宮崎県の心霊スポット

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神武東征の出発地として日本神話の舞台を担う宮崎は、天孫降臨の地・高千穂を擁する古層の国である。岩戸隠れの伝承が今も残る高千穂峡と天岩戸神社、海蝕でできた青島の鬼の洗濯板、西都原台地に並ぶ三百を超える古墳群——神々と王の墳墓が連なる日向の地は、夜になると神話と幽冥の境がほどけ、古代の風が南国の闇をそっと吹き抜けていく。

人気スポット TOP10

飫肥城廃墟区域
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飫肥城廃墟区域

飫肥城は宮崎県日南市の城下町中心部に位置する江戸期の城跡である。天正15年(1587)に伊東祐兵が豊臣秀吉から領地を与えられて以来、伊東氏14代が1871年の廃藩まで支配した。城域は東西750メートル、南北500メートルの規模を有し、シラス台地の段差を活かした複数の曲輪で構成されている。 現在、本丸跡、大手門、旧藩校振徳堂(天保2年開校)といった施設は復元・整備されて公開されている一方で、城域の外縁部には石垣の崩落や雑草地が残存している。これらの手つかずの領域は、活発に保存整備される中心部と対照的に、訪問客の少ない静謐な空間を形成している。1977年に九州で初めて重要伝統的建造物群保存地区に指定され、城下町全体が歴史的景観として位置づけられている。

日南市
青島断崖
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青島断崖

宮崎市青島周辺の断崖は、新生代新第三紀に海底に堆積した砂岩と泥岩が規則正しく互層をなす「宮崎層群」が地殻変動により傾斜・露出し、長年の波浪侵蝕によって形成された海岸地形である。地層の岩質の硬度差により砂岩と泥岩の溝が深く刻まれ、干潮時には幅20メートルから100メートルにわたって波状の凹凸が連なり、遠景から洗濯板に見立てた「鬼の洗濯板」という名称で知られている。国指定天然記念物に指定され、宮崎から南方8キロメートルにわたって連続する地質学的遺産である。 青島神社は「彦火火出見命が海神宮から帰還した際に青島に上陸して宮を営んだ」という山幸彦・海幸彦の神話に基づき創祀されたと伝えられ、天津日高彦火火出見命、豊玉姫命、塩筒大神を祀る。縁結びと航海安全の神として信仰されており、断崖一帯は信仰と歴史が層状に積み重なる場所である。 断崖の自然美と信仰の結合は、海を生活圏とする歴史を持つ地域社会の記憶を濃厚に反映している。一方で急傾斜・波浪・強風による転落危険が極めて高く、訪問者の安全と地域への敬意が必須である。

宮崎市
青島神社周辺海岸
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青島神社周辺海岸

宮崎県宮崎市の青島周辺に広がる断崖は、新生代の砂岩と泥岩が交互に積み重なる「宮崎層群」が傾斜露出し、波食によって硬度差が顕著になった結果、規則正しい波状の凹凸が長さ8キロメートルにわたって連続する。この波状岩は「鬼の洗濯板」と呼ばれ、干潮時には最大100メートル幅に及ぶ景観が出現する。国指定天然記念物に指定されている。青島神社は日向神話の舞台として、彦火火出見命(山幸彦)が海神宮から帰還した地点とされ、縁結びと航海安全の守護神として祀られている。江戸期以来、潮待ちの船乗りや地域の漁業者に厚い信仰を集めてきた。 夜間の海岸では、波と風、岩の不規則な反射音が複合的に作用する。人工光が少ない環境で暗順応が進むと、岩肌の凹凸が人の顔や体に見えやすくなり、小さな音の定位が曖昧になる。これらの知覚特性と、古来からこの地に根ざした海難への記憶や神話的世界観が結びつくことで、「何かが見えた」「声が聞こえた」という主観的な報告が生まれる。地域の海運と信仰の歴史の重さが、感覚体験を通じて感じ取られている。

宮崎市
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旧宮崎廃海軍基地跡

宮崎県宮崎市の現在の宮崎ブーゲンビリア空港一帯には、太平洋戦争中に旧日本海軍が建設した赤江飛行場の遺構が残されている。1943年に練習航空隊の基地として開設された当地は、翌1944年からは九州最大級の前線基地として機能し、3本の滑走路を持つ大規模な施設だった。1945年3月から終戦までの間、約380人の特攻隊員がここから出撃した。 現在、宮崎空港の周辺部には複数の掩体壕(えんたいごう)が存在している。特に本郷地区に散在する6基のコンクリート製掩体壕は、航空機を空襲から守るために戦中に構築された施設であり、終戦から80年以上経た今も、その直線的な輪郭を保ったまま草地に埋もれている。基地跡の北西から南東方向へ走っていた滑走路の痕跡も部分的に確認でき、西側の旧滑走路上には現在、一ツ葉有料道路が走っている。 慰霊碑が建立され、戦没者への追悼が地域に根付く場所として扱われている。

宮崎市
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堀切峠

堀切峠は宮崎市南部、国道220号の旧道沿いに位置する峠道で、太平洋を望む絶景と海岸の奇岩「鬼の洗濯板」で知られる観光地である。峠の急カーブが続く区間は、2008年にトンネルを含む新道が開通する以前、日南方面へ抜ける主要道路として利用されていた。この峠では昭和40年代、幼稚園児を乗せたバスがカーブを曲がりきれず崖下に転落し、乗員全員が死亡する事故が起きたとされる。この事故を契機に、峠周辺では子どもの霊にまつわる噂が広まったという。目撃情報としては、通行する車のボディやフロントガラスに小さな手形のようなものが浮かぶ、子どもの笑い声のような音が聞こえるといった話が伝えられている。峠道が交通の難所として利用されていた時期には、特定のカーブでの死亡事故が相次いだとの証言もあり、その事故後に赤いテールランプが不自然に現れて消えたという体験談も残されている。景勝地としての知名度と、峠道特有の事故の記憶が結びつき、堀切峠は宮崎県内で知られる心霊スポットの一つとして扱われている。

宮崎市
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浦城トンネル

浦城トンネルは宮崎県延岡市浦城町付近(北川町長井との境に近い)、国道388号沿いに位置するトンネルである。トンネル西側には延岡市営火葬場「悠久苑」があったが、2012年に新施設への移転に伴い閉鎖され、建物は現在も残るものの立ち入りはできない。かつて火葬場の前には公衆電話ボックスが設置されており、この電話ボックス付近で、電話をかけていた母親とその子どもが自動車にはねられ死亡したとの噂が伝わっている。この事故の噂を背景に、三輪車に乗った男の子の霊がトンネル内を走る車と並走するという話が広まった。ほかにも、トンネル内で車のエンジンが突然停止する、電話ボックスがあった付近から着信音が響くが履歴には残らないといった現象が報告されている。電話ボックスは既に撤去され、周辺は静まり返っているが、複数の心霊情報サイトで同様の噂が紹介され続けている。

延岡市
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久峯隧道(コツコツトンネル)

久峯隧道は宮崎市佐土原町下那珂の国道10号沿いにある1962年竣工、全長73メートルほどの隧道で、照明のない直線トンネルである。通称「コツコツトンネル」として知られ、この呼び名は、クラクションを3回鳴らすとコツコツという足音が響き女性の霊が近づいてくる、あるいは車の窓ガラスを叩く音が聞こえるという噂に由来する。噂の由来としては、この付近に住むある女性が許されない相手と密会する際、相手がトンネル内でクラクションを3回鳴らして合図を送っていたとする話がある。ある時、いたずらで同じ回数のクラクションを鳴らした車が通り、合図と思い込んで駆け出した女性が走行中の車にはねられて亡くなったとする筋立てが紹介されている。加えて、トンネル周辺にはかつて防空壕や火葬場の跡地があったとする説も紹介され、戦時の記憶がこの場所の不気味さを補強する要素として結び付けられている。ただしこれらはいずれも検証されていない噂であり、実際の被害者や事件の記録は確認されていない。

宮崎市
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ホテルアイランド

宮崎市青島に近い加江田地区に、かつて「ホテルアイランド」と呼ばれる廃墟が存在した。ラブホテルとして営業していたが、建物はもともと昭和初期の結核療養施設、あるいは傷病兵を収容した病院だったという説が伝わり、廊下の奥には見取り図にない螺旋階段が続き、その先に手術室があったという噂が語られている。営業中に怪奇現象が相次いだために経営者が撤退し廃業したとされ、廃墟化した後は暗がりに老婆の姿を目撃した、うめき声や助けを求める声が響いたといった話が広まった。心霊写真が撮影されたとの報告もあり、テレビの怪談企画で紹介されたことで全国的な知名度を得た。一方で病院時代の詳細や死亡事故について自治体史や報道による裏付けは確認されておらず、建物は倒壊の危険を理由に2005年に解体され、現在は跡形をとどめていない。

宮崎市
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平和台公園

宮崎市下北方町の丘陵地に整備された都市公園で、園内には1940年に紀元二千六百年記念事業として完成した高さ36メートル余りの「平和の塔」がそびえる。塔は当初「八紘之基柱」と呼ばれ、正面には秩父宮雍仁親王の筆による「八紘一宇」の文字が刻まれていた。終戦後、GHQの指示で文字と四隅の像が撤去され、1960年代になって復元された経緯を持つ。園内のはにわ園には多数の埴輪が並び、深夜になると埴輪が動き出したり目が光るという噂が伝えられている。平和の塔の周辺では女性の霊が目撃されるとの話があり、園内の池では入水した女性の霊が現れるという話も語られている。戦争で亡くなった人々を慰霊する目的で整備された経緯から、戦死者の霊が成仏できずにいるとする説や、終戦時に集団自殺があったという噂と結び付け、その人数分の埴輪が置かれているとする話も伝えられている。

宮崎市
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寒川集落

宮崎県西都市の山間部、三財川北岸の斜面に位置する寒川集落は、慶長2年(1597年)創建と伝わる寒川天神社の存在から、江戸時代以前より人が住んでいたとされる約400年の歴史を持つ山村だった。かつては林業を基盤に200人を超える住民が暮らしていたが、1960年代以降の林業衰退と高齢化により人口は減少を続け、1978年には集落の小中学校が閉校した。1986年、住民が市に集団移転を陳情し、1989年3月、最後まで残っていた6世帯13人(平均年齢70歳超)が麓の地区へ移り住み、宮崎県内で最初の集団離村となった。移転の条件として、かまどを壊し畳を上げることが求められ、住居として二度と使えない状態にしてから集落を去ったと伝えられている。現在、大半の家屋は倒壊・腐朽が進み、旧校舎も倒壊が進んでいるが、神社の祠は今も保たれている。こうした無人の廃村跡では、白髪の老婆の姿をした霊が廃屋の窓からじっと見つめてくる、という噂が複数の記録で語られている。

西都市

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隧道・トンネル·宮崎県 宮崎市

久峯隧道(コツコツトンネル)

久峯隧道は宮崎市佐土原町下那珂の国道10号沿いにある1962年竣工、全長73メートルほどの隧道で、照明のない直線トンネルである。通称「コツコツトンネル」として知られ、この呼び名は、クラクションを3回鳴らすとコツコツという足音が響き女性の霊が近づいてくる、あるいは車の窓ガラスを叩く音が聞こえるという噂に由来する。噂の由来としては、この付近に住むある女性が許されない相手と密会する際、相手がトンネル内でクラクションを3回鳴らして合図を送っていたとする話がある。ある時、いたずらで同じ回数のクラクションを鳴らした車が通り、合図と思い込んで駆け出した女性が走行中の車にはねられて亡くなったとする筋立てが紹介されている。加えて、トンネル周辺にはかつて防空壕や火葬場の跡地があったとする説も紹介され、戦時の記憶がこの場所の不気味さを補強する要素として結び付けられている。ただしこれらはいずれも検証されていない噂であり、実際の被害者や事件の記録は確認されていない。

平和台公園
公園・城址·宮崎県 宮崎市

平和台公園

宮崎市下北方町の丘陵地に整備された都市公園で、園内には1940年に紀元二千六百年記念事業として完成した高さ36メートル余りの「平和の塔」がそびえる。塔は当初「八紘之基柱」と呼ばれ、正面には秩父宮雍仁親王の筆による「八紘一宇」の文字が刻まれていた。終戦後、GHQの指示で文字と四隅の像が撤去され、1960年代になって復元された経緯を持つ。園内のはにわ園には多数の埴輪が並び、深夜になると埴輪が動き出したり目が光るという噂が伝えられている。平和の塔の周辺では女性の霊が目撃されるとの話があり、園内の池では入水した女性の霊が現れるという話も語られている。戦争で亡くなった人々を慰霊する目的で整備された経緯から、戦死者の霊が成仏できずにいるとする説や、終戦時に集団自殺があったという噂と結び付け、その人数分の埴輪が置かれているとする話も伝えられている。

青島断崖
山道・峠·宮崎県 宮崎市

青島断崖

宮崎市青島周辺の断崖は、新生代新第三紀に海底に堆積した砂岩と泥岩が規則正しく互層をなす「宮崎層群」が地殻変動により傾斜・露出し、長年の波浪侵蝕によって形成された海岸地形である。地層の岩質の硬度差により砂岩と泥岩の溝が深く刻まれ、干潮時には幅20メートルから100メートルにわたって波状の凹凸が連なり、遠景から洗濯板に見立てた「鬼の洗濯板」という名称で知られている。国指定天然記念物に指定され、宮崎から南方8キロメートルにわたって連続する地質学的遺産である。 青島神社は「彦火火出見命が海神宮から帰還した際に青島に上陸して宮を営んだ」という山幸彦・海幸彦の神話に基づき創祀されたと伝えられ、天津日高彦火火出見命、豊玉姫命、塩筒大神を祀る。縁結びと航海安全の神として信仰されており、断崖一帯は信仰と歴史が層状に積み重なる場所である。 断崖の自然美と信仰の結合は、海を生活圏とする歴史を持つ地域社会の記憶を濃厚に反映している。一方で急傾斜・波浪・強風による転落危険が極めて高く、訪問者の安全と地域への敬意が必須である。

神域・霊場·宮崎県 宮崎市

仏舎利塔(紫波洲崎城址)

仏舎利塔は宮崎市南部の折生迫、青島の南に隣接する城山公園の山頂に建つ仏塔である。この地はかつて紫波洲崎城の本丸があった場所で、室町時代に長井氏が築いた城は伊東氏四十八城の一つとされ、以後は伊東氏と島津氏による争奪の舞台となった。1480年に島津方が一時奪取したが伊東氏が奪還し、1577年に伊東義祐が豊後へ逃れた後は島津方の上井薫兼が城主を務めた。1587年の豊臣秀吉による九州征伐後は再び伊東氏の所領に戻り、江戸時代の一国一城令により廃城となった。1972年、インドのネルー首相から贈られた仏舎利を納めるため、旧本丸跡に高さ21メートルの仏舎利塔が建立された。この城跡には、戦で命を落とした武士の霊が甲冑姿で目撃されるという噂があり、塔の周辺では女性の霊の目撃談も伝えられている。塔の周りを歩くと後ろから足音が一つ多く聞こえるという体験も複数のサイトで報告されている。近隣には強盗による事件があったとされる廃屋の噂も付随しているが、こちらは裏付けとなる記録が確認されておらず、宮崎県内の別の仏舎利塔(日向市)にまつわる話と混同されている可能性も指摘されている。

堀切峠
山道・峠·宮崎県 宮崎市

堀切峠

堀切峠は宮崎市南部、国道220号の旧道沿いに位置する峠道で、太平洋を望む絶景と海岸の奇岩「鬼の洗濯板」で知られる観光地である。峠の急カーブが続く区間は、2008年にトンネルを含む新道が開通する以前、日南方面へ抜ける主要道路として利用されていた。この峠では昭和40年代、幼稚園児を乗せたバスがカーブを曲がりきれず崖下に転落し、乗員全員が死亡する事故が起きたとされる。この事故を契機に、峠周辺では子どもの霊にまつわる噂が広まったという。目撃情報としては、通行する車のボディやフロントガラスに小さな手形のようなものが浮かぶ、子どもの笑い声のような音が聞こえるといった話が伝えられている。峠道が交通の難所として利用されていた時期には、特定のカーブでの死亡事故が相次いだとの証言もあり、その事故後に赤いテールランプが不自然に現れて消えたという体験談も残されている。景勝地としての知名度と、峠道特有の事故の記憶が結びつき、堀切峠は宮崎県内で知られる心霊スポットの一つとして扱われている。

旧宮崎廃海軍基地跡
水辺·宮崎県 宮崎市

旧宮崎廃海軍基地跡

宮崎県宮崎市の現在の宮崎ブーゲンビリア空港一帯には、太平洋戦争中に旧日本海軍が建設した赤江飛行場の遺構が残されている。1943年に練習航空隊の基地として開設された当地は、翌1944年からは九州最大級の前線基地として機能し、3本の滑走路を持つ大規模な施設だった。1945年3月から終戦までの間、約380人の特攻隊員がここから出撃した。 現在、宮崎空港の周辺部には複数の掩体壕(えんたいごう)が存在している。特に本郷地区に散在する6基のコンクリート製掩体壕は、航空機を空襲から守るために戦中に構築された施設であり、終戦から80年以上経た今も、その直線的な輪郭を保ったまま草地に埋もれている。基地跡の北西から南東方向へ走っていた滑走路の痕跡も部分的に確認でき、西側の旧滑走路上には現在、一ツ葉有料道路が走っている。 慰霊碑が建立され、戦没者への追悼が地域に根付く場所として扱われている。

廃墟・残骸·宮崎県 宮崎市

ホテルアイランド

宮崎市青島に近い加江田地区に、かつて「ホテルアイランド」と呼ばれる廃墟が存在した。ラブホテルとして営業していたが、建物はもともと昭和初期の結核療養施設、あるいは傷病兵を収容した病院だったという説が伝わり、廊下の奥には見取り図にない螺旋階段が続き、その先に手術室があったという噂が語られている。営業中に怪奇現象が相次いだために経営者が撤退し廃業したとされ、廃墟化した後は暗がりに老婆の姿を目撃した、うめき声や助けを求める声が響いたといった話が広まった。心霊写真が撮影されたとの報告もあり、テレビの怪談企画で紹介されたことで全国的な知名度を得た。一方で病院時代の詳細や死亡事故について自治体史や報道による裏付けは確認されておらず、建物は倒壊の危険を理由に2005年に解体され、現在は跡形をとどめていない。

青島神社周辺海岸
水辺·宮崎県 宮崎市

青島神社周辺海岸

宮崎県宮崎市の青島周辺に広がる断崖は、新生代の砂岩と泥岩が交互に積み重なる「宮崎層群」が傾斜露出し、波食によって硬度差が顕著になった結果、規則正しい波状の凹凸が長さ8キロメートルにわたって連続する。この波状岩は「鬼の洗濯板」と呼ばれ、干潮時には最大100メートル幅に及ぶ景観が出現する。国指定天然記念物に指定されている。青島神社は日向神話の舞台として、彦火火出見命(山幸彦)が海神宮から帰還した地点とされ、縁結びと航海安全の守護神として祀られている。江戸期以来、潮待ちの船乗りや地域の漁業者に厚い信仰を集めてきた。 夜間の海岸では、波と風、岩の不規則な反射音が複合的に作用する。人工光が少ない環境で暗順応が進むと、岩肌の凹凸が人の顔や体に見えやすくなり、小さな音の定位が曖昧になる。これらの知覚特性と、古来からこの地に根ざした海難への記憶や神話的世界観が結びつくことで、「何かが見えた」「声が聞こえた」という主観的な報告が生まれる。地域の海運と信仰の歴史の重さが、感覚体験を通じて感じ取られている。

隧道・トンネル·宮崎県 延岡市

浦城トンネル

浦城トンネルは宮崎県延岡市浦城町付近(北川町長井との境に近い)、国道388号沿いに位置するトンネルである。トンネル西側には延岡市営火葬場「悠久苑」があったが、2012年に新施設への移転に伴い閉鎖され、建物は現在も残るものの立ち入りはできない。かつて火葬場の前には公衆電話ボックスが設置されており、この電話ボックス付近で、電話をかけていた母親とその子どもが自動車にはねられ死亡したとの噂が伝わっている。この事故の噂を背景に、三輪車に乗った男の子の霊がトンネル内を走る車と並走するという話が広まった。ほかにも、トンネル内で車のエンジンが突然停止する、電話ボックスがあった付近から着信音が響くが履歴には残らないといった現象が報告されている。電話ボックスは既に撤去され、周辺は静まり返っているが、複数の心霊情報サイトで同様の噂が紹介され続けている。

飫肥城廃墟区域
公園・城址·宮崎県 日南市

飫肥城廃墟区域

飫肥城は宮崎県日南市の城下町中心部に位置する江戸期の城跡である。天正15年(1587)に伊東祐兵が豊臣秀吉から領地を与えられて以来、伊東氏14代が1871年の廃藩まで支配した。城域は東西750メートル、南北500メートルの規模を有し、シラス台地の段差を活かした複数の曲輪で構成されている。 現在、本丸跡、大手門、旧藩校振徳堂(天保2年開校)といった施設は復元・整備されて公開されている一方で、城域の外縁部には石垣の崩落や雑草地が残存している。これらの手つかずの領域は、活発に保存整備される中心部と対照的に、訪問客の少ない静謐な空間を形成している。1977年に九州で初めて重要伝統的建造物群保存地区に指定され、城下町全体が歴史的景観として位置づけられている。

隧道・トンネル·宮崎県 日南市

旧矢立隧道

宮崎県北諸県郡三股町と日南市北郷町の境、鰐塚山の山腹に位置する旧矢立隧道は、昭和36年(1961年)に完成した長さ373.3メートル、幅5メートルの隧道である。現在はすぐ近くに新設された新矢立トンネルが主要地方道(都城北郷線)として使われており、旧隧道はその役目を終えている。掘削工事中に発破事故が発生し、複数の作業員が命を落としたと伝わる。この経緯を背景に、隧道内での人魂の目撃や、旧道のカーブミラーに人影が映るといった噂が広まり、宮崎県内でも古くから知られる心霊スポットの一つとされてきた。内部を撮影すると霧状のものが写り込むとの報告も見られる。隧道の入口は現在、コンクリートの壁で厚く閉鎖されており、公式には内部の崩落による危険性が封鎖理由とされている。三股町側は鰐塚山への登山道として一部整備され通行できるが、日南市側の道路は完全に廃道化している。

照葉大吊橋
橋・高架·宮崎県 東諸県郡綾町

照葉大吊橋

照葉大吊橋は宮崎県東諸県郡綾町の本庄川に架かる歩行者専用の吊り橋で、1984年に開通した。高さは142メートルに達し、開通当時は歩行者専用橋として国内で二番目の高さだった(2006年に大分県の九重"夢"大吊橋がこれを上回っている)。橋は照葉樹林の原生林を間近に望むための観光施設として整備され、周辺は綾ユネスコエコパークにも含まれる自然豊かな地域である。 この橋については、高所から身を投げた人物の霊が目撃されるという噂が複数のウェブサイトで紹介されている。橋を渡っていると背後から声をかけられるが振り返ると誰もいないという話や、橋の下を流れる川のほとりに長髪の人影が佇んでいるのを見たが同行者はその出来事を覚えていなかったという証言、橋のたもとの茂みで白い服を着た長髪の人物にごく近い距離で遭遇したという体験談などが挙げられる。谷底までの高低差の大きさと橋の静けさが、こうした噂の舞台として結び付けられているとみられる。

集落・廃村·宮崎県 西都市

寒川集落

宮崎県西都市の山間部、三財川北岸の斜面に位置する寒川集落は、慶長2年(1597年)創建と伝わる寒川天神社の存在から、江戸時代以前より人が住んでいたとされる約400年の歴史を持つ山村だった。かつては林業を基盤に200人を超える住民が暮らしていたが、1960年代以降の林業衰退と高齢化により人口は減少を続け、1978年には集落の小中学校が閉校した。1986年、住民が市に集団移転を陳情し、1989年3月、最後まで残っていた6世帯13人(平均年齢70歳超)が麓の地区へ移り住み、宮崎県内で最初の集団離村となった。移転の条件として、かまどを壊し畳を上げることが求められ、住居として二度と使えない状態にしてから集落を去ったと伝えられている。現在、大半の家屋は倒壊・腐朽が進み、旧校舎も倒壊が進んでいるが、神社の祠は今も保たれている。こうした無人の廃村跡では、白髪の老婆の姿をした霊が廃屋の窓からじっと見つめてくる、という噂が複数の記録で語られている。

関之尾滝
水辺·宮崎県 都城市

関之尾滝

関之尾滝は宮崎県都城市を流れる庄内川にかかる滝で、大滝・男滝・女滝の三段からなり、日本の滝百選に選ばれ、上流に広がる甌穴群は国の天然記念物に指定される景勝地である。滝にまつわる伝承として、約650年前、当地を治めた領主が催した月見の宴で、酌をした若い女性が酒をこぼした失態を恥じ、朱塗りの盃を抱いて滝壺に身を投げたという話が伝わる。その恋人が悲しみのうちに岩へ歌を刻んで姿を消したとも伝えられ、満月の夜には滝壺に盃が浮かぶとされるこの伝説にちなみ、その霊を慰めるとされる行事が現在も毎年催されている。こうした由来を背景に、滝周辺は心霊にまつわる話題としても取り上げられるようになった。滝壺付近で女性の悲鳴のような音を聞いたという声や、近くの吊り橋で白い服の人影を見たという報告、公衆トイレで足音や鏡に映る影を感じたという体験談がインターネット上の記録に見られる。甌穴群の付近で自分のものではない影が水面に消えていくのを見たとする話もあり、観光地としての知名度の高さとともに、こうした噂が繰り返し取り上げられている。

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