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城跡の心霊スポット

城跡・城址にまつわる心霊スポット。

全国 48

人気の「城跡」スポット

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八王子城跡

東京都 八王子市

八王子城跡は、東京都内屈指の心霊スポットとして知る人ぞ知る場所である。1590年の落城の際に命を落とした無数の将兵や女性・子供たちの霊が今なお城跡に漂っているという噂が、長年にわたって語り継がれている。特に「御主殿の滝」周辺では、落城の際に滝へ身を投げた女性たちの霊が目撃されるとされ、夜間に滝の方向から女性の泣き声や呻き声が聞こえてくるという体験談が複数報告されているという。また、山道を歩いている

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八王子霊園

東京都 八王子市

東京都八王子市元八王子町、武蔵野の西端にあたる加住丘陵に、東京都が運営する八王子霊園が広がっている。1971年(昭和46年)開園、面積約65ヘクタール、東京都営霊園としては最も新しい霊園のひとつである。 都営霊園は青山霊園、谷中霊園、染井霊園、雑司ヶ谷霊園、多磨霊園、小平霊園、八柱霊園、八王子霊園、瑞江葬儀所付属霊園の9園で構成され、東京都公園緑地部が一括管理を行っている。八王子霊園は都営霊園の

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油壺

神奈川県 三浦市

神奈川県三浦市三崎町小網代、三浦半島南端の入江は、油壺と呼ばれている。隣接する小網代湾と共に天然の良港を形作り、ヨットハーバーや東京大学三崎臨海実験所が周囲に整備されている。 地名「油壺」の由来は、永正13年(1516年)に滅亡した三浦氏の故事に基づく。鎌倉幕府草創以来400年続いた相模の名族・三浦氏は、新井城(現在の油壺・諸磯一帯)に本拠を置き、関東への進出を目論む小田原・伊勢宗瑞(北条早雲)

カテゴリ別の「城跡」スポット

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加茂山公園
新潟県 加茂市·公園・城址

加茂山公園

新潟県加茂市の市街地に隣接する加茂山一帯を整備した都市公園。青海神社の境内地整備を起点に明治期以降公園として姿を整えたとされ、参道入口や要害城砦跡など、かつての社地・城跡の面影を残す一帯でもある。この城跡は戦国時代の御館の乱で上杉景虎方が籠城し、最終的に落城したとされる古戦場でもあり、そうした歴史とともに、過去に首吊りがあったとする話が心霊スポットとしての由来として紹介されることがある。現在はリス

瀬長島
沖縄県 豊見城市·神域・霊場

瀬長島

沖縄県豊見城市、那覇空港の南に浮かぶ瀬長島は、琉球の始祖神アマミキヨが降臨した聖地として古くから信仰され、瀬長按司の居城跡である瀬長グスクや、島内各所に拝所(うがんじゅ)が点在する「神の島」だった。1944年、日本軍は沖縄上陸に備え小禄飛行場防備の砲台と壕を築くため島の住民に退去を命令し、1945年6月、米軍が上陸戦で島を制圧、1946年には那覇空軍・海軍補助施設の一部として接収され弾薬庫が置かれ

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小机城址
神奈川県 横浜市港北区·公園・城址

小机城址

小机城址は横浜市港北区に残る中世の城跡で、現在は「小机城址市民の森」として整備されている公園である。築城時期は15世紀前半とされ、正確な年代は判明していないが、上杉氏によって築かれたと伝わる。文明8年(1476年)に長尾景春が主家に反旗を翻した「長尾景春の乱」では、小机城は景春方の拠点となり、文明10年(1478年)に太田道灌の軍勢による攻城戦の末、約2ヶ月で落城したと伝わる。その後天正18年(1

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衣笠城址
神奈川県 横須賀市·公園・城址

衣笠城址

衣笠城址は横須賀市衣笠町にある中世の山城跡で、康平年間(1058~1064)に三浦為通が築いたとされ、以後為継・義継・義明と四代にわたり三浦氏の本拠として三浦半島経営の中心を担った。1180年8月、源頼朝の挙兵に応じた三浦義明が平家方の大軍を迎えて籠城したが衆寡敵せず落城し、義明は高齢の身で討死したと伝わる(享年は史料により「八十余」「79」「84」など諸説あり、衣笠合戦)。城は大谷戸川と深山川に

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沖縄県 中城村·公園・城址

中城城跡

中城城跡は沖縄本島中部、中城村に位置する琉球王国時代の城跡で、2000年に世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つに登録された。14世紀後半に地元の按司によって築かれ、1440年頃に座喜味城主だった護佐丸が移り住み、三の郭や北の郭を増築して現在の規模になったと伝わる。1458年、勝連城主・阿麻和利が謀反の疑いをかけたことで首里王府軍が城を攻め、追い詰められた護佐丸は一族とともに自害したとさ

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鳥取県 米子市·公園・城址

米子城跡

米子城跡は鳥取県米子市の湊山にある城跡で、文明2年(1470年)に山名氏が築城したとされる。戦国時代の永禄12年(1569年)には、尼子氏再興を目指す動きに関わった城主・山名之玄が毛利方の吉川元春に攻められて落城し、自害したと伝わる。江戸時代初頭には吉川広家、続いて中村一忠が城を完成させて米子藩の藩庁となったが、明治4年(1871年)の廃城令により取り壊された。現在は湊山公園として整備され、国指定

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東京都 板橋区·公園・城址

赤塚公園(赤塚城跡)

赤塚公園は板橋区赤塚五丁目一帯に広がる都立公園で、園内には室町時代の1456年に千葉自胤が築いたとされる赤塚城の跡が残る。北条方に従った赤塚千葉氏は、豊臣秀吉による小田原征伐で北条氏が滅んだ1590年に城を失い、以後は長く手つかずの状態で遺構が残された。土塁や空堀は江戸城に次いで良好に保存されているとされ、公園として整備された現在も城跡特有の起伏を留めている。 この地には複数の怪異が伝えられてい

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鵜の森公園(鵜森神社・浜田城址)
三重県 四日市市·公園・城址

鵜の森公園(鵜森神社・浜田城址)

四日市市中心部にある鵜の森公園は、室町時代に田原忠秀が築いた浜田城の跡地である。天正3年(1575)6月、城主田原元綱は織田信長の家臣・滝川一益の攻撃を受けて敗れ、討死したと伝わる。落城後、旧臣たちが城跡に鵜森大明神(現・鵜森神社)を建て、忠秀以下四代の霊を祀ったとされる。園内では造成の際に由来不明の墓石が見つかったこともあるという。また昭和20年(1945)6月18日の四日市空襲による犠牲者を悼

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山梨県 韮崎市·公園・城址

新府城跡

新府城跡は、天正9年(1581年)に武田勝頼が甲斐国内での本拠移転を目的に築いた城で、七里岩と呼ばれる台地上に位置する。翌年、織田・徳川連合軍の侵攻を受けた勝頼は、わずか68日で本拠を放棄することとなり、天正10年3月、自ら城に火を放って退去した。この際、城内にいた人質の多くが焼死したことが『信長公記』に記されており、泣き悲しむ声が天に響くほどであったと伝わる。ネット上では、この落城の際に多数の人

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千秋トンネル
秋田県 秋田市·隧道・トンネル

千秋トンネル

千秋トンネルは秋田市中心部、久保田城跡である千秋公園の北側、八幡山の直下を貫く市道トンネルである。八幡山は久保田藩主佐竹氏が八幡宮を祀ったことに由来する名で、トンネル自体は1978年12月に開通し、全長189メートル、手形方面と保戸野方面を結ぶ生活道路として現在も通学路や通勤路に使われている。このトンネルには、若い女性がトンネル出口付近の木で自ら命を絶ったとする噂があり、その霊が今もトンネル内をう

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原城跡
長崎県 南島原市·公園・城址

原城跡

原城は1496年に有馬貴純によって築かれた日野江城の支城で、後に有馬晴信により本格的な城郭として整備された。1637年、廃城となっていたこの地に天草四郎を総大将とする一揆軍、およそ3万7千人が立て籠もり、江戸幕府軍との籠城戦の舞台となった。翌1638年2月の総攻撃で一揆軍は全滅し、幕府側の記録では老人や女性、子どもを含めほぼ全員が殺害されたと伝えられている。現在も発掘調査で人骨が出土することがあり

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富山県 魚津市·公園・城址

魚津城跡

魚津城は建武2年(1335年)頃に築かれたとされ、後に上杉氏の支城として北陸道を扼する要衝を守った。天正10年(1582年)、上杉景勝方の守備隊約3800人が織田軍約4万に包囲され、3ヶ月に及ぶ籠城戦の末、落城が避けられぬと悟った山本寺孝長・吉江宗信・吉江景資ら守将13人が6月3日に自刃し、多くの将兵も討死したと伝わる。実はその前日の6月2日に本能寺の変が起きていたが、守将たちはこれを知らぬまま自

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