大菩薩峠
大菩薩峠は山梨県甲州市と小菅村の境に位置する標高1897メートルの峠で、江戸時代には青梅街道の主要な峠道として人や物資が行き交った。明治期に柳沢峠経由の道が整備されると通行量は減り、以後は登山道として利用されるようになった。この峠を全国に知らしめたのは中里介山が1913年から30年近くにわたり連載した未完の大河小説『大菩薩峠』で、物語の冒頭、主人公の剣士が峠で年老いた巡礼者を理由もなく斬り殺す場面
峠は古来、村境を越える者を試す結界であった。修験道の行場、行き倒れの旅人、街道筋を彩った辻斬りや山賊の血が、杉木立の闇に折り重なる。山姥や天狗の伝承は、迷えば二度と戻れぬ山の不可知に対する、先人の畏れの結晶である。
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大菩薩峠は山梨県甲州市と小菅村の境に位置する標高1897メートルの峠で、江戸時代には青梅街道の主要な峠道として人や物資が行き交った。明治期に柳沢峠経由の道が整備されると通行量は減り、以後は登山道として利用されるようになった。この峠を全国に知らしめたのは中里介山が1913年から30年近くにわたり連載した未完の大河小説『大菩薩峠』で、物語の冒頭、主人公の剣士が峠で年老いた巡礼者を理由もなく斬り殺す場面
夜叉神峠は南アルプス市の山間部、標高約1770メートルに位置する峠で、白根三山を望む展望地として知られ、鳳凰三山への登山口にもなっている。峠の名は、かつてこの地に荒々しい神「夜叉神」が棲み、御勅使川の上流域に大雨や土砂崩れ、旱魃といった災いをもたらしたという伝承に由来する。人々は災いを鎮めるためにこの地に祠を建てたとされ、現在も峠道の稜線沿いにその祠が祀られている。 一方で、この峠は心霊スポット
群馬県高崎市と長野原町の境に位置する二度上峠は、標高約1380mの切り通しの峠で、群馬県道54号長野原倉渕線が通る道である。かつて草軽電気鉄道の駅名にその名を残しており、急なカーブが連続する道として知られる。この峠では過去に自動車事故が発生し、祖父母と子供が同時に亡くなったとされる話が伝わっている。これを背景に、走行中に側面のミラーへ生首が映り込む、特定のカーブでミラーを見てはいけないといった噂が
御霊櫃峠は福島県郡山市の逢瀬町と湖南町の境に位置する標高約876メートルの峠で、平安時代後期の前九年の役に絡む伝承によれば、この地を平定した鎌倉景政が山中の巨石に神霊を移して五穀豊穣を祈願したとされ、その「櫃石」が峠の名の由来となっているという。幕末の戊辰戦争では会津藩が官軍の進軍を阻む要衝として利用したと伝わり、現在も峠周辺には防塁の跡が残る。こうした歴史を背景に、峠は複数の時代の霊が出没する場
千歳山は山形市中心部に近い標高471mの山で、麓には千歳稲荷が祀られている。延文元年(1356年)に山形城を築いた斯波兼頼が、築城の際に山にかかった霧を稲荷への祈願で払わせたとの故実から、城の守護神として祀られたと伝わる。また山中には、松の精と恋をした阿古耶姫の悲恋伝説が残り、麓の萬松寺コースには伝説にゆかりのある松も植えられ、縁結びの山としても知られている。一方で近年は、心霊スポット紹介サイトや
山刀伐峠は山形県尾花沢市と最上町の境にある標高390メートルの峠で、江戸時代に松尾芭蕉が『おくのほそ道』の道中で越えた最大の難所として知られる。元禄2年(1689年)、芭蕉は封人の家に逗留した後、山賊の出没を警戒して護衛をつけてこの峠を渡ったと記録に残る。峠の名称は、山仕事や狩りの際にかぶった「なたぎり」という被り物の形に似ることに由来するとされる一方、山賊に襲われた歴史にちなむという説も存在する
茶臼峠は秋田県男鹿市脇本田谷沢に位置する峠道で、男鹿半島の付け根を横切る。かつて国道101号の一部として男鹿市脇本と船川港とを結んでいたが、2010年に新道が開通したことで県道59号に変更され、通行量は減少した。全長約2キロにわたり森林に囲まれたカーブの続く道で、現在も寒風山の採石場から出る大型ダンプが通ることがある。 この峠道沿いには過去に小規模な火葬場と葬儀場があったとされ(現在市が運営する
権現山展望公園は長崎市野母町(野母崎地区)、標高198メートルの権現山山頂に整備された展望公園で、広島平和公園の「悲願の鐘」と対をなす夫婦鐘「発起の鐘」が設置されている。この鐘をめぐっては、続けて三回鳴らすと祟りを受けるという噂が広まっており、深夜三時前後に鳴らした場合に現象が強く出るとする説が多い。鳴らした後には子どもの声が聞こえたり、姿を見せない子どもの気配を感じたりするとされ、その気配は下山
鳥取県東伯郡琴浦町にある標高687メートルの山。1333年、隠岐を脱出した後醍醐天皇を名和長年が迎え入れ、鎌倉幕府軍との間で船上山の戦いが繰り広げられた古戦場である。幕府軍は夕刻に発生した暴風雨による混乱のなかで名和軍の襲撃を受け、多数の兵が断崖から転落したとされる。山上には後醍醐天皇の行宮跡や船上神社があり、麓には県立船上山少年自然の家が設けられている。この一帯では、甲冑姿の武士の霊や生首が霧の
岡山県苫田郡鏡野町上齋原と鳥取県三朝町の県境、中国山地の稜線上、標高740メートル前後に位置する峠。地名の由来には二つの説が伝わる。一つは江戸期の地誌『伯耆民談記』にも記された伝承で、旅人を襲う大蜘蛛(あるいは蜂とも)を退治するため木地師が娘の姿をした木像を峠に置いて囮にし、現れた化け物に村人総出で討ち取ったという話。もう一つは、濃霧の峠道で母と娘がはぐれ、霧が晴れた後には娘の姿が消え、娘によく似

三瀬峠は福岡市早良区と佐賀市の境、標高581メートル付近に位置し、国道263号が通る峠道である。急カーブと急勾配が続く難所だったため、1986年に三瀬トンネル有料道路が開通し、2008年には大型のループ橋も加わって、現在は旧道を経由せずに峠越えの大部分を回避できるようになった。峠は1874年の佐賀の乱でも佐賀軍と鎮圧隊が交戦した舞台であり、古くから交通・軍事上の要衝だった土地でもある。旧道について

堀切峠は宮崎市南部、国道220号の旧道沿いに位置する峠道で、太平洋を望む絶景と海岸の奇岩「鬼の洗濯板」で知られる観光地である。峠の急カーブが続く区間は、2008年にトンネルを含む新道が開通する以前、日南方面へ抜ける主要道路として利用されていた。この峠では昭和40年代、幼稚園児を乗せたバスがカーブを曲がりきれず崖下に転落し、乗員全員が死亡する事故が起きたとされる。この事故を契機に、峠周辺では子どもの