東京都の心霊スポット ランキング TOP10

東京都にある心霊スポットを 閲覧数恐怖度(怖い率)・体験談数 の 3 軸で順位化しています。 一覧ではなく順位推移を見たいときに使ってください。

どれだけ調べられているかを示す注目度指標。スポット名で直接検索された回数に近い。

1

千駄ヶ谷トンネル

千駄ヶ谷トンネルは、その真上に江戸期創建の仙寿院という日蓮宗の寺院と墓地が広がることから、古くから「霊が集まりやすい場所」として都内の心霊マニアの間で語り継がれてきたとされる。トンネル内で白い人影を目撃した、突然エンジンが止まった、後部座席に人が乗り込む気配がしたなどの体験談がネット上に散見され、「墓地の真下を走るトンネル」という特異な立地がそうした噂に拍車をかけているとも言われている。また、深夜に通行すると車内の温度が急激に下がる、ラジオに意味不明な声が混じるといった怪異も報告されているとされるが、いずれも確認された事実ではなく、あくまでも噂・伝承の域を出ない。 トンネルの成り立ちを辿ると、1964年(昭和39年)の東京オリンピック開催に合わせて整備された、全長290メートルの自動車道であることがわかる。外苑東通りの慢性的な渋滞解消を目的として地下化が決定されたが、直上に正保元年(1644年)創建・徳川家康の側室お万の方ゆかりの仙寿院とその墓地が存在したため、墓地・境内を移転させず地下を貫通する形で建設された経緯がある。歩行者通行帯は設けられておらず徒歩での通過は不可。1964年当時の規格のまま現在も現役の都道として機能しており、オリンピック関連インフラとして土木史・都市計画史の観点からも貴重な構造物とされている。

渋谷区·248 views
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2

八王子城跡

八王子城跡は、東京都内屈指の心霊スポットとして知る人ぞ知る場所である。1590年の落城の際に命を落とした無数の将兵や女性・子供たちの霊が今なお城跡に漂っているという噂が、長年にわたって語り継がれている。特に「御主殿の滝」周辺では、落城の際に滝へ身を投げた女性たちの霊が目撃されるとされ、夜間に滝の方向から女性の泣き声や呻き声が聞こえてくるという体験談が複数報告されているという。また、山道を歩いていると突然カメラや録音機器が誤作動を起こしたり、写真に無数の光の玉(オーブ)が映り込んだりする現象が頻繁に起きると言われている。さらに、日中でも山中の一部では気温が突然下がり、人の気配を感じると訴える訪問者も少なくないとされる。 八王子城跡は、東京都八王子市元八王子町、深沢山の標高445メートルに広がる戦国末期の山城遺構である。城主・北条氏照が小田原城に不在の中、前田利家・上杉景勝・真田昌幸ら約15,000の軍勢に攻められ、わずか一日で落城した。残された将兵や女性・子供を含む数千人が命を落としたとされ、その凄惨な歴史が心霊現象の噂の根底にあると言われている。現在は国の史跡に指定された史跡公園として整備され、復元石垣や曳橋なども公開されている。山頂の本丸跡までは登山道が整備されているが、八王子市は安全のため日没後の入山自粛を呼びかけている。

八王子市·184 views
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3

巣鴨プリズン跡地(東池袋中央公園・サンシャインシティ)

東京都豊島区東池袋の一帯には、第二次世界大戦後に連合国軍が戦争犯罪人を収容した巣鴨拘置所、いわゆる巣鴨プリズンが置かれていた。極東国際軍事裁判などの判決を受けた者の刑がこの地で執行され、一九四八年十二月にA級戦犯七名の死刑が、その前後にBC級戦犯五十名あまりの刑が行われたと記録されている。施設は一九七一年に解体され、一九七八年には跡地に超高層のサンシャイン60を核とする複合施設サンシャインシティが開業した。処刑場のあった一角は豊島区立東池袋中央公園として整備され、一九八〇年には園内に「永久平和を願って」と刻まれた碑が建てられて、戦争の犠牲となった人々への慰霊が続けられている。 繁華な商業地の足下に処刑の歴史が重なるこの立地から、当地はしばしば心霊の話題と結びつけて紹介されてきた。公園やその周辺の施設で軍服を思わせる人影を見た、人魂のような光や原因の分からない物音に気づいた、といった話が来訪者から伝えられることがある。戦争と裁きの記憶が色濃く残る土地として、追悼の対象であると同時に、怪異が取り沙汰される場としても語られることがある場所である。

豊島区·150 views
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4

等々力渓谷の怪談

東京23区で唯一の自然渓谷である等々力渓谷は、谷沢川が武蔵野台地の南縁を浸食して形成された1キロメートル余りの谷である。渓谷内の崖地には7世紀から8世紀にかけて造られた横穴古墳群が存在し、古代の埋葬地として活用されていた痕跡が今も残る。地名の由来は、渓谷の崖から落ちる不動の瀧が、その水音で「とどろいた」ことに由来するとされる。渓谷は古くから信仰の対象であり、平安時代後期には等々力不動尊が創建され、商売繁盛や厄除けの信仰地として機能してきた。1999年に東京都指定名勝に指定され、保護されている。地層からは粘土、礫、関東ローム層が観察でき、武蔵野の自然が都市部に残された空間としての歴史的重要性を持つ。

世田谷区·122 views
5

永代橋

永代橋は、東京都中央区新川と江東区佐賀を結び、隅田川に架かる橋である。元禄十一年(一六九八年)に幕府が架けた木橋を起源とし、財政難による廃橋の危機を町方の負担で乗り越えて存続した経緯を持つ。現在の鋼鉄アーチ橋は、関東大震災で焼失した後、大正末から昭和初めにかけての震災復興事業で架け替えられたもので、国の重要文化財に指定されている。 この橋がしばしば死の記憶と結び付けて語られる背景には、文化四年(一八〇七年)の落橋がある。深川の富岡八幡宮で十二年ぶりの祭礼が行われた際、深川へ渡ろうとする群衆が殺到し、その重みに耐えかねた橋の中央付近が崩れ落ちた。川へ転落した人々の被害は行方不明を含めて千数百人にのぼったと伝えられ、江戸期でも最大級の惨事として記録に残る。犠牲者を悼む「永代橋沈溺諸亡霊塔」は目黒区の海福寺に現存する。 こうした史実を踏まえ、落命した人々の声が川面から聞こえるといった怪異が、この橋にまつわる話として語られることがある。橋の下を流れる隅田川と、供養が続けられてきた慰霊の歴史が、都市の記憶を今に伝えている。

中央区·77 views
6

玉川上水(太宰治入水の地)

玉川上水は、江戸時代の承応年間に江戸市中への給水を目的として開削された用水路で、多摩川の水を四谷方面までおよそ四十キロにわたって導いた歴史ある水路である。かつては水量が豊かで流れが速く、いったん落ちれば助かりにくい急流だったと伝えられ、近代以降は投身による死が相次いだ水辺としても知られた。東京都三鷹市を通る区間はその一部にあたる。 この流れが広く記憶されているのは、昭和二十三年六月、作家の太宰治が山崎富栄とともにこの水路で命を絶ったためである。二人の遺体は数日後に下流で発見され、発見日は太宰の誕生日にあたっていたとされる。太宰が水に入ったと考えられている付近には、郷里である青森の石を用いた玉鹿石の碑が置かれ、その一帯は現在「風の散歩道」として整備されて、三鷹駅からほど近い市民の散策路になっている。 急流ゆえに繰り返された死と、著名な作家の最期という記憶が同じ水辺に重なることで、この場所は哀切をまとった水辺として意識されてきた。穏やかな遊歩道の下を流れる水音のなかに、沈んだ気配や言葉にならない哀しみを感じ取るという受け止め方が生まれる場所として語られることがある。

三鷹市·70 views
7

高島平団地

東京都板橋区の高島平団地は、1972年に完成した、UR都市機構による日本最大級の公的住宅団地である。戦後の急速な人口流入に対応するため旧農地を開発し、1万170戸、約3万人が一度に入居した。地名は江戸時代の砲術家・高島秋帆に由来し、地下鉄との連携により都心へのアクセスが確保された。 1970年代後半から1980年初頭、団地は日本国内で自殺が集中する場所となった。1980年には133件に達し、報道機関によって「自殺の名所」と広く認識されるようになった。当局は1981年に転落防止柵やメッシュスクリーンを設置し、その後の件数は大幅に減少した。 現在、団地は高齢化が急速に進む課題に直面している。ピーク時(1991年)の約2万5千人から減少し、2012年には65歳以上が41.1%を占める状況が報告されている。高齢化に伴い孤立や見守りが地域の重要課題となり、自治会による福祉活動が日常的に展開されている。

板橋区·68 views
8

八王子霊園

東京都八王子市元八王子町、武蔵野の西端にあたる加住丘陵に、東京都が運営する八王子霊園が広がっている。1971年(昭和46年)開園、面積約65ヘクタール、東京都営霊園としては最も新しい霊園のひとつである。 都営霊園は青山霊園、谷中霊園、染井霊園、雑司ヶ谷霊園、多磨霊園、小平霊園、八柱霊園、八王子霊園、瑞江葬儀所付属霊園の9園で構成され、東京都公園緑地部が一括管理を行っている。八王子霊園は都営霊園のなかで西端に位置し、丘陵地の地形を活かした公園型の墓地として設計された。 造成にあたっては、丘陵の自然林を約7割そのまま残す方針が取られた。コナラ、クヌギ、シイ、カシ類などの雑木林を維持しつつ、約500本の桜と670株のあじさいを園路沿いに植栽。春の桜、初夏のあじさい、秋の紅葉と、四季それぞれに見頃を迎える公園墓地としての性格が確立された。霊園というよりも自然公園としての散策ができる、東京都西部の隠れた花見スポットとしても知られている。 墓地区画は約2万区画、すべて統一規格の芝生墓地(4平方メートル)として設計された。従来の都営霊園に多い和型墓石・洋型墓石の自由設計を排し、規格化された墓石とプレート方式を採用することで、整然とした景観と効率的な維持管理を両立している。墓地区画の使用許可は東京都が公募制で抽選を実施しており、毎年数千件の応募が集まる。 霊園隣接地には歴史的に重要な遺跡が複数存在する。八王子城跡(国指定史跡、1590年落城)、北条氏照の墓、武蔵陵墓地(昭和天皇・香淳皇后が眠る武蔵野陵、大正天皇・貞明皇后が眠る多摩陵)が周辺数キロメートル圏内にある。武蔵陵墓地は宮内庁が管理する皇室の御陵で、八王子霊園からも近接距離にある。 戦国期の北条氏の歴史、明治以降の皇室の墓所、そして現代の都営霊園が、加住丘陵の同じエリアに集中していることは、東京都西部の歴史的・文化的特徴のひとつである。武蔵野の自然と、長い歴史の堆積を併せ持つこの地は、墓地公園というよりも「歴史と自然が交わる広大な森」として、年間を通して多くの墓参者と散策者を迎え入れている。 八王子霊園へのアクセスはJR中央線高尾駅、京王高尾線高尾駅から西東京バスで約20分。霊園内には管理事務所、駐車場、休憩所が整備され、墓参以外のハイキング目的の利用も可能である。開園時間と利用案内は東京都公園緑地部の公式サイトに掲載されている。

八王子市·65 views
9

世田谷区廃倉庫(用賀地区)

用賀は江戸時代の宿場町から、戦後の高度経済成長期に首都圏の物流拠点へと急速に変貌した。1969年の東名高速全線開通と1971年の首都高速との接続、同時期の環状八号線整備により、用賀地区は流通ネットワークの要所として位置づけられた。この時期、環状八号線と東名高速インターチェンジ周辺に多数の倉庫・物流施設が集積し、戦後日本の物資流通を支える重要な機能を担った。その後1977年の東急新玉川線(現・田園都市線)開業、1993年の世田谷ビジネススクエア竣工など、地区の再開発に伴い、物流機能は徐々に郊外へ移転。廃業した倉庫建築の一部は、かつての産業景観を今に伝える遺構として地区に点在している。これらの施設は、高い天井と広大な内部空間、複雑な構造を特徴とし、音響環境(低周波の残響や環境音)が独特である。敷地周辺の現在の様相は、活発な産業地から混合用途地域への移行期の状態を物理的に示している。

世田谷区·50 views
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江古田の森公園(旧国立療養所中野病院跡地)

東京都中野区にある江古田の森公園は、かつて結核患者の療養施設だった国立療養所中野病院の跡地に整備された防災公園である。前身は1920年に開設された東京市療養所で、当時不治とされた肺結核の患者を数多く受け入れた。戦前の療養環境は過酷で、入院した患者の多くが回復に至らず亡くなったと伝えられる。若くして結核に倒れた著名な詩人が最期を迎えた場としても記録されている。医療体制の変化を経て病院は1993年に役割を終え、建物の解体を経て、2007年に現在の公園として開かれた。 廃墟となっていた1990年代には、この一帯は東京でも指折りの心霊スポットとして名を知られた。地下に人体の臓物が液体に浸されて置かれていた、血に汚れた白衣の人物が現れる、赤い衣服の女性が木陰から立ち入りを拒むように現れる、といった噂が広まったとされる。ただし怪談を検証する書き手からは、廃病棟の写真が残っていないことや証言相互の食い違いが指摘されており、実際の医療現場をめぐる新聞報道が誇張されて怪異譚へ変質したとみる見方もある。史実と噂の境目は判然としないまま、跡地は静かな公園として日常の風景に戻っている。

中野区·49 views