岐阜県隧道・トンネル系 心霊スポット

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岐阜県の心霊文化

本州のほぼ中央に位置する岐阜県は、天下分け目の戦場と山岳信仰の里を併せ持つ土地である。1600年、徳川家康と石田三成が激突し数万の血を吸った関ヶ原の野には今も無名の供養塔が散在し、合掌造りの里・白川郷には豪雪と隔絶が育んだ口減らし伝承や落人の物語が密かに語り継がれている。山と血の記憶が、美濃飛騨の闇を一層深くしている。

隧道・トンネルという場所

山腹を貫くトンネルは、自然の境界を強引にこじ開けた人工の異界である。明治以降の鉄道・道路開削に伴う落盤事故、過酷な労役に倒れた工夫、人柱の伝承が地中に積層し、闇の奥に沈殿する。出口の光が遠ざかる錯覚は、訪れる者を時間ごと飲み込んでいく。

二股トンネル(朝鮮トンネル)
隧道・トンネル·岐阜県 加茂郡八百津町

二股トンネル(朝鮮トンネル)

岐阜県八百津町南戸、国道418号の通行禁止区間に残る二股隧道は、銘板に「昭和三十一年五月竣工」と刻まれた古いトンネルである。木曽川の治水と発電を目的とした丸山ダムの建設により水没する道路の代替として整備された道の一部で、通称「朝鮮トンネル」とも呼ばれる。この名は、建設にあたり強制連行された朝鮮人労働者が人柱として壁の中に埋め込まれた、あるいは工事中の事故で死亡した労働者の処理に困った関係者が遺体を隠したためだ、という噂に由来する。ただしトンネルの竣工は戦後の1956年であり、戦時中の強制労働を直接示す記録は見当たらない。一方「二股」という地名自体は、ダム完成前に木曽川の中州で流れが二筋に分かれていた地点を指す呼び名であり、トンネル内部の構造とは関係がないことが後の調査で判明している。照明のないトンネル内では、男性らしき人影や叫び声、体をつかまれる感覚などを覚えたという声があり、壁の落書きが目撃談とともに紹介されることもある。現在は道路自体が閉鎖され、新丸山ダムの完成に伴い水没する予定となっている。

愛岐トンネル群 13号トンネル(池田町屋第一隧道)
隧道・トンネル·岐阜県 多治見市

愛岐トンネル群 13号トンネル(池田町屋第一隧道)

愛岐トンネル群は、愛知県春日井市と岐阜県多治見市を結んでいた旧国鉄中央線の廃線跡に残るレンガ造トンネル群である。1900年(明治33年)に開通し、複線電化による新線への切替に伴い1966年(昭和41年)に廃線となった。多治見市側に位置する13号トンネル(池田町屋第一隧道)は全長262メートルで、建設工事は難工事として知られ、路線全体では20名以上の作業員が工事中の事故で亡くなったと伝わる。現在は封鎖されており、内部に立ち入ることはできない。 このトンネルには、工事で亡くなった作業員の霊が出るとする噂に加え、身を投げた者の霊を見ると帰り道に事故に遭うという話が伝わっている。かつて走っていた蒸気機関車や電車の走行音が聞こえるとの報告もある。また、精神を病んだ女性がマスク姿で子供たちを驚かせた出来事が、全国的な都市伝説「口裂け女」の発祥の一説につながったともされており(発祥地には他県の異説もある)、単なる廃トンネルとしてだけでなく心霊の噂を伴う場所として知られている。

鶯谷トンネル
隧道・トンネル·岐阜県 岐阜市

鶯谷トンネル

岐阜市中心部と東部を結ぶ鶯谷トンネルは、金華山南西の瑞龍寺山(通称・水道山)を貫く道路トンネルである。1918年に構想されたが一度は予算から外れ、太平洋戦争末期の1945年1月、防空疎開道路として岐阜市土木部により着工された。工事中は防空壕としても使われ、空襲による被害者が出たとされる。1947年8月に開通し、延長646mは当時の岐阜県内で最長の道路トンネルであった。1972年には並行して新トンネルの工事が始まり、同年12月に開通、翌1973年に完成した。現在は旧トンネルが下り専用、新トンネルが上り専用として使われている。トンネル入口付近には小さな祠があり、戦争で亡くなった人々を慰霊するものと伝えられている。こうした歴史を背景に、走行中のルームミラーに白い服の女性の顔が映り込む、壁や天井に人の顔に似た影が浮かぶ、うめき声が聞こえるといった話が伝えられてきた。さらに1970年代末に全国へ広まった「口裂け女」の都市伝説について、防空壕内で爆風により顔に損傷を負った遺体が多く見つかったことが原型になったとする説があり、発祥地の一つとして紹介されることがある。

恵那山旧道廃トンネル
隧道・トンネル·岐阜県 恵那市

恵那山旧道廃トンネル

岐阜県恵那市の恵那山麓に位置する旧道のトンネルは、かつて山越えの主要ルートとして機能していた。新道の開通により役目を終え、現在は入口が塞がれたままとなっている。トンネル周辺は針葉樹林に覆われ、採光に乏しい環境にある。 恵那山周辺の交通路は古くから利用されており、神坂峠は東山道の一部として機能していた歴史がある。昭和期には恵那市内の道路網が段階的に整備され、1975年には中央自動車道の恵那山トンネルが開通し、恵那山を越える交通の主流が高規格道へ移行した。旧道は段階的に利用が減少し、廃止されるに至ったと考えられる。 坑口周辺は地質的に不安定であり、落石や崩落の危険がある。また冬季には凍結による危険も生じる。廃トンネルへの立ち入りは法的・物理的リスクが高く、訪問者の安全確保のため入口は封鎖措置が施されている。

旧神原トンネル(神原隧道)
隧道・トンネル·岐阜県 飛驒市

旧神原トンネル(神原隧道)

岐阜県飛騨市の神原峠にあった旧神原トンネル(神原隧道)は、神岡町柏原と古川町太江を結ぶ県道75号神岡河合線に架かる隧道である。峠は1886年に馬車が通れる道へ改修されたものの、急坂とカーブが続き通行は容易ではなかった。1923年に着工した改修工事により、1924年に全長180メートルの煉瓦造坑門を持つ隧道が完成し、北陸と飛騨を結ぶ道として長く利用された。その後、国道41号の経路が数河峠側へ移ったことで幹線としての役割は薄れ、県道として地域の往来を支える存在になった。幅員は4メートルにとどまり大型車の対面通行が難しかったうえ、冬場には内部に大きなつららが下がることもあったため、1988年に新トンネルの建設が始まり、1990年末に南側へ新たな道が開通した。旧トンネルはその役目を終え、現在は坑門付近が土砂に埋もれ、内部にはコウモリが棲みついているとされる。峠の名を挙げて幽霊の噂を尋ねる投稿がインターネット上の怪談まとめに残っているなど、往来の記憶が薄れた廃隧道として静かに語られることがある。

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