
坂祝町旧木曽川渡し場の水霊
岐阜県坂祝町の木曽川中流域は、江戸時代に中山道が初めて木曽川を渡る地点として栄えた渡し場跡である。「木曽の桟、太田の渡し、碓氷峠がなくばよい」と謳われた中山道三大難所の一つで、江戸時代の旅人や荷駄の往来を支えた。 木曽川のこの一帯は岩盤が張り出し、急流と深い淵が連続する地形が特徴である。増水時には船止めとなる危険性から、沿岸には宿場や茶屋が発達し、旅人の滞留がもたらした一種の経済圏を形成していた。1927年に太田橋が完成するまで、舟頭たちは増水や突風といった自然の脅威と向き合いながら、日々の渡河業務に従事していた。流域での水難事故はその間、地元で数多く記憶されてきた。 渡し場廃止から約90年が経過した現在、旧渡し場周辺の河岸は国指定名勝「木曽川」の一部として保全されている。かつての交通の要地としての役割は失われたが、水による生命の喪失と生業の記憶が、この場所の風景に潜在的な重みをもたらしている。


