京都府の心霊スポット

43 スポット9 カテゴリ

千年の都・京都は、雅な王朝文化の裏に膨大な怨霊と無縁仏の歴史を抱える地である。化野念仏寺に集う八千体の無縁仏、酒呑童子の首が祀られた大枝の首塚大明神、嵐山奥に延びる清滝トンネル、血天井で知られる源光庵——平安京以来、御霊信仰と陰陽道が街の闇を鎮めてきた。寺社の数だけ語られる怪異は、観光地の喧騒の裏で今も息づいている。

人気スポット TOP10

旧京都第二陸軍病院
1

旧京都第二陸軍病院

京都府京都市にあった旧京都第二陸軍病院は、1934年に建設された軍の医療施設で、第二次世界大戦中は数多くの負傷兵が収容されて治療を受けた場所だ。1945年の空襲で大きな被害を受けた後に廃墟と化してしまったが、この場所では今も夜になると患者の呻き声や足音が聞こえるという証言が絶えない。戦時中に多くの兵士が重傷を負いながらもこの病院で命を落としたとされており、その犠牲者たちの霊が今も病院跡に強く留まり続けているのだという伝承が地元では根強く残っている。

京都市
源光庵
2

源光庵

京都市北区鷹峯北鷹峯町に位置する源光庵(正式名称:鷹峰山宝樹林源光庵)は、曹洞宗の禅寺である。創建は貞和2年(1346年)、当初は臨済宗大徳寺の徹翁国師による開基だったが、元禄7年(1694年)に卍山道白禅師が中興して曹洞宗に改宗した経緯がある。 源光庵の名を全国に知らしめているのは、本堂内の「悟りの窓」と「迷いの窓」、そして本堂天井の「血天井」である。 悟りの窓は丸い窓、迷いの窓は四角い窓で、それぞれが禅の宇宙観と人間の煩悩を象徴する形として参拝者に親しまれている。窓越しに四季折々の境内を眺める眺望が、写真家や絵画愛好者に強く支持されている。 血天井の由来は、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの前哨戦に位置する伏見城攻防戦である。徳川家康は会津征伐に向かう際、家臣の鳥居元忠を伏見城に残した。1,800の手勢で4万の石田三成軍に対峙した元忠は、13日間の籠城戦の末に城内で自刃した。鳥居元忠と380余名の家臣が命を落とした伏見城の床板は、後に元忠の忠義を悼んで複数の京都の寺院に分けて運ばれ、本堂の天井板として転用された。これが「血天井」と呼ばれる供養の伝統である。 源光庵以外にも、宝泉院、養源院、正伝寺、興聖寺など、京都市内の複数の寺院に同じ伏見城由来の血天井が伝わっている。それぞれ床板の状態や面積が異なり、寺によっては手形や足跡と解釈される跡が残っているとされる。 源光庵への参拝は通常一般公開されており、拝観料が必要。秋の紅葉期と春の桜期は特に参拝者が多く、混雑時には入場制限がかかることがある。源光庵の公式情報は紅葉期の特別拝観時間や撮影制限などが京都の観光案内サイトに掲載されている。 上記の血天井伝承の細部については、寺ごとに伝わる内容が一部異なるため、複数の寺を巡って異同を確認する観光客もいる。京都の中世史と禅文化と武家社会の関わりを実感できる、独特の文化的価値を持った場所である。

京都市
旧丹波療養所
3

旧丹波療養所

京都府京丹後市にある旧丹波療養所は、1952年に結核患者の収容施設として設立されたが、医療技術の進歩による結核患者の減少と施設の老朽化によって1996年に閉鎖され、その後廃墟化していった。長年にわたって多くの患者が療養生活を送り、また命を落としてきたこの施設には強い霊的エネルギーが宿り続けているとされており、閉鎖後から不可解な現象が報告されるようになった。

京丹後市
4

貴船神社奥宮

京都市左京区の貴船神社奥宮は、縁結びの神様として有名な一方で、「丑の刻参り」の聖地として全国に知れわたる特異な場所だ。深夜に白装束をまとった人物が藁人形を御神木に五寸釘で打ち付けるという呪いの儀式が今も実際に行われており、境内の神木には無数の釘の跡が刻まれて残っている。この呪いの儀式を深夜に目撃した者は自分も呪われるという言い伝えが古くからあり、地元の人々が深夜の参拝を避けるのも当然だとも言われている。

京都市左京区·5 views
5

旧吉田蚕糸場

京都府京丹後市にある旧吉田蚕糸場は、明治から大正時代にかけて日本の近代化を支えた蚕糸生産施設の跡地だ。最盛期には多くの女工が過酷な環境の下で長時間労働を強いられ、蚕の繭から生糸を繰り出す単調な作業を日夜続けさせられた。劣悪な労働環境の中で若い命を落とした女工たちも少なくなかったとされており、その無念が今もこの廃墟に残されているとされる。廃墟化した蚕糸場内部では、蚕を茹でる釜の音や糸車が回るような機械音が聞こえてくるという怪異が繰り返し報告されている。

京丹後市·5 views
6

京都嵐山の天龍寺跡

京都市嵐山にある天龍寺は1950年代の火災で一部が焼失しており、焼失した部分の跡地では夜になると白装束の幽霊が現れるという噂が語り継がれている。境内に立つ石仏像の周辺でも奇妙な気配を感じる者が多く、当地は安全性に問題があるとして夜間訪問が控えられている場所である。深夜に天龍寺境内の旧火災跡付近を歩いた体験者が、焼けた木材の灰が残る地面から白い煙が薄く立ち上っているのを目撃したと証言しており、煙は人の形を取りながら数メートルの高さまで上昇した後に拡散していったという体験談が残されている。

京都市
7

朱雀橋

京都府京都市の鴨川に架かる朱雀橋は、古都の闇に沈んだ数々の怨念が集まる心霊スポットとして地元に知られてきた。江戸時代に橋の下で非業の死を遂げた女性の霊が今もこの場所に留まっているとされ、その怨念は雨の夜に特に強く発現するという。深夜に橋を渡ろうとした体験者の複数が、川の上流方向から女性の鋭い悲鳴が聞こえてきたと証言しており、その声を聞いた者が恐怖で動けなくなったという体験談が残されている。

京都市
8

清滝トンネル

京都市内でも屈指の心霊スポットとして名高い清滝トンネル。夜間にトンネル内で女性の霊が立っているのを目撃した、という体験談が長年にわたって語り継がれている。信号待ちの車のフロントガラスに手形が残っていた、トンネルを抜けた後に後部座席に知らない人物が映っていた、といった怪異譚も絶えず、心霊スポットとして全国的な知名度を誇る。また、「トンネル内で信号が青になっても進んではいけない」という不気味な言い伝えも存在するとされ、この独特の交通システムが怪談に独特のリアリティを与えているとも言われている。霊感の強い人物がトンネルに近づいただけで体調を崩した、という証言もインターネット上で多数報告されている。 清滝トンネルは、京都府道137号鳥居本愛宕線の一部として、嵯峨と愛宕山方面を結ぶ延長444メートルの一車線トンネルである。その出自は1929年(昭和4年)に開業した愛宕山鉄道の鉄道隧道にあり、1944年の路線廃止後に自動車道へ転用された、全国的にも珍しい近代土木遺産でもある。現在は両坑口に交通信号を設置し、一定時間ごとに通行方向を切り替える方式で運用されている。愛宕神社参拝や清滝渓谷観光のアクセスルートとして多くの人が利用するが、歩行者通行帯はなく、徒歩での通行は推奨されない。

京都市右京区
9

天橋立

京都府宮津市にある日本三景の一つ・天橋立は、その美しい景観の裏に古くから怪異が伝わる場所でもあり、夜になると対岸へ消えていく白い影が目撃されたり、砂浜から鐘の音が聞こえるという体験談が続いている。特に霧の夜には橋立の松林の中に複数の人影が見えたという報告が多い。

宮津市
10

京都市嵯峨野 トロッコ列車廃線跡

京都市の嵯峨野地区に残るトロッコ列車の廃線跡は、1991年の廃止後に遊歩道として整備された部分もあるが、竹林の奥深くに残る廃線区間は独特の霊的雰囲気を持つスポットとして知られている。かつて列車が走っていたレール跡には今も錆びついた金属が残り、竹林の合間を縫う廃線跡は昼間でも薄暗い。夜になるとその薄暗さは一層増し、白い影が廃線跡を走り抜けるという目撃情報が絶えないという。地元では、廃止前に発生した事故の犠牲者の霊が今も列車の幻として廃線跡を走り続けているのだという伝説が語り継がれている。

京都市

すべてのスポット

与謝野町旧丹後の廃農村
山道・峠·京都府 与謝野町

与謝野町旧丹後の廃農村

丹後の山間部・与謝野町の廃農村跡。かつての住民の霊が集落を離れられずに彷徨い、廃屋の周辺では人の気配と農作業の音が感じられることがある。

首塚大明神老ノ坂峠
山道・峠·京都府 亀岡市

首塚大明神老ノ坂峠

酒呑童子の首が埋葬されているとされる社。老ノ坂峠の旧道沿いにあり、京都最強の魔界スポットと言われる。祠の前を通る車はエンジンが止まる・光が見えるなどの怪異が報告される。

亀岡市旧峠道廃屋
水辺·京都府 亀岡市

亀岡市旧峠道廃屋

亀岡市の保津川沿いの旧峠道に残る廃屋。かつての旅籠の跡地とされ、江戸時代から旅人の間で「泊まった者が翌朝消えた」という怪談が伝わる。廃業後に廃墟化した建物では床下から人骨が見つかったとの噂もあり、深夜に建物付近で光が動く、人の気配が強くするといった体験談が続いている。

井手町旧玉川の水難霊
山道・峠·京都府 井手町

井手町旧玉川の水難霊

玉川沿いの井手町。増水した川で水難事故が起きた場所で、犠牲者の霊が川辺に留まり、夜間に川から人の呻き声が聞こえることがある。

旧丹波療養所
廃墟・残骸·京都府 京丹後市

旧丹波療養所

京都府京丹後市にある旧丹波療養所は、1952年に結核患者の収容施設として設立されたが、医療技術の進歩による結核患者の減少と施設の老朽化によって1996年に閉鎖され、その後廃墟化していった。長年にわたって多くの患者が療養生活を送り、また命を落としてきたこの施設には強い霊的エネルギーが宿り続けているとされており、閉鎖後から不可解な現象が報告されるようになった。

京丹後市旧日本海の海難霊
山道・峠·京都府 京丹後市

京丹後市旧日本海の海難霊

日本海の荒波が打ちつける丹後半島の海岸。嵐で命を落とした漁師の霊が港に立ち、嵐の夜には海から怒声と泣き声が聞こえると地元漁師に伝わる。

旧奥丹後鉄道廃トンネル
隧道・トンネル·京都府 京丹後市

旧奥丹後鉄道廃トンネル

京丹後市久美浜町付近に残る廃トンネル。戦前に建設されたが工事中に複数の作業員が命を落としたとされる。廃止後も坑口が残っており、トンネル内から作業員の叫び声が聞こえる、光る目が闇の中で浮かぶといった怪異が報告されている。地元では「呪いのトンネル」として若者の肝試し先として知られる丹後地方の心霊スポット。

旧吉田蚕糸場
廃墟・残骸·京都府 京丹後市

旧吉田蚕糸場

京都府京丹後市にある旧吉田蚕糸場は、明治から大正時代にかけて日本の近代化を支えた蚕糸生産施設の跡地だ。最盛期には多くの女工が過酷な環境の下で長時間労働を強いられ、蚕の繭から生糸を繰り出す単調な作業を日夜続けさせられた。劣悪な労働環境の中で若い命を落とした女工たちも少なくなかったとされており、その無念が今もこの廃墟に残されているとされる。廃墟化した蚕糸場内部では、蚕を茹でる釜の音や糸車が回るような機械音が聞こえてくるという怪異が繰り返し報告されている。

京丹波町旧丹波の廃農村
山道・峠·京都府 京丹波町

京丹波町旧丹波の廃農村

丹波山地の京丹波町の廃農村跡。かつての住民の霊が集落を離れられずに彷徨い、廃屋の周辺では人の気配と農作業の音が感じられることがある。

朱雀橋
橋・高架·京都府 京都市

朱雀橋

京都府京都市の鴨川に架かる朱雀橋は、古都の闇に沈んだ数々の怨念が集まる心霊スポットとして地元に知られてきた。江戸時代に橋の下で非業の死を遂げた女性の霊が今もこの場所に留まっているとされ、その怨念は雨の夜に特に強く発現するという。深夜に橋を渡ろうとした体験者の複数が、川の上流方向から女性の鋭い悲鳴が聞こえてきたと証言しており、その声を聞いた者が恐怖で動けなくなったという体験談が残されている。

京都嵐山の天龍寺跡
神域・霊場·京都府 京都市

京都嵐山の天龍寺跡

京都市嵐山にある天龍寺は1950年代の火災で一部が焼失しており、焼失した部分の跡地では夜になると白装束の幽霊が現れるという噂が語り継がれている。境内に立つ石仏像の周辺でも奇妙な気配を感じる者が多く、当地は安全性に問題があるとして夜間訪問が控えられている場所である。深夜に天龍寺境内の旧火災跡付近を歩いた体験者が、焼けた木材の灰が残る地面から白い煙が薄く立ち上っているのを目撃したと証言しており、煙は人の形を取りながら数メートルの高さまで上昇した後に拡散していったという体験談が残されている。

旧料亭「幸楽」廃墟(伏見稲荷周辺)
宿泊・居住跡·京都府 京都市

旧料亭「幸楽」廃墟(伏見稲荷周辺)

伏見稲荷大社近くに残る廃旅館跡。かつての芸妓が遊んだ料亭で、営業中に不審な死者が出たとの噂がある。廃業後に幽霊が出ると地元で有名になり、深夜に三味線の音が聞こえる、廊下に和服姿の女性の霊が現れるといった怪異体験が語られている。稲荷大社の霊的エネルギーが近くを流れており、より怪異が起きやすい環境とされる。

旧京都第二陸軍病院
廃墟・残骸·京都府 京都市

旧京都第二陸軍病院

京都府京都市にあった旧京都第二陸軍病院は、1934年に建設された軍の医療施設で、第二次世界大戦中は数多くの負傷兵が収容されて治療を受けた場所だ。1945年の空襲で大きな被害を受けた後に廃墟と化してしまったが、この場所では今も夜になると患者の呻き声や足音が聞こえるという証言が絶えない。戦時中に多くの兵士が重傷を負いながらもこの病院で命を落としたとされており、その犠牲者たちの霊が今も病院跡に強く留まり続けているのだという伝承が地元では根強く残っている。

深泥池(みどろがいけ)
水辺·京都府 京都市

深泥池(みどろがいけ)

京都市北区にある天然の浮島がある古い池。古くから「ぬえ」などの怪物が棲む場所として恐れられ、犠牲者も多い。タクシーの怪談として全国的に有名で「深泥池で拾った女性が目的地に着くと消えていた」という話が昭和から語り継がれる。池の周辺では夜間に白い女性の霊が水面を歩く、水中から手が伸びてくるといった怪異体験が絶えない。

源光庵
水辺·京都府 京都市

源光庵

京都市北区鷹峯北鷹峯町に位置する源光庵(正式名称:鷹峰山宝樹林源光庵)は、曹洞宗の禅寺である。創建は貞和2年(1346年)、当初は臨済宗大徳寺の徹翁国師による開基だったが、元禄7年(1694年)に卍山道白禅師が中興して曹洞宗に改宗した経緯がある。 源光庵の名を全国に知らしめているのは、本堂内の「悟りの窓」と「迷いの窓」、そして本堂天井の「血天井」である。 悟りの窓は丸い窓、迷いの窓は四角い窓で、それぞれが禅の宇宙観と人間の煩悩を象徴する形として参拝者に親しまれている。窓越しに四季折々の境内を眺める眺望が、写真家や絵画愛好者に強く支持されている。 血天井の由来は、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの前哨戦に位置する伏見城攻防戦である。徳川家康は会津征伐に向かう際、家臣の鳥居元忠を伏見城に残した。1,800の手勢で4万の石田三成軍に対峙した元忠は、13日間の籠城戦の末に城内で自刃した。鳥居元忠と380余名の家臣が命を落とした伏見城の床板は、後に元忠の忠義を悼んで複数の京都の寺院に分けて運ばれ、本堂の天井板として転用された。これが「血天井」と呼ばれる供養の伝統である。 源光庵以外にも、宝泉院、養源院、正伝寺、興聖寺など、京都市内の複数の寺院に同じ伏見城由来の血天井が伝わっている。それぞれ床板の状態や面積が異なり、寺によっては手形や足跡と解釈される跡が残っているとされる。 源光庵への参拝は通常一般公開されており、拝観料が必要。秋の紅葉期と春の桜期は特に参拝者が多く、混雑時には入場制限がかかることがある。源光庵の公式情報は紅葉期の特別拝観時間や撮影制限などが京都の観光案内サイトに掲載されている。 上記の血天井伝承の細部については、寺ごとに伝わる内容が一部異なるため、複数の寺を巡って異同を確認する観光客もいる。京都の中世史と禅文化と武家社会の関わりを実感できる、独特の文化的価値を持った場所である。