
鋸南町保田の廃旅館
千葉県鋸南町保田は、東京湾岸の温暖な気候と新鮮な海産物で長く観光客を集めてきた行楽地である。海岸沿いには昭和期に建てられた中小規模の旅館が並んでいたが、バブル崩壊後の観光需要の変化と度重なる経営難により、廃業した宿が取り壊されないまま潮風と歳月に晒されている建物がいくつか存在している。鋸山と東京湾を望む立地は、かつての賑わいの記憶を今も色濃く残し、町並み全体に独特の余韻と昭和的な情緒を与え続けている海辺の地域である。 寄せられる体験談で繰り返し語られるのは、深夜に車で通り過ぎたとき、本来は閉ざされているはずの客室の窓辺に明かりらしき揺らぎが見えた、というものである。同乗者だけが白いワンピース姿の人影を視認したと記す体験者がいる、海風に紛れて三味線とも宴会のざわめきとも取れる音が一瞬届いたと語る人がいる、玄関先で線香に似た香りを感じたと書き留める人もいる、いずれも個人の感覚として記録されている。 地元では、長く宿として地域に貢献してきた建物への愛着と、経営破綻に至った経緯への複雑な感情が併存しており、話題は怪異というより、観光地の盛衰を静かに語り継ぐ土地固有の物語として穏やかに受け止められている面が強い海辺の町並みである。 建物は私有地で立入禁止である。海岸沿いの旧家屋は塩害と老朽化で床抜けや崩落の危険が極めて高く、夜間の侵入は重大事故と法的責任を招く。心霊目的の接近は控え、保田の景観は日中に港町の散策で楽しんでほしい。