秋田県

由利本荘市の心霊スポット

3 スポット3 カテゴリ

由利本荘市の人気スポット TOP3

1

旧由利本荘廃病院

秋田県由利本荘市の郊外に残される廃病院は、地域医療の近代化と衰退の歴史を象徴する建物である。昭和初期、世界恐慌と凶作で困窮した農民たちが相互扶助の精神で資金を出し合い、1933年に由利医療購買利用組合として開院した。農村地域における医療基盤の確保という重要な役割を担い、戦後の1948年には秋田県厚生農業協同組合連合会に移管され、1957年には総合病院へと発展した。 しかし1994年、由利組合総合病院は新築移転が完了。当初750床の新病院が開業したが、その後も秋田県全域で進む医療体制再編と人口減少の圧力を受け、病床数は次第に削減されていった。由利本荘市の人口も1970年の95,000人から現在67,000人へと30%近く減少している。日本海側の豪雪地帯という立地による高い維持管理コストと、医療需要の低下に直面し、旧病院は解体されないまま劣化が進み続けている。

廃墟・残骸
2

浜館公園

浜館公園は由利本荘市西目町出戸の海岸から約500メートルの高台にあり、標高100メートルの地形を生かした中世の城館跡に整備された公園である。正応4年(1291年)に由利仲八郎政重・政春父子が築いたと伝えられ、延慶4年(1311年)には栗山館主の鳥海氏に攻められて落城し、由利氏は鳴沢館へ移ったという由来が残る。現在は桜の名所として知られ、山頂の展望台には海難事故の犠牲者を慰霊する観音像が立っている。心霊の噂が語られるのは主にこの展望台周辺である。旧日本軍のような服装をした年配の男性が現れ、居合わせた者に話しかけてきたが会話は成立せず、いつの間にか姿を消していたという目撃が伝えられる。同じ場所にいたはずの別の人物はその男性を見ておらず、周囲に人が上ってこられる道も見当たらなかったとされることから、時期がお盆であったことも重なり、目撃者は戦時中に亡くなった兵士の霊ではないかと受け止めたという。慰霊のために置かれた観音像が夜間に向きを変える、あるいは動くという噂も複数のサイトで確認できる。

公園・城址
3

お竹地蔵

由利本荘市松ヶ崎、羽後亀田駅近くの橋のたもとに、小さな地蔵が祀られている。伝承によれば江戸中期の宝暦年間、亀田の町に住む娘「お竹」が行商の途中に増水した川(黒川)を渡ろうとして転落し、命を落としたという。その後、事故のあった場所に若い女性の霊が現れるという噂が広がった。近くの光禅寺の住職はこれを鎮めるため藩に架橋を願い出て、新しい橋が架けられた。橋の完成後、供養のために石工へ地蔵を注文し、運び入れる際に運び手の足が橋のたもとで動かなくなったため、その場所へ地蔵を安置したと伝わる。以来、橋は娘の名を取って「竹橋」「お竹橋」と呼ばれるようになり、地蔵も「お竹地蔵」と称されるようになった。一方、秋田県内で行われた民俗調査の記録には別の異伝も残されており、お竹は行商中の水難ではなく奉公先で折檻を受けて橋から身を投げた娘とされ、出没した霊を僧が供養して石地蔵を建てたと語られている。今日でも心霊スポットとして扱われ、女性の霊を見たとする目撃情報がまとめサイトなどに複数寄せられている。心霊スポット情報を集めた投稿サイトでは目撃した霊の性別を尋ねる投票が設けられており、女性との回答が多数を占める一方で男性や正体不明との回答も一部見られるが、実際に投稿された体験談は今のところない。石橋や地蔵そのものは静かな住宅地の一角にあり、日中は地域の生活道路として使われている。

神域・霊場

カテゴリ

由利本荘市のすべてのスポット

旧由利本荘廃病院
秋田県 由利本荘市·廃墟・残骸

旧由利本荘廃病院

秋田県由利本荘市の郊外に残される廃病院は、地域医療の近代化と衰退の歴史を象徴する建物である。昭和初期、世界恐慌と凶作で困窮した農民たちが相互扶助の精神で資金を出し合い、1933年に由利医療購買利用組合として開院した。農村地域における医療基盤の確保という重要な役割を担い、戦後の1948年には秋田県厚生農業協同組合連合会に移管され、1957年には総合病院へと発展した。 しかし1994年、由利組合総合病院は新築移転が完了。当初750床の新病院が開業したが、その後も秋田県全域で進む医療体制再編と人口減少の圧力を受け、病床数は次第に削減されていった。由利本荘市の人口も1970年の95,000人から現在67,000人へと30%近く減少している。日本海側の豪雪地帯という立地による高い維持管理コストと、医療需要の低下に直面し、旧病院は解体されないまま劣化が進み続けている。

秋田県 由利本荘市·公園・城址

浜館公園

浜館公園は由利本荘市西目町出戸の海岸から約500メートルの高台にあり、標高100メートルの地形を生かした中世の城館跡に整備された公園である。正応4年(1291年)に由利仲八郎政重・政春父子が築いたと伝えられ、延慶4年(1311年)には栗山館主の鳥海氏に攻められて落城し、由利氏は鳴沢館へ移ったという由来が残る。現在は桜の名所として知られ、山頂の展望台には海難事故の犠牲者を慰霊する観音像が立っている。心霊の噂が語られるのは主にこの展望台周辺である。旧日本軍のような服装をした年配の男性が現れ、居合わせた者に話しかけてきたが会話は成立せず、いつの間にか姿を消していたという目撃が伝えられる。同じ場所にいたはずの別の人物はその男性を見ておらず、周囲に人が上ってこられる道も見当たらなかったとされることから、時期がお盆であったことも重なり、目撃者は戦時中に亡くなった兵士の霊ではないかと受け止めたという。慰霊のために置かれた観音像が夜間に向きを変える、あるいは動くという噂も複数のサイトで確認できる。

秋田県 由利本荘市·神域・霊場

お竹地蔵

由利本荘市松ヶ崎、羽後亀田駅近くの橋のたもとに、小さな地蔵が祀られている。伝承によれば江戸中期の宝暦年間、亀田の町に住む娘「お竹」が行商の途中に増水した川(黒川)を渡ろうとして転落し、命を落としたという。その後、事故のあった場所に若い女性の霊が現れるという噂が広がった。近くの光禅寺の住職はこれを鎮めるため藩に架橋を願い出て、新しい橋が架けられた。橋の完成後、供養のために石工へ地蔵を注文し、運び入れる際に運び手の足が橋のたもとで動かなくなったため、その場所へ地蔵を安置したと伝わる。以来、橋は娘の名を取って「竹橋」「お竹橋」と呼ばれるようになり、地蔵も「お竹地蔵」と称されるようになった。一方、秋田県内で行われた民俗調査の記録には別の異伝も残されており、お竹は行商中の水難ではなく奉公先で折檻を受けて橋から身を投げた娘とされ、出没した霊を僧が供養して石地蔵を建てたと語られている。今日でも心霊スポットとして扱われ、女性の霊を見たとする目撃情報がまとめサイトなどに複数寄せられている。心霊スポット情報を集めた投稿サイトでは目撃した霊の性別を尋ねる投票が設けられており、女性との回答が多数を占める一方で男性や正体不明との回答も一部見られるが、実際に投稿された体験談は今のところない。石橋や地蔵そのものは静かな住宅地の一角にあり、日中は地域の生活道路として使われている。