岡山県の心霊スポットランキング・一覧

12 スポット6 カテゴリ

晴れの国・岡山県は、桃太郎伝説と古代吉備の謎が眠る地である。鬼ノ城に立て籠もった温羅を討ったとされる吉備津神社の鳴釜神事、瀬戸内に浮かぶ島々に残る船幽霊伝承、宇喜多や毛利が争った戦国の落城——古代吉備王国の栄華と、鬼として滅ぼされた者たちの怨念が、桃の伝説の影に今も濃く残り、瀬戸の海風と共に静かに揺れ続けている。

RANKING

最恐ランキング TOP10

どれだけ調べられているかを示す注目度指標。スポット名で直接検索された回数に近い。

旧岡山廃藩政時代処刑場跡
1

旧岡山廃藩政時代処刑場跡

岡山市·280 views
吉備津神社
2

吉備津神社

岡山市·131 views
0%(1)
3

向山洋館(跡地)

倉敷市·123 views
100%(1)
4

旧津山事件現場跡地

1938年5月21日未明、岡山県北部の加茂地域に属する貝尾集落で、わずか90分足らずの間に30人の命が奪われた。時は昭和初期。農村社会の厳密な人間関係が支配する時代のこと。 犯人は当時21歳の都井睦雄。幼少期に両親と祖父を相次いで結核で失い、家系の病によって村の中で烙印を押された。成績は優秀だったが、思春期には同年代との接触を避けるようになっていた。20代手前で肺結核に罹患した彼は、軍事検査で不合格となり、農業労働にも従事できず、さらに進めば縁談も破談となった。積み重なる挫折と孤立の中で、20歳ごろから死への観念が胸に根付いていった。 精神医学の事後評価では、敏感で繊細な気質の底に闘争心が混在し、その上に被害的な妄想が発展した状態と診断された。綿密な計画のもと、彼は村の電線を切断した後、改造した散弾銃、日本刀、斧を携えて11戸の民家を襲撃した。当時、農村の家々は夜間でも施錠されないことが多かった。現場は現在、跡地として残っている。この事件は、日本の犯罪史上、一人による銃火による最大の惨劇として記録される。

津山市·102 views
5

旧富トンネル

旧富トンネルは岡山県道35号(倉敷成羽線)沿いに架かる隧道で、矢掛町と倉敷市玉島地区を結ぶ路線上、1955年(昭和30年)4月に竣工した。約半世紀にわたり地域の生活道路として利用されたが、老朽化と土砂崩落の危険性を背景に2004年、隣接地に新しいトンネルが開通し、旧道は通行止めとなった。現在はトンネル両端の入口がフェンスで塞がれており、中に入ることはできない。このトンネルには、かつて付近で殺人事件が起きたとする噂があり、その被害者とされる女性の霊が現れるという話が広まっている。目撃談としては、白い服を着た女性がトンネル内に立ち尽くし、近づいてくるように見えるが一定の距離で姿を消すというもの、笑い声や囁き声が聞こえるというものなどが伝えられている。撮影した写真に赤い光や人影のようなものが写り込むという報告も複数見られる。一方で、事件の具体的な発生時期や経緯を示す記録は確認されておらず、噂の域を出ないとする見方も存在する。

矢掛町·71 views·
0%(1)
6

沙美海岸

沙美海岸は倉敷市玉島にある海水浴場で、1880年に医師の坂田待園が海水浴を健康法として提唱し、村長の協力で海浜施設が開かれたことから、日本における海水浴場発祥の地の一つとされる。1983年度から1989年度にかけて日本初とされる人工養浜事業が行われ、南国風の景観に整備された結果、1996年には日本の渚百選に選定された。夏には県内外から多くの海水浴客が訪れる一方、長い歴史の中では海での事故により命を落とした人も少なくないという。こうした経緯から、海面に白い手が浮かび上がって見える、あるいは夜の海辺で波打ち際や海中からこちらを見つめる女性の姿を目にしたという話が伝えられている。海岸の一角には、亡くなった人々を供養するためお経を書いた石が海中に沈められているとの話もあり、そのあたりは霊的な気配を感じる区域として挙げられることがある。ただし白い手の目撃例は多くの人が実際に見たものではなく、真偽は定かでないとする指摘もある。日中は海水浴客で賑わう砂浜も、日が落ちると雰囲気が一変するとされ、複数の心霊系サイトや体験談まとめで同様の噂が繰り返し紹介されており、水難事故という表面的な理由の裏に別の事情があるのではないかと推測する記事も見られる。現在も海水浴場として運営が続けられており、供養の石にまつわる話とあわせて、水辺の心霊スポットとして名前が挙がる状況が続いている。

倉敷市·71 views·
0%(1)
7

鷲羽山

岡山県倉敷市の児島半島に位置する標高133メートルの山。瀬戸内海国立公園の代表的な景勝地で、山頂からは瀬戸大橋と多島美が一望でき、日本の夕陽百選に選ばれている。展望台と遊歩道が整備された観光地として知られる。 山の中腹から山頂にかけて古墳が点在し、古くから人間活動の痕跡がある。第二次世界大戦中には沿岸防備のための軍事施設が築かれた歴史があり、戦後は遺跡として保存されている。 地名「鷲羽山」は江戸中期に成立。1930年に国の名勝に指定され、1934年に瀬戸内海国立公園に編入された。1970年には岡山県初の観光道路として鷲羽山スカイラインが開通し、後に無料化されて県道となり、現在も瀬戸内の景観を楽しむドライブコースとして利用されている。

倉敷市·70 views
8

古城池トンネル(旧古城池トンネル)

古城池トンネルは倉敷市福田町にある道路トンネルで、1975年に上り線(旧トンネル)が開通し、1999年に下り線が完成して現在の二本立ての構造になった。開通当初は有料道路として運用されていたが、倉敷市が早期に費用を完済したため、開通から1年余りで無料化された経緯がある。 このトンネルは岡山県内でも広く知られた心霊スポットで、夏の心霊特集番組などで紹介されたことをきっかけに全国的に名前が知られるようになった。噂として最も有名なのは、上り線で車やバイクに並走してくる老婆の霊で、通称ジェットババアと呼ばれている。追い越されて驚くだけで危害はないという話が多い。また、旧トンネル手前にはかつて公衆電話ボックスがあり、そこに女性の霊が現れるという話も語られていたが、電話ボックス自体は現在撤去されている。 さらに、トンネル付近には古戦場や処刑場、火葬場があったとの説があり、これに関連して甲冑姿の落ち武者の霊が目撃されるという話も伝わっている。ただし、そうした古戦場や処刑場の跡地を示す史料や標識は確認されておらず、地名の古城池から周辺に城があったのではないかという推測にとどまっている。

倉敷市·66 views
9

貝尾・坂元集落(津山三十人殺し現場)

岡山県津山市加茂町行重にある貝尾・坂元集落は、1938年(昭和13年)に発生した津山三十人殺しの現場として知られる。当時21歳の青年が、改造した猟銃や日本刀、斧などを用いて未明に集落の民家11軒を襲い、短時間で28人が死亡、その後の死亡者を含め30人が犠牲となった惨劇は、後に小説『八つ墓村』の題材にもなった。犯人は犯行後に自らの命を絶ち、事件は被疑者死亡のまま処理された。裏山には同じ日付が刻まれた27基の墓が一列に並び、被害者の実名が彫られていると伝えられる。事件当時23戸111人が暮らしていた集落は過疎化が進み、2010年時点では13戸37人程度まで減少したとされる。現在も一部住民が生活を続けているが、事件現場となった空き家は「関係者以外立入禁止」とされ、老朽化により取り壊しの可能性がある廃屋として残っているとの紹介もある。空き家をめぐっては、強い気配や視線を感じる、夜間に泣き声のような音が聞こえるといった話に加え、老婆の姿をした霊を見たという声がインターネット上の投票や紹介記事で最も多く挙がっている。テレビ番組の企画で現地を訪れた出演者が、後に体験を語った例も報じられている。

津山市·48 views·
100%(1)
10

人形峠

岡山県苫田郡鏡野町上齋原と鳥取県三朝町の県境、中国山地の稜線上、標高740メートル前後に位置する峠。地名の由来には二つの説が伝わる。一つは江戸期の地誌『伯耆民談記』にも記された伝承で、旅人を襲う大蜘蛛(あるいは蜂とも)を退治するため木地師が娘の姿をした木像を峠に置いて囮にし、現れた化け物に村人総出で討ち取ったという話。もう一つは、濃霧の峠道で母と娘がはぐれ、霧が晴れた後には娘の姿が消え、娘によく似た人形だけが残されていたという神隠しの伝承で、峠には後年母子地蔵が建立された。峠の名称自体は、1955年にウラン鉱が発見される以前は「打札越(うちふだごえ、出典によっては「打越越」とも表記される)」と呼ばれていたが、同年ウラン鉱が発見され「人形峠ウラン鉱」と命名されたことで現在の呼び名が定着した。その後は原子燃料公社によるウラン採掘や、ウラン濃縮パイロットプラントでの国産濃縮ウラン生産が行われた歴史を持つ。こうした由来と歴史を背景に、峠では全身が濡れた女性の姿や、子どもの足だけが歩く様子、幼児の泣き声を聞いたとする話がいくつか伝わっている。

鏡野町·33 views

すべてのスポット

古城池トンネル(旧古城池トンネル)
岡山県 倉敷市·隧道・トンネル

古城池トンネル(旧古城池トンネル)

古城池トンネルは倉敷市福田町にある道路トンネルで、1975年に上り線(旧トンネル)が開通し、1999年に下り線が完成して現在の二本立ての構造になった。開通当初は有料道路として運用されていたが、倉敷市が早期に費用を完済したため、開通から1年余りで無料化された経緯がある。 このトンネルは岡山県内でも広く知られた心霊スポットで、夏の心霊特集番組などで紹介されたことをきっかけに全国的に名前が知られるようになった。噂として最も有名なのは、上り線で車やバイクに並走してくる老婆の霊で、通称ジェットババアと呼ばれている。追い越されて驚くだけで危害はないという話が多い。また、旧トンネル手前にはかつて公衆電話ボックスがあり、そこに女性の霊が現れるという話も語られていたが、電話ボックス自体は現在撤去されている。 さらに、トンネル付近には古戦場や処刑場、火葬場があったとの説があり、これに関連して甲冑姿の落ち武者の霊が目撃されるという話も伝わっている。ただし、そうした古戦場や処刑場の跡地を示す史料や標識は確認されておらず、地名の古城池から周辺に城があったのではないかという推測にとどまっている。

沙美海岸
岡山県 倉敷市·水辺

沙美海岸

沙美海岸は倉敷市玉島にある海水浴場で、1880年に医師の坂田待園が海水浴を健康法として提唱し、村長の協力で海浜施設が開かれたことから、日本における海水浴場発祥の地の一つとされる。1983年度から1989年度にかけて日本初とされる人工養浜事業が行われ、南国風の景観に整備された結果、1996年には日本の渚百選に選定された。夏には県内外から多くの海水浴客が訪れる一方、長い歴史の中では海での事故により命を落とした人も少なくないという。こうした経緯から、海面に白い手が浮かび上がって見える、あるいは夜の海辺で波打ち際や海中からこちらを見つめる女性の姿を目にしたという話が伝えられている。海岸の一角には、亡くなった人々を供養するためお経を書いた石が海中に沈められているとの話もあり、そのあたりは霊的な気配を感じる区域として挙げられることがある。ただし白い手の目撃例は多くの人が実際に見たものではなく、真偽は定かでないとする指摘もある。日中は海水浴客で賑わう砂浜も、日が落ちると雰囲気が一変するとされ、複数の心霊系サイトや体験談まとめで同様の噂が繰り返し紹介されており、水難事故という表面的な理由の裏に別の事情があるのではないかと推測する記事も見られる。現在も海水浴場として運営が続けられており、供養の石にまつわる話とあわせて、水辺の心霊スポットとして名前が挙がる状況が続いている。

鷲羽山
岡山県 倉敷市·山道・峠

鷲羽山

岡山県倉敷市の児島半島に位置する標高133メートルの山。瀬戸内海国立公園の代表的な景勝地で、山頂からは瀬戸大橋と多島美が一望でき、日本の夕陽百選に選ばれている。展望台と遊歩道が整備された観光地として知られる。 山の中腹から山頂にかけて古墳が点在し、古くから人間活動の痕跡がある。第二次世界大戦中には沿岸防備のための軍事施設が築かれた歴史があり、戦後は遺跡として保存されている。 地名「鷲羽山」は江戸中期に成立。1930年に国の名勝に指定され、1934年に瀬戸内海国立公園に編入された。1970年には岡山県初の観光道路として鷲羽山スカイラインが開通し、後に無料化されて県道となり、現在も瀬戸内の景観を楽しむドライブコースとして利用されている。

岡山県 倉敷市·廃墟・残骸

向山洋館(跡地)

向山洋館は岡山県倉敷市の向山中腹に建てられていた宿泊施設の廃墟である。1980年前後の空撮には青みがかった屋根を持つ建物が確認されており、宿舎や保養所として使われていたとされる。営業を終えたのちは管理者を失い、周囲の樹木に覆われながら長期間放置された。廃業後まもなく、中庭で少女の霊が手招きをする姿を見たという話や、建物の一部に人の顔のような影が浮かんで見えるという話が伝わるようになり、岡山県内でも知られた心霊スポットとして肝試しの対象にされてきた。写真を撮影すると顔に見える人影が写り込む、背後で女性の笑い声が聞こえるといった体験も紹介されている。2000年代以降は森林の成長によって建物への接近自体が難しくなり、噂も次第に下火になっていったという。転機となったのは2023年ごろで、航空写真の比較調査によって敷地の様子が一変していたことが判明し、建物や門はすでに取り壊され、跡地は産業廃棄物処理関連の施設として利用されているとみられる。建物自体は姿を消したものの、かつての跡地を巡る怪異のうわさは今も一部で語り継がれている。

旧岡山廃藩政時代処刑場跡
岡山県 岡山市·廃墟・残骸

旧岡山廃藩政時代処刑場跡

岡山城下の発展に並行して、江戸時代を通じて複数の処刑場が機能していた。岡山藩の統治下では万成・柳原・宍甘坂・半田坂・川口の五カ所が設置され、特に旭川沿いの万成と柳原が頻繁に使用された。処刑の種類によって施設が分かれており、首切りは柳原で、磔は半田坂で、晒し首は万成に設けられた台上で行われたとされている。 歴史に記された処刑の一例として、1668年の矢田部六人衆がある。日蓮宗の不受不施という教義に従っていた信仰者たちであり、幕藩体制への宗教的抵抗とみなされて、柳原の処刑場で斬首された。同時期の政治的締め付けの中で、思想の自由さえ許されぬ時代であったことを物語る歴史である。 明治の廃藩置県によって、こうした刑罰制度は終焉を迎える。1871年の藩制廃止に伴い、処刑場としての機能は完全に喪失された。旧処刑場跡は土地利用が変わり、今では農地や空き地として周辺地域に組み込まれている。ただし痕跡は地名や遺跡表示、地元の記録に残されており、近代への移行を記す無言の証人として存在し続けている。 1960年代から1970年代にかけて、旭川の河川改修工事が実施された際、かつての処刑場付近の河床から大量の人骨が発見された。新聞報道や地方誌で報告されたこの発見は、文献に記された処刑の歴史が、実際に多くの人命が失われた場所であったことを物理的に証明した。その後、地元では慰霊碑を建立し、処刑場跡に向き合う動きが進められている。 心霊目撃例は、ネット上では跡地の周辺で不可解な気配を感じたという報告が報告されているが、具体的な事例は限定的である。むしろ地元住民にとっては、この土地は歴史学習の対象であり、死者に対する敬意をもって語られる傾向にある。廃藩政時代から現代に至るまで、処刑場跡は単なる心霊スポットではなく、日本の政治体制が大きく転換した時代を背負った歴史遺産として認識されている。

吉備津神社
岡山県 岡山市·神域・霊場

吉備津神社

岡山市北区吉備津の吉備中山北西麓に鎮座する吉備津神社は、仁徳天皇の時代に創建されたと伝わる古社である。四道将軍の一人として吉備国を平定した大吉備津彦命を主祭神とし、古代より厚い信仰を集めてきた。 本社の建築は明徳元年から整備が始まり、応永32年(1425年)に足利義満の命で現在の建築が遷座された。本殿と拝殿は「吉備津造」と呼ばれる比翼入母屋造の建築様式で、全国で唯一の形式として国宝に指定されている。本殿に続く約360メートルの廻廊も重要文化財に指定されており、建築群全体が貴重である。 神事として知られるのが鳴釜神事である。釜が加熱されるときの音で吉凶を占うもので、最古の文献記録は『多聞院日記』に見られる永禄11年(1568年)である。江戸時代には上田秋成の『雨月物語』に「吉備津の釜」として著された怪異小説の題材となるなど、広く知られていた。 鳴釜神事の伝説的背景は温羅退治に遡るとされる。大吉備津彦命が退治した温羅の首を埋めた御竈殿の釜の下から、その唸り声が聞こえ続けたという伝承に由来する。この伝説と実在する神事が結びついた形で、後代に畏敬の対象として語り継がれた。

旭川ダム
岡山県 岡山市北区·水辺

旭川ダム

旭川ダムは岡山県岡山市北区建部町と吉備中央町にまたがる旭川中流部に位置し、昭和26年から4年をかけて建設され、1954年に完成した多目的ダムである。建設工事では作業員約30人が死亡したとされ、同年11月に慰霊碑が建立されたと伝えられる。この慰霊碑の存在を背景に、ダム湖畔では複数の心霊体験が語られている。誰もいない湖畔で男性が「おい」と呼ぶような怒鳴り声が聞こえた、停車中の車の窓やドアを外側から叩かれたという体験が複数のサイトで報告されている。慰霊碑付近で作業服姿の男性の影が立っている様子や、視界が突然暗くなり黒い霧のようなものに包まれたとする目撃談もある。乗用車が湖に転落し家族が死亡したという話も一部で語られるが、こうした事故を報じた記事は見当たらず、記録は確認できていない。男性の霊にまつわる話に加え、訪れた際に髪の長い女性の霊を連れて帰ったとする体験談もネット上に投稿されており、その夜金縛りに遭い、後に別の人物にも同様の姿が見えるようになったと語られている。ダムは日中は釣り場として利用され、バス釣りの名所としてボート釣りや釣り大会も行われる活動的な施設であり、立入禁止などの措置は特に報告されていないが、こうした噂によって心霊スポットとしても知られている。

岡山県 津山市·集落・廃村

貝尾・坂元集落(津山三十人殺し現場)

岡山県津山市加茂町行重にある貝尾・坂元集落は、1938年(昭和13年)に発生した津山三十人殺しの現場として知られる。当時21歳の青年が、改造した猟銃や日本刀、斧などを用いて未明に集落の民家11軒を襲い、短時間で28人が死亡、その後の死亡者を含め30人が犠牲となった惨劇は、後に小説『八つ墓村』の題材にもなった。犯人は犯行後に自らの命を絶ち、事件は被疑者死亡のまま処理された。裏山には同じ日付が刻まれた27基の墓が一列に並び、被害者の実名が彫られていると伝えられる。事件当時23戸111人が暮らしていた集落は過疎化が進み、2010年時点では13戸37人程度まで減少したとされる。現在も一部住民が生活を続けているが、事件現場となった空き家は「関係者以外立入禁止」とされ、老朽化により取り壊しの可能性がある廃屋として残っているとの紹介もある。空き家をめぐっては、強い気配や視線を感じる、夜間に泣き声のような音が聞こえるといった話に加え、老婆の姿をした霊を見たという声がインターネット上の投票や紹介記事で最も多く挙がっている。テレビ番組の企画で現地を訪れた出演者が、後に体験を語った例も報じられている。

岡山県 矢掛町·隧道・トンネル

旧富トンネル

旧富トンネルは岡山県道35号(倉敷成羽線)沿いに架かる隧道で、矢掛町と倉敷市玉島地区を結ぶ路線上、1955年(昭和30年)4月に竣工した。約半世紀にわたり地域の生活道路として利用されたが、老朽化と土砂崩落の危険性を背景に2004年、隣接地に新しいトンネルが開通し、旧道は通行止めとなった。現在はトンネル両端の入口がフェンスで塞がれており、中に入ることはできない。このトンネルには、かつて付近で殺人事件が起きたとする噂があり、その被害者とされる女性の霊が現れるという話が広まっている。目撃談としては、白い服を着た女性がトンネル内に立ち尽くし、近づいてくるように見えるが一定の距離で姿を消すというもの、笑い声や囁き声が聞こえるというものなどが伝えられている。撮影した写真に赤い光や人影のようなものが写り込むという報告も複数見られる。一方で、事件の具体的な発生時期や経緯を示す記録は確認されておらず、噂の域を出ないとする見方も存在する。

岡山県 美咲町·廃墟・残骸

柵原鉱山跡(柵原鉱山トンネル・火之谷隧道)

岡山県美咲町の柵原鉱山は、江戸時代初期に発見されたとされる硫化鉄鉱の鉱山で、大正から昭和にかけて東洋屈指の規模に発展した。1918年の豪雨では地すべりが吉井川を閉塞して周囲一帯が冠水し、多くの犠牲者とともに坑道全体が水没する事態となったほか、1945年の枕崎台風でも坑道が水没する被害を受けている。1991年3月に閉山し、選鉱場や竪坑の跡、隣接する隧道が残された。現在は跡地の一部が資料館や公園として整備されている一方、閉山後に残る坑道やトンネルの周辺は、地元で古くから知られる心霊スポットとして語られている。噂の中心は隧道内でのできごとで、坑道入口付近で首を吊った人がいたとの話や、夜間や曇天の日に隧道の奥から人影がゆらゆらと現れるという目撃談が伝わる。写真を撮ると赤いオーブが写り込むという報告も複数見られ、それが現れたら引き返すべきだという言い伝えも残る。ネット上の掲示板等ではこうした噂の信憑性を疑う声もあるが、往時に多数の人命が失われた歴史的背景と結び付けられ、現在も心霊スポットとして名前が挙がり続けている。

旧津山事件現場跡地
岡山県 津山市·集落・廃村

旧津山事件現場跡地

1938年5月21日未明、岡山県北部の加茂地域に属する貝尾集落で、わずか90分足らずの間に30人の命が奪われた。時は昭和初期。農村社会の厳密な人間関係が支配する時代のこと。 犯人は当時21歳の都井睦雄。幼少期に両親と祖父を相次いで結核で失い、家系の病によって村の中で烙印を押された。成績は優秀だったが、思春期には同年代との接触を避けるようになっていた。20代手前で肺結核に罹患した彼は、軍事検査で不合格となり、農業労働にも従事できず、さらに進めば縁談も破談となった。積み重なる挫折と孤立の中で、20歳ごろから死への観念が胸に根付いていった。 精神医学の事後評価では、敏感で繊細な気質の底に闘争心が混在し、その上に被害的な妄想が発展した状態と診断された。綿密な計画のもと、彼は村の電線を切断した後、改造した散弾銃、日本刀、斧を携えて11戸の民家を襲撃した。当時、農村の家々は夜間でも施錠されないことが多かった。現場は現在、跡地として残っている。この事件は、日本の犯罪史上、一人による銃火による最大の惨劇として記録される。

人形峠
岡山県 鏡野町·山道・峠

人形峠

岡山県苫田郡鏡野町上齋原と鳥取県三朝町の県境、中国山地の稜線上、標高740メートル前後に位置する峠。地名の由来には二つの説が伝わる。一つは江戸期の地誌『伯耆民談記』にも記された伝承で、旅人を襲う大蜘蛛(あるいは蜂とも)を退治するため木地師が娘の姿をした木像を峠に置いて囮にし、現れた化け物に村人総出で討ち取ったという話。もう一つは、濃霧の峠道で母と娘がはぐれ、霧が晴れた後には娘の姿が消え、娘によく似た人形だけが残されていたという神隠しの伝承で、峠には後年母子地蔵が建立された。峠の名称自体は、1955年にウラン鉱が発見される以前は「打札越(うちふだごえ、出典によっては「打越越」とも表記される)」と呼ばれていたが、同年ウラン鉱が発見され「人形峠ウラン鉱」と命名されたことで現在の呼び名が定着した。その後は原子燃料公社によるウラン採掘や、ウラン濃縮パイロットプラントでの国産濃縮ウラン生産が行われた歴史を持つ。こうした由来と歴史を背景に、峠では全身が濡れた女性の姿や、子どもの足だけが歩く様子、幼児の泣き声を聞いたとする話がいくつか伝わっている。

市区町村から探す