
玉川上水(太宰治入水の地)
玉川上水は、江戸時代の承応年間に江戸市中への給水を目的として開削された用水路で、多摩川の水を四谷方面までおよそ四十キロにわたって導いた歴史ある水路である。かつては水量が豊かで流れが速く、いったん落ちれば助かりにくい急流だったと伝えられ、近代以降は投身による死が相次いだ水辺としても知られた。東京都三鷹市を通る区間はその一部にあたる。 この流れが広く記憶されているのは、昭和二十三年六月、作家の太宰治が山崎富栄とともにこの水路で命を絶ったためである。二人の遺体は数日後に下流で発見され、発見日は太宰の誕生日にあたっていたとされる。太宰が水に入ったと考えられている付近には、郷里である青森の石を用いた玉鹿石の碑が置かれ、その一帯は現在「風の散歩道」として整備されて、三鷹駅からほど近い市民の散策路になっている。 急流ゆえに繰り返された死と、著名な作家の最期という記憶が同じ水辺に重なることで、この場所は哀切をまとった水辺として意識されてきた。穏やかな遊歩道の下を流れる水音のなかに、沈んだ気配や言葉にならない哀しみを感じ取るという受け止め方が生まれる場所として語られることがある。












