滋賀県の心霊スポットランキング・一覧

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日本最大の湖・琵琶湖を抱く滋賀県は、最澄が開いた比叡山延暦寺を擁する仏教の聖地である。織田信長の焼き討ち、姉川合戦、坂本城落城——湖国は戦国の血を吸い続けた地でもある。井伊家の居城・彦根城、近江の古戦場跡、比叡の千日回峰行が続く山中。湖底と霊峰が抱える千年の祈りと怨念は、今も静かに水面下で揺らめいている。

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ホテル祇園

大津市·74 views
賤ヶ岳古戦場
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賤ヶ岳古戦場

長浜市·62 views
大福寺
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大福寺

長浜市·60 views
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海津大崎のトンネル

海津大崎は琵琶湖畔にせり出した岩礁地帯で、桜の名所として知られる観光地である。滋賀県道557号の湖岸道路には、昭和10年から11年にかけて掘削された5本のトンネルが連なり、中でも中央の2本目から4本目にかけての短い区間で怪異の噂が集まっている。伝えられる内容は、トンネルを抜けた後に車体へ手形状の跡が付いていたというもの、走行中に前照灯が突然消えて事故につながったというもの、甲冑姿の人影や、帽子とコートを着た男性が路上に立つのを見たというものなど多岐にわたる。ネット上ではこうした噂と並んで、通過時に撮影した写真にオーブと呼ばれる発光体が写り込んだという報告も見られる。近隣の大崎寺には、天正10年(1582年)の安土城落城の際、明智光秀方の攻撃で焼失した城の建材に血痕が残り、その建材で本堂を建て戦没者を弔ったという由緒が伝わる。この建材は昭和41年(1966年)の阿弥陀堂改築時に天井へ転用され、現在も「血天井」として保存されており、寺の由緒がトンネルの怪異と結び付けて語られることがある。桜の時期には花見客で賑わう一方、それ以外の季節は人通りが少なく静まり返るこの湖岸道路の一角が、様々な怪異譚の舞台として知られるようになっている。

高島市·48 views
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琵琶湖岸の心霊スポット

琵琶湖岸、特に大津市の湖畔は、古代から近現代まで多くの水難をもたらしてきた土地である。最大級の災害は1941年4月、金沢第四高等学校の漕艇部員と京都帝国大学生合わせて11人が、比良山系からの突風(比良おろし)により湖上で転覆して全員が亡くなった琵琶湖遭難事故である。遺体収容までに2ヶ月以上を要した。 琵琶湖の水は塩水と異なり浮力が極めて低く、また西岸の水深は急激に深くなる漏斗状地形を呈している。気象は急変し、一見静かな湖面も予告なく激高波が立つ。このような環境と、過去の集団遭難という重い記憶が、湖岸の霧景の中で無意識のうちに知覚を増幅させ、人影や音の知覚へと変換されやすい条件を作り出している。 夜間の湖岸訪問は転落・溺水の現実的危険が極めて高く、強く推奨されない。訪問時は日中に整備された遊歩道や展望地に留め、歴史への敬意を欠かすべきではない。

大津市·44 views
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旧佐和山遊園

彦根市の国道8号沿いに位置する旧佐和山遊園は、石田三成を敬愛した地元の建築業者が1976年に着工した個人経営のテーマパーク跡である。佐和山城を模した城郭風の建物や、独自に製作された多数の石像・銅像を配し、歴史資料館的な施設として整備が進められたが、正式な開業には至らなかった。2000年には施設内の骨董品が盗難被害を受けたことが報じられている。営業実態が薄いまま2015年頃に閉鎖され、2017年には売却・解体を告知する看板が掲げられたものの、その後も長期間放置され、蔓や雑草に覆われた廃墟として現存している。2023年末には道路に面した部分の解体が始まったと伝えられる。こうした状況の中、インターネット上では夜間に武士の姿をした人影が敷地内を歩いている、あるいは並んだ石像が動いて見えるといった噂が紹介されており、滋賀県内の心霊スポットの一つとして名前が挙がるようになった。近隣には旧佐和山トンネル(佐和山隧道)もあり、周辺一帯が心霊スポットとして語られる地域となっている。

彦根市·42 views
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旧草津川(草津川跡地公園)

草津川は滋賀県草津市の市街地を南北に貫いていた天井川で、江戸時代に東海道と中山道が合流・分岐する草津宿の本陣付近を流れていたことで知られる。長年の土砂の堆積によって川底が周辺の地面より高くなる典型的な天井川となり、増水時には堤防決壊による浸水被害を繰り返してきた。治水対策として2002年に下流域で新たな放水路への付け替えが行われ、旧来の河道は廃川となって長らく人の手が入らないまま放置される時期があった。2017年以降、区間ごとに順次整備が進められ、現在は草津川跡地公園として市民に利用されている。 インターネット上の心霊スポット情報では、この旧河道、特に本陣裏手にあったとされる踏切付近が「本当にやばい」「たまり場」といった言葉で語られ、深夜の立ち入りを戒める声が見受けられる。付近の旧街道沿いの住居についても、地元の年配者の間で不穏な噂が伝わっているという。具体的な事件の記録は乏しいものの、廃川となり人の気配が絶えていた時期の荒涼とした河道の姿が、東海道と中山道が交わる宿場町を長く行き交った旅人たちの記憶と重ね合わされ、不安を誘う場所として語られる背景になっていると考えられる。

草津市·37 views
8

瀬田の唐橋(深夜の橋上)

瀬田の唐橋は、琵琶湖南端の瀬田川に架かる古代橋梁で、7世紀中期-後期に初めて架橋されたとされる。京と東国を結ぶ唯一の主要通路として、軍事的・交通上の要衝になった。「唐橋を制するものは天下を制す」と言い伝えられたのは、この戦略的価値が歴史上の多くの戦役と結びついたことに由来する。 壬申の乱(672年)では大友皇子と大海人皇子の最終決戦地となり、橋板を外して防衛しようとした大友皇子方が突破されて敗れた。その後も藤原仲麻呂の乱(764年)、寿永・治暦戦(1180年)、承久の乱(1221年)など、幾度となく戦闘の舞台となり、そのつど橋は焼かれたり破壊されたりを繰り返した。戦国時代には織田信長がこれを整備し、川中の中島を活用した大橋と小橋の二橋構造にした。現在の橋は1979年に竣工した鋼鉄コンクリート製で、全長223.7メートル。柔らかい反りと旧橋の擬宝珠を継承しており、日本三名橋の一つとして知られている。

大津市·35 views
9

鈴鹿峠

滋賀県甲賀市と三重県亀山市の境をなす、旧東海道屈指の難所・鈴鹿峠。古来より箱根と並ぶ東海道の険所として知られ、山賊が旅人を襲ったという記録や、鬼女・立烏帽子(鈴鹿御前)の伝説が残る土地である。峠の旧道沿いには片山神社が鎮座し、行き交う旅人の安全が長く祈られてきた。現在は国道1号や峠の旧道に、心霊にまつわる話が数多く語られている。 旧道や峠の周辺では、夜間に甲冑姿の武者を見た、首のない人影が立っていた、女性の霊が現れて道案内をした、車の前に突然人が飛び出したといった証言が伝わる。急勾配と連続するカーブで事故も多く、現実の遭難・事故の記憶が古い伝説と重なって怪異譚を厚くしている。 峠には道中の安全を願う祠や地蔵が点在し、地元では旅で命を落とした人々への供養が今も続けられている。 旧道区間は道幅が狭く落石や倒木の危険があり、夜間は照明もなく見通しが極端に悪い。徒歩での無理な進入や深夜の停車は事故・遭難を招きやすい。訪れる際は日中に限り、神社や祠を荒らさず、峠で亡くなった人々への鎮魂を第一に考えること。

甲賀市·34 views
10

青土ダム

青土ダムは滋賀県甲賀市土山町に位置し、淀川水系野洲川に建設された滋賀県内最初の多目的ダムである。1966年に着手され、1988年に完成した。台風による水害を教訓として計画され、洪水調節や上水道・工業用水の確保を目的としている。ロックフィルダムとしては珍しい半円形の洪水吐を持つ構造が特徴で、周辺には公園やキャンプ場が整備され、観光地としても利用されている。一方で、複数の紹介サイトにおいて、ダムへの投身による自殺が繰り返されてきたとする記述が見られる。これに関連して、夜間にワンピース姿の女性の霊が目撃されたとする話や、車のバックミラーに黒い人影が映る、後部座席に人の気配を感じる、頭痛やめまいを覚えるといった体験が複数の記事で共通して報告されている。心霊スポットの目撃情報を集めるサイトでは、女性の霊を見たとする投稿が最も多く、男性や少女、老婆の姿を見たという声も一定数寄せられており、目撃される霊の姿は一様ではない。また、ダム付近を車で通過する際に車載テレビやオーディオの映像・音声が乱れるという怪奇現象も語られている。さらに、ダム管理事務所の窓にスーツ姿の中年男性が現れて消えたとする目撃談も一部の紀行記事で紹介されている。ただし、これらの事故や事件を具体的に裏付ける報道や公的な記録は確認されていない。

甲賀市·29 views

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琵琶湖岸の心霊スポット
滋賀県 大津市·山道・峠

琵琶湖岸の心霊スポット

琵琶湖岸、特に大津市の湖畔は、古代から近現代まで多くの水難をもたらしてきた土地である。最大級の災害は1941年4月、金沢第四高等学校の漕艇部員と京都帝国大学生合わせて11人が、比良山系からの突風(比良おろし)により湖上で転覆して全員が亡くなった琵琶湖遭難事故である。遺体収容までに2ヶ月以上を要した。 琵琶湖の水は塩水と異なり浮力が極めて低く、また西岸の水深は急激に深くなる漏斗状地形を呈している。気象は急変し、一見静かな湖面も予告なく激高波が立つ。このような環境と、過去の集団遭難という重い記憶が、湖岸の霧景の中で無意識のうちに知覚を増幅させ、人影や音の知覚へと変換されやすい条件を作り出している。 夜間の湖岸訪問は転落・溺水の現実的危険が極めて高く、強く推奨されない。訪問時は日中に整備された遊歩道や展望地に留め、歴史への敬意を欠かすべきではない。

滋賀県 大津市·宿泊・居住跡

ホテル祇園

滋賀県大津市木の岡町、琵琶湖西岸に沿う旧西近江路(県道558号線)沿いに、1970年代前半に開業したラブホテルの廃墟があった。国道161号側からも看板が視認できる位置にあり、営業は1990年代までに終了したとみられる。かつて敷地には南北二棟の建物があったが、南側は2000年までに解体され、北側の建物は老朽化した姿のまま残存した。廃墟には四つある扉のうち一つだけ内部へ進入できるとされる扉があり、その先にある一室(6号室とされる)では物音や体調不良を訴える者が現れるとの噂が広まった。館内では白い服を着た若い女性の霊、階段付近では老婆の霊を見たとする話も伝えられている。周辺では開業した店舗が長続きせず経営者が入れ替わるとの噂もあり、廃墟は近隣の別の心霊スポットとともに一帯の雰囲気を象徴する存在として言及されてきた。2018年頃に内装撤去の工事が行われ、建物と看板は2022年頃まで現存していたが、その後解体されたと報告されている。

瀬田の唐橋(深夜の橋上)
滋賀県 大津市·橋・高架

瀬田の唐橋(深夜の橋上)

瀬田の唐橋は、琵琶湖南端の瀬田川に架かる古代橋梁で、7世紀中期-後期に初めて架橋されたとされる。京と東国を結ぶ唯一の主要通路として、軍事的・交通上の要衝になった。「唐橋を制するものは天下を制す」と言い伝えられたのは、この戦略的価値が歴史上の多くの戦役と結びついたことに由来する。 壬申の乱(672年)では大友皇子と大海人皇子の最終決戦地となり、橋板を外して防衛しようとした大友皇子方が突破されて敗れた。その後も藤原仲麻呂の乱(764年)、寿永・治暦戦(1180年)、承久の乱(1221年)など、幾度となく戦闘の舞台となり、そのつど橋は焼かれたり破壊されたりを繰り返した。戦国時代には織田信長がこれを整備し、川中の中島を活用した大橋と小橋の二橋構造にした。現在の橋は1979年に竣工した鋼鉄コンクリート製で、全長223.7メートル。柔らかい反りと旧橋の擬宝珠を継承しており、日本三名橋の一つとして知られている。

滋賀県 彦根市·商業・遊興跡

旧佐和山遊園

彦根市の国道8号沿いに位置する旧佐和山遊園は、石田三成を敬愛した地元の建築業者が1976年に着工した個人経営のテーマパーク跡である。佐和山城を模した城郭風の建物や、独自に製作された多数の石像・銅像を配し、歴史資料館的な施設として整備が進められたが、正式な開業には至らなかった。2000年には施設内の骨董品が盗難被害を受けたことが報じられている。営業実態が薄いまま2015年頃に閉鎖され、2017年には売却・解体を告知する看板が掲げられたものの、その後も長期間放置され、蔓や雑草に覆われた廃墟として現存している。2023年末には道路に面した部分の解体が始まったと伝えられる。こうした状況の中、インターネット上では夜間に武士の姿をした人影が敷地内を歩いている、あるいは並んだ石像が動いて見えるといった噂が紹介されており、滋賀県内の心霊スポットの一つとして名前が挙がるようになった。近隣には旧佐和山トンネル(佐和山隧道)もあり、周辺一帯が心霊スポットとして語られる地域となっている。

滋賀県 彦根市·水辺

曽根沼

彦根市の荒神山山麓に広がる曽根沼は、琵琶湖沿岸に点在する内湖のひとつで、8世紀の史料には陸地の荘園として描かれていたが、後年沈水して沼へと変化したとされる。江戸時代には宇曽川の氾濫で沿岸の集落が水没したという伝承があり、沼底には当時の村落跡が沈んでいるとも言われる。昭和36年から進められた干拓事業によって水面はかつての五分の一程度まで縮小し、現在は釣り場としても利用されているが、その一方で短大生が水死体で発見された、小学生が溺れて亡くなった、発作を起こした釣り人が沼に落ちて溺死したなど、複数の水難事故が伝えられてきた。沼沿いの道路ではオートバイの事故死も語られている。こうした事故の積み重ねに加え、荒神山に祀られる三宝荒神が水没した集落の霊を呼び寄せているとする見方も伝わっており、沼のほとりでは女性の霊の目撃や、夜間に線香のような匂いが漂う、物音が近づいてくるといった体験が複数報告されている。

滋賀県 彦根市·隧道・トンネル

旧佐和山トンネル(佐和山隧道)

旧佐和山トンネルは彦根市の佐和山に位置し、大正13年(1924年)に開通した隧道である。彦根と鳥居本を結ぶ道の難所を解消するためとされ、地元有志の寄付を契機に県営事業として建設され、県内の隧道整備に多く携わった技術者が設計を担当した。昭和30年(1955年)に新トンネルが完成したことで旧トンネルは通行が途絶え、以後は廃道として現在に残っている。近隣には戦国時代に石田三成が城主を務めた佐和山城があり、この地域は関ケ原の戦い前後に戦闘の舞台となった土地でもある。こうした歴史的背景と結び付けられる形で、トンネル付近では首が不自然な向きになった男性の姿を目撃したという話や、内部や周辺を撮影すると人影のようなものが写り込むという話が複数の紹介記事で取り上げられている。ほかにも、背後から足音が付いてくる、壁の隙間から白い手が伸びるといった現象が紹介されており、廃道化から長い年月を経た隧道として、心霊スポットのひとつに数えられている。

青土ダム
滋賀県 甲賀市·水辺

青土ダム

青土ダムは滋賀県甲賀市土山町に位置し、淀川水系野洲川に建設された滋賀県内最初の多目的ダムである。1966年に着手され、1988年に完成した。台風による水害を教訓として計画され、洪水調節や上水道・工業用水の確保を目的としている。ロックフィルダムとしては珍しい半円形の洪水吐を持つ構造が特徴で、周辺には公園やキャンプ場が整備され、観光地としても利用されている。一方で、複数の紹介サイトにおいて、ダムへの投身による自殺が繰り返されてきたとする記述が見られる。これに関連して、夜間にワンピース姿の女性の霊が目撃されたとする話や、車のバックミラーに黒い人影が映る、後部座席に人の気配を感じる、頭痛やめまいを覚えるといった体験が複数の記事で共通して報告されている。心霊スポットの目撃情報を集めるサイトでは、女性の霊を見たとする投稿が最も多く、男性や少女、老婆の姿を見たという声も一定数寄せられており、目撃される霊の姿は一様ではない。また、ダム付近を車で通過する際に車載テレビやオーディオの映像・音声が乱れるという怪奇現象も語られている。さらに、ダム管理事務所の窓にスーツ姿の中年男性が現れて消えたとする目撃談も一部の紀行記事で紹介されている。ただし、これらの事故や事件を具体的に裏付ける報道や公的な記録は確認されていない。

鈴鹿峠
滋賀県 甲賀市·山道・峠

鈴鹿峠

滋賀県甲賀市と三重県亀山市の境をなす、旧東海道屈指の難所・鈴鹿峠。古来より箱根と並ぶ東海道の険所として知られ、山賊が旅人を襲ったという記録や、鬼女・立烏帽子(鈴鹿御前)の伝説が残る土地である。峠の旧道沿いには片山神社が鎮座し、行き交う旅人の安全が長く祈られてきた。現在は国道1号や峠の旧道に、心霊にまつわる話が数多く語られている。 旧道や峠の周辺では、夜間に甲冑姿の武者を見た、首のない人影が立っていた、女性の霊が現れて道案内をした、車の前に突然人が飛び出したといった証言が伝わる。急勾配と連続するカーブで事故も多く、現実の遭難・事故の記憶が古い伝説と重なって怪異譚を厚くしている。 峠には道中の安全を願う祠や地蔵が点在し、地元では旅で命を落とした人々への供養が今も続けられている。 旧道区間は道幅が狭く落石や倒木の危険があり、夜間は照明もなく見通しが極端に悪い。徒歩での無理な進入や深夜の停車は事故・遭難を招きやすい。訪れる際は日中に限り、神社や祠を荒らさず、峠で亡くなった人々への鎮魂を第一に考えること。

滋賀県 甲賀市信楽町多羅尾·その他

多羅尾処刑場跡

滋賀県甲賀市信楽町、御斎峠から北西へおよそ500メートルの山中に、江戸時代の処刑場跡が残る。この地を含む信楽の代官所は、本能寺の変後に徳川家康の伊賀越えを助けた功により、一族が明治維新まで世襲代官を務めた家である。刑は旧暦12月20日に執行されたとされ、牢から出された罪人は裸馬に乗せられ、役人や足軽の列とともに山道を進んでこの場所まで連れて来られたという。処刑場の付近には磨崖仏が彫られており、処刑という歴史に対する供養の役割も担ってきたと考えられている。現在、建物などの遺構は残っていないが供養塔が置かれ、地元の人々の手で清掃や法要が続けられている。1997年には近隣の御斎峠で、他県で発生した殺人事件の被害者の遺体が発見されており、この出来事も周辺一帯の物々しい印象に結びついたとされる。こうした背景のもと、首から上のない人影や甲冑姿の足だけの霊が現れる、車に手形が残る、帰路で事故に遭うといった話がインターネット上で伝えられている。

旧観音坂トンネル
滋賀県 米原市·隧道・トンネル

旧観音坂トンネル

旧観音坂トンネルは、滋賀県米原市と長浜市を隔てる峠に穿たれた隧道で、昭和8年(1933年)に竣工した。設計は当時の内務省技師・村田鶴によるもので、延長はおよそ320メートル、幅は6メートル前後とされる。坑口は前面に下見板張りを思わせる装飾を施した造りで、当時としては独創的な意匠と評価されている。長らく両市を結ぶ県道の要として山越えの交通を担ってきたが、2016年に新しい観音坂トンネルが開通したことで幹線としての役目を終えた。旧隧道は現在、落盤などの懸念から立入が制限されている。 このトンネルは滋賀県内では心霊の噂がある場所として名が挙がることが多い。ネット上では、坑内や周辺で女性の霊を見たといった趣旨の話が語られている。もっとも、こうした噂に結びつけられる具体的な事件や事故については、信頼できる資料で裏づけられているわけではなく、あくまで噂の域を出ない。旧隧道は閉鎖された構造物であり、内部は老朽化が進んでいるとされる。

旧草津川(草津川跡地公園)
滋賀県 草津市·水辺

旧草津川(草津川跡地公園)

草津川は滋賀県草津市の市街地を南北に貫いていた天井川で、江戸時代に東海道と中山道が合流・分岐する草津宿の本陣付近を流れていたことで知られる。長年の土砂の堆積によって川底が周辺の地面より高くなる典型的な天井川となり、増水時には堤防決壊による浸水被害を繰り返してきた。治水対策として2002年に下流域で新たな放水路への付け替えが行われ、旧来の河道は廃川となって長らく人の手が入らないまま放置される時期があった。2017年以降、区間ごとに順次整備が進められ、現在は草津川跡地公園として市民に利用されている。 インターネット上の心霊スポット情報では、この旧河道、特に本陣裏手にあったとされる踏切付近が「本当にやばい」「たまり場」といった言葉で語られ、深夜の立ち入りを戒める声が見受けられる。付近の旧街道沿いの住居についても、地元の年配者の間で不穏な噂が伝わっているという。具体的な事件の記録は乏しいものの、廃川となり人の気配が絶えていた時期の荒涼とした河道の姿が、東海道と中山道が交わる宿場町を長く行き交った旅人たちの記憶と重ね合わされ、不安を誘う場所として語られる背景になっていると考えられる。

賤ヶ岳古戦場
滋賀県 長浜市·公園・城址

賤ヶ岳古戦場

賤ヶ岳古戦場は、滋賀県長浜市に位置し、琵琶湖と余呉湖を望む標高421メートルの山を中心とする史跡である。天正11年(1583)、羽柴秀吉と柴田勝家の軍勢がこの地で激突し、柴田軍は敗れて勝家は本拠の北ノ庄城で自害した。合戦では多くの武者が首を落とされたと伝わり、山中には討ち取った首を洗ったとされる「首洗いの池」や、討死した将を弔う墓、供養塔などの史跡が今も残されている。 こうした激しい戦いの記憶を背景に、この一帯は観光地であると同時に、心霊が現れる場所としても語られてきた。深夜に首のない武者の姿を見た、甲冑をまとった一団が行進するような足音を聞いたという噂が伝わり、柴田勝家の無念が祟りをもたらしているのではという見方が結び付けられている。付近の公衆トイレやリフト施設では首をくくる形の出来事が相次いだとの報告もあるとされ、いずれも「首」に関わる点が共通することから、合戦の記憶と結び付けて語られている。

大福寺
滋賀県 長浜市·神域・霊場

大福寺

滋賀県長浜市の山地にある大福寺。参拝者からは、深夜訪問時に「なんとなく長居したくない気分になる」という雰囲気の感想が寄せられている。また夜間に通りかかった際、明かりのない建物の窓に光が見えたという報告もあるが、見間違いの可能性を本人が指摘している。複数の訪問記録からは、スポット固有の環境や照度の変化が印象を強める傾向が窺える。古刹としての歴史と信仰の場としての位置づけは地域に根ざしており、訪問の際は参拝の礼儀を心がけることが重要である。

滋賀県 高島市·隧道・トンネル

海津大崎のトンネル

海津大崎は琵琶湖畔にせり出した岩礁地帯で、桜の名所として知られる観光地である。滋賀県道557号の湖岸道路には、昭和10年から11年にかけて掘削された5本のトンネルが連なり、中でも中央の2本目から4本目にかけての短い区間で怪異の噂が集まっている。伝えられる内容は、トンネルを抜けた後に車体へ手形状の跡が付いていたというもの、走行中に前照灯が突然消えて事故につながったというもの、甲冑姿の人影や、帽子とコートを着た男性が路上に立つのを見たというものなど多岐にわたる。ネット上ではこうした噂と並んで、通過時に撮影した写真にオーブと呼ばれる発光体が写り込んだという報告も見られる。近隣の大崎寺には、天正10年(1582年)の安土城落城の際、明智光秀方の攻撃で焼失した城の建材に血痕が残り、その建材で本堂を建て戦没者を弔ったという由緒が伝わる。この建材は昭和41年(1966年)の阿弥陀堂改築時に天井へ転用され、現在も「血天井」として保存されており、寺の由緒がトンネルの怪異と結び付けて語られることがある。桜の時期には花見客で賑わう一方、それ以外の季節は人通りが少なく静まり返るこの湖岸道路の一角が、様々な怪異譚の舞台として知られるようになっている。

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