
木ノ下隧道
愛媛県西条市の山間に残る木ノ下隧道は、四国山地の険しい地形を縫って通された旧道のトンネルで、新道の開通と道路網の再編に伴って通行量が激減し、現在は廃道に近い扱いとなって坑門にひび割れや苔の蒸す姿を静かに見せている。山岳道路の長い歴史と、難工事を支えた人々の労苦の記憶が、薄暗い坑内の冷たい空気のなかに幾重にも静かに堆積している土地である。 寄せられる体験談で繰り返し語られるのは、坑口に立つだけで背筋に冷気が走り、奥へ進むにつれて見えない圧迫感に包まれていく、というものである。坑内の中ほどで背後に足音のような響きをはっきり聞いた、壁面の方向に淡い人影の輪郭をふと見た、懐中電灯の光が一瞬だけ揺らいで消えかけた、写真に微かな光の筋が写り込んだ、と語る訪問者が複数いる。史実と一対一に結びつく怪異ではなく、山岳トンネル工事の過酷な記憶が物語的に立ち現れたものといえる。 地元では、難工事のなかで殉職された作業員への弔いが、山道沿いの慰霊碑や手向けの花という形で世代を超えて静かに受け継がれてきた。怪異譚は煽情の素材ではなく、四国の交通史と亡き工夫たちへの深い眼差しを伝える語りとして大切に共有されてきた。 隧道は老朽化により落盤や落石の危険が高く、内部の照明はなく出入口の足場も極めて不安定である。心霊目的の深夜訪問は厳に控え、訪れる場合は日中に外観のみを遠望し、廃道区域への単独立入は避けて、土木史と亡き人々への敬意を欠かさないこと。
