九十九橋
九十九橋は福井市の足羽川に架かる橋で、戦国時代に柴田勝家が北ノ庄城下町の整備にあわせて架けたと伝わる。橋の南半分を石、北半分を木で造るという珍しい構造を持ち、江戸時代の記録にもその姿が残されている。天正11年(1583)4月24日、勝家は羽柴秀吉との戦いに敗れ、妻お市の方とともに北ノ庄城で自害した。この命日の未明、旧暦4月24日丑三つ時に、首のない馬に乗った武者の行列がこの橋を渡るという伝説が伝わっている。行列を目撃した者は死ぬとされ、「勝家公の家臣である」と答えれば命は助かるという言い伝えも残る。享保年間には、行列を見たいと願った表具屋の佐兵衛がその姿を絵に描いたところ、翌日に変死し、その絵を焼却した際に火が飛び散り周囲を焼く大火になったという話も伝わっている(この逸話は特定サイトが伝える怪談であり、他の独立ソースでは確認できていない)。橋は明治42年(1909)に木造トラス橋へ、昭和8年(1933)に鉄筋コンクリート桁橋へ、1986年には現在の鉄筋コンクリート橋へと架け替えられ、明治の架け替え以降は行列の目撃談は報告されていないとされる。
