群馬県の心霊スポット ランキング TOP10
群馬県にある心霊スポットを 閲覧数 ・恐怖度(怖い率)・体験談数 の 3 軸で順位化しています。 一覧ではなく順位推移を見たいときに使ってください。
どれだけ調べられているかを示す注目度指標。スポット名で直接検索された回数に近い。
七輿山古墳
群馬県藤岡市にある、6世紀前半に築かれた東日本最大級の前方後円墳。墳丘の長さは約145mに及び、古代この地を治めた豪族の墓と考えられている。一帯には、朝廷に滅ぼされたと伝わる豪族・羊太夫の物語が残り、追い詰められた一族の七人の妻(更衣)が、七つの輿に乗って逃れた末に次々と命を絶ったという悲話が「七輿(ななこし)」の名の由来とされる。墳丘に並ぶ石仏の多くが顔を削られた「首なし地蔵」であることも相まって、群馬県でもよく知られた心霊スポットとして語られている。周囲は鬱蒼とした杉木立に覆われて昼でも薄暗く、墳丘へ続く道に立ち並ぶ無数の石仏が、訪れる者に古代の死者たちの気配を強く意識させる。 墳丘や参道では、夕暮れ以降に女性のすすり泣きが聞こえた、首のない地蔵のそばに人影が立っていた、写真に白い影が写り込んだ、といった体験談が数多く語られてきた。古墳の深い静寂と、削られた石仏の異様な姿とが、訪れる者に強い不安感を与えると言われる。肝試しに訪れた者が、帰ってから原因の分からない体調不良に見舞われたという話も後を絶たない。 古墳は国の史跡として保存され、地元では葬られた人々や、悲話に登場する女性たちへの鎮魂の念が受け継がれている。 墳丘は崩れやすいうえ、木立に囲まれて夜間は足元がまったく見えず、転倒や滑落の危険がある。見学は必ず日中に行い、墳丘や石仏を荒らさず、ここに眠る人々への敬意をもって静かに歩くこと。
榛名神社奥宮
榛名神社奥宮は榛名山南中腹、火と土の神を祀る古社。用明天皇の時代に創建されたと伝わり、927年の延喜式にも記載される由緒ある霊場だ。その中核は御姿岩という巨大な立岩で、人間の頭部と胴部のような独特な形をしており、ここに神が鎮座すると信じられてきた。 奥宮は1400年以上にわたり修験道の道場として機能した。江戸時代まで神仏習合の形態で、雨乞いなど祈祷の対象として関東一円の信仰を集めた。本殿は御姿岩と一体化するよう設計され、1806年の再建時に権現造で完成。背後の洞窟「御内陣」には通常立ち入り禁止の秘奥があり、複数の土壇と霊代が納められているとされる。 心霊スポット化した理由は、岩石信仰の聖地としての「霊的強度」にある。参拝者が報告する頭痛やめまい、吐き気などの身体症状は、訪問者の間で「好転反応」と解釈される傾向があり、強い霊的エネルギーの集中地と認識されてきた。700メートルの参道は急な階段が続き、御姿岩周辺の奇岩群による圧倒的な存在感が、訪問者に敬畏と畏怖の感情を同時に引き出す。近年はパワースポット指向の関心も重なり、超自然現象の報告が増加している。 ネット上では写真撮影時の異常光や、境内での不可解な音声報告なども散見されるが、これらは岩場特有の音響や光学現象と説明される場合が多い。奥宮そのものは修験道の厳粛な祈祷空間として維持され、明治以降は修験宗廃止令の影響を受けながらも、磐座信仰の中心として現在まで守られている。
旧羽根尾トンネル
旧羽根尾トンネルは、群馬県吾妻郡長野原町の旧道に残る廃隧道で、地元では古くから「夜に近づいてはならない場所」として語り継がれているという。坑内から正体不明の人影が現れ、こちらを見つめたまま消えるという目撃情報が複数あるとされ、また「トンネルの入口付近で突然エンジンが止まった」「奇妙な呻き声のようなものが聞こえた」といった体験談もネット上で散見される。廃道化してから長い年月が経つにもかかわらず、夜間に周辺を通りかかった人物が強い不快感や恐怖感を覚えたという噂が絶えないと言われている。坑門の奥は昼間でも薄暗く、植生に覆われた閉塞感が訪れる者の不安を掻き立てるとも語られている。 旧羽根尾トンネルは、昭和初期から戦後にかけての地方道整備期に開削されたコンクリート造の小規模隧道とされる。坑門の銘板は風化が著しく、建設年の特定には地元の郷土史資料に頼らざるを得ないという。長野原町は草津温泉・嬬恋村・北軽井沢方面への分岐点に位置する交通の要衝で、国道145号・292号・406号が交差する。このトンネルも古くから草津・嬬恋への往来路として利用されてきた経路上に位置している。その後、国道145号の改良工事と新道整備によって役目を終え、現在は旧道の遺構として残されている。吾妻郡一帯では八ッ場ダム建設に伴う道路網の大規模な再編が2010年代から進められており、旧道はハイキングや郷土史散策の対象として一部で関心を集めているとされる。
旧太子駅
群馬県中之条町、草津や野反湖へ向かう山あいに残る旧太子(おおし)駅の跡。太平洋戦争のさなか、近くの群馬鉄山で採れる鉄鉱石を運び出すために敷かれた日本鋼管群馬鉄山専用線の起点で、1945年に開業した。戦後は旅客も運んだが1966年に廃止され、鉄鉱石を貨車へ積み込んだ巨大なホッパー(積込設備)の遺構だけが、コンクリートの骨組みをさらして山中に取り残された。戦時下の鉱山では過酷な労働が強いられ、命を落とした人も少なくなかったと伝えられる。鉱石を運んだ専用線にはトンネルや橋梁の跡も点在し、苔むした軌道跡をたどると、かつてにぎわった鉱山町の名残と、戦争に翻弄された人々の足跡とが静かに重なって浮かび上がる。日が傾く頃には巨大なホッパーの影が谷を覆い、訪れた者の多くが自然と言葉少なになると言われ、にぎわいの記憶と無人の静寂との落差が、この地に独特の重い空気をもたらしている。 苔むしたホッパー跡やトンネルの暗がりでは、誰もいないのに足音や金属を打つような音が響く、寒気とともに人の気配を感じた、写真に白い影が写り込んだといった体験談が語られてきた。山あいの静寂と、戦争と鉱山の記憶とが結びついて、独特の重い空気を訪れる者に感じさせる。 地元では、鉱山とともに生き、この地で亡くなった人々への鎮魂が長く受け継がれており、遺構を荒らす行為は強く戒められている。 ホッパー跡の一帯は遺構として保存・整備されているが、老朽化した構造物への無断のよじ登りや、夜間・冬季の立ち入りは滑落や落石の危険が大きい。訪れる際は公開されている範囲と時間を守り、遺構を傷つけず、亡くなった人々への敬意を第一に考えること。
旧丸山変電所
群馬県安中市、信越本線の難所として知られた碓氷峠の旧線跡にたたずむ煉瓦造りの建物。1912年(明治45年)、急勾配を登るアプト式鉄道の電化にあわせて建てられた変電所で、二棟が向かい合う重厚な姿は重要文化財に指定されている。新線への切り替えで碓氷峠の旧線は廃止され、いまは遊歩道「アプトの道」として歩けるが、沿線に点在する廃トンネル群とともに、心霊・廃墟の語りが寄せられる場所でもある。二棟の煉瓦建築が森の中で向かい合って静かに建つ姿は、明治の鉄道遺産としての美しさと同時に、人気の絶えた廃線跡ならではの寂寥感を色濃く漂わせている。 旧線跡の暗いトンネルや変電所の周辺では、誰もいないのに足音や話し声が反響した、煉瓦のアーチの奥に人影が見えた、急にあたりの空気が冷えた、といった体験談が語られてきた。峠の急勾配で繰り返された事故や、難工事の歴史の記憶が、静まり返った廃線跡の気配と結びついている。観光客の去った夕暮れ以降、トンネルが連なる旧線跡は一気に闇へ沈み、昼間とはまったく別の表情を見せると言われる。 地元では、碓氷峠の鉄道に携わり命を落とした人々への敬意が受け継がれ、貴重な遺構を荒らす行為は強く戒められている。 遊歩道は整備されているが、トンネル内は照明が乏しく足元も悪い。夜間の立ち入りや遺構へのよじ登りは転落や事故を招く。訪れる際は日中に限り、文化財や遊歩道のルールを守り、亡くなった人々への敬意をもって静かに歩くこと。
鬼押し出し原
群馬県吾妻郡中之条町から長野県境にかけて広がる鬼押し出し原は、1783年(天明3年)の浅間山大噴火によって形成された溶岩地形です。噴火の頂点を迎えた7月8日、山北側の斜面から流出した大規模な溶岩流は、幅800メートルから2キロ、延長5.5キロに及び、凝固後も6.8平方キロメートルの広大な台地として現在に至ります。 この噴火は上野国一帯に極めて甚大な被害をもたらし、死者は1,600人を超えました。被害は直接的な火砕流にとどまらず、岩屑なだれや天明泥流により関東平野全域に波及し、北麓の鎌原村(現群馬県嬬恋村)では人口570人のうち477人が亡くなるなど、地域の歴史に深刻な傷跡を残しています。 現在、奇形な溶岩塊が地平線まで続く独特の景観は、当時の火山活動の激烈さを物理的に示す存在として機能しており、多くの訪問者を引き付けています。夕暮れから夜間にかけての溶岩原では、岩間を通る風が不規則な音を発生させることが知られており、この音響現象が不安感を増幅する要因となっています。
吹割の滝
群馬県沼田市利根町追貝の片品川中流に位置する吹割の滝(ふきわれのたき)は、河床を侵食して形成された独特の滝である。一般的な滝のように川幅の端で落差を作るのではなく、片品川の流れが河床に走る亀裂を縫って横方向に流れ落ちるため、川幅全体が滝になっているような独特の景観を持つ。 地質は新第三紀の凝灰岩(白色から淡黄色のもの)で、約900万年前の海底火山活動で堆積した地層である。当時は海底だった場所が後の地殻変動で隆起し、片品川の浸食を受けて現在の地形が形成された。河床に多数の柱状節理と直交する節理が走っており、これに沿って水流が亀裂を深く削り進めて、長さ約30メートル、高さ約7メートルの大規模な亀裂群が現在の滝の姿になっている。 1937年(昭和12年)、国の名勝及び天然記念物に指定された。「東洋のナイアガラ」の通称で観光案内に登場するが、これは観光振興上の宣伝表現で、ナイアガラの滝とは規模も成因も大きく異なる。むしろ、河床の亀裂を縫う流れという珍しい滝形態として、地形学・水文学的に学術的価値の高い場所として位置づけられている。 滝の周辺は遊歩道が整備され、片品渓谷を周回するハイキングコースが利用できる。観光案内所、駐車場、土産物店、食事処などのインフラが整い、年間100万人を超える観光客が訪れる群馬県を代表する観光地のひとつとなっている。鱒飛びの滝、般若岩、千畳敷、伽藍岩などの見所が連続し、徒歩約1時間で渓谷を一周できる。 水流の至近距離まで遊歩道が近づくため、過去に滝つぼに転落する事故が起きており、沼田市と群馬県は遊歩道沿いに柵と注意看板を整備した。河床への立ち入りは安全のため禁止されており、夜間の立入も禁止。雨天や雪解け期は増水で遊歩道の一部が浸水することがある。 アクセスは関越自動車道沼田ICから車で約30分、または鉄道はJR上越線沼田駅からバスで約40分。冬季(12月から3月)は積雪と凍結のため、遊歩道の一部が通行止めとなる期間がある。
草津白根山
群馬県吾妻郡草津町に位置する活火山。標高2,160メートル。上信越高原国立公園内にあり、湯釜と呼ばれるエメラルドグリーンの火口湖で知られる。この湖は直径約300メートル、水深約30メートルで、火山性ガスが溶解することで世界的に最も酸性に近いpH 1.0という特異な環境を形成している。 火山活動は盛んで、1882年以降だけで19回の水蒸気噴火を記録。3,000~5,000年前の最大活動期には総噴出量が約5億トンに及んだ。2018年1月23日には本白根山火口で予期されない水蒸気噴火が発生し、火口から1キロ以上離れた地点に噴石が飛散し、自衛隊員1名が犠牲になるとともに、11名が負傷した。この噴火は監視体制が湯釜周辺に集中していたため、実際の噴火地点で十分な予警が得られなかった事実として重要である。 火山ガス(特に硫化水素)の危険も継続的に存在する。空気より重いガスは地表に沿って滞留し、窪地や沢で濃度が高まりやすい。1971年と1976年には山域でのガス中毒事故で複数の死亡者を出した。これ以降、自動警報装置が設置され、24時間体制で濃度が監視されている。 現在、気象庁の噴火警戒レベルはレベル1(活火山であることに留意)に位置づけられているが、火口から500メートル以内は立入禁止であり、火山ガスの危険は常に存在する。
赤城山南麓廃墟群
群馬県伊勢崎市の赤城山南麓に散在する複数の廃工場・廃旅館跡は、日本の繊維産業が栄華から衰退への転換点を迎えた時代の物質的痕跡である。伊勢崎は大正から昭和初期にかけて絹織物「銘仙」の一大産地として全国生産の半分を占めていたが、1970年代の円高とオイルショックが日本の繊維産業に構造的な危機をもたらした。この地域の工場群は、その衝撃から逃れることができず、産業構造の急速な転換のなかで次々と操業を停止していった。 廃墟となった建物群からは、かつての稼働時の痕跡が残っている。廃工場の内部には織機の遺骨、配電盤、作業台が放置されたままの状態で発見されることがある。廃旅館には湯治客や行商人をもてなした客室や浴室の設備が当時のまま残されており、産業従事者の移動・宿泊を支えた経済圏の一部を示している。昭和中期から後期にかけてのこうした施設群の廃棄は、地方の産業空洞化が物理的にどのような形態をとるのかを示す事例となっている。 廃工場・廃旅館は老朽化が著しく、床抜け・落下物・有害粉塵の危険が高い。多くは私有地で無断立入は不法侵入に該当する。訪れる場合は公道から静かに眺め、地域の歴史への敬意を欠かさないこと。
磯部温泉廃旅館
磯部温泉は群馬県安中市の碓氷川沿いに開ける温泉地で、1661年に江戸幕府の評決文に記された温泉記号は、日本で現存する最古の記録であり、現在の温泉マーク(♨)の発祥とされている。江戸から明治にかけ、碓氷峠を越える旅人や湯治客が集まる地として認識されていたが、1783年の天明浅間山大噴火によって湯量が飛躍的に増し、本格的な温泉地として成立した。明治中期には信越線磯部駅の開通に伴い政治家や文学者が訪問するようになり、昭和から平成にかけて複数の旅館が操業してきた。廃業した旅館は、後継者難と観光ニーズの変化のなか、その役目を終えた建物として温泉街に残されている。