その他

既存の地形や用途では括れぬ場にも、土地固有の因縁は宿る。交通の要衝、軍事施設跡、産業遺構、来歴の途絶えた建造物など、分類を拒む空間ほど語りの空白を抱え込む。沈黙の中に堆積する名もなき記憶こそ、新たな怪談を生み出す苗床となる。

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都道府県別のその他スポット

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JR保津峡駅
京都府 京都市西京区·その他

JR保津峡駅

保津峡の渓谷に架かる橋の上に建つJR保津峡駅は、1929年に信号場として開設され、1989年の複線化に合わせて現在の位置へ移設された。ホームの直下を保津川(桂川)が流れ、真下を保津川下りの遊覧船が通過する光景で知られる無人駅である。一方で周辺の山林や河岸では、身元不明の遺体が発見されたとする記録が官報に複数回残されており、発見は2000年代から2020年代にかけて散発的に続いている。心霊情報を扱う

平尾霊園
福岡県 福岡市南区·その他

平尾霊園

福岡市南区に位置する市営の平尾霊園は、標高100mほどの鴻巣山北側の山腹に広がっている。この山はかつて陸軍の射撃場として使われていたとされ、1975年に緑地保全地区の指定を受けた後、遊歩道や展望台が整えられた。 霊園の正面入口から坂を上る途中には池があり、そのほとりに稲荷社が祀られている。この社の前で犬が急に足を止め、無理に引いて進ませると社に向かって吠え続けるという話が伝えられている。 坂を

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神奈川県 川崎市川崎区·その他

八丁畷駅(無縁塚)

八丁畷駅は、東海道川崎宿の外れから横浜方面へ抜ける約八丁(870メートル)の直線道「八丁畷」の名を受け継ぐ駅である。この付近では江戸時代以降たびたび人骨が発見されており、東京大学による鑑定では江戸期の特徴を備えた骨であることが判明した。当時の震災や大火、洪水、飢饉、疫病といった災害で亡くなった身元不明の人々が、宿場のはずれの並木の下に埋葬されたのではないかと推測され、これを受けて昭和9年(1934

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燈明堂(浦賀燈明堂)
神奈川県 横須賀市·その他

燈明堂(浦賀燈明堂)

横須賀市浦賀の岬に建つ燈明堂は、江戸幕府の命により慶安元年(1648)に築かれた和式灯台で、浦賀水道を行く船の安全を支え明治5年(1872)まで灯りをともし続けた。堂の周辺には浦賀奉行所の処刑場が置かれ、罪人の首が落とされる場所であったと伝わるが、この由来を裏付ける江戸期の公的な記録は見つかっておらず、真偽は定かでないとの指摘もある。処刑の際に上がった悲鳴や遺族の泣き声は、対岸の鴨居まで届いたとい

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鷹取山
神奈川県 横須賀市·その他

鷹取山

横須賀市と逗子市の境に位置する標高139mの山で、通称「湘南妙義」と呼ばれる。新第三紀の凝灰岩「鷹取石」を切り出す採石場として古くから利用され、垂直に切り立った巨大な岩壁がその名残として残る。関東大震災では凝灰岩建材の倒壊被害が相次いだことなどから採石は下火になったとされる。太平洋戦争末期には旧日本軍の高角砲台が設置され、兵士が配置された軍事施設としての歴史も持つ。昭和35年ごろ、地元彫刻家によっ

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城ヶ島灯台
神奈川県 三浦市·その他

城ヶ島灯台

三浦市三崎町の城ヶ島西端に立つ城ヶ島灯台は、江戸時代の慶安元年頃に三崎奉行安部次郎兵衛が設けたのろし台の跡地に、1870年、日本で五番目の洋式灯台として初点灯した。設計はフランス人技師レオンス・ヴェルニーによるもので、1923年の関東大震災で倒壊した後、1926年に現在の白いコンクリート造として再建されている。周辺の城ヶ島公園は太平洋の荒波が削った海蝕崖や洞穴が連なる地形で、戦前は「城ヶ島要塞」と

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沖縄県 国頭村·その他

大石林山

大石林山は沖縄本島最北端の国頭村に広がる石灰岩の奇岩群で、琉球神話でアマミキヨが最初に降り立ったとされる安須森(アスムイ)に位置し、山中には数多くの拝所が残る聖地とされる。園内の巨大なガジュマルの周辺では、沖縄各地に伝わる樹木の精霊キジムナーの目撃談があると噂されており、立ち入りが制限された区域には白い装束の仙人のような存在が現れるという話がガイドの案内で語られることもある。ガイド付きツアーでは、

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東京都 奥多摩町·その他

日原鍾乳洞

奥多摩町日原にある日原鍾乳洞は、総延長1270メートル、高低差134メートルを誇る関東地方最大級の鍾乳洞で、東京都指定天然記念物となっている。石灰岩からなる急峻な渓谷沿いに位置し、かつては山岳信仰・修験道の霊場として栄え、現在は保勝会の管理下で観光地として公開されている。洞内には「死出の山」と呼ばれる区画があり、山中で命を落とした人々を供養するための地蔵が多数安置されている。訪れた者からは、この一

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東京都 板橋区·その他

五本けやき

「五本けやき」は東京都板橋区上板橋の川越街道、国道254号の中央分離帯に残る5本のケヤキで、板橋区の景観重要樹木にも指定されている。昭和初期、川越街道の拡幅工事にあたり、当時の上板橋村の村長が屋敷林の一部を残すことを条件に土地を提供したため、伐採を免れて現在の位置に保存されたと伝わる。後年、老木化した2本が枯れ、地元有志の手で植え替えられて現在の姿を保っている。 一方で、道路拡張の際に木を切ろう

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七人坊主の呪い
東京都 八丈町·その他

七人坊主の呪い

東京都八丈町の中之郷地区から東山(三原山)にかけて伝わる話である。江戸時代、上方から船で流れ着いた七人の僧侶が、当時大飢饉に苦しんでいた村から食料を求めたものの受け入れられず、東山へ追われて次々と山中で命を落としたとされる。流刑者だったという説、天然痘を患っていたため拒まれたという説など複数の伝承が存在する。僧侶らの死後、村の周辺では白装束姿の僧侶の霊が家々を歩き回るとの噂が広まり、農作物の不作や

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秋芳洞
山口県 美祢市·その他

秋芳洞

秋芳洞は山口県美祢市の秋吉台地下に広がる、総延長十キロメートル余りに及ぶ日本屈指の規模を持つ鍾乳洞である。かつては「滝穴」と呼ばれていたが、大正期の皇太子行啓を機に現在の名称へ改められたと伝わる。洞内には、壇ノ浦の戦いに敗れた平家一門がここに逃れ隠れ住んだという伝承が残されている。観光客の間では、洞内で撮影した写真に無数の光の粒が写り込むとの報告が多く、百枚皿や琴ヶ淵と呼ばれる区間では、鎧をまとっ

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滋賀県 甲賀市信楽町多羅尾·その他

多羅尾処刑場跡

滋賀県甲賀市信楽町、御斎峠から北西へおよそ500メートルの山中に、江戸時代の処刑場跡が残る。この地を含む信楽の代官所は、本能寺の変後に徳川家康の伊賀越えを助けた功により、一族が明治維新まで世襲代官を務めた家である。刑は旧暦12月20日に執行されたとされ、牢から出された罪人は裸馬に乗せられ、役人や足軽の列とともに山道を進んでこの場所まで連れて来られたという。処刑場の付近には磨崖仏が彫られており、処刑

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