
大岩神社
深草の大岩山山頂付近に鎮座する神社で、山中の巨岩を男女二神として祀るとされる。江戸期の火災で古文書を失ったため創建の経緯は判然としないが、難病平癒、特に結核の治癒に霊験があるとされ、遠方からも参拝者を集めた時期があったと伝わる。男女二神が互いの病を看病し合った末に治ったという逸話が、この信仰の由来として紹介されることがある。参道には、日本画家の堂本印象が母の病気平癒の礼として奉納したという、独特の
神社・祠にまつわる怪異・心霊スポット。
全国 112 件
埼玉県 さいたま市大宮区
大宮駅東口を控える大門町は、江戸期から中山道の要衝として栄えた大宮宿の中核を成す地である。寛永元年(1624年)、北沢甚之丞直元が42軒の村民とともに移住し大門町を開拓。その後、この地は商業地として発展し、現在は複合商業ビルや銀行支店が立ち並ぶ都市空間となっている。 しかし、この繁栄の地盤の直下には、江戸の暗い歴史が眠っている。現在のさいたま新都心駅東側一帯にあたる場所に「下原刑場」が存在してい
愛知県 名古屋市
愛知県名古屋市熱田区神宮一丁目に鎮座する熱田神宮は、伊勢神宮に次ぐ皇室との関わりを持つ神社のひとつで、東海地方を代表する神社である。約19万平方メートルの広大な境内が市街地のなかにあり、参道に古木が並ぶ独特の景観で名古屋の重要な文化資源となっている。 社伝によれば、創建は景行天皇43年(西暦113年)と伝わる。日本武尊(やまとたける)の妃である宮簀媛命(みやずひめのみこと)が、夫から託された三種
埼玉県 秩父市
埼玉県秩父市の山奥に立つ三峯神社は、今から約1900年前に日本武尊により伊弉諾尊・伊弉册尊を祀る神社として創建されたと伝わります。三峯という社号は、景行天皇が妙法ヶ岳・白岩山・雲取山の三つの山頂を見て命名したと言い伝えられています。 奥宮は妙法ヶ岳(標高1329メートル)の頂上に鎮座する遥拝所で、本社からおよそ2時間半の登山を要します。寛保元年(1741年)に創建されたとも記されており、秩父宮の

深草の大岩山山頂付近に鎮座する神社で、山中の巨岩を男女二神として祀るとされる。江戸期の火災で古文書を失ったため創建の経緯は判然としないが、難病平癒、特に結核の治癒に霊験があるとされ、遠方からも参拝者を集めた時期があったと伝わる。男女二神が互いの病を看病し合った末に治ったという逸話が、この信仰の由来として紹介されることがある。参道には、日本画家の堂本印象が母の病気平癒の礼として奉納したという、独特の
二岡神社は御殿場市東田中に鎮座し、日本武尊の東征に創建の由来を持つとされる北駿地方でも古い神社で、境内には応永29年(1422年)に大森頼春が奉納したと伝わる石灯籠(市指定有形文化財)や、樹齢数百年の杉が並ぶ社叢(市天然記念物)が残る。黒澤明監督「七人の侍」をはじめ多数の映画やドラマのロケ地としても知られ、ヒメボタルの観察地としても親しまれる一方、静岡県内屈指の心霊スポットとしても名前が挙がる。ネ

新潟県加茂市の市街地に隣接する加茂山一帯を整備した都市公園。青海神社の境内地整備を起点に明治期以降公園として姿を整えたとされ、参道入口や要害城砦跡など、かつての社地・城跡の面影を残す一帯でもある。この城跡は戦国時代の御館の乱で上杉景虎方が籠城し、最終的に落城したとされる古戦場でもあり、そうした歴史とともに、過去に首吊りがあったとする話が心霊スポットとしての由来として紹介されることがある。現在はリス

一条戻橋は平安京造営当初から堀川に架かる橋で、現在の橋は1995年に架け替えられたもので、旧橋の親柱などの部材は晴明神社境内に移設され、小型の橋として復元・保存されている。橋の名は918年、文章博士・三善清行の葬列がこの橋を通った際、修行中だった息子の浄蔵が経を唱えると清行が一時息を吹き返したという故事に由来するとされる。陰陽師・安倍晴明は使役する式神の姿を妻が恐れたため、橋の下に隠して必要な時だ
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鎌倉市西御門の高台にある国指定史跡「法華堂跡」は、鎌倉幕府を開いた源頼朝の墓所として知られる。建久九年(一一九九年)に頼朝が没した後、居館の北側にあった持仏堂は法華堂と呼ばれ、歴代将軍が命日に参詣する場となったと伝えられる。明治初年の廃仏毀釈で堂は取り壊され、明治五年(一八七二年)には頼朝を祭神とする白旗神社が麓に建てられている。現在の石造五層塔は江戸中期の安永八年(一七七九年)、薩摩藩主島津重豪
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津久井湖は、相模川をせき止める城山ダムの完成に伴い1965年に姿を現した人造湖である。ダム建設では285世帯、約1400人が移転を余儀なくされ、湖底には集落や神社の跡が沈んだと伝わり、近年の水位低下時には湖底の遺構が姿を現し話題になったこともある。工事は地滑りや資材不足など難航を極め、13人の作業員が命を落としたとされ、現在も津久井湖城山公園内にその慰霊碑が置かれている。こうした経緯から、この湖に
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源氏山公園は鎌倉市扇ガ谷に広がる都市公園で、1956年に都市計画決定され1966年に開園した。後三年の役の際、源義家(八幡太郎義家)がこの山に源氏の白旗を掲げて戦勝を祈願したという伝承にちなみ「旗立山」の別名でも呼ばれる。公園の北西に位置する葛原岡は古くからの刑場であったとされ、元弘2年(1332)、鎌倉幕府打倒の計画に加わった後醍醐天皇の側近・日野俊基がこの地で処刑されたと伝わる。俊基を祭神とす
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人見神社は千葉県君津市人見、東京湾を望む人見山(獅子山)の山頂に鎮座する。社伝では奈良時代以前、孝徳天皇の代に日向国から勧請されたと伝わり、天慶三年(940年)に平忠常が上総国内へ妙見信仰を広めた際、両総六妙見の一社として位置づけられた。治承四年(1180年)には石橋山の戦いに敗れた源頼朝が武運長久を祈願したという記録も残る。社殿までは323段の石段が続き、毎年7月の例大祭では「神馬(おめし)」と
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延岡市中心部にそびえる愛宕山は、かつて笠沙山と呼ばれ、天孫降臨の神ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメが出会い結ばれた地との伝承から出逢いの聖地として知られる。江戸期には女人禁制の山とされていたが、有馬家に嫁いだ国姫がみずから登拝し禁を破ったという逸話も残る。戦国時代には伊東氏と島津氏の争いの舞台となり多くの戦死者を出したとも伝えられ、山頂近くの水神社には島原の乱から逃れてきたキリシタンがかくまわれ
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五台山公園は高知市街地の東方、浦戸湾に近い標高146メートルの山上に整備された公園で、桜やツツジの名所として知られる観光地である。この一帯はかつて「大島」と呼ばれる島状の地形だったが、浦戸湾の干拓によって陸続きとなったと伝えられる。山中には四国八十八箇所第31番札所の竹林寺、伊達騒動に関わった人物の墓、野中兼山を祀る神社などが点在し、古くからの歴史を持つ土地として知られている。 一方でこの一帯は
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戦国時代末期、土佐を統一した長宗我部元親の甥であり婿でもあった吉良親実は、後継者問題をめぐって元親を諫めたことから逆鱗に触れ、天正16年(1588年)に切腹を命じられたと伝わる。親実の死後、殉じた家臣たちの霊とともに周辺で怪火や人馬の駆ける音、首のない武者の姿などが目撃されるようになり、関係者の家系にも不幸が続いたとされる。これらの怪異を鎮めるため、江戸期に入り土佐山内家によって親実の墓が改葬され
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城山は坂出市と丸亀市の境に位置する標高462メートルの溶岩台地で、山頂一帯には7世紀後半、朝鮮半島情勢の緊迫を背景に築かれたとされる古代山城の遺構が残る。詳細な記録がないため築城主体は不明だが、二重の土塁や水門跡から高度な築城技術がうかがえる。麓の城山神社はかつて山頂の明神原に鎮座していたとされ、859年以降複数回にわたり神階を授けられた古社である。現在この一帯は瀬戸内海を望む夜景の名所「城山園地
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