城山公園
城山公園は東京都稲城市向陽台にある公園で、JR南武線南多摩駅から徒歩10分ほどの丘陵地に位置する。この付近は中世に築かれた山城「大丸城」の跡地に近いとされ、江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』にも「城山」という呼び名と、堀の跡と見られる地形の記述が残る。城の発掘調査では中世の墓群や供養塔なども見つかっており、古くから墓所や祭祀の場としての側面を持つ土地であったことがうかがえる。公園近くの浅間神社周辺
神社・祠にまつわる怪異・心霊スポット。
全国 107 件
埼玉県 さいたま市大宮区
大宮駅東口を控える大門町は、江戸期から中山道の要衝として栄えた大宮宿の中核を成す地である。寛永元年(1624年)、北沢甚之丞直元が42軒の村民とともに移住し大門町を開拓。その後、この地は商業地として発展し、現在は複合商業ビルや銀行支店が立ち並ぶ都市空間となっている。 しかし、この繁栄の地盤の直下には、江戸の暗い歴史が眠っている。現在のさいたま新都心駅東側一帯にあたる場所に「下原刑場」が存在してい
愛知県 名古屋市
愛知県名古屋市熱田区神宮一丁目に鎮座する熱田神宮は、伊勢神宮に次ぐ皇室との関わりを持つ神社のひとつで、東海地方を代表する神社である。約19万平方メートルの広大な境内が市街地のなかにあり、参道に古木が並ぶ独特の景観で名古屋の重要な文化資源となっている。 社伝によれば、創建は景行天皇43年(西暦113年)と伝わる。日本武尊(やまとたける)の妃である宮簀媛命(みやずひめのみこと)が、夫から託された三種
埼玉県 秩父市
埼玉県秩父市の山奥に立つ三峯神社は、今から約1900年前に日本武尊により伊弉諾尊・伊弉册尊を祀る神社として創建されたと伝わります。三峯という社号は、景行天皇が妙法ヶ岳・白岩山・雲取山の三つの山頂を見て命名したと言い伝えられています。 奥宮は妙法ヶ岳(標高1329メートル)の頂上に鎮座する遥拝所で、本社からおよそ2時間半の登山を要します。寛保元年(1741年)に創建されたとも記されており、秩父宮の
城山公園は東京都稲城市向陽台にある公園で、JR南武線南多摩駅から徒歩10分ほどの丘陵地に位置する。この付近は中世に築かれた山城「大丸城」の跡地に近いとされ、江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』にも「城山」という呼び名と、堀の跡と見られる地形の記述が残る。城の発掘調査では中世の墓群や供養塔なども見つかっており、古くから墓所や祭祀の場としての側面を持つ土地であったことがうかがえる。公園近くの浅間神社周辺

淡嶋神社は和歌山市加太に鎮座する古社で、少彦名命を主祭神とし、医薬や裁縫、人形供養の神として信仰を集めてきた。社伝では友ヶ島に祀られた祠が仁徳天皇の代に現在地へ移されたと伝わり、江戸時代には淡島願人と呼ばれる者たちが人形を背負って各地を巡り、信仰を広めたとされる。境内には奉納された人形が2万体を超えて並び、雛人形や市松人形が隙間なく陳列される光景は独特の雰囲気を漂わせる。この人形群を巡っては、視線

奈良県葛城市染野、二上山雄岳の山頂付近に鎮座する葛木二上神社は、豊布都霊神と大国魂神を祀る式内大社である。創建年代は明らかでないが、『日本三代実録』貞観元年(859年)の記事に神階授与の記録があり、古くから二上山の水源を利用する近隣の村々の氏神として信仰されてきた。近世には「岳の権現」と称された。社殿は1974年の二上山大火で焼失し、翌年に再建されている。東側には、謀反の疑いで処刑された飛鳥時代の
三重県伊賀市勝地、旧名賀郡青山町の山中に位置する木造の料亭旅館跡。青山高原の登山客や奥山愛宕神社への参拝客を対象に、奥山川で獲れる鱒などの川魚料理を提供していたとされ、1970年前後の開業以降営業を続けていたが、1990年代初頭に閉業した。建物は岩を組み込んだ造りで、階段や風呂にも巨岩が用いられている。閉業の背景については、経営難から経営者一家が心中したという噂が広く伝わっているが、出典は明確でな

四日市市中心部にある鵜の森公園は、室町時代に田原忠秀が築いた浜田城の跡地である。天正3年(1575)6月、城主田原元綱は織田信長の家臣・滝川一益の攻撃を受けて敗れ、討死したと伝わる。落城後、旧臣たちが城跡に鵜森大明神(現・鵜森神社)を建て、忠秀以下四代の霊を祀ったとされる。園内では造成の際に由来不明の墓石が見つかったこともあるという。また昭和20年(1945)6月18日の四日市空襲による犠牲者を悼
岐阜県美濃市須原、長良川沿いに約1300年の歴史を持つ洲原神社の裏手、旧道沿いに木造平屋の廃屋が二軒並んで建っている。昭和初期頃の建築と伝わり、洲原神社の神主家の分家の子孫が暮らしていたとされる。庭先に置かれた石碑には「神入」という文字が刻まれているが、古い書式で右から左に読むと「無心入神」となり、無心の境地に達することを意味する言葉だという。この石碑の文字や、洲原神社を開いたと伝わる僧・泰澄の「
上野原市新田に鎮座する神明社は、天照大神を主祭神とする神社で、創建年は定かでないものの、安政三年(一八五六年)の再営、明治五年(一八七二年)の修復記録が残る。本殿は一間社流造で精巧な彫刻が施され、明治六年には村社に列せられた歴史を持つ。社は薄暗い林の中に位置し、境内で首吊り自殺があったとの噂から、訪れる者の間で「首吊り神社」という通称が使われるようになったとされる。語られる怪異としては、白い着物を
新府城跡は、天正9年(1581年)に武田勝頼が甲斐国内での本拠移転を目的に築いた城で、七里岩と呼ばれる台地上に位置する。翌年、織田・徳川連合軍の侵攻を受けた勝頼は、わずか68日で本拠を放棄することとなり、天正10年3月、自ら城に火を放って退去した。この際、城内にいた人質の多くが焼死したことが『信長公記』に記されており、泣き悲しむ声が天に響くほどであったと伝わる。ネット上では、この落城の際に多数の人
雄島は福井県坂井市三国町に浮かぶ周囲約2キロの無人島で、越前加賀海岸国定公園に含まれる。柱状節理の断崖に囲まれ、島内には創建から1300年以上(約1370年)とされる大湊神社が鎮座し、古くから海上安全や武運を祈る神域として一般の立ち入りが制限されてきた。現在は赤い雄島橋(雄島大橋)で本土と結ばれ、参拝や散策で訪れることができる。隣接する東尋坊の断崖からは毎年一定数の転落死者が出ており、潮の流れによ

白山島は、山形県鶴岡市由良の海岸から沖合約100メートルの日本海上に浮かぶ無人島で、約3000万年前の海底噴火によって形成されたとされる。「東北の江ノ島」とも呼ばれ、全長170メートルほどの人道橋で本土と結ばれており、頂上には白山神社が祀られている。島内には、旧海軍水路部・気象部に所属し戦時中の海難などで殉職した約2000名を追悼する慰霊碑が建てられている。観光地として親しまれる一方、断崖絶壁から
岩手県二戸市の金田一温泉郷にある旅館「緑風荘」は、座敷わらし伝説で知られる宿である。伝承によれば、南北朝時代に南朝方であった一族の祖先がこの地に落ち延びる途中、同行していた六歳の男児が病でこの地に倒れ、一族を末代まで守ると言い残して亡くなったとされる。その霊は座敷わらしとして奥座敷「槐の間」に現れるようになり、姿を見た者には幸運が訪れると語られてきた。旅館は敷地内に亀麿神社を設け、この存在を単なる

三戸トンネル(手倉橋隧道)は、青森県三戸郡五戸町と南部町の境に位置する全長144メートルの旧道トンネルで、かつての国道4号線として利用されていた。建設は明治期に凶作救済事業として着手され、長い年月を経て大正期に完成したとされ、入口付近には竣工を記念して建てられた記念碑が今も残る。内部に照明はなく、日中でも薄暗く、老朽化した壁面と静けさが独特の雰囲気を生んでいる。 このトンネルにまつわる噂として知