
出島
長崎県長崎市出島町。長崎港の市街地寄りに、扇形の人工島の輪郭が残っている。出島である。江戸幕府が1634年(寛永11年)にポルトガル人を居住・管理する目的で築造を始め、1636年に完成、1641年に平戸からオランダ商館を移転して以降、1859年の鎖国終焉までの約218年間、日本における西洋諸国との唯一の通商窓口として機能した。 面積は約15,000平方メートル、東京ドーム面積の三分の一ほどの小さな人工島である。江戸期の鎖国体制下では、オランダ商館長カピタンとその下の商館員、医師、料理人、通詞(通訳)たち、合わせて常時20名前後が暮らしていた。出島の外への外出は厳しく制限されたが、商館長は年に一度の江戸参府で江戸城に登城して将軍に拝謁したほか、長崎奉行や検視役、町年寄との接触もあり、完全な隔離ではなかった。 出島を通じて日本に流入した知識は膨大である。蘭学と総称される医学、天文学、植物学、化学、軍事技術、そして西洋絵画や音楽。シーボルトが鳴滝塾を開き高野長英や緒方洪庵らに影響を与えたのも、ケンペルやツュンベリーが日本の動植物を世界に紹介したのも、出島という拠点があったからである。 埋立てによって周辺と陸続きとなり、長らく市街地に埋もれていたが、長崎市は1996年から段階的に往時の建物の復元事業を進めた。2017年に表門橋が架けられて、ようやく江戸期の景観に近い姿が戻った。現在は出島和蘭商館跡として国の史跡に指定され、復元された商館長宅、カピタン部屋、料理部屋、ヘトル部屋など19棟の建物の中を歩いて見学できる。営業時間と入場料は長崎市の公式観光サイトに掲載されている。
