神奈川県の心霊スポットランキング・一覧

53 スポット11 カテゴリ

幕末の開港地・横浜と鎌倉武士の古戦場を併せ持つ神奈川県は、海と山と異国の記憶が混じり合う土地である。三浦一族の壮絶な集団自害を伝える油壺、ダム湖底に集落と工事犠牲者を沈めた相模湖、夭折した青年の名を刻む旧善波トンネル、外国人墓地の眠る山手——戦国の海戦から近代の悲劇まで、多層の死者の声が湿った潮風に紛れて聞こえてくる。

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油壺
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油壺

三浦市·214 views
中井町旧結核療養山荘廃墟
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中井町旧結核療養山荘廃墟

中井町·166 views
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横浜廃倉庫街の怪奇
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横浜廃倉庫街の怪奇

横浜市·162 views
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山の神トンネル

神奈川県厚木市七沢の山間部にある旧道トンネル。戦後の道路改良に伴い役目を終えた坑道で、名称は坑口付近に山の神を祀る祠があったことに由来するとされます。坑口の先には廃キャンプ場跡が残り、その後周辺は「山の神沢広場」「不動尻広場」として再整備されています。 この場所は「化けトン」の通称でも知られ、1980〜90年代の心霊番組でも有名霊能者から取り上げられてきました。噂として語られるのは、トンネル建設中に労働者が事故死したとする話、脇の公衆トイレで過去の事件に遭った女性の霊が目撃されるという話、白い服の女の子が水遊びをする姿を見たという報告、方位磁石が乱れる磁場異常が生じる「ゼロ地点」があるという説、深夜に坑内から笑い声が聞こえるという話、そして周辺で失踪者が出た「神隠し」の伝承などです。 訪問者の報告では、深夜に立ち寄った際「特に何も起きませんでしたが、なんとなく長居したくない気分になり早めに帰りました」と、一般的な不安感や違和感を感じることもあるようです。 旧道のトンネルは管理者が存在し、坑内の劣化と落石の危険が常にあります。心霊目的の訪問は事故リスクが高く、近隣住民の生活道路でもあるため迷惑になります。

厚木市·136 views
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伊勢原市大山阿夫利神社の禁足地

神奈川県伊勢原市の大山(おおやま)は、高さ1,252メートルの山岳信仰の中心地である。阿夫利神社は山腹(696メートル)と山頂に二社の本宮を置き、江戸時代には年間20万人を超える参拝者を集める一大信仰圏を形成していた。この時期、大山講と呼ばれる信仰結社は16の国々に組織を展開し、修験者(やまぶし)による精神的指導を通じて、農村部から都市部に至る広範な社会層に信仰を浸透させていった。 修験道の行場として機能してきた大山の特質は、単なる参拝地ではなく、厳しい山岳修行の舞台にあった。参道から分岐する奥深い領域は、険峻な地形と急峻な断崖を特徴とし、一般の巡礼者が立ち入ることを想定しない空間として長く保護されてきた。この禁足区間では、行者たちが断食や瞑想、滝行といった苦行に打ち込み、神仏習合の信仰体系のなかで精神的修練を重ねる場所であり、同時に参詣者の祈りを受け止める聖域としての役割を帯びていた。 山頂部の空気の質感の異変、音のしない夜間の参道から聞こえてくる低い響き、視界の端に捉える人影の存在感――こうした体験談は、この山が備えもつ感覚的な異質性と、積み重ねられた信仰の層厚さを物語る。修験者の修行が行われた岩場や谷筋の記憶は、現在もなお参詣者の感覚を触発する何かとして機能し続けているとも考えられる。 禁足地への接近や夜間登拝は、滑落や落石による生命の危険が極めて高い。参拝者は社務所の指示に従い、整備された参道に留まり、行者と山の聖性への敬意を保つことが求められる。

伊勢原市·124 views
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小田原城跡(小田原城址公園)

神奈川県小田原市に残る小田原城跡(小田原城址公園)は、戦国時代に北条氏五代の本拠として関東に勢力を誇った城の遺構である。1590年の小田原征伐では豊臣秀吉率いる大軍に包囲され、数ヶ月に及ぶ籠城戦の末に北条氏は滅亡した。明治の廃城令を経て公園として整備され、現在は復興天守や石垣、堀跡が残り、観光客の訪れる歴史公園となっている。 この地では複数の目撃談が伝えられている。園内の大木のそばで、白く煙のような輪郭をした人影が現れ、目撃者が石垣を越えて逃げると、その人影はなおも高い場所からこちらを見下ろしていた(それ以上追ってくることはなかった)という報告がある。目撃者はその人影を、かつて城を守っていた武士ではないかと推測している。また園内を訪れた一行のうち一人が急に様子を変え、後になって「落ち武者らしき人に追われた」と語ったとする話も残されている。 こうした噺は、大軍に囲まれて命を落とした城兵や領民の記憶が、復元された城郭の景観と重なり合うことで生まれたものとして語られることがある。

小田原市·108 views
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善波トンネル

神奈川県秦野市と伊勢原市の境、国道246号が善波峠を貫く善波トンネル。古くからの交通の難所で、トンネルの開通以前から善波峠は事故や遭難の多い峠道として知られていた。現在も交通量の多い幹線でありながら、神奈川県内でも指折りの心霊スポットとして語られている。 最もよく知られるのは、トンネル付近で白い服や赤い服をまとった女性の霊が現れ、走行中の車やバイクの前に立つ、追い越していくバイクの後ろに人がまたがっている、といった目撃譚である。この一帯は実際に二輪車の事故が多発しており、現実の事故の記憶と怪異の語りが分かちがたく結びついている。峠には古くから旅人の安全を見守る地蔵が祀られ、慰霊の対象となってきた。 地元では、峠で命を落とした人々への供養が続けられており、地蔵への手入れを欠かさぬ住民もいる。怪異を面白がる前に、まず手を合わせる土地柄である。 国道246号はカーブが連続し、トンネル内外とも交通量が非常に多い。路上での停車や徒歩での進入は重大事故に直結する。訪れる際は車内から通過するにとどめ、無理な減速や撮影を避け、亡くなった人々への鎮魂を第一に考えること。

秦野市·90 views
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小坪隧道(通称:小坪トンネル)

小坪隧道は、神奈川県逗子市小坪と鎌倉市材木座を結ぶ県道311号線に架かるトンネルで、通称「小坪トンネル」として知られる。1883年(明治16年)、地元有志の資金により素掘りで開削され、大正期に煉瓦造りへ改修された後も、幅5.5メートル・全長113メートルほどの狭くカーブした構造をほぼそのまま残している。トンネルが貫く尾根の上には民間の火葬場が置かれ、隣接する名越切通には中世の横穴墓群「まんだら堂やぐら群」が広がり、発掘調査では人骨が出土し、合戦や刑死との関連を指摘する説もある。 昭和20年代前半(1948〜49年頃)、この一帯を走るタクシー運転手の間で若い女性の霊が同乗するという噂が広まり、後部座席に見知らぬ女性が座っていた、ボンネットに人影が落ちてきた、フロントガラスに手形が浮かぶといった話が語られるようになった。川端康成の短編『無言』にも、火葬場の下を通る車に若い女の幽霊が乗り込む逸話が描かれており、こうした話が広く知られる一因となっている。

逗子市·88 views
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相模湖

神奈川県相模原市緑区、相模川中流域に造成された相模ダムによってできた人造湖が相模湖である。湖面標高167メートル、満水面積3.26平方キロメートル、総貯水量約6,330万立方メートル。日本初の多目的ダム湖として、洪水調節、上水道、工業用水、発電を兼ねる目的で計画された。 ダム計画は昭和初期に始まる。神奈川県と東京府の急速な工業化・都市化に対応するため、神奈川県土木部が1938年(昭和13年)に相模川総合開発計画を策定した。建設工事は1940年(昭和15年)に着工し、第二次世界大戦の混乱を挟んで1947年(昭和22年)に完成、湛水を開始した。 建設工事には延べ約360万人の労働力が動員された。戦時下の資材難・労働力不足という背景のなか、内地の労働者だけでは到底まかなえず、当時の国家動員体制の下、朝鮮半島出身の労働者と中国人捕虜が砂利採取や運搬作業に動員された。神奈川県と当時の各事業者の記録、戦後の調査によって、朝鮮人約800名、中国人約290名の動員規模が確認されている。 工事による殉職者は確認できる範囲で83名にのぼる。神奈川県は1990年代に湖畔の県立相模湖公園内に湖銘碑を建立、戦時動員の日本人・朝鮮人・中国人の名前を刻み、毎年慰霊行事を継続している。神奈川県と相模原市の郷土資料は、当時の動員と殉職の実態を後世に伝える資料として公開されている。 ダム湖の建設に先立ち、湖底に沈んだ集落として勝瀬地区が知られる。約100戸の住民が湖底化の補償を受けて湖畔の高台や他地域へ移住した。当時の地形図、移住前後の写真、住民の証言記録は相模原市立博物館に収蔵されている。 戦後、相模湖は首都圏近郊の観光地として整備され、ボート遊覧、釣り、ピクニックで親しまれてきた。湖畔には相模湖公園、相模湖プレジャーフォレスト、勝瀬橋などがあり、JR中央本線の相模湖駅から徒歩でアクセスできる。秋には湖畔の紅葉と県境の山々の眺望が楽しめる。湖を渡る遊覧船は通年運航している。

相模原市緑区·82 views
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横浜外人墓地

神奈川県横浜市中区山手町にある横浜外国人墓地(よこはまがいこくじんぼち)は、開港期から現代まで横浜で亡くなった外国人を埋葬してきた墓地である。約18,000平方メートルの敷地に、約4,400人の故人が眠り、40カ国以上の国籍を持つ人々が埋葬されている。 墓地の起源は、嘉永7年(1854年)3月、再来日したペリー艦隊のミシシッピー号で、二等水兵ロバート・ウィリアムズ(24歳)がマストから墜落して死亡したことに遡る。ペリーは幕府との交渉の中で、ウィリアムズの埋葬地として「海の見える地」を要求した。これに応じて横浜村(現在の元町・山手地区)の増徳院の境内が墓所として提供され、ウィリアムズの墓が建てられた。これが横浜外国人墓地の最初の埋葬である。 1858年の日米修好通商条約と続く各国との通商条約により、横浜は開港地として正式に開かれた。外国人居留地が山手丘陵を中心に形成され、ヨーロッパ、アメリカ、中国、東南アジアなどから多くの外国人が居住するようになる。それに伴って外国人専用の埋葬地として、文久元年(1861年)に山手の高台の現在地が整備された。 墓地に眠る人々の多くは、開港期から明治・大正・昭和初期にかけて横浜で生活し、文化・経済・宗教・外交の各分野で活動した外国人である。横浜の近代化に貢献した英国人、フランス人、ドイツ人、アメリカ人の実業家、医師、宣教師、教師、技師、建築家、商人、軍人、そしてその家族たちが眠る。日本に骨を埋めた者、不慮の事故で命を落とした者、外国人居留地で生まれそのまま亡くなった子どもなど、横浜の国際都市としての歴史と表裏一体の埋葬地である。 墓地内には、フランス人技師レオンス・ヴェルニー(横須賀製鉄所の建設指導)、英国人外交官ヘンリー・ヒースコート、米国人宣教師サミュエル・ロビンス・ブラウンなど、日本近代史の教科書にも登場する人物の墓が複数ある。生麦事件(文久2年・1862年)の被害者リチャードソンの墓もある。 第二次世界大戦中、外国人墓地は連合国国民の埋葬地として一部で接収・転用の動きがあったが、戦後速やかに復旧された。1971年(昭和46年)、財団法人横浜外国人墓地(現在は公益財団法人横浜外国人墓地)が設立され、現在に至るまで管理運営を続けている。 墓地は通常、外国人墓地友の会の協力金(任意)と引き換えに見学可能。期間や時間に制限があり、宗教施設・埋葬施設としての厳粛な性格を守るため、墓石を踏まないなどのマナーが訪問者に求められる。墓地の上の高台には「外国人墓地資料館」(小さな展示室)があり、墓地の歴史と眠る人々の物語を学べる。 横浜山手地区一帯は「山手洋館巡り」の観光コースとして整備されており、外国人墓地はその中核に位置する。エリス号殉難碑、英国総領事館、外国人墓地、山手234番館などを徒歩で巡れる文化観光ルートになっている。みなとみらい線元町・中華街駅から徒歩約10分。

横浜市·80 views

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城ヶ島公園
神奈川県 三浦市·公園・城址

城ヶ島公園

三浦半島南端に位置する城ヶ島公園は、江戸時代後期の1808年に浦賀奉行が外国船を監視するために築いた砲台を起源とし、関東大震災後の1923年以降は東京湾要塞の一部として本格的な砲台が整備された。1926年には廃艦となった戦艦「安芸」の副砲塔2基が特殊起重機船で運び込まれて転用され、周囲は偽の民家で偽装されるとともに、地下には火薬庫や通路が構築された。1945年の終戦まで軍事施設として使われ、1958年に神奈川県立公園として開園し、1960年の城ヶ島大橋架橋以降は砲座跡の一部が駐車場や花壇に転用された。現在も園内には砲台跡や地下壕の入口が残されている。この歴史を持つ公園では、着物姿の女性が並木道や展望台付近から海を見つめている姿が目撃されるという噂がある。声をかけずに後を追うと崖の方向へ導かれるという話や、軍人らしき人影が敷地内を歩く姿を見たとする報告も伝わる。夜間には周囲に人の姿がないにもかかわらず口笛や歌声のような音、足音が聞こえたとする体験も複数のサイトで紹介されている。こうした女性の霊や気配に関する噂は複数の心霊系まとめサイトで取り上げられており、着物姿の霊が写り込んだとされる写真の話が紹介される場合もある。

油壺
神奈川県 三浦市·路上・交差点

油壺

神奈川県三浦市三崎町小網代、三浦半島南端の入江は、油壺と呼ばれている。隣接する小網代湾と共に天然の良港を形作り、ヨットハーバーや東京大学三崎臨海実験所が周囲に整備されている。 地名「油壺」の由来は、永正13年(1516年)に滅亡した三浦氏の故事に基づく。鎌倉幕府草創以来400年続いた相模の名族・三浦氏は、新井城(現在の油壺・諸磯一帯)に本拠を置き、関東への進出を目論む小田原・伊勢宗瑞(北条早雲)と対峙していた。3年に及ぶ籠城戦の末、援軍は到着せず、最後の当主・三浦道寸義同とその子荒次郎義意以下諸将が討死または自刃して落城した。 この落城の様子を伝える江戸期の地誌『新編相模国風土記稿』『新編武蔵風土記稿』『三浦三崎志』などには、城兵が崖から入江に身を投じたため海面に流れた血が油のように凪いだことから「油壺」と呼ばれるようになった、という記述がある。新井城の遺構は東京大学三崎臨海実験所と京急油壺マリンパーク跡地の周辺に散在し、土塁や堀の一部が現在も確認できる。 京急油壺マリンパークは2021年に閉園した。跡地は現在再開発計画が進行している。油壺湾沿いには遊歩道と観光案内板が整備され、油壺の入江と新井城跡をめぐる散策コースを歩くことができる。

城ヶ島灯台
神奈川県 三浦市·その他

城ヶ島灯台

三浦市三崎町の城ヶ島西端に立つ城ヶ島灯台は、江戸時代の慶安元年頃に三崎奉行安部次郎兵衛が設けたのろし台の跡地に、1870年、日本で五番目の洋式灯台として初点灯した。設計はフランス人技師レオンス・ヴェルニーによるもので、1923年の関東大震災で倒壊した後、1926年に現在の白いコンクリート造として再建されている。周辺の城ヶ島公園は太平洋の荒波が削った海蝕崖や洞穴が連なる地形で、戦前は「城ヶ島要塞」として旧日本軍の砲台が置かれ、太平洋戦争末期の1945年まで運用されていた場所でもある。この一帯では、灯台近くの遊歩道や木立の中で和装姿の女性の姿が目撃され、海を見つめて立っていたかと思うと消えるといった話が伝わる。口笛や歌声、足音のような音が聞こえたという報告もあり、撮影した写真に何か写り込むとの噂も見られる。噂の中では、女性の姿を追いかけるように歩いていた人が、いつの間にか海蝕崖の縁近くまで進んでしまい、はっと気づいて足を止めたという話も語られており、単なる目撃譚とは異なる緊迫した体験として知られている。近くの海蝕洞「馬の背洞門」周辺でも同様に写真に異変が写り込むとの噂があり、灯台一帯の怪異として城ヶ島公園全体で語られる傾向がある。幽霊の正体については、慶安元年以来烽火台が置かれてきた歴史とともに、崖下の海に近い地形ゆえに水難者の霊が漂着したのではないかとする見方もネット上で語られている。こうした目撃談の多くは夜間の出来事として語られている。

中井町旧結核療養山荘廃墟
神奈川県 中井町·廃墟・残骸

中井町旧結核療養山荘廃墟

丹沢山麓に位置する神奈川県中井町の旧結核療養山荘は、戦前から戦後にかけて結核患者の療養施設として機能した廃墟。結核療養所は1930年代にかけて全国に建設され、清瀬をはじめとした療養地の形成が進みました。戦前期の療養所は「空気・安静・栄養」による自然療法に依存し、外界から隔離された山麓の静寂な環境が治療に適していると考えられていました。戦後、ストレプトマイシンなどの抗結核薬が導入されると、療養所の役割は急速に変わりました。薬物療法の有効性により入院期間が短縮され、多くの結核療養所は機能を失い、廃棟化していきました。この施設も同様の転換期を経て、やがて役目を終えたと考えられます。現在、敷地は管理されており、建物は自然に呑まれた木造廃棟として残されています。

伊勢原市大山阿夫利神社の禁足地
神奈川県 伊勢原市·神域・霊場

伊勢原市大山阿夫利神社の禁足地

神奈川県伊勢原市の大山(おおやま)は、高さ1,252メートルの山岳信仰の中心地である。阿夫利神社は山腹(696メートル)と山頂に二社の本宮を置き、江戸時代には年間20万人を超える参拝者を集める一大信仰圏を形成していた。この時期、大山講と呼ばれる信仰結社は16の国々に組織を展開し、修験者(やまぶし)による精神的指導を通じて、農村部から都市部に至る広範な社会層に信仰を浸透させていった。 修験道の行場として機能してきた大山の特質は、単なる参拝地ではなく、厳しい山岳修行の舞台にあった。参道から分岐する奥深い領域は、険峻な地形と急峻な断崖を特徴とし、一般の巡礼者が立ち入ることを想定しない空間として長く保護されてきた。この禁足区間では、行者たちが断食や瞑想、滝行といった苦行に打ち込み、神仏習合の信仰体系のなかで精神的修練を重ねる場所であり、同時に参詣者の祈りを受け止める聖域としての役割を帯びていた。 山頂部の空気の質感の異変、音のしない夜間の参道から聞こえてくる低い響き、視界の端に捉える人影の存在感――こうした体験談は、この山が備えもつ感覚的な異質性と、積み重ねられた信仰の層厚さを物語る。修験者の修行が行われた岩場や谷筋の記憶は、現在もなお参詣者の感覚を触発する何かとして機能し続けているとも考えられる。 禁足地への接近や夜間登拝は、滑落や落石による生命の危険が極めて高い。参拝者は社務所の指示に従い、整備された参道に留まり、行者と山の聖性への敬意を保つことが求められる。

神奈川県 伊勢原市·宿泊・居住跡

ホテルすかいらぶ

神奈川県伊勢原市善波、国道246号の新善波トンネルに隣接する通称・善波ホテル街の一角に、コテージ形式のラブホテル「ホテルすかいらぶ」が建っていた。1960年代後半から1970年代にかけて開業したとみられ、10棟前後の平屋の別棟が並ぶ構造で、名称は当時打ち上げられた米国の宇宙ステーション「スカイラブ」にちなむとされる。2000年代前半に営業を終えた後は放置され、廃墟として知られるようになった。2017年1月には、廃業から10年ほどが経った敷地内で建物1棟が全焼する火災が発生し、けが人はなかったものの、電気が通っていなかったため不審火の可能性も含めて調べられたと報じられている。廊下に人影が立っている、女性の泣き声のような音が聞こえるなど、女性の霊にまつわる体験が複数のサイトで紹介されており、過去にここで女性が殺害された事件があったとの噂も広まっている。ただしそうした事件を裏付ける確かな記録は見つかっておらず、実在したかどうかは定かでない。

南足柄市足柄峠の峠の亡者
神奈川県 南足柄市·山道・峠

南足柄市足柄峠の峠の亡者

神奈川県と静岡県の境に位置する足柄峠は、万葉集にも詠まれた古い峠道で、東海道の難所として知られている。中世から近世にかけては合戦の舞台にもなり、多くの人命が失われた土地である。 本サイトの投稿から報告されているのは、夜間に訪れた利用者がスマホの電池の急な消耗を経験した、また野生動物が逃げていくのを目撃したという観察である。地域の伝承では、昔から不気味な場所として認識されており、実際に訪問した人物が「二度と行かない」と語ったという報告も記録されている。 足柄峠は急勾配の山道で、霧と降雨に弱く、視界が悪くなりやすい。訪問する場合は日中に正規の登山道を利用し、危険な時間帯の通行は避けること。

山の神トンネル
神奈川県 厚木市·隧道・トンネル

山の神トンネル

神奈川県厚木市七沢の山間部にある旧道トンネル。戦後の道路改良に伴い役目を終えた坑道で、名称は坑口付近に山の神を祀る祠があったことに由来するとされます。坑口の先には廃キャンプ場跡が残り、その後周辺は「山の神沢広場」「不動尻広場」として再整備されています。 この場所は「化けトン」の通称でも知られ、1980〜90年代の心霊番組でも有名霊能者から取り上げられてきました。噂として語られるのは、トンネル建設中に労働者が事故死したとする話、脇の公衆トイレで過去の事件に遭った女性の霊が目撃されるという話、白い服の女の子が水遊びをする姿を見たという報告、方位磁石が乱れる磁場異常が生じる「ゼロ地点」があるという説、深夜に坑内から笑い声が聞こえるという話、そして周辺で失踪者が出た「神隠し」の伝承などです。 訪問者の報告では、深夜に立ち寄った際「特に何も起きませんでしたが、なんとなく長居したくない気分になり早めに帰りました」と、一般的な不安感や違和感を感じることもあるようです。 旧道のトンネルは管理者が存在し、坑内の劣化と落石の危険が常にあります。心霊目的の訪問は事故リスクが高く、近隣住民の生活道路でもあるため迷惑になります。

寒川町旧工場地帯の夜の怪音
神奈川県 寒川町·水辺

寒川町旧工場地帯の夜の怪音

神奈川県寒川町の相模川下流沿いには、高度経済成長期に金属加工や化学関連の中小工場が集積していた産業地帯が今も存在する。やがて産業構造の転換に伴い操業を終えた工場群が川沿いに残され、夜間には川面を渡る風音や貨物列車の響きが、工業施設の廃墟と重なって独特の音景観を形づくっている。この地帯は地域の経済を支えた労働現場として、また過去に職場での事故で命を落とされた方々の記憶の場として、地元では慎重に語り継がれてきた。

小田原城跡(小田原城址公園)
神奈川県 小田原市·公園・城址

小田原城跡(小田原城址公園)

神奈川県小田原市に残る小田原城跡(小田原城址公園)は、戦国時代に北条氏五代の本拠として関東に勢力を誇った城の遺構である。1590年の小田原征伐では豊臣秀吉率いる大軍に包囲され、数ヶ月に及ぶ籠城戦の末に北条氏は滅亡した。明治の廃城令を経て公園として整備され、現在は復興天守や石垣、堀跡が残り、観光客の訪れる歴史公園となっている。 この地では複数の目撃談が伝えられている。園内の大木のそばで、白く煙のような輪郭をした人影が現れ、目撃者が石垣を越えて逃げると、その人影はなおも高い場所からこちらを見下ろしていた(それ以上追ってくることはなかった)という報告がある。目撃者はその人影を、かつて城を守っていた武士ではないかと推測している。また園内を訪れた一行のうち一人が急に様子を変え、後になって「落ち武者らしき人に追われた」と語ったとする話も残されている。 こうした噺は、大軍に囲まれて命を落とした城兵や領民の記憶が、復元された城郭の景観と重なり合うことで生まれたものとして語られることがある。

玄倉川
神奈川県 山北町·水辺

玄倉川

神奈川県山北町、丹沢山地を源流とする玄倉川の中州は、1999年8月に発生した水難事故の現場として知られる。お盆休みにキャンプをしていた18人が、熱帯低気圧による豪雨で増水した川に流され、13人が死亡した。ダム管理者や警察による複数回の避難勧告があったにもかかわらず退避が行われなかった経緯や、救助の様子がテレビで生中継されたことから、社会的に大きな注目を集めた事故である。以来この一帯は心霊スポットとして扱われるようになり、赤ちゃんの泣き声が聞こえる、黒い靄のようなものが川面を覆う、長い髪の女性の姿が目撃されるといった噂が伝えられている。現地を訪れた者の体験談としては、急に強い眠気に襲われたり、頭痛や涙が止まらなくなったりしたとする報告もある。犠牲者の中に幼い子どもが含まれていたことが、赤ちゃんの声という噂と結びつけられているとみられる。2023年には同じ川で遊泳中の男性が死亡する事故も起きており、水辺特有の危険性が今なお指摘されている場所である。

神奈川県 川崎市川崎区·その他

八丁畷駅(無縁塚)

八丁畷駅は、東海道川崎宿の外れから横浜方面へ抜ける約八丁(870メートル)の直線道「八丁畷」の名を受け継ぐ駅である。この付近では江戸時代以降たびたび人骨が発見されており、東京大学による鑑定では江戸期の特徴を備えた骨であることが判明した。当時の震災や大火、洪水、飢饉、疫病といった災害で亡くなった身元不明の人々が、宿場のはずれの並木の下に埋葬されたのではないかと推測され、これを受けて昭和9年(1934年)に地元と川崎市によって供養塔「無縁塚」が駅敷地内に建立された。戦後の道路工事などでも十数体が掘り出されたと川崎市の資料に記録されており、現在も地域の町内会が毎年5月に供養を続けている。心霊情報を扱うサイトでは、こうした由来を背景に、東海道で行き倒れた人々をまとめて葬った場所という話や、老爺の霊が目撃されるという話が複数取り上げられている。近隣の踏切で発生した人身事故を心霊現象と結び付ける声もあるが、公的な統計による裏付けは確認できていない。

夢見ヶ崎動物公園
神奈川県 川崎市幸区·公園・城址

夢見ヶ崎動物公園

川崎市幸区の丘陵地にある夢見ヶ崎動物公園は、室町時代の武将・太田道灌がこの高台に築城を試みたものの、不吉な夢を見たために計画を断念したという伝承にちなんで名付けられたとされる。園内には加瀬台古墳群と呼ばれる複数の古墳が残り、東側の一角には戦没者慰霊塔が建立されている。1945年4月には川崎の市街地が空襲による被害を受けており、その記憶も土地の歴史に刻まれている。 こうした背景のもと、いくつかの心霊スポット紹介サイトでは、園内の公衆トイレや遊具、電話ボックス、慰霊塔の周辺で白っぽい服を着た女性の姿を見た、あるいは声を聞いたという目撃談が取り上げられている。園内に残る防空壕跡の付近では肩をつかまれる、あるいは内部へ引き込まれそうになったという体験談も紹介されており、慰霊塔付近でろうそくの火のようなものが見えたという話も見られる。過去に園内で人が発見されたとする記述も一部サイトにあるが、経緯を確認できる公的な記録は見当たらず、複数の紹介サイトで似た内容が繰り返される点にも留意が必要である。

神奈川県 川崎市高津区·神域・霊場

緑ヶ丘霊園

神奈川県川崎市高津区に広がる緑ヶ丘霊園は、多摩丘陵の丘陵地を活かした都市計画墓地として1943年に開園し、1953年に植えられた桜並木で知られる。春には花見客も訪れる一方、園内にはかつて池のほとりに慰霊像が建立されていたことがある。昭和51年ごろ、園内の池で幼い男児が水の事故で亡くなったという話が複数の紹介記事に伝わり、両親が我が子を偲んで像を建てたとされる。台座には語りかけの言葉と慰霊の言葉が刻まれていたという。像が建立された後、夜になると像が動き出し霊園内を走り回るという噂が広まり、それを面白がった若者らによって像は繰り返し破壊された。破壊行為が重なるうち、首を失った子供の霊が園内をさまよう、あるいは池の周辺で誰かに見られている気配を感じるといった話が語られるようになったという。像と台座は現在では撤去され、当時をしのばせる遺物はほとんど残っていない。なお、事故を伝える当時の新聞記事は見つかっておらず、事故の詳細は複数の紹介記事の記述にとどまる。

湘南銀河大橋
神奈川県 平塚市·橋・高架

湘南銀河大橋

神奈川県平塚市と高座郡寒川町を結ぶ湘南銀河大橋は、相模川に架かる県道44号(伊勢原藤沢線)の橋で、1998年に片側1車線で暫定開通し、2007年7月までに現在の片側2車線の姿となった。平塚市内には太平洋戦争末期の平塚空襲で大きな被害を受けた地域があり、海軍関連の工場が複数存在し、多数の死者が出たとされる。寒川町側では2003年に地下壕から旧日本軍の毒ガス弾が発見された記録もあり、この一帯には戦争の影が残る土地としての側面がある。こうした歴史を背景に、橋やその周辺で軍服姿の男性やもんぺ姿の女性の霊を見たという話が伝えられている。夜間、橋の上を横切る黒い人影に驚いてブレーキを踏み、追突事故につながったという話も複数の記事で紹介されており、こうした事故で亡くなった人物の霊が新たな事故を招くという循環的な噂に発展しているとの指摘もある。フロントガラスに女性の顔が映ったという話や、後ろから肩を叩かれて振り返っても誰もいなかったという体験も紹介され、橋が架かる以前から金縛りに似た体験が伝えられていたとする記事もある。橋の下を流れる相模川沿いで釣りをしていた際に足を引かれるような感覚を覚えたという話や、人間の髪のような束が釣れたとする証言も見られ、上流からの漂着物である可能性を指摘する声もある。これらの噂は主にインターネット上のブログや動画で紹介され、実際の交通事故の多さと結び付けて語られることが多い。

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