
細倉鉱山
宮城県栗原市の山あいに広がる、奈良時代にさかのぼる歴史を持つ鉛・亜鉛の鉱山跡。近代以降は国内有数の規模を誇ったが、1987年に閉山した。坑道の一部は「細倉マインパーク」として公開される一方、山中には選鉱場や事務所、社宅の跡が朽ちるにまかせて残り、最寄りの鉄道(くりはら田園鉄道)も廃止されて、廃鉱と廃線の地として心霊スポットとしても語られている。かつて鉱山とともに栄えた町は閉山とともに急速に静まり、
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宮城県栗原市の山あいに広がる、奈良時代にさかのぼる歴史を持つ鉛・亜鉛の鉱山跡。近代以降は国内有数の規模を誇ったが、1987年に閉山した。坑道の一部は「細倉マインパーク」として公開される一方、山中には選鉱場や事務所、社宅の跡が朽ちるにまかせて残り、最寄りの鉄道(くりはら田園鉄道)も廃止されて、廃鉱と廃線の地として心霊スポットとしても語られている。かつて鉱山とともに栄えた町は閉山とともに急速に静まり、

群馬県安中市、信越本線の難所として知られた碓氷峠の旧線跡にたたずむ煉瓦造りの建物。1912年(明治45年)、急勾配を登るアプト式鉄道の電化にあわせて建てられた変電所で、二棟が向かい合う重厚な姿は重要文化財に指定されている。新線への切り替えで碓氷峠の旧線は廃止され、いまは遊歩道「アプトの道」として歩けるが、沿線に点在する廃トンネル群とともに、心霊・廃墟の語りが寄せられる場所でもある。二棟の煉瓦建築が

山梨県甲州市勝沼、ぶどう畑の広がる丘陵を貫く旧国鉄中央本線の煉瓦造りトンネル。1903年(明治36年)に開通し、急勾配の難所として長く列車を通してきたが、新線への切り替えにより1997年に役目を終えた。その後は遊歩道として整備された時期もあったが、老朽化のため立ち入りが制限され、ひんやりと暗い廃隧道として、心霊スポットとしても語られるようになった。全長は約1.3kmあり、内部に入ると外の光がまった

秋田県鹿角市、米代川の支流沿いに広がる古い銅山の跡。およそ1300年前から採掘が伝わるとされる歴史ある鉱山で、近世には南部藩の財政を支え、近代には日本有数の銅山として栄えたが、1978年に閉山した。掘り進められた坑道は積み重ねると数百kmに達するといわれ、その一部が「史跡尾去沢鉱山」として公開される一方、山中には朽ちた施設や古い坑口が点在し、廃鉱の地として心霊スポットとしても語られている。総延長が

群馬県藤岡市にある、6世紀前半に築かれた東日本最大級の前方後円墳。墳丘の長さは約145mに及び、古代この地を治めた豪族の墓と考えられている。一帯には、朝廷に滅ぼされたと伝わる豪族・羊太夫の物語が残り、追い詰められた一族の七人の妻(更衣)が、七つの輿に乗って逃れた末に次々と命を絶ったという悲話が「七輿(ななこし)」の名の由来とされる。墳丘に並ぶ石仏の多くが顔を削られた「首なし地蔵」であることも相まっ

島根県安来市、富田川のほとりにそびえる月山に築かれた戦国の山城跡。山陰・山陽の広い地域を支配した尼子氏の本拠で、天然の要害を生かした難攻不落の堅城として知られた。しかし1565年からの毛利元就による兵糧攻めの末、翌年ついに開城し、尼子氏は滅亡へと向かう。主家再興を願い「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈ったという尼子十勇士・山中鹿介の逸話でも名高い。幾度もの攻防で多くの将兵が散った地と

鳥取市の中心部、久松山にそびえる戦国の城跡。1581年(天正9年)、織田信長の命を受けた羽柴秀吉がこの城を兵糧攻めにした「鳥取の渇え殺し(かつえごろし)」は、日本の戦史でも屈指の凄惨な籠城戦として知られる。秀吉は周辺の米をあらかじめ高値で買い占めたうえで城を包囲し、四か月近くにわたって食料を断った。城内では草木や牛馬を食い尽くして餓死者が続出し、ついには人の肉さえ口にしたと伝えられ、城主・吉川経家

長崎市の西、外海に浮かぶ周囲約4kmの小さな島・池島に残る炭鉱の跡。1959年に本格出炭を始め、2001年に閉山するまで九州最後の炭鉱として島を支え、最盛期には人口7700人を数える炭鉱の島として栄えた。閉山後は人口が激減し、高層アパート群や巻揚機、選炭施設などが半ば無人のまま残されて、「軍艦島の弟分」とも呼ばれる廃墟・心霊スポットとして知られるようになった。島の中心部には今も巨大な集合住宅が立ち

青森市の八甲田山麓、城ヶ倉渓流の深い谷に架かる上路式アーチ橋。1995年に完成し、谷底からの高さは約122m、全長360mに及ぶ国内有数の規模を誇り、八甲田・酸ヶ湯へ向かう紅葉の名所として多くの観光客が訪れる。一方で、その圧倒的な高さゆえに投身にまつわる暗い噂が絶えず、青森県内でも知られた心霊スポットとして語られている。周囲はブナの原生林に囲まれて霧が湧きやすく、晴れた日の絶景とは裏腹に、天候が崩

大阪府能勢町、兵庫県との境に近い国道173号の天王峠に残る旧トンネル。新道とトンネルの整備によって幹線の役目を終えた旧道沿いにあり、薄暗く狭い隧道として、大阪近郊では知られた心霊スポットとして語られている。府県境の山あいという立地と、峠道で繰り返されてきた事故とが、怪異の噂を育ててきた。都市部から車で気軽に行ける立地もあって、関西の若者の肝試しの定番として古くから名前が挙がってきた場所でもある。旧

北海道羽幌町の内陸、日本海側の市街から山あいへ入った旧炭鉱町・築別炭砿に残る一連の廃墟。羽幌炭鉱は1940年代に本格的に開発され、最盛期には炭鉱とその家族で人口一万を超える町を形づくったが、1970年の閉山によって人々は去り、町は無人となった。コンクリートのアパート群や、石炭を積み出した巨大なホッパー、選炭場の残骸が森に呑まれつつ立ち並び、北海道を代表する炭鉱廃墟・心霊スポットとして知られる。石炭

奈良市北部の丘に1961年に開園した大型遊園地・奈良ドリームランドの跡地。アメリカのディズニーランドを範とした夢の国として親しまれたが、来園者の減少で2006年に閉園した。その後、観覧車やジェットコースター、城の建物などがそのまま約10年も放置され、草木に埋もれて朽ちていく姿が、日本を代表する廃墟・心霊スポットとして全国に知られるようになった(建物群は2016年から解体された)。海外の写真家や廃墟