
浦安市埋め立て地の怪現象
千葉県浦安市は、江戸川河口の東京湾沿岸に広がる土地である。昭和初期まで、ここは遠浅の干潟で、ハマグリやアサリなどの貝類が豊富に獲れ、海苔養殖も盛んだった。明治22年(1889年)に堀江・猫実・当代島の3村が合併して浦安村が誕生した際、名付け親は漁業の繁栄を願ってこの名前を選んだとされている。 しかし昭和30年代に転機が訪れた。1958年には紙パルプ工場の廃液排出で大量の海の生物が死滅し、800余りの漁師たちは工場に押し掛けるまでに至った。この工業汚染をきっかけに、浦安は漁業から都市開発への転換を迫られた。1962年に一部の漁業権が放棄され、1971年に漁業権は全面的に失われた。同時に1965年から1980年にかけて、大規模な海面埋め立て事業が推し進められ、市域は18倍以上に拡大した。 現在、浦安市郷土博物館の常設展示では、かつての漁業や貝採り、海苔養殖の道具類やジオラマが保存されている。埋め立てられた海の下には、数百年続いた漁村の営みと、その終焉の記憶が重ねられている。