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神戸市灘区の心霊スポット

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神戸市灘区の人気スポット TOP2

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摩耶山

深い樹林に飲み込まれた廃墟の中から、人影が窓の外を覗いているのを見たという目撃情報が絶えないとされる摩耶山の「旧摩耶観光ホテル」。夜間に建物の周囲を通りかかった登山者が、誰もいないはずの廃墟内部から話し声や足音が聞こえてきたと語る体験談も複数伝えられている。また、すぐ近くに位置する天上寺の旧境内では、1976年の火災で焼け落ちた本堂跡の石段付近に白い人影が佇んでいたという噂が語り継がれており、夜の旧境内には独特の冷気が漂うとも言われている。廃墟と焼け跡という二つの「終わりの場所」が隣接するこのエリアは、心霊スポットとして関西屈指の因縁地として知られるようになったとされる。 兵庫県神戸市灘区、六甲山系の中央に位置する標高702メートルの摩耶山は、掬星台展望広場から望む夜景が「日本三大夜景」のひとつに数えられる景勝地でもある。旧摩耶観光ホテルは1929年(昭和4年)開業のアール・デコ様式の山岳リゾートホテルで、戦前から戦後にかけて関西の社交界や文化人に愛された。しかし阪神・淡路大震災の被害を機に本格営業が終了し、以来「廃墟の女王」として廃墟愛好家の間で広く知られるようになった。隣接する天上寺は奈良時代に空海が開いたと伝わる古刹で、1976年の火災で本堂を全焼。1985年に山頂付近の別地に再建され、旧境内には石垣と石段だけが残されている。なお、旧ホテル敷地は私有地につき立入禁止となっている。

宿泊・居住跡
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摩耶観光ホテル

兵庫県神戸市灘区の摩耶山南麓に位置する摩耶観光ホテルは、1929年に摩耶鋼索鉄道の福利厚生施設として建設された山岳リゾート建築である。設計者は神戸の建築家・今北乙吉で、施工は大林組が担当した。鉄筋コンクリート造のL字型構造を持ち、各階の水平庇が曲面を強調する独特の意匠を示す。大ホールと大食堂の内部には大梁と柱で大空間を分節し、舞台部分にアールデコ調の装飾が施されている。建物の形状から「戦艦ホテル」とも称された。 戦後は民間企業に売却され、1961年に全面改装を経て再オープンしたが、1967年の台風被害により営業を停止。その後1974年から学生のゼミ合宿などに使用される「摩耶学生センター」として活用されたが、1993年に営業停止となり、以降廃墟として佇み続けている。廃墟マニアの間で「廃墟の女王」と呼ばれ、建築史的価値が再評価され、2021年6月24日に国登録有形文化財(建造物)に登録された。

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摩耶山
兵庫県 神戸市灘区·宿泊・居住跡

摩耶山

深い樹林に飲み込まれた廃墟の中から、人影が窓の外を覗いているのを見たという目撃情報が絶えないとされる摩耶山の「旧摩耶観光ホテル」。夜間に建物の周囲を通りかかった登山者が、誰もいないはずの廃墟内部から話し声や足音が聞こえてきたと語る体験談も複数伝えられている。また、すぐ近くに位置する天上寺の旧境内では、1976年の火災で焼け落ちた本堂跡の石段付近に白い人影が佇んでいたという噂が語り継がれており、夜の旧境内には独特の冷気が漂うとも言われている。廃墟と焼け跡という二つの「終わりの場所」が隣接するこのエリアは、心霊スポットとして関西屈指の因縁地として知られるようになったとされる。 兵庫県神戸市灘区、六甲山系の中央に位置する標高702メートルの摩耶山は、掬星台展望広場から望む夜景が「日本三大夜景」のひとつに数えられる景勝地でもある。旧摩耶観光ホテルは1929年(昭和4年)開業のアール・デコ様式の山岳リゾートホテルで、戦前から戦後にかけて関西の社交界や文化人に愛された。しかし阪神・淡路大震災の被害を機に本格営業が終了し、以来「廃墟の女王」として廃墟愛好家の間で広く知られるようになった。隣接する天上寺は奈良時代に空海が開いたと伝わる古刹で、1976年の火災で本堂を全焼。1985年に山頂付近の別地に再建され、旧境内には石垣と石段だけが残されている。なお、旧ホテル敷地は私有地につき立入禁止となっている。

摩耶観光ホテル
兵庫県 神戸市灘区·宿泊・居住跡

摩耶観光ホテル

兵庫県神戸市灘区の摩耶山南麓に位置する摩耶観光ホテルは、1929年に摩耶鋼索鉄道の福利厚生施設として建設された山岳リゾート建築である。設計者は神戸の建築家・今北乙吉で、施工は大林組が担当した。鉄筋コンクリート造のL字型構造を持ち、各階の水平庇が曲面を強調する独特の意匠を示す。大ホールと大食堂の内部には大梁と柱で大空間を分節し、舞台部分にアールデコ調の装飾が施されている。建物の形状から「戦艦ホテル」とも称された。 戦後は民間企業に売却され、1961年に全面改装を経て再オープンしたが、1967年の台風被害により営業を停止。その後1974年から学生のゼミ合宿などに使用される「摩耶学生センター」として活用されたが、1993年に営業停止となり、以降廃墟として佇み続けている。廃墟マニアの間で「廃墟の女王」と呼ばれ、建築史的価値が再評価され、2021年6月24日に国登録有形文化財(建造物)に登録された。