
岐阜城跡
岐阜城は岐阜県岐阜市の金華山山頂に立つ城郭で、戦国期の日本において重要な軍事・政治拠点として機能した。元々は稲葉山城と呼ばれ、1539年頃から斎藤道三によって整備された。1567年、織田信長が斎藤龍興から城を奪取し、本拠地をここに移した。信長は城と城下町の名を「岐阜」と改め、古代中国の故事に倣って天下統一への志を示した。 金華山の山城は長良川を見下ろす要害の地として、幾度も合戦の舞台となった。1600年の関ケ原の戦いの前哨戦では、織田秀信(信長の孫)が西軍に与して東軍の攻撃を受け、城は落城した。信長の時代には楽市楽座などの革新的施策により城下町が繁栄し、長良川沿いに材木や奥美濃の和紙などを扱う問屋街が形成された。 現在、岐阜城跡は国史跡に指定されており、山頂には1956年に再建された鉄筋コンクリートの復興天守がそびえ、城内は史料展示室と展望台として機能している。山麓の岐阜公園では継続的な発掘調査が進められており、信長の居館跡や庭園遺構が確認されている。令和7年から耐震改修工事が予定されている。