石川県の心霊スポット ランキング TOP10

石川県にある心霊スポットを 閲覧数恐怖度(怖い率)・体験談数 の 3 軸で順位化しています。 一覧ではなく順位推移を見たいときに使ってください。

どれだけ調べられているかを示す注目度指標。スポット名で直接検索された回数に近い。

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ホテルなおき(能登観光ホテルなおき)

石川県七尾市の和倉温泉にあった大型宿泊施設「ホテルなおき」は、明治期に「直木」として創業し、昭和期に「能登観光ホテルなおき」などの名称を経て規模を拡大した老舗の温泉ホテルである。最盛期には全七十数室・数百人規模を収容し、七尾湾を望む高台に九階建ての建物がそびえていた。バブル期には高い売上を記録したものの、その後は経営が悪化し、二〇一四年五月に資金繰りの行き詰まりから閉館した。以後は無人のまま残され、割れた窓や傷んだ内装をさらす大規模廃墟として、能登半島を代表する心霊スポットのひとつに数えられるようになった。 紹介されている怪異は、無人のはずの客室の窓越しに女性の姿を見たという話や、宴会場や廊下の方向から複数の話し声・物音が聞こえたというものが中心である。海に面した立地ゆえ、割れた窓を潮風が吹き抜けるときの音が、建物のうめき声のように感じられるとも言われる。華やいだ宿泊業という性格と、資金難による突然の閉館という結末の落差が、廃墟の重い空気とともに、こうした噂を呼び込む土壌になっていると見られる。なお建物は所有者のある廃墟であり、崩落や残置物による事故の危険が高いため、外部から望む範囲にとどめるのが妥当である。

七尾市·54 views
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旧陸軍第九師団司令部庁舎(石川県庁舎石引分室・現 国立工芸館)

石川県金沢市にある旧陸軍第九師団司令部庁舎は、日清戦争後の師団増設にともない明治三十一年に置かれた第九師団の中枢である。庁舎そのものは金沢城の二の丸跡に木造二階建ての洋館として建てられ、のちに移築されて両翼が縮められ、長く県庁舎石引分室として保存・利用された。第九師団は富山・石川・福井の北陸各県から集められた兵で編成され、日露戦争では旅順攻囲戦に投入されて連隊長級にも及ぶ大きな損害を出したほか、太平洋戦争末期には沖縄防衛の第三十二軍に編入されたのち台湾へ転出している。金沢が「軍都」と呼ばれた時代、この司令部からは数多くの将兵が動員・出征し、戻ることのなかった者も少なくなかった。 現在の建物は登録有形文化財であり、令和二年からは移築・復元のうえ国立工芸館として活用され、隣接する赤煉瓦の旧兵器庫群(現・石川県立歴史博物館)とともに近代金沢の軍事遺構をなしている。戦地で失われた命の記憶と結びつくことから、動員と出征の場を今に伝える建築として、亡き将兵をめぐる話に重ねて語られることがある。もっとも個々の怪異を裏づける確かな記録は乏しく、むしろ戦争の惨禍と平和の意味を後世へ伝える歴史遺産としての役割が大きい場所である。

金沢市·44 views
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雄島(大湊神社)

雄島は福井県坂井市、東尋坊の北に浮かぶ周囲約二キロの無人島である。輝石安山岩の柱状節理と原生林に覆われ、朱塗りの雄島橋で本土とつながる。島には大湊神社が鎮座し、雄島そのものを神体とみなす聖域として、漁業や航海の安全を願う信仰を古くから集めてきた。 心霊スポットとして名が挙がる最大の理由は、参拝路を反時計回り(左回り)に歩くと祟りを受ける、という戒めである。時計回りが神社への正しい参拝作法とされ、これに反すると島を離れたのちに体調を崩す、道に迷う、事故に遭うといった話が結びつけられてきた。近接する東尋坊は投身の名所として知られ、その遺体が潮流に運ばれて雄島の岩礁へ流れ着くとされることも、島の禁忌と死のイメージを強めている。 島内には方位磁石が狂うとされる磁石岩があり、地磁気の乱れが方向感覚の錯覚を生むとも説明される。橋の手前のトンネルに祀られた地蔵と目を合わせてはならない、という言い伝えを挙げる向きもある。こうした話は、海で命を落とした人々への弔いと、聖域を軽んじてはならないという慎みが重なった土地の記憶として受け止められている。

坂井市·31 views
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旧金沢廃花街跡

金沢市の旧市街に残る廃屋群は、江戸期から昭和初期にかけて栄えた花街の痕跡である。用水路沿いに立ち並んでいた格子戸の町家は、その後の都市開発の中で部分的に保存され、部分的に放棄されてきた。金沢は東茶屋街、西茶屋街、主計町茶屋街という三つの著名な茶屋文化地区を擁する城下町で、この廃花街跡はそれらの周辺に位置する。廃屋化した木造建築が生み出す夜間の音響環境は、家屋の隙間や用水を通じた風音・水音が複雑に反響することに由来する。低照度環境では、風に揺れる古い建具の影や用水の暗い水面が視覚的な不確実性を増幅させる。街の急速な変化に取り残された場所として、廃屋と水辺のコンビネーションが特異な空間的印象を形成している。

金沢市·30 views
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白山比咩神社(白山比麻神社)

石川県白山市にある白山比咩神社は、全国約3000社の白山神社の総本宮である。創建は崇神天皇7年(前91年)に舟岡山に始まったと伝わり、717年には越前の修験僧・泰澄大師が白山に初登頂して開山を行い、白山妙理大権現が奉祀された。白山(標高2702m)を神体山とする山岳信仰の中心地として、加賀・越前・美濃三国の修験者や信仰者を集めた。 文明12年(1480年)の大火により社殿が全焼し、現在地(三宮町)に遷座した。江戸期には加賀藩の庇護下で再興され、神仏分離令後の明治時代に現在の名称となった。参道の杉並木と禊の場は、古い信仰景観として今に残る。 樹齢数百年の杉林に囲まれた境内の落ち着いた雰囲気は、霊峰白山の玄関口としての存在感を示している。深夜の訪問についての言及は稀だが、神域としての厳粛性と古い創建伝説が重なることで、時折心霊スポットとして触れられることがある。

白山市·23 views
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能登半島見附島

石川県珠洲市の沖合に浮かぶ見附島は、軍艦のような形状から「軍艦島」とも称される無人島である。島の名は、弘法大師が佐渡から能登への布教の途上で最初に発見したことに由来するという伝説に基づく。全長158.5m、周囲400m、標高約28mの小さな岩塊は、新第三紀中新世後期の泥岩と珪藻泥岩からなる堆積構造を有する。 島内には見附神社があり、かつて対岸の小島と一対で信仰の対象とされてきた。江戸時代の地誌『能登名跡志』には「風景たぐひなき地」と記され、古くから能登を代表する景勝地として認識されてきた。2017年には石川県の指定天然記念物および名勝に登録された。 2024年1月の能登半島地震(M7.6)により、島の南東部が大きく崩落し、その歴史的な輪郭は著しく変化した。震災以前、月夜に岸からこの島を眺めた際に青白い光が見えたという投稿や、読経のような音が聞こえたという報告がネット上で散見されるが、これらは揺らぎ続ける大規模な一次産業の衰退環境における、人間の無意識的な観察と暗示の作用として解釈される側面がある。

珠洲市·18 views
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牛首トンネル

石川県河北郡津幡町の旧道にある牛首トンネルは、狭い坑道と暗さが特徴の隧道です。訪問者の投稿では、夜中に通りかかった際に明かりのない建物の窓に光が見えたこと、スマホのカメラが勝手に起動して何枚も撮影されたことが報告されています。トンネルの構造上、照明が限定的で、真っ暗な空間が広がる環境が、訪問者の知覚や機器の挙動に影響を与える可能性があります。トンネルは管理者が存在する旧道であり、深夜の通行は落石や対向車との接触事故の危険があります。訪れる場合は日中の通過にとどめ、近隣の生活道路としての配慮が必要です。

河北郡津幡町·11 views
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冥界への階段

石川県白山市の白山麓に残る「冥界への階段」は、加賀禅定道の一区間に位置する古い石段である。白山は717年に修験者泰澄が開山し、翌年山頂に社殿を創建した霊峰として、中世には加賀・越前・美濃の三地域から数千の修行者が登拝する信仰の中心地となった。平安時代には832年に三つの禅定道が正式に整備され、加賀側は白山比咩神社を基点として白山頂上の奥社を目指す18.2キロメートルの修行路が確立された。この石段はその登拝路の一部であり、修験者たちが長期にわたって使用してきた遺構である。 しかし戦国時代には一向宗勢力による焼き討ちで白山信仰は衰退し、江戸時代に加賀藩主前田家の支援で復興されるまで、多くの修行路は放置された。昭和初期の洪水で登拝路は大きく破損し、1987年に本格的な復旧工事が実施されるまで、数十年間にわたって手が入らない状態が続いた。現在、石段は苔と落ち葉に覆われており、樹林に囲まれた昼間でも薄暗い環境にある。

白山市·9 views
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珠洲市旧能登の祭礼霊場

石川県珠洲市は能登半島北端に位置し、江戸期より夏季を中心に約200ものキリコ祭りが営まれてきた地域である。キリコ(切籠灯籠)は高さ15メートル超に達する木造の照明構造で、かつての夏の浄化儀礼とギオン信仰から発展した伝統とされる。須須神社は古い由緒を持つ社で、毎年旧暦3月15日に矢を的に射る儀式を行う古い慣行が継続されている。能登一帯の祭礼は農漁の営みと結びついた信仰体系であり、半島特有の地形と海上交通の歴史が生み出した文化遺産として、2015年に日本遺産に認定された。 2024年1月の能登半島地震により珠洲市は甚大な被害を受け、沿岸部の隆起、建造物の損傷、山道の路面荒廃が生じた。震災直後、ネット上では山間の参道や岬の祠で夜間に異光や笛の音が視認されたという投稿が散見されたが、地震による地形変化、崩落した構造物による光の反射、低周波音の異常伝播などの自然現象と関連付ける見解もある。奥能登の祭礼信仰と海上での人命喪失の歴史が、不可視の世界への想起を喚起してきた背景において、地震という予測困難な災厄が重層的な心理作用を与えたと考えられる。

珠洲市·7 views
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内灘町廃砂丘の怪異

内灘町は北陸地方の砂丘地帯であり、手取川から運搬された砂が日本海沿岸に堆積して形成された独特の地形を持つ。この砂丘は旧砂丘と新砂丘の層構造を持ち、旧砂丘からは石器時代の遺物が出土している。戦後の1952年から1957年にかけて、砂丘の大部分がアメリカ軍の砲撃試射場として接収され、地元住民による反対運動が展開された。この「内灘闘争」は戦後初の基地反対闘争として全国的に注目を集めた。試射場返還後、砂丘は農業地や宅地開発の対象となり、現在では町の大部分が宅地化されている。開発から取り残された区画には、風食によって常に形態を変える砂丘が現存し、能登半島の付け根と日本海を分かつ自然境界として荒涼とした景観を保ち続けている。この地の歴史的記憶と自然景観の落差が、心霊現象の語り部として機能している側面がある。

内灘町·7 views