
旧佐世保廃海軍工廠跡
長崎県佐世保市にある旧海軍工廠は、1903年の設置以来、日本海軍直営の軍需工場として艦艇の製造・修理、兵器管理に当たってきた。大正期には高さ62メートルの250トン起重機が完成し、1941年には大和型戦艦の整備に対応する第7ドックが竣工。戦前期から戦中にかけて最大5万人の労働力を動員し、駆逐艦や軽巡洋艦、潜水艦の建造、さらには航空母艦赤城・加賀の改装作業も実施してきた。 1945年、この工廠は米軍の集中爆撃に晒される。4月8日と5月24日の先制爆撃で百名以上の工員が失命。その直後、6月28日から29日未明にかけての大空襲では、市街地を中心に約1200トンの焼夷弾が投下され、佐世保は壊滅的打撃を受けた。その戦火の中で、工廠敷地内でも多くの者が巻き込まれたとされる。 戦後、施設の大部分は佐世保重工業に引き継がれ、今も造船拠点として機能。米軍と海上自衛隊の基地も隣接している。現在、敷地一帯は立ち入り制限されているが、弓張展望台や沿岸道路からはクレーン群の外観が見える。戦地化した港湾地帯の歴史の重さが、今も佐世保の景観に刻まれている。








