
姫路城廃墟
姫路城は1346年に赤松貞範によって築城されたと伝わり、戦国時代には黒田官兵衛が、その後豊臣秀吉が城主をつとめた。現在の壮大な城郭の大部分は、関ヶ原の戦い後に城主となった池田輝政が1601年から1609年にかけて行った大規模な拡張工事による。400年以上にわたって火災や落城を免れ、1931年に国宝指定、1993年に日本初の世界遺産として単独登録された。 1945年6月と7月、姫路市は米軍による2度の空襲を受けた。特に7月3日深夜から4日未明の爆撃は市街地全域を対象とした焼夷弾攻撃で、約1万300戸が全焼し、市街地中心部がほぼ壊滅状態に陥った。この空襲により市内で515人以上が命を落とした。しかし城郭は焼失を免れ、戦災下の被災者の心の支えとなったとされている。 城内の堀沿いや旧施設周辺で目撃情報や写真異常が報告されるのは、こうした多層的な歴史記憶、とりわけ戦没者と空襲犠牲者に対する慰霊の念が地域に深く根ざしていることとも無関係ではないと考えられる。


