
東栄町廃農村の山霊
愛知県北設楽郡東栄町は、奥三河の急峻な山間部に位置し、天竜川支流の渓谷沿いに小集落が点在する土地である。国の重要無形民俗文化財「花祭」の伝承地として全国に知られ、湯立神楽として七百年以上にわたり受け継がれてきた祈りが集落ごとに今も舞われ続けている。近年は高齢化と人口流出により、住人を失い廃集落となった農村跡地が町域に複数残され、過疎化と文化継承の課題を象徴する景観となっている。 寄せられる体験談で繰り返し語られるのは、夕暮れ時に廃屋の縁側付近を歩くと、無人のはずの家屋から鍬を置く乾いた音と、土間で何かを刻むような規則的な響きが届いた、というものである。畑跡の畝の上に笠をかぶった人影が一瞬立ち、霧に紛れて消えた、と語る来訪者もいる。風のない時刻に裏山の方向から笛のような細い音が抜けてきた、囲炉裏跡の方から薪が爆ぜるような音を聞いた、と話す訪問者もいる。 地元では、この厳しい山あいで暮らしを営み続けた人々への敬意と感謝が深く息づいている。花祭の祈りに表れるように、土地と祖霊への弔意は文化として地域に根を張り、現象の話も山と暮らしの記憶として穏やかに語られる。 廃集落へ至る山道は離合困難で、夜間は野生動物との遭遇や路肩崩落の危険が高い。心霊目的の深夜立入は厳に慎み、訪問は日中に町営の交流施設や花祭の保存会を通じて文化を学び、土地を耕し祈りを舞い継いできた方々への深い敬意と弔意を保つことが望ましい姿勢である。