
妙国寺
妙国寺は永禄5年(1562)、三好実休を開基として日蓮宗の学僧日珖を開山に迎え、堺の地に開かれた古刹で、境内には樹齢千年を超えるとされる国指定天然記念物の大蘇鉄がある。伝承によれば、天正7年(1579)にこの蘇鉄を気に入った織田信長が安土城へ移植させたところ、夜ごと「堺へ帰りたい」と泣く声が城内に響き、怒った信長が家来に切りつけさせると、家来たちは血を吐いて倒れたという。祟りを恐れた信長は木を寺へ戻したが、蘇鉄は移植の影響で衰弱し、日珖が法華経を読誦したところ宇賀徳正龍神が現れて加護を誓い、蘇生したと伝えられる。以来「夜泣きの蘇鉄」として知られ、男の厄除けと女の安産を守る木として語られてきた。境内は史実としても凄惨な記憶を刻む。慶応4年(1868)、堺で発生したフランス水兵殺傷事件(堺事件)の処分として土佐藩士20名に切腹が命じられ、この寺でくじの順に次々と腹を切った。11人が果てた時点でフランス側の立会人が凄惨な光景に耐えられず中止を申し出て残る9名は死を免れたとされ、事件は「妙国寺事件」とも呼ばれる。犠牲者を弔う供養塔が今も境内の山門付近に残る。1945年の堺大空襲では本堂をはじめ大半の建物が焼失したが、経蔵と大蘇鉄だけは焼け残り、本堂は1973年に再建された。大坂夏の陣、堺事件、空襲という複数の災禍を生き延びた蘇鉄と、切腹という凄惨な死の記憶が同じ境内に重なる場所として語られている。