
慰霊の森
岩手県岩手郡雫石町西安庭、岩手山の南東斜面に位置する森林地帯のなかに、慰霊の森(いれいのもり)と呼ばれる慰霊施設群がある。約25ヘクタールの森林一帯に162本の慰霊塔、慰霊碑、説明施設などが整然と配置された、空の事故の犠牲者を悼む施設である。 慰霊の対象となる事故は、1971年(昭和46年)7月30日に発生した全日空機雫石衝突事故である。札幌発羽田行きの全日空58便ボーイング727-200型機が、群馬県上空を飛行中の航空自衛隊松島基地所属F-86F戦闘機2機のうち1機と接触し、岩手県雫石町上空1万メートル付近で空中衝突した。F-86F戦闘機は訓練中の編隊飛行で、後席に教官、前席に訓練生の隈太郎一等空尉が搭乗していた。 空中衝突により全日空機は機体構造を破壊され空中で分解、乗員乗客162名全員が亡くなった。当時、日本の航空事故としては戦後最大、世界の航空事故としても規模の大きい事故であった。F-86F側の隈太郎一等空尉は脱出に成功し、教官は機内で殉職した。 運輸省(現国土交通省)と航空自衛隊の事故調査委員会が共同で原因究明にあたった。事故の主因は、自衛隊の訓練空域と民間旅客機の航空路が重複していたこと、訓練機のパイロットが航路上を飛行する民間機を視認しなかったこと、当時の空域管理体制の不備にあると結論された。 事故を契機に、運輸省は民間航路と自衛隊訓練空域の分離、航空路レーダー監視の強化、衝突防止装置(TCAS)の導入準備など、空域管理制度の抜本改革を進めた。航空自衛隊も訓練空域の運用ルールを大幅に見直し、その後の日本における類似事故の防止に寄与した。 墜落現場一帯は事故後、岩手県と雫石町が地権者から用地を取得して慰霊施設として整備した。1972年から段階的に慰霊塔が建立され、最終的には犠牲者162名それぞれに対応する個別の慰霊塔と、合同の主慰霊碑、説明板、休憩施設、駐車場が整備された。 毎年7月30日に慰霊祭が行われている。事故後33年が経過した2003年(平成15年)に三十三回忌の特別慰霊祭が営まれ、以降は遺族会と全日空、雫石町の共同主催で慰霊行事が継続している。事故から半世紀以上が経過した現在も、毎年の命日に遺族や関係者が訪れている。 慰霊の森は遺族の祈りの場としての性格が中心で、観光地としての位置づけはあえて持たない。訪問者には静粛な行動と、慰霊施設としての性格への配慮が求められる。雫石町と岩手県は、訪問のマナーに関する案内を継続的に発信している。