人形峠
岡山県苫田郡鏡野町上齋原と鳥取県三朝町の県境、中国山地の稜線上、標高740メートル前後に位置する峠。地名の由来には二つの説が伝わる。一つは江戸期の地誌『伯耆民談記』にも記された伝承で、旅人を襲う大蜘蛛(あるいは蜂とも)を退治するため木地師が娘の姿をした木像を峠に置いて囮にし、現れた化け物に村人総出で討ち取ったという話。もう一つは、濃霧の峠道で母と娘がはぐれ、霧が晴れた後には娘の姿が消え、娘によく似た人形だけが残されていたという神隠しの伝承で、峠には後年母子地蔵が建立された。峠の名称自体は、1955年にウラン鉱が発見される以前は「打札越(うちふだごえ、出典によっては「打越越」とも表記される)」と呼ばれていたが、同年ウラン鉱が発見され「人形峠ウラン鉱」と命名されたことで現在の呼び名が定着した。その後は原子燃料公社によるウラン採掘や、ウラン濃縮パイロットプラントでの国産濃縮ウラン生産が行われた歴史を持つ。こうした由来と歴史を背景に、峠では全身が濡れた女性の姿や、子どもの足だけが歩く様子、幼児の泣き声を聞いたとする話がいくつか伝わっている。