9 views
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大山町の大山山麓の怪

中国地方最高峰として知られる霊峰・大山の山麓には、古来より修験道の修行場とされてきた登山道や宿坊跡が点在し、その一部の山道が夜明け前に「歩く者がいる」と語られる心霊スポットとして地元で知られている。大山寺の歴史と結びついて、修行僧の足跡が今なお残っているという伝承が、山麓の集落で語り継がれてきた。 体験談として繰り返し寄せられているのは、白装束のような人影が夜明け前の山道を静かに登っていくのを目撃したというものである。声をかけても振り返らない、十数歩進んだ先で煙のように消えてしまった、明らかに歩幅と速度が現実の登山者と異なっていた、といった具体的な描写を伴う書き込みが多い。雲海に半身が浸る位置を、白く揺らぐ何かが登っていったという目撃報告もあり、修行僧という解釈が現象に名を与えてきた。 大山の山麓は霧と雲が湧きやすい気象条件にあり、視界の不安定さがパレイドリア現象を起こしやすい場所であることは知られている。同時に、信仰の場として千年以上にわたり多くの人が祈りを重ねてきた土地でもあり、現象の解釈は信仰と気象の双方の文脈で語られる。 大山は国立公園に指定されており、登山道や信仰の道は地域住民・登山者・参拝者が現在も共有する場である。心霊目的の深夜入山は遭難・滑落の危険が極めて高く、装備のないまま夜間に山に入る行為は厳に控えるべきである。夜明け前の独特の空気を体験したい場合も、必ず登山届を出し、複数人で日中に行動すること。

西伯郡大山町·8 views
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三徳山三佛寺投入堂

鳥取県東伯郡三朝町三徳に位置する三徳山三佛寺(みとくさん さんぶつじ)は、慶雲3年(706年)に役行者によって開かれたと伝わる天台宗の山岳寺院である。同寺の奥院・蔵王堂は三徳山の中腹、標高約470メートルの断崖の窪みに張り出すように建てられた懸造(かけづくり)建築で、通称「投入堂(なげいれどう)」と呼ばれる国宝建造物である。 投入堂の名は、役行者が法力で堂をそのまま岩窟に投げ入れたという伝承に由来する。実際の建立年代は、平安後期から鎌倉初期(11世紀末から12世紀初頭)と推定されており、解体修理時の年輪年代測定によって学術的に確認されている。日本に現存する建築物のなかで、これほど人を寄せ付けない場所に建てられた仏堂は他に例がなく、建築史上もきわめて稀有な存在として評価が定まっている。 参拝路は本堂の裏手から始まる。鎖を頼りに垂直に近い岩肌を登り、根上がりした樹根を伝い、文殊堂・地蔵堂・観音堂など複数の懸造の堂を経て、最後に投入堂の真下に立つ。所要時間は片道約1時間、難所が連続するため、寺院側は単独入山を禁止し、二人以上での入峰登拝を厳格に求めている。雨天・降雪・路面凍結時は入山禁止。 入峰登拝の前には本堂で輪袈裟を受け、装備の安全確認を受ける必要がある。靴底の溝が摩耗している場合は寺貸し出しの草鞋に履き替える規則がある。これらの安全管理は1,300年の修験道の伝統と、現代の安全基準を両立させるための取り組みとして整備されてきた。 国の重要文化財に指定された堂宇は本堂を含めて複数あり、奥院(投入堂)は1952年に国宝指定。三徳山全山は2015年、「日本遺産」第1号認定の構成資産のひとつとなった。 アクセスはJR山陰本線倉吉駅からバスで約40分、または車で米子自動車道湯原ICから約50分。冬季は積雪のため参詣道が長期間閉鎖される。最新の入山可否は三佛寺公式サイトと三朝町観光協会の情報を確認するのが推奨される。

東伯郡三朝町·8 views
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南部町の古墳の呪い

鳥取県西伯郡南部町は、山陰地方でも特に古墳の分布が濃い地域として知られ、町内には大小さまざまな古墳群が点在している。考古学的な価値が高い土地である一方、地元では「古墳の石には触れない」「墳丘を勝手にいじってはいけない」という戒めが、土地に住む人々の間で長く守られてきた。古い祟りの話と結びついた心霊スポットとして、町外の人にもひっそりと知られている。 寄せられる体験談で多いのは、墳丘の石を持ち帰った者、土を踏み荒らした者が、その後体調を崩したり原因の特定できない病気に長く悩まされたというものである。家族にまで影響が及んだ、夢に古い装束の人物が立つようになった、と語る訪問者もいる。土地の高齢者の間では、戦前から「墓を粗末にすると祟られる」という言い伝えが繰り返し説かれ、特に石材を動かす行為と祟りが強く結びついた形で語られてきた。 考古学の文脈では古墳は埋葬施設であり、副葬品や石材は被葬者の世界観そのものを形作る要素である。それを乱す行為が忌まれる感覚は、信仰と文化の双方に根ざしたものであり、現象の解釈は宗教的・文化的にも自然である。心霊現象として消費するというより、土地が今も古い秩序のもとにあると感じる人が多い場所である。 南部町の古墳の多くは国・県・町指定の史跡であり、墳丘や石材に触れる、土を持ち出す、無断で発掘する行為はすべて文化財保護法に違反する。心霊目的の訪問でも、決められた見学路を外れて墳丘に立ち入ることは控えること。地元の文化財センターや町の案内所で見学のマナーを確認してから訪れたい。

西伯郡南部町·5 views
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日吉津村の海岸の漂着霊

鳥取県西部の日吉津村は日野川河口に隣接し、日本海に面した砂浜の広がる平坦な地域である。この海岸は山陰地方に特有の冬季北西季節風の影響を受けやすく、寒冷期には沖合の波が極めて荒くなる環境にある。 江戸時代の1703年、元禄16年には日野川の大洪水が発生し、この一帯の集落を流し、住民の多くが離散した。以来、この海岸は水と人の暮らしの接点として、水難の記憶を伝える場所となってきた。 現代も海岸は遊泳禁止に指定されており、離岸流や高波による溺水の危険性が常時存在する。嵐の翌朝に漂着物が打ち上げられることは多く、海と隣り合う村落の宿命として、悲劇的な出来事が何度も繰り返されてきた。こうした自然環境と歴史的記憶が、浜辺に対する畏敬と悼みの感覚を根付かせた。

西伯郡日吉津村·5 views
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花見潟墓地

花見潟墓地は鳥取県琴浦町の海岸沿いに広がる自然発生型の墓地で、東西約350メートルにわたり約2万基の墓石が並ぶ、海に面した墓地としては西日本最大級の規模を持つ。起源は明確でないが中世後期以降に形成されたとみられ、地域の人々によって維持管理されてきたと考えられている。敷地内には鎌倉時代末期の石造宝塔があり、平安期の陰陽師・安倍晴明と蘆屋道満の供養塔と伝わる(江戸期の地誌にも記録が残る)。1891年には作家・小泉八雲がこの地を訪れ、著作の中で「霊気を感じた」との印象を記している。心霊スポットとしては、丑三つ時にこの墓地を訪れると、何かを探す様子の老婆の霊に遭遇し、その後よくないことが起こるという噂が知られている。具体的な被害の記録や噂の発生時期は確認されていない。現在は盆の時期に迎え火が灯される風習が続き、テレビ番組で紹介されるなど観光地としての側面も併せ持つ。

東伯郡琴浦町
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赤松の池

鳥取県西伯郡大山町大山赤松にある赤松の池は、大山の湧水を集めた池で、干ばつの年でも水が涸れないとされ、古くから水神・龍神を祀る場として知られる。池畔に建つ赤松池神社に伝わるのは、松江藩に仕えた家老が子を望んで祈願し授かった娘「お初」の物語である。お初は藩主に嫁ぐことになった際、その前に池を訪れて髪をすいたところ髪が見る間に伸び、池の中心へ引き込まれるように沈んだという。驚いた家来が呼びかけると、腰から下が大蛇の姿となった娘が現れ、自らこの池に棲む大蛇であったことを明かし、祈る者に幸福を授けると告げて水中に消えたと伝えられる。以来、池は龍神信仰の対象となり、雨乞いの祈願で遠方からも参拝者が訪れる。一方でこの伝説とは別に、池の周辺で女性の笑い声が聞かれたり、水に濡れた男女の姿が目撃されたという話も語られており、心霊スポットとして紹介されることがある。

西伯郡大山町