
旧国鉄美幸線廃線跡
北海道枝幸郡中頓別町と美深町を結んだ旧国鉄美幸線(びこうせん)は、北海道の鉄道廃線史において最も短命だった路線のひとつとして知られる。宗谷本線美深駅から、北見枝幸方面への延伸を目指して建設されたが、最終的に部分開業のまま、全線開通を見ずに廃止された不運な路線である。 美幸線の構想は明治末期に遡る。北海道道北地区の開拓促進と、オホーツク海沿岸への鉄道連絡を目的に、宗谷本線美深駅から北見枝幸(現・枝幸町)までの全長約87キロメートルの路線が計画された。 建設は段階的に進められ、1964年(昭和39年)10月、美深〜仁宇布間(21.2キロメートル)が開業した。続いて仁宇布から先、興部または北見枝幸方面への延伸が予定されたが、北海道道北地区の人口減少、自動車の普及、国鉄の財政悪化が重なり、計画は事実上凍結された。 美深〜仁宇布間は、開業から廃止まで一度も黒字化することなく、日本の鉄道路線のなかで最も赤字率の高い路線として記録されることになる。1日の利用客数は数十人規模、収入の数百倍の赤字を計上し続け、「日本一の赤字路線」として全国的な話題になった時期がある。 1981年(昭和56年)9月、国鉄再建法に基づく特定地方交通線(第1次廃止対象)に指定された。1985年(昭和60年)9月17日、美幸線美深〜仁宇布間は廃止され、わずか21年の歴史を閉じた。 廃止後、線路は撤去されたが、駅舎、橋梁、トンネルなどの構造物の一部が現存している。仁宇布駅跡は「トロッコ王国美深」として観光施設化され、廃線跡をレールバイクで走行できる体験プログラムが運営されている。北海道の鉄道遺産活用としては、廃線跡の二次利用の先進事例として全国に紹介されることが多い。 中頓別町方面への未成線部分(仁宇布以北)は、用地買収済みの区間も含めて長く放置されたまま自然に還っている。北海道道北地区の交通史と地方開発の限界を象徴する遺構として、土木史と社会経済史の双方から研究対象になっている。