
石人山古墳
福岡県八女郡広川町一條にある前方後円墳。八女古墳群を構成する古墳のひとつで、墳丘の全長は約107メートル、築造は五世紀前半とされる。後円部の石室前には石人社が建ち、阿蘇溶結凝灰岩を彫り出した武装石人が一体、石室に背を向けて据えられている。まとった短甲は三角板を組んだ形をよく写しており、腰には草摺、左脇には石刀を収めるための抉り込みが彫られている。高さは約1.8メートル(町の解説では約2メートルとする)。福岡県の文化財解説は表面に朱の残りが部分的に目立つ点を挙げ、造られた当初は朱で彩られた姿だったと見ている。1938年に国の史跡に指定され、1978年には周辺の古墳とあわせて「八女古墳群」として指定名称が改められた。石人自体は1976年に国の重要文化財となっている。 この石人の顔は今ではほとんど平らに削れ、上半の文様も判別しにくい。原因として町や県の解説が挙げるのは、近世以降に行われていた治病の習わしである。手足や腰、肩に痛みを抱える者が石人の同じ部位を叩いたり撫でたりすれば痛みが去る、木槌で打って欠片を持ち帰れば病が癒える——そうした地方の信仰のもとで像が繰り返し損なわれ、長い年月のうちに磨り減っていったと考えられている。 一方この一帯には、石の像を損なう行為を災いに結びつける古い記述もある。『筑後国風土記』の逸文には、追討の兵が石人の手を打ち折り石馬の頭を打ち落としたと記され、続いて上妻の県に重い病が多いのはこれによるものか、という古老の言葉が引かれている。石人山古墳そのものを指した話ではないが、同じ上妻の地に伝わる因果の語りである。現在、石人は石人社に納められ、石棺とともに立入りができないため直接触れることはできない。