京都府

京都市東山区の心霊スポット

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京都市東山区の人気スポット TOP3

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首塚大明神

京都市西京区大原野上里町と京都府亀岡市の境、老ノ坂峠の頂上付近に、首塚大明神(くびづかだいみょうじん)という小さな祠が祀られている。古道の老ノ坂を行き来する人々の道祖神的な存在として、地元住民の信仰を集めてきた古い社である。 この祠の祭神とされるのが、平安期の伝承上の人物「酒呑童子」である。酒呑童子は丹波国大江山に住み、京の都を脅かす鬼の頭領として、当時の人々の恐怖の対象だった。一条天皇の勅命を受けた源頼光(みなもとのよりみつ)と頼光四天王(渡辺綱、坂田金時、卜部季武、碓井貞光)が、山伏に変装して大江山に潜入し、神便鬼毒酒で童子を眠らせ、童子切安綱(後に名物「童子切」と呼ばれる名刀)で首を刎ねた、というのが鬼退治伝承の核となる物語である。 物語の続きで、京へ帰還する道中の老ノ坂峠で、頼光一行が地蔵の前を通った際、地蔵が「不浄なものを王城に持ち込むな」と告げ、童子の首が突然重くなって動かせなくなった、という伝承がある。やむなく頼光は峠でその首を埋め、塚を築いて祀ったとされる。これが現在の首塚大明神の起源として伝えられている。 伝承上の出来事は説話の世界の話で、史実としての裏付けは難しい。鬼退治伝承は、当時の都の人々が抱いた地方の異民族への恐怖や、税負担をめぐる地方反乱の記憶などが、説話化される過程で混在したものと民俗学では分析されている。一方で、首塚大明神の伝承自体は『大江山絵詞』『御伽草子』など中世の文芸作品に既に登場しており、京都・丹波の文化史を語る上で外せない題材になっている。 首塚大明神は、首から上の病に霊験があるとされ、頭痛・歯痛・眼病などの平癒祈願に訪れる参拝者が今も絶えない。社は素朴な造りで、専門の神職は常駐していない。地元の有志による維持管理が続けられている。 アクセスは京都市側からは老ノ坂を越える国道9号沿い、亀岡市側からも国道9号で到達可能。徒歩で訪れることもできるが、車利用が一般的である。境内が小さく駐車場も限られているため、訪問時は迷惑にならない配慮が必要。

路上・交差点
2

六道珍皇寺(冥土通いの井戸)

六道珍皇寺は京都市東山区、大和大路通に位置する臨済宗建仁寺派の寺院で、創建は平安時代の延暦年間とされる(異説もある)。この付近は平安京の東方に広がった葬送地・鳥辺野へ至る道の入口にあたり、「六道の辻」と呼ばれてきた。六道とは仏教で説く死後の六つの世界を指し、この地は古くからこの世とあの世の境目とみなされてきた場所である。境内には、平安時代の官人・小野篁が夜ごと通ったと伝わる井戸が残る。篁は昼は朝廷に仕え、夜は井戸を下って冥府に赴き、閻魔大王のもとで裁きの補佐をしていたという逸話が『今昔物語集』や『江談抄』などの説話集に記されている。これらの説話では、病死した藤原良相が篁の助けで生き返ったことや、急死した藤原高藤が篁の働きによって冥府から現世に戻ったことが語られ、篁は冥界と現世を行き来する存在として描かれている。冥府からの帰路に使ったとされる井戸は嵯峨の福正寺にあったとも伝わり、当寺の井戸を「死の六道」、福正寺側を「生の六道」と呼ぶ伝承もある。二〇一一年には隣接地から別の井戸が見つかり、篁が冥土から戻る際に使ったとされる「黄泉がえりの井戸」として寺の管理下に置かれたが、これは江戸時代の名所案内に記された「生六道」とは異なるものとされる。両井戸は寺宝展などの特別公開時を除き非公開で保存されており、平安期の説話に取り上げられて以降、複数の文学作品にも取り上げられてきた。現在も毎年八月七日から十日にかけて「六道まいり」が営まれ、迎え鐘を鳴らして先祖の霊を迎える京都の盆行事の中心地となっている。

神域・霊場
3

安井金比羅宮

安井金比羅宮は京都市東山区に鎮座する神社で、7世紀に藤原鎌足が建てた藤寺を起源とする。平安末期、藤の花を愛した崇徳天皇がここに堂舎を営み、寵姫の阿波内侍を住まわせたが、保元の乱に敗れて讃岐へ配流され、都に戻れぬまま憤りを抱いたまま崩じた。その後、京都で相次いだ異変が上皇の祟りと結び付けられ、崇徳天皇は日本三大怨霊の一人に数えられるようになった。阿波内侍が上皇の遺髪を埋めた地に、鎌倉時代の建治年間、御霊を祀る観勝寺が建立されたことが現在の社の起源とされる。境内の「縁切り縁結び碑」は無数の形代札で覆われ、これをくぐって悪縁を切る参拝法で知られるが、この形式が整えられたのは昭和期で、由来自体は讃岐で一切の欲を断って参籠した上皇の逸話にある。全国屈指の縁切り神社として知られる一方、奉納される絵馬には縁を切りたい相手の不幸を望む激しい文言が並ぶことがあり、ここで願をかけると相手が病気や事故など想定を超えた不幸に見舞われる「不幸返し」の噂がインターネット上で繰り返し取り上げられている。

神域・霊場

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首塚大明神
京都府 京都市東山区·路上・交差点

首塚大明神

京都市西京区大原野上里町と京都府亀岡市の境、老ノ坂峠の頂上付近に、首塚大明神(くびづかだいみょうじん)という小さな祠が祀られている。古道の老ノ坂を行き来する人々の道祖神的な存在として、地元住民の信仰を集めてきた古い社である。 この祠の祭神とされるのが、平安期の伝承上の人物「酒呑童子」である。酒呑童子は丹波国大江山に住み、京の都を脅かす鬼の頭領として、当時の人々の恐怖の対象だった。一条天皇の勅命を受けた源頼光(みなもとのよりみつ)と頼光四天王(渡辺綱、坂田金時、卜部季武、碓井貞光)が、山伏に変装して大江山に潜入し、神便鬼毒酒で童子を眠らせ、童子切安綱(後に名物「童子切」と呼ばれる名刀)で首を刎ねた、というのが鬼退治伝承の核となる物語である。 物語の続きで、京へ帰還する道中の老ノ坂峠で、頼光一行が地蔵の前を通った際、地蔵が「不浄なものを王城に持ち込むな」と告げ、童子の首が突然重くなって動かせなくなった、という伝承がある。やむなく頼光は峠でその首を埋め、塚を築いて祀ったとされる。これが現在の首塚大明神の起源として伝えられている。 伝承上の出来事は説話の世界の話で、史実としての裏付けは難しい。鬼退治伝承は、当時の都の人々が抱いた地方の異民族への恐怖や、税負担をめぐる地方反乱の記憶などが、説話化される過程で混在したものと民俗学では分析されている。一方で、首塚大明神の伝承自体は『大江山絵詞』『御伽草子』など中世の文芸作品に既に登場しており、京都・丹波の文化史を語る上で外せない題材になっている。 首塚大明神は、首から上の病に霊験があるとされ、頭痛・歯痛・眼病などの平癒祈願に訪れる参拝者が今も絶えない。社は素朴な造りで、専門の神職は常駐していない。地元の有志による維持管理が続けられている。 アクセスは京都市側からは老ノ坂を越える国道9号沿い、亀岡市側からも国道9号で到達可能。徒歩で訪れることもできるが、車利用が一般的である。境内が小さく駐車場も限られているため、訪問時は迷惑にならない配慮が必要。

六道珍皇寺(冥土通いの井戸)
京都府 京都市東山区·神域・霊場

六道珍皇寺(冥土通いの井戸)

六道珍皇寺は京都市東山区、大和大路通に位置する臨済宗建仁寺派の寺院で、創建は平安時代の延暦年間とされる(異説もある)。この付近は平安京の東方に広がった葬送地・鳥辺野へ至る道の入口にあたり、「六道の辻」と呼ばれてきた。六道とは仏教で説く死後の六つの世界を指し、この地は古くからこの世とあの世の境目とみなされてきた場所である。境内には、平安時代の官人・小野篁が夜ごと通ったと伝わる井戸が残る。篁は昼は朝廷に仕え、夜は井戸を下って冥府に赴き、閻魔大王のもとで裁きの補佐をしていたという逸話が『今昔物語集』や『江談抄』などの説話集に記されている。これらの説話では、病死した藤原良相が篁の助けで生き返ったことや、急死した藤原高藤が篁の働きによって冥府から現世に戻ったことが語られ、篁は冥界と現世を行き来する存在として描かれている。冥府からの帰路に使ったとされる井戸は嵯峨の福正寺にあったとも伝わり、当寺の井戸を「死の六道」、福正寺側を「生の六道」と呼ぶ伝承もある。二〇一一年には隣接地から別の井戸が見つかり、篁が冥土から戻る際に使ったとされる「黄泉がえりの井戸」として寺の管理下に置かれたが、これは江戸時代の名所案内に記された「生六道」とは異なるものとされる。両井戸は寺宝展などの特別公開時を除き非公開で保存されており、平安期の説話に取り上げられて以降、複数の文学作品にも取り上げられてきた。現在も毎年八月七日から十日にかけて「六道まいり」が営まれ、迎え鐘を鳴らして先祖の霊を迎える京都の盆行事の中心地となっている。

安井金比羅宮
京都府 京都市東山区·神域・霊場

安井金比羅宮

安井金比羅宮は京都市東山区に鎮座する神社で、7世紀に藤原鎌足が建てた藤寺を起源とする。平安末期、藤の花を愛した崇徳天皇がここに堂舎を営み、寵姫の阿波内侍を住まわせたが、保元の乱に敗れて讃岐へ配流され、都に戻れぬまま憤りを抱いたまま崩じた。その後、京都で相次いだ異変が上皇の祟りと結び付けられ、崇徳天皇は日本三大怨霊の一人に数えられるようになった。阿波内侍が上皇の遺髪を埋めた地に、鎌倉時代の建治年間、御霊を祀る観勝寺が建立されたことが現在の社の起源とされる。境内の「縁切り縁結び碑」は無数の形代札で覆われ、これをくぐって悪縁を切る参拝法で知られるが、この形式が整えられたのは昭和期で、由来自体は讃岐で一切の欲を断って参籠した上皇の逸話にある。全国屈指の縁切り神社として知られる一方、奉納される絵馬には縁を切りたい相手の不幸を望む激しい文言が並ぶことがあり、ここで願をかけると相手が病気や事故など想定を超えた不幸に見舞われる「不幸返し」の噂がインターネット上で繰り返し取り上げられている。