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城跡の心霊スポット

城跡・城址にまつわる心霊スポット。

全国 43

人気の「城跡」スポット

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八王子城跡

東京都 八王子市

八王子城跡は、東京都内屈指の心霊スポットとして知る人ぞ知る場所である。1590年の落城の際に命を落とした無数の将兵や女性・子供たちの霊が今なお城跡に漂っているという噂が、長年にわたって語り継がれている。特に「御主殿の滝」周辺では、落城の際に滝へ身を投げた女性たちの霊が目撃されるとされ、夜間に滝の方向から女性の泣き声や呻き声が聞こえてくるという体験談が複数報告されているという。また、山道を歩いている

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八王子霊園

東京都 八王子市

東京都八王子市元八王子町、武蔵野の西端にあたる加住丘陵に、東京都が運営する八王子霊園が広がっている。1971年(昭和46年)開園、面積約65ヘクタール、東京都営霊園としては最も新しい霊園のひとつである。 都営霊園は青山霊園、谷中霊園、染井霊園、雑司ヶ谷霊園、多磨霊園、小平霊園、八柱霊園、八王子霊園、瑞江葬儀所付属霊園の9園で構成され、東京都公園緑地部が一括管理を行っている。八王子霊園は都営霊園の

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上山城跡

山形県 上山市

山形県上山市の中心部、月岡山に立つ城址。戦国時代の1535年、上山義忠が高楯城から現在の地へ城を移した。以後、最上氏の勢力圏下で南部の要塞として機能したが、1580年には家臣の里見一族が謀反を起こし、城内から攻め入られたことで当時の城主が討死したという内紛の記録が残る。江戸時代には松平重忠を初代藩主とする上山藩の政治中枢となったが、元禄年間には藩主の転任に伴い城は幕府直轄地となり、天守など主要な建

カテゴリ別の「城跡」スポット

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鵜の森公園(鵜森神社・浜田城址)
公園・城址·三重県 四日市市

鵜の森公園(鵜森神社・浜田城址)

四日市市中心部にある鵜の森公園は、室町時代に田原忠秀が築いた浜田城の跡地である。天正3年(1575)6月、城主田原元綱は織田信長の家臣・滝川一益の攻撃を受けて敗れ、討死したと伝わる。落城後、旧臣たちが城跡に鵜森大明神(現・鵜森神社)を建て、忠秀以下四代の霊を祀ったとされる。園内では造成の際に由来不明の墓石が見つかったこともあるという。また昭和20年(1945)6月18日の四日市空襲による犠牲者を悼

公園・城址·山梨県 韮崎市

新府城跡

新府城跡は、天正9年(1581年)に武田勝頼が甲斐国内での本拠移転を目的に築いた城で、七里岩と呼ばれる台地上に位置する。翌年、織田・徳川連合軍の侵攻を受けた勝頼は、わずか68日で本拠を放棄することとなり、天正10年3月、自ら城に火を放って退去した。この際、城内にいた人質の多くが焼死したことが『信長公記』に記されており、泣き悲しむ声が天に響くほどであったと伝わる。ネット上では、この落城の際に多数の人

千秋トンネル
隧道・トンネル·秋田県 秋田市

千秋トンネル

千秋トンネルは秋田市中心部、久保田城跡である千秋公園の北側、八幡山の直下を貫く市道トンネルである。八幡山は久保田藩主佐竹氏が八幡宮を祀ったことに由来する名で、トンネル自体は1978年12月に開通し、全長189メートル、手形方面と保戸野方面を結ぶ生活道路として現在も通学路や通勤路に使われている。このトンネルには、若い女性がトンネル出口付近の木で自ら命を絶ったとする噂があり、その霊が今もトンネル内をう

原城跡
公園・城址·長崎県 南島原市

原城跡

原城は1496年に有馬貴純によって築かれた日野江城の支城で、後に有馬晴信により本格的な城郭として整備された。1637年、廃城となっていたこの地に天草四郎を総大将とする一揆軍、およそ3万7千人が立て籠もり、江戸幕府軍との籠城戦の舞台となった。翌1638年2月の総攻撃で一揆軍は全滅し、幕府側の記録では老人や女性、子どもを含めほぼ全員が殺害されたと伝えられている。現在も発掘調査で人骨が出土することがあり

公園・城址·富山県 魚津市

魚津城跡

魚津城は建武2年(1335年)頃に築かれたとされ、後に上杉氏の支城として北陸道を扼する要衝を守った。天正10年(1582年)、上杉景勝方の守備隊約3800人が織田軍約4万に包囲され、3ヶ月に及ぶ籠城戦の末、落城が避けられぬと悟った山本寺孝長・吉江宗信・吉江景資ら守将13人が6月3日に自刃し、多くの将兵も討死したと伝わる。実はその前日の6月2日に本能寺の変が起きていたが、守将たちはこれを知らぬまま自

仏舎利塔(紫波洲崎城址)
神域・霊場·宮崎県 宮崎市

仏舎利塔(紫波洲崎城址)

仏舎利塔は宮崎市南部の折生迫、青島の南に隣接する城山公園の山頂に建つ仏塔である。この地はかつて紫波洲崎城の本丸があった場所で、室町時代に長井氏が築いた城は伊東氏四十八城の一つとされ、以後は伊東氏と島津氏による争奪の舞台となった。1480年に島津方が一時奪取したが伊東氏が奪還し、1577年に伊東義祐が豊後へ逃れた後は島津方の上井薫兼が城主を務めた。1587年の豊臣秀吉による九州征伐後は再び伊東氏の所

松倉城跡
公園・城址·富山県 魚津市

松倉城跡

松倉城跡は魚津市南部、標高約430メートルの松倉山山頂に築かれた山城の跡である。築城は南北朝期の14世紀前半とされ、太平記にもその名が記されている。以後、桃井氏や越中守護代・椎名氏の居城として、新川地方の政治・軍事の中心を約250年にわたって担った。永禄11年(1568)、城主椎名康胤が主家の上杉謙信から離反すると、翌年上杉勢の攻撃を受けて100日に及ぶ攻防となったが持ちこたえ、謙信はいったん兵を

神域・霊場·茨城県 笠間市

佐白山(笠間城跡)

佐白山は茨城県笠間市中心部に位置する標高182〜205メートルほどの小山で、古くは神の使いとされる白い雉・白い鹿・白い狐が棲むとの伝承から「三白山」とも呼ばれた。山頂には式内社の論社である佐志能神社が鎮座する。鎌倉時代、笠間時朝は麓の寺院同士の争いに介入して徳蔵寺などの僧兵を攻め滅ぼし、1219年に山頂へ本格的な城郭を築いたのが笠間城の起源とされる。以後18代にわたり笠間氏が統治したのち、江戸期に

月山富田城跡
公園・城址·島根県 安来市

月山富田城跡

島根県安来市、富田川のほとりにそびえる月山に築かれた戦国の山城跡。山陰・山陽の広い地域を支配した尼子氏の本拠で、天然の要害を生かした難攻不落の堅城として知られた。しかし1565年からの毛利元就による兵糧攻めの末、翌年ついに開城し、尼子氏は滅亡へと向かう。主家再興を願い「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈ったという尼子十勇士・山中鹿介の逸話でも名高い。幾度もの攻防で多くの将兵が散った地と

鳥取城跡
公園・城址·鳥取県 鳥取市

鳥取城跡

鳥取市の中心部、久松山にそびえる戦国の城跡。1581年(天正9年)、織田信長の命を受けた羽柴秀吉がこの城を兵糧攻めにした「鳥取の渇え殺し(かつえごろし)」は、日本の戦史でも屈指の凄惨な籠城戦として知られる。秀吉は周辺の米をあらかじめ高値で買い占めたうえで城を包囲し、四か月近くにわたって食料を断った。城内では草木や牛馬を食い尽くして餓死者が続出し、ついには人の肉さえ口にしたと伝えられ、城主・吉川経家

滝山城跡
公園・城址·東京都 八王子市

滝山城跡

東京都八王子市、多摩川を見下ろす丘陵に築かれた戦国の山城跡。武蔵守護代・大石氏の居城を継いだ北条氏照が大規模に改修した堅城で、1569年(永禄12年)には小田原を目指す武田信玄の大軍に攻め寄せられ、激しい攻防(滝山合戦)が繰り広げられた。氏照はのちに防御に優れた八王子城へ本拠を移し、滝山城は役目を終えた。多くの将兵が戦った地として、また都立公園として整備された今も、心霊スポットとして語られている。

千早城跡
公園・城址·大阪府 南河内郡千早赤阪村

千早城跡

大阪府南河内郡千早赤阪村の金剛山中腹に位置する千早城は、1332年に楠木正成が後醍醐天皇の倒幕運動に呼応して築城した山城である。翌1333年、南北朝時代初期の重要な戦いとして知られる千早城の戦いが起こった。籠城側が千人足らずであったのに対し、鎌倉幕府軍は約百万とされる大軍で約100日間にわたって攻城戦を展開したが、城は陥落しなかった。 現在、本丸・二の丸・三の丸・四の丸などの曲輪、堀切といった山