
可児市旧尾張・美濃合戦場霊
岐阜県可児市は木曽川と可児川に挟まれた丘陵地で、戦国時代に尾張と美濃を結ぶ要衝として機能した。市内に残る複数の城址は、この地政学的重要性を物語っている。明智城は康永元年(1342年)に土岐明智二郎頼兼が築き、約200年間明智氏の居城として栄えた。1556年、斎藤義龍の攻撃により落城し、城主・明智光安が自刃した。一方、久々利城は14世紀の南北朝期に遡る久々利氏の城で、1583年に美濃金山城主・森長可によって落城させられている。 現在、これらの城址は里山として公園化され、遊歩道や散策道が整備されている。発掘調査の知見は市の歴史民俗資料館で公開され、地域学習の素材として活用されている。一部の訪問者からは、古戦場跡で気温の異変や金属音の聞こえ、鎧姿の人影を目撃したという報告がなされているが、これらは特定の合戦に直結する伝承ではなく、土地全体に対する民間の記憶としても受け入れられている。近隣の寺院では戦没者の供養が継続され、地域の鎮魂の実践と結びついている。