鹿児島県

鹿児島市の心霊スポット

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鹿児島市の人気スポット TOP3

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西郷洞窟周辺(鹿児島市)

西郷洞窟周辺は鹿児島市城山にある西南戦争の終焉の舞台です。1877年9月、西郷隆盛率いる薩摩士族は政府軍の包囲下で最後の抵抗を示し、同月24日の総攻撃で西郷隆盛は腰と太ももに銃弾を受け、別府晋介の介錯により自決しました。西郷洞窟は戦闘最終段階の5日間、西郷隆盛が配下の士族とともに指揮所として使用したとされており、奥行き約4メートル、間口約3メートルの岩室です。現在、城山一帯は国指定史跡として保存され、展望台からは錦江湾と桜島が望める景勝地として整備されています。戦没者の記憶が刻まれた静謐な場所として、慰霊と歴史継承の対象となっています。

公園・城址
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桜島溶岩原

鹿児島県鹿児島市桜島地区。鹿児島湾の中央に立つ桜島は、北岳(標高1,117メートル)と南岳(標高1,040メートル)からなる現役の活火山である。20世紀以降、日本国内で最大の噴火物量を記録したのが、1914年(大正3年)1月12日に始まった大正大噴火である。 噴火は南岳の山腹から始まった。当初の数日間でマグマと火山弾が大量に噴出し、東側斜面の赤水・横山などの集落が溶岩流に呑み込まれた。1月30日には溶岩流が瀬戸海峡に達し、それまで島であった桜島は大隅半島と陸続きになった。鹿児島県の災害記録によれば、犠牲者は58名、負傷者は112名、家屋全壊は約2,200戸に及んだ。 大噴火の溶岩流は1914年中に約30億トン噴出されたと推定されており、これは富士山宝永噴火(1707年)を上回る。海岸線に張り出した黒い岩塊が、現在「大正溶岩原」と呼ばれる景観である。冷却途中の溶岩がそのまま固まった様子で、ごつごつとした表面、空洞、海蝕崖が複雑に入り組む。 大正噴火の象徴のひとつが、桜島東岸の黒神埋没鳥居である。黒神神社の三本足の石製鳥居は、噴火前まで高さ約3メートルあったが、降下軽石と火山灰により基部の約2メートルが埋もれ、現在地表に出ているのは笠木の部分のみ。当時の地元住民が「鳥居を後世に残すため」あえて掘り起こさずそのまま保存することを決め、現在は鹿児島市の有形民俗文化財に指定されている。 桜島は現在も噴火活動を続けており、気象庁の常時観測対象である。火口から半径2キロメートル以内は立入禁止、観光は溶岩なぎさ公園、湯之平展望所、黒神埋没鳥居、有村溶岩展望所などの整備された見学エリアで行う。火山活動状況により入域制限が変動するため、訪問前に鹿児島地方気象台の桜島火山情報を確認することが推奨される。

山道・峠
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城山公園

標高108メートルの城山山頂に整備された公園で、明治10年(1877年)の西南戦争において西郷隆盛率いる薩摩軍が政府軍に包囲され、最後の抵抗を続けた末に壊滅した激戦地である。西郷はこの地に潜んだ後、9月24日未明の総攻撃を受けて自刃し、その最期を過ごしたと伝わる洞窟が今も山中に残る。園内の展望台からは鹿児島市街と桜島を一望でき、日中は観光地として親しまれる一方、心霊にまつわる噂が複数のサイトで紹介されている。代表的なものは、おかっぱ頭の少女の霊が写真に写り込むという話で、撮影後に笑い声を耳元で聞いたとする報告や、就寝中に同様の声を聞いたという証言がある。また雨天時に武士姿の人物が目撃されたとの話や、園内のトンネルで白い服の女性が無言で立ち尽くす姿を見たという話も伝えられている。西郷洞窟周辺では、低く唸るような男性の声や軍靴の足音が聞こえるとする話もあり、戦没者の霊が今も山中にとどまっているとする見方が語られている。

公園・城址

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西郷洞窟周辺(鹿児島市)
公園・城址·鹿児島県 鹿児島市

西郷洞窟周辺(鹿児島市)

西郷洞窟周辺は鹿児島市城山にある西南戦争の終焉の舞台です。1877年9月、西郷隆盛率いる薩摩士族は政府軍の包囲下で最後の抵抗を示し、同月24日の総攻撃で西郷隆盛は腰と太ももに銃弾を受け、別府晋介の介錯により自決しました。西郷洞窟は戦闘最終段階の5日間、西郷隆盛が配下の士族とともに指揮所として使用したとされており、奥行き約4メートル、間口約3メートルの岩室です。現在、城山一帯は国指定史跡として保存され、展望台からは錦江湾と桜島が望める景勝地として整備されています。戦没者の記憶が刻まれた静謐な場所として、慰霊と歴史継承の対象となっています。

桜島溶岩原
山道・峠·鹿児島県 鹿児島市

桜島溶岩原

鹿児島県鹿児島市桜島地区。鹿児島湾の中央に立つ桜島は、北岳(標高1,117メートル)と南岳(標高1,040メートル)からなる現役の活火山である。20世紀以降、日本国内で最大の噴火物量を記録したのが、1914年(大正3年)1月12日に始まった大正大噴火である。 噴火は南岳の山腹から始まった。当初の数日間でマグマと火山弾が大量に噴出し、東側斜面の赤水・横山などの集落が溶岩流に呑み込まれた。1月30日には溶岩流が瀬戸海峡に達し、それまで島であった桜島は大隅半島と陸続きになった。鹿児島県の災害記録によれば、犠牲者は58名、負傷者は112名、家屋全壊は約2,200戸に及んだ。 大噴火の溶岩流は1914年中に約30億トン噴出されたと推定されており、これは富士山宝永噴火(1707年)を上回る。海岸線に張り出した黒い岩塊が、現在「大正溶岩原」と呼ばれる景観である。冷却途中の溶岩がそのまま固まった様子で、ごつごつとした表面、空洞、海蝕崖が複雑に入り組む。 大正噴火の象徴のひとつが、桜島東岸の黒神埋没鳥居である。黒神神社の三本足の石製鳥居は、噴火前まで高さ約3メートルあったが、降下軽石と火山灰により基部の約2メートルが埋もれ、現在地表に出ているのは笠木の部分のみ。当時の地元住民が「鳥居を後世に残すため」あえて掘り起こさずそのまま保存することを決め、現在は鹿児島市の有形民俗文化財に指定されている。 桜島は現在も噴火活動を続けており、気象庁の常時観測対象である。火口から半径2キロメートル以内は立入禁止、観光は溶岩なぎさ公園、湯之平展望所、黒神埋没鳥居、有村溶岩展望所などの整備された見学エリアで行う。火山活動状況により入域制限が変動するため、訪問前に鹿児島地方気象台の桜島火山情報を確認することが推奨される。

公園・城址·鹿児島県 鹿児島市

城山公園

標高108メートルの城山山頂に整備された公園で、明治10年(1877年)の西南戦争において西郷隆盛率いる薩摩軍が政府軍に包囲され、最後の抵抗を続けた末に壊滅した激戦地である。西郷はこの地に潜んだ後、9月24日未明の総攻撃を受けて自刃し、その最期を過ごしたと伝わる洞窟が今も山中に残る。園内の展望台からは鹿児島市街と桜島を一望でき、日中は観光地として親しまれる一方、心霊にまつわる噂が複数のサイトで紹介されている。代表的なものは、おかっぱ頭の少女の霊が写真に写り込むという話で、撮影後に笑い声を耳元で聞いたとする報告や、就寝中に同様の声を聞いたという証言がある。また雨天時に武士姿の人物が目撃されたとの話や、園内のトンネルで白い服の女性が無言で立ち尽くす姿を見たという話も伝えられている。西郷洞窟周辺では、低く唸るような男性の声や軍靴の足音が聞こえるとする話もあり、戦没者の霊が今も山中にとどまっているとする見方が語られている。