滋賀県

大津市の心霊スポット

3 スポット3 カテゴリ

大津市の人気スポット TOP3

1

琵琶湖岸の心霊スポット

琵琶湖岸、特に大津市の湖畔は、古代から近現代まで多くの水難をもたらしてきた土地である。最大級の災害は1941年4月、金沢第四高等学校の漕艇部員と京都帝国大学生合わせて11人が、比良山系からの突風(比良おろし)により湖上で転覆して全員が亡くなった琵琶湖遭難事故である。遺体収容までに2ヶ月以上を要した。 琵琶湖の水は塩水と異なり浮力が極めて低く、また西岸の水深は急激に深くなる漏斗状地形を呈している。気象は急変し、一見静かな湖面も予告なく激高波が立つ。このような環境と、過去の集団遭難という重い記憶が、湖岸の霧景の中で無意識のうちに知覚を増幅させ、人影や音の知覚へと変換されやすい条件を作り出している。 夜間の湖岸訪問は転落・溺水の現実的危険が極めて高く、強く推奨されない。訪問時は日中に整備された遊歩道や展望地に留め、歴史への敬意を欠かすべきではない。

山道・峠
2

ホテル祇園

滋賀県大津市木の岡町、琵琶湖西岸に沿う旧西近江路(県道558号線)沿いに、1970年代前半に開業したラブホテルの廃墟があった。国道161号側からも看板が視認できる位置にあり、営業は1990年代までに終了したとみられる。かつて敷地には南北二棟の建物があったが、南側は2000年までに解体され、北側の建物は老朽化した姿のまま残存した。廃墟には四つある扉のうち一つだけ内部へ進入できるとされる扉があり、その先にある一室(6号室とされる)では物音や体調不良を訴える者が現れるとの噂が広まった。館内では白い服を着た若い女性の霊、階段付近では老婆の霊を見たとする話も伝えられている。周辺では開業した店舗が長続きせず経営者が入れ替わるとの噂もあり、廃墟は近隣の別の心霊スポットとともに一帯の雰囲気を象徴する存在として言及されてきた。2018年頃に内装撤去の工事が行われ、建物と看板は2022年頃まで現存していたが、その後解体されたと報告されている。

宿泊・居住跡
3

瀬田の唐橋(深夜の橋上)

瀬田の唐橋は、琵琶湖南端の瀬田川に架かる古代橋梁で、7世紀中期-後期に初めて架橋されたとされる。京と東国を結ぶ唯一の主要通路として、軍事的・交通上の要衝になった。「唐橋を制するものは天下を制す」と言い伝えられたのは、この戦略的価値が歴史上の多くの戦役と結びついたことに由来する。 壬申の乱(672年)では大友皇子と大海人皇子の最終決戦地となり、橋板を外して防衛しようとした大友皇子方が突破されて敗れた。その後も藤原仲麻呂の乱(764年)、寿永・治暦戦(1180年)、承久の乱(1221年)など、幾度となく戦闘の舞台となり、そのつど橋は焼かれたり破壊されたりを繰り返した。戦国時代には織田信長がこれを整備し、川中の中島を活用した大橋と小橋の二橋構造にした。現在の橋は1979年に竣工した鋼鉄コンクリート製で、全長223.7メートル。柔らかい反りと旧橋の擬宝珠を継承しており、日本三名橋の一つとして知られている。

橋・高架

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琵琶湖岸の心霊スポット
山道・峠·滋賀県 大津市

琵琶湖岸の心霊スポット

琵琶湖岸、特に大津市の湖畔は、古代から近現代まで多くの水難をもたらしてきた土地である。最大級の災害は1941年4月、金沢第四高等学校の漕艇部員と京都帝国大学生合わせて11人が、比良山系からの突風(比良おろし)により湖上で転覆して全員が亡くなった琵琶湖遭難事故である。遺体収容までに2ヶ月以上を要した。 琵琶湖の水は塩水と異なり浮力が極めて低く、また西岸の水深は急激に深くなる漏斗状地形を呈している。気象は急変し、一見静かな湖面も予告なく激高波が立つ。このような環境と、過去の集団遭難という重い記憶が、湖岸の霧景の中で無意識のうちに知覚を増幅させ、人影や音の知覚へと変換されやすい条件を作り出している。 夜間の湖岸訪問は転落・溺水の現実的危険が極めて高く、強く推奨されない。訪問時は日中に整備された遊歩道や展望地に留め、歴史への敬意を欠かすべきではない。

宿泊・居住跡·滋賀県 大津市

ホテル祇園

滋賀県大津市木の岡町、琵琶湖西岸に沿う旧西近江路(県道558号線)沿いに、1970年代前半に開業したラブホテルの廃墟があった。国道161号側からも看板が視認できる位置にあり、営業は1990年代までに終了したとみられる。かつて敷地には南北二棟の建物があったが、南側は2000年までに解体され、北側の建物は老朽化した姿のまま残存した。廃墟には四つある扉のうち一つだけ内部へ進入できるとされる扉があり、その先にある一室(6号室とされる)では物音や体調不良を訴える者が現れるとの噂が広まった。館内では白い服を着た若い女性の霊、階段付近では老婆の霊を見たとする話も伝えられている。周辺では開業した店舗が長続きせず経営者が入れ替わるとの噂もあり、廃墟は近隣の別の心霊スポットとともに一帯の雰囲気を象徴する存在として言及されてきた。2018年頃に内装撤去の工事が行われ、建物と看板は2022年頃まで現存していたが、その後解体されたと報告されている。

瀬田の唐橋(深夜の橋上)
橋・高架·滋賀県 大津市

瀬田の唐橋(深夜の橋上)

瀬田の唐橋は、琵琶湖南端の瀬田川に架かる古代橋梁で、7世紀中期-後期に初めて架橋されたとされる。京と東国を結ぶ唯一の主要通路として、軍事的・交通上の要衝になった。「唐橋を制するものは天下を制す」と言い伝えられたのは、この戦略的価値が歴史上の多くの戦役と結びついたことに由来する。 壬申の乱(672年)では大友皇子と大海人皇子の最終決戦地となり、橋板を外して防衛しようとした大友皇子方が突破されて敗れた。その後も藤原仲麻呂の乱(764年)、寿永・治暦戦(1180年)、承久の乱(1221年)など、幾度となく戦闘の舞台となり、そのつど橋は焼かれたり破壊されたりを繰り返した。戦国時代には織田信長がこれを整備し、川中の中島を活用した大橋と小橋の二橋構造にした。現在の橋は1979年に竣工した鋼鉄コンクリート製で、全長223.7メートル。柔らかい反りと旧橋の擬宝珠を継承しており、日本三名橋の一つとして知られている。